青空の異世界クッキング

 翌日、青空の元に荷物が返ってきた。


「それで、これは何に使う道具なのじゃ?」


 荷物とともにやってきたのはヒルデガルトとルシン。異世界から青空が持ち込んだ荷物、ようするに通学カバンと買いだめした砂糖たちを届けに来てくれた。鞄も砂糖の入ったビニール袋も異世界召喚のどさくさで青空の手から離れてしまったのに、一緒にこの世界へやってきていたらしい。らしい、というのはあのときは自分の持ち物にまで気が回らなかったから。

 青空はヒルデガルトに促されてスマートフォンを操作した。


「うぉぉぉ。すごいのじゃ」


 タップをしていくとヒルデガルトが目を輝かせる。そして「すごいのじゃ。光っておる」とか「おおおお。未知なる魔法なのじゃ」と大興奮して青空はしばしヒルデガルトのスマホ見物に付き合う羽目になった。


「これは何?」

 ルシンは勝手にカバンの中からペンケースを取り出した。

「それは筆記用具だよ」

「紙もある。こっちは本、だね。読めない」

「あはは。日本語の文字はさすがに翻訳できない、か」


「おお。なにやら角角かくかくしい字面が並んでおるのじゃ。面妖な」

 ヒルデガルトがルシンの開いた本を覗き込む。確かに漢字は四角が並んでいるようにも見える。


「こっちは魔法のインクが仕込まれているんだね。つけペンじゃないんだ」

 ルシンは開いたノートに青空のジェルインクのペンですらすらと文字を書く。

「魔法じゃなくて、文明の利器的な? ええと、この小さなペンの中にたくさんの発明が入っているというか」


 青空は首をかしげながら説明を試みるが、何しろ普段何気なく使っている物の説明などこれまで一度もしたことがない。言葉って難しいな、と青空は遠い目をする。


「魔法じゃない? へぇえ。ちょっと持って帰って調べてみてもいい?」

「我も欲しいのじゃ!」

「駄目。僕が最初に言ったんだから」

「じゃあこの薄い板が欲しいのじゃ」

「え、スマホは駄目だよ。これは大切なものだから」

「むぅぅ」


 ペン一本くらいならいいけれど、さすがにスマホを手放すことは躊躇われる。いつまで充電が持つかはわからないが、現代っ子の青空にとってスマホを手放すのは非常に心細い。


 青空はこれだけは頑として譲れないとヒルデガルトに主張した。

 その後も二人は青空の持ち物に興味を示し、そのたびに青空が説明をした。

 つるつるした紙はこの世界の文化水準と比べるとずいぶんと上質なものとのことで、二人とも青空の持ってきたキャンパスノートをしげしげと眺めた。


 ひとしきり通学カバンの中身を漁った双子が今度はビニール袋の中に興味を移す。


「して、こっちの袋に入ったこれはなんじゃ?」

「これは砂糖っていうの。って砂糖くらいこっちの世界にもあるか」

 と青空は言ったのにルシンとヒルデガルトは「さとう……」と首をかしげた。


「砂糖とはなんじゃ?」

 と聞かれた。

 青空はびっくりした。まさか、砂糖を知らないとは。


「甘い調味料なんだけど、こっちの世界にはないのかな。ほら、お菓子とかつくったりするんだけど」

「菓子……?」

「甘い調味料って、花の蜜なら知っているけど。砂糖っていうものは聞いたこともない」

 ヒルデガルトとルシンはそれぞれにもう一度首をひねる始末。


「ええっ。ふたりとも、お菓子を知らないの? ケーキは? クッキーは? マカロンは?」

「なんじゃそれは」

「なにかの呪文?」


 二人の回答に青空は説明を始めた。

 お菓子というのは甘い食べ物で、主食ではないけれどちょっと小腹が空いたときなどに食べる食べ物で食べると頬が蕩けて幸せになる。ついつい食べすぎちゃうくらいに魅力的な食べ物で、簡単に作れるものから手の込んだものまでその種類は千差万別。クッキーやゼリー、ケーキなど青空のいた国には本当に色々な種類のお菓子が存在して、青空はお菓子を食べ歩き、自分でも作るのが大好きだった、ということを話す。


「それでお菓子の材料たる砂糖を買った帰り道に陛下に召喚されたと」

「うん」

「ともかく! 我はその菓子とやらが食べたいのじゃ!」


 ヒルデガルトが声高に主張をした。

 青空がこちらの世界に来て初めて明るく饒舌にお菓子について語ったためすっかり魅了されたのだ。


「でも、甘いものくらいは食べたことあるでしょう?」

「花の蜜に木の実を漬け込んだやつとかね」

「あれはたしかに甘くて美味しいのだが、べとつくから面倒じゃ」

「さすがにはちみつ的なものはあるわけね」


 なるほど、と青空は頷いた。

 双子の反応から察するにこの国では本当にお菓子的な食べ物は存在していないらしい。


「とにかく。我はぬしの世界の菓子とやらが食べたい。食べたいのじゃ」

「いや、でも。わたしが勝手に台所を使うわけにはいかないし。砂糖以外の材料もないし。ていうか、この世界の食材とかさっぱりわからないし」

 青空はヒルデガルトをなだめようと試みる。


「いやじゃ。我はぬしの作る菓子に興味があるのじゃ。異世界の食べ物を食べるのじゃ」


 ヒルデガルトも譲らない。頭をぶんぶん降ってじたばたと駄々をこねる。

 子供らしい仕草に青空がほだされる。


「作ってあげたいけど……さすがにわたしが勝手に使うわけにもいかないし」


 そう言ってため息を吐くと「ルシン! ぬしが何とかするのじゃ」とヒルデガルトは矛先を双子の弟に変えた。


 ご指名を受けたルシンは「はぁぁ」と思い切りため息を吐き「面倒くさい」とぼやきつつも部屋から出て行った。


 それからしばらくしたのち。

 青空は魔王の住まうお城の、厨房にいた。


◇◆◇


 それにしてもなにがどうしてこうなったのか。

 青空が今いるのは魔王の住まうお城、レギン城の第二厨房。その場にはディーターとルシンとヒルデガルトもいる。それからレギン城に勤める料理人のグランゼという男。


「青空様が異世界の料理をつくると聞きまして。興味あるので是非同席させてください」

 ディーターはどことなく声を弾ませている。


「菓子じゃ菓子。菓子を作るのじゃ」

「ヒルデガルト、うるさいよ」

「む。弟のくせに生意気じゃぞ、ルシン」

「一緒に生まれたんだから、そういうの関係ないよ」

「そんなことないのじゃ。我は偉大なる姉君なのじゃ」

 厨房に双子の言い合いが響く。


「はいはい。ふたりとも静かになさい」


 ディーターがぱんぱんと手を鳴らす。二日目にしてもうすっかりおなじみになったディーターのこの仕草。


 賑やかな観客たちを背にして青空はこの世界の厨房設備を確かめる。

 この世界の技術水準は青空の生まれ育った世界に比べると幾分遅れているが、それを魔法の力で補っている、というのがこの世界で一日過ごした青空の感想。魔法の力を加味すれば地球の科学力よりも勝っているところもあるのだが。


「ええと、火を熾すのはどうやるのでしょうか? あと、水とか、砂糖以外の材料は……」

「ああそれでしたら」


 ディーターが厨房の使い方を教えてくれる。

 当然というか火を熾すのも魔法だった。石でできたコンロ台の上にディーターはどこからともなく取り出した赤い石を置いた。


「これは火の魔法を閉じ込めた魔石です。この石に魔法の力を加えると熱を発して熱くなります。温度の調整も魔法で行います」

「うわぁ……便利ですね」


 青空は感嘆したが同時に落胆もした。これでは青空一人では使えない。

 ちなみにオーブンもみせてもらったがこちらの操作も魔石と魔法が必要。ただの人間には厳しい国だ。そういうわけで青空のサポート役としてグランゼを連れて来たとディーターは説明をした。

 厨房設備の説明を一通り受けた青空は次に砂糖以外の材料を見せてもらうことにする。


「ええと、卵はありますか? 小麦粉は? それからバターとか、牛乳」

 青空は一般的にお菓子作りに使う材料を口にする。

「卵でしたら、こちらにありますよ」


 ディーターが用意してくれたのは大小さまざまな……卵。


「色々ありますよ。七色鳥なないろどり三つ目鳥みつめどり、それからホエー鳥も」

 グランゼが卵の種類を教えてくれた。


(ごめんなさい。ニワトリならわかるんですけど……)


 さすがは異世界。卵の殻が七色だったり、薄青だったり、青空の知っている鶏の卵とは色も大きさも違う。違う世界なのだから当たり前と言われたらそれまでだ。

 青空は色々と突っ込みたいところを我慢して、一番鶏の卵に近い大きさの卵を手に取った。ボウルの中に割ってみると、濃い赤紫色をした黄身、いやこの場合紫見と呼ぶべきか、が出てきてのけ反った。


 それから青空は他の材料を吟味する。

 この世界の小麦粉は青空の知る小麦粉と同じなのだろうか。青空は自分の指にはまった翻訳指輪を見つめた。


 青空が話した言葉はおそらく魔法か何かで自動的にこちらの世界の言葉になってディーターたちに届いている。ディーターが厨房の食糧庫から持ってきてくれた材料も青空の知るバターや牛乳・小麦粉とほぼ同じ見た目をしている。牛乳の色がピンクだったらどうしようかと思ったけれど、こちらの牛の乳も白で青空は謎の安心感に包まれた。


「それで何を作るつもりじゃ?」


 姉弟同士の言い合いを終わらせたヒルデガルトが興味津々とばかりに尋ねてくる。

 青空は思案する。こちらの世界の材料も料理器具もよくわからないままに手の込んだものを作ったらおそらく失敗する。せっかく青空のいた世界の料理に興味を持ってもらったのだ。美味しいものを作ってあげたい。

 青空は小麦粉らしきものを手にして顔を近づける。


(匂いはまさしく小麦粉。でも、これじゃあ薄力粉か強力粉かわからない。ということは下手にケーキやクッキーを作るのは得策じゃない……。粉を使わないお菓子……ゼラチンは無いからゼリーとかムース系は駄目。あ、そうだ。プリンならいけるかも。あとは……)


 今手元にある材料で失敗のリスクが無いもの。青空は小学生のころからお菓子作りを趣味としてきた。最初に作ったときのことは今でもよく覚えている。夕方の国営放送のお料理番組『魔法使いパティシエ☆マジョマジョ・スピカのマジカルレシピ』を観て青空はスピカみたいに華麗にかっこよくお菓子が作りたいと、真似を始めた。自分の手で作ったお菓子を両親は思い切り褒めてくれた。それが嬉しくて青空は次はあれ、その次はこれが作りたい、と何度も繰り返した。


(そうだ。あれを作ろう)


「待っていてね、ヒルデガルト。甘くてしゅわっととろけるお菓子を作ってあげるから」

 青空はにっこりと微笑んでお菓子作りを始めた。


「それで、おまえは何をしている?」


 もう一人の声が聞こえたと思ったら、今度は魔王陛下で青空は飛び上がった。

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