第13話 春間マリーとアスレチックデート

「テルー!

 こっち、こっち、早くおいでー!」


 楽しげにはしゃぐマリーが、少し先の方で僕を振り返る。


 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振り、大きな声で僕を呼んでいる。


 本日は快晴。


 抜けるような青い空を背負ったマリーは、満面の笑顔だ。


「いま行くから!

 そこでちょっと待っててー!」


 負けじと声を張り上げる。


 嬉しそうに走り回る姿につられて、なんだか僕もワクワクしてきた。


「よーし、いくよー!」


 ロープを掴んだ腕に力を入れて体を持ち上げる。


 そうして息を弾ませながら、大きなアスレチック遊具を一気に駆け上がった。


 ◇


 ここは都心からは少し外れた公園だ。


 フィールドアスレチックで有名なこの公園は、休日になると、多くの家族連れ客で大変な賑わいをみせる。


 今日も大勢の人出で大盛況である。


「よっと!」


 ひと息にロープ登りの遊具を登りきった。


 肩で息をしながら、先に遊具を登りきって顔を前に向けた。


 目をやったその先に、美しい少女が笑顔で立っている。


 そよ風に揺れる淡い栗色の髪。


 新雪のように白くてきめ細やかな透明感のある肌。


 長い睫毛に少し目じりの上がったぱっちりとした瞳。


 すっと通った鼻筋に、あご周りのシャープな輪郭。


 ともすると冷たい印象を与えかねないその美貌だけれど、微笑みを讃える口元が、それを柔らかな雰囲気に変えている。


 彼女の名前は、春間マリー。


 僕の大切な人で、僕の元飼い猫だ。


「もぅー。

 遅いのよ、テル?」


 遊具を登りきった僕に、マリーが抱きついてくる。


「あはは、ごめんねマリー。

 お待たせ」


 少し胸をどきどきとさせながら、柔らかな体に腕をまわし、キュッと抱き返した。


 ◇


「ねえ、マリー。

 今日は、どこかに遊びに出掛けようか?」


 今朝のこと。


 ダイニングテーブルの隣の席で朝食を食べている彼女に、僕はそう切り出した。


 ちなみに朝食は、チキンコンソメのポトフ。


 といっても実は昨晩の残り物である。


 ひと晩寝かせたお陰でよくスープを吸い込んだ、ざく切りのキャベツを頬張る。


 うん。


 おいしい。


 キャベツの硬い繊維もすっかり柔らかく煮込まれていて、口に含むとホロリとほどける。


 ホクホクとしたジャガイモも、熱々のコンソメスープが染みていて、こちらもおいしい。


 僕はポトフを作るときには、糸こんにゃくを巻いて、お鍋の底に沈めることにしている。


 ポトフに糸こんにゃくというと、少し想像し難いかもしれないけれど、やっとみると案外おいしくてお勧めなのだ。


「ん!

 あひょびに、ひひたひ!」


 マリーが味の染みた粗挽きソーセージを咥えたまま喋った。


「あはは。

 なんて言ってるのか分からないよ。

 ほら、先ずは口のものをゆっくり噛んで飲み込んで」


 彼女ははむはむと口を動かして、ソーセージを飲み込む。


 そしてグラスを手にとって、なかの水をぐいっと飲み干した。


「ぷはぁ!

 うん!

 遊びに行きたいの!」


 言われた通りに、ちゃんと口の食べ物を飲み込んでから話をするマリーは、とても賢い。


 手を伸ばして、彼女の頭を撫でまわす。


「なら決まりだね。

 マリーはなにかやりたいことってある?」


「私のやりたいこと?

 むむー」


 マリーは腕を組んで、可愛らしく頭を捻る。


 そんな可愛らしい彼女を、より一層激しく撫でまわしながら、彼女が応えるのを待つ。


「……そうだ。

 私は、体を動かせる所がいいの」


「そっか、じゃあ調べてみるよ。

 けどマリーってば、本当に体を動かすのが好きだねぇ」


 今度は喉を撫でまわす。


 どうにも僕は、彼女のことをこうして猫可愛がりしてしまうのだ。


「うん!

 私ね、体を動かして遊ぶの大好き!」


 ぐるぐる唸って、気持ち良さげに目を細めながら、マリーは僕に笑顔を向けた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「次はぁー。

 清水公園。

 清水公園んん」


 電車の車内アナウンスが流れる。


 もう目的地だ。


「マリー、この駅だよ。

 降りよう」


 彼女の手を引いて、電車を降りる。


 電車に乗っている間中、マリーは興味津々で外を眺めたり、僕にじゃれついて来たりしていた。


 マリーは微笑ましくて愛らしい。


 僕たちは手を繋いだまま、改札をくぐる。


 そうして辺りを見回すと、真っ青な広い空の下、駅前の広場は家族連れの人出で大層な賑わいをみせていた。


「うわぁ!

 人がいっぱい!」


 マリーが両手を大きく広げながら大きく息を吸い込む。


 何人かの家族連れ客が、声を上げた彼女を振り返った。


 マリーの愛らしさに見惚れてしまっている男性なんかもいる。


 そのひとはどうやら家族連れの旦那さんらしく、お嫁さんに腕を抓られていた。


「さ、行こう!

 こっちだよマリー」


 彼女の手を引いて歩き出す。


 時刻は朝の10時頃。


 青く澄んだ空は高く、春の陽気がポカポカと暖かい。


 絶好のデート日和だ。


 駅前から少し歩くと、清水公園の全体図が描かれた案内板が見えて来た。


 その案内板を眺めながら、感嘆する。


「ほあー、すごいね。

 思った以上のスケールだ」


 案内板を前にして立ち止まった僕の顔を、マリーが覗き込んだ。


「そうなの?」


「うん。

 この公園は、フィールドアスレチックで有名なんだけどね。

 なかでも……」


 案内板には遊具のイラストが所狭しと描かれている。


 遊具の他にもバーベキュー施設なんかもあるようだ。


 これなら食材を持ってきて、ふたりでバーベキューなんかするのも楽しいかも。


「なかでもね。

 ほら、ここを見てご覧」


 案内板の一部を指で指し示す。


「ここにね、池があるだろ?

 この公園の特徴は、池にもアスレチックの遊具が設置されてることなんだよ。

 だからね。

 上手く遊ばないと池にぽちゃっと落ちちゃう」


 所謂池ポチャというヤツである。


 説明を聞いたマリーは僕の腕にきゅっと抱きついてから、自分の体を見下ろした。


 可憐な白のワンピース姿。


 なにやら彼女は少し眉を寄せて「むむむ」と唸り、葛藤している。


「……でも私、テルの買ってくれたこのお洋服、濡らしたくないな」


 まったく彼女はいつだって可愛らしい。


 形の良い頭を優しく撫でる。


「大丈夫だよ。

 アスレチック用のジャージを貸し出してくれるし、シャワー室もいくつかあるみたいだから」


 そう伝えるとマリーは難しい顔をやめて、「なら大丈夫ね!」と笑顔になった。


 ◇


「マ、マリー。

 こ、このアスレチックはね。

 こうやって遊ぶんだ」


 ゆらゆらと不安定に揺れる橋を、及び腰になりながら、おっかなびっくりと渡る。


 この橋は何本もの揺れる丸太を組み合わせたアスレチックだ。


 連結されていないせいで不規則に揺れるその丸太を、バランスを取りながら向こう側まで渡っていく。


 辺りを見れば僕以外にも、家族連れのお父さんやお子さんなんかが、苦戦しながら丸太の橋をそろりそろりと渡っていた。


「マ、マリーも渡ってみなよ!」


 中腰になったまま、彼女を振り返って誘う。


「うん!

 やってみる。

 ……っと、こうね!」


 マリーは軽い身のこなしで、ぴょんぴょんと丸太の橋を渡りはじめた。


 あっと言う間に向こう側に渡りきってしまう。


「どうかしら、テル?」


「す、凄いね、マリーは」


 さっと僕を追い抜いて、橋を渡りきった彼女の後ろ姿を、感心しながら眺める。


 周囲の家族連れ客からも、「おぉー」と驚嘆する声が上がった。


「姉ちゃん、凄えな!」


「お姉さん。

 かっこいいー」


 子供たちが口々に褒め称えながら、マリーを取り囲んでいく。


 彼女は「そんなでもないのよ?」なんて謙遜しているけれどその顔は嬉しそうで、案外、満更でもなさそうだった。


 ◇


 それからも僕たちはふたりして、沢山のアスレチック遊具で遊んだ。


 クモの巣ネット。


 三角山越え。


 壁登り。


 ドラム回転渡り――


 どんなアスレチックでも、マリーは身軽にこなしてしまうものだから、どこにいたって彼女は子どもたちの笑顔に囲まれて、ヒーローのように慕われた。


 マリーはとても楽しそうに笑っていた。


 普段運動をしない僕はクタクタになってしまったけれども、マリーがずっと楽しそうにしていたから、僕も一緒になってはしゃいで笑った。


「テルー!

 いっくよぉー!」


 掛け声をあげて、彼女は大きくしならせたロープに「えいっ」と飛び付いた。


 この遊具はターザンロープだ。


 滑車に繋がったロープにしがみ付いて、あちら側からこちら側に長く張られた1本のロープを、しゃーっと滑り渡る遊具である。


 僕はひと足お先にターザンロープを渡って、こちら側で彼女が来るのを待っている。


「にゃーッ!

 速いのー!

 うにゃにゃにゃー!」


 変な声で笑いながら、彼女がロープを渡ってくる。


 淡い栗色の髪がきらきらと輝きながら風に靡いて、とても綺麗だ。


 目を細めて見惚れてしまう。


 はしゃぐマリーの顔をぼーっとみつめる。


 すると彼女は僕の顔を見返して、にやりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 ……ん。


 さては……。


 なにか悪戯でもする気なんだろう。


 猫の頃から、あれでマリーは悪戯者なのだ。


 少し気を引き締めて身構える。


 案の定近くまで滑ってきた彼女が、ロープから手を放して宙に跳び上がり、勢いよく抱きついてきた。


「にゃにゃにゃにゃにゃーーッ!!」


「なッ!?

 ちょッ、ちょっと!

 マリー、危ないって!」


 慌てて腕を広げ、マリーを地面に落とさないように、受け止める。


 けれども勢い余った彼女の体を受け止めきれずに、ふたりで絡み合いながら、ごろごろと芝生を転がった。


「……あいたたた。

 もう、酷いなマリーは」


 ぶつくさと呟いて、上体を起こそうとする。


 けれども僕の体には、絡まったマリーが覆いかぶさっていて、起きあがることが出来ない。


 早々に起きることを諦めて芝生に体を投げ出すと、マリーが先に体を起こして、僕の肩を両手で地面に押し付けてきた。


 彼女の重さを肩に感じる。


 マリーはそのまま小さな吐息をひとつ吐いてから僕の瞳を見つめ、微かに濡れた唇を開いた。


「ね、テル。

 私はテルのことが、好き。

 ……大好き」


 マリーの視線が、僕の瞳から唇に移った。


「テルは……。

 テルは、私のこと、好き?」


 ごくりと唾を飲み込んだ。


 僕も彼女の唇を見返しながら、震える小さな声で、でもしっかりと聞こえるはっきりとした声で、マリーに想いを伝えた。


「うん……。

 好き、だよ」


 目の前に大輪の花が咲く。


 彼女は「えへへ」とどこか照れ臭そうに笑った。


 しばらくそうして微笑んでいた彼女が、その表情を切なげに変えた。


「私知ってるのよ。

 好き同士ならこうするってこと。

 ……ね、いいかな?」


 なんがいいのか。


 そんなことは決まっている。


 彼女の視線を見ていればわかる。


 マリーはさっきから、僕の唇ばかりを見ていた。


「……うん。

 いいよ」


 マリーが瞳を閉じて顔を沈めた。


「……ん」


 そして彼女は、少し濡れている、震えたその唇を、乾いた僕の唇に重ね合わせた。

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