第2話

 



 ――2年が過ぎていた。


 六本木のフォトスタジオでは、人気写真モデルの夕夏梨ゆかりが、淡いピンクのジョーゼットワンピースと長い黒髪をなびかせながら、美しく彩られたネイルアートの指先に一輪のピンクのガーベラをかざしていた。


 撮影を終え、更衣室でメイクを落としていると、


「夕夏梨、電話」


 付き人の真智子が受話器を上げた。


「誰?」


「話せば分かるって」


「ったく、誰よ」


 面倒臭そうに腰を上げた。


「はいっ」


「ゆかりさん、お久し振り。杉山だよ、覚えてないかい?」


 中年の男の声だった。


(……杉山?)


 夕夏梨はその苗字に覚えがなかった。


「あんたの顔を美しくした――」


(! ……)


 夕夏梨の表情が強張った。


「100万ほど用立ててくれないかな?」


 夕夏梨はあまりの驚きに言葉が出てこなかった。


「それともマスコミに売ろうかな。あんたの――」


「分かったわ。連絡先は?」


 折角掴んだ今の人気を失いたくない。……さて、どうする。





 月のない埠頭は闇に包まれて、黒い海が陸のように平らだった。明かりと言えば、遠い街の灯と倉庫の外灯だけだった。


 一つの黒い影はその薄明かりにあった。


「……杉山さん?」


 夕夏梨は帽子を目深に被り、サングラスをしていた。


「ああ」


 淡く浮かんだ男の顔に見覚えがあった。


「ごめんなさいね、こんな所に呼び出して。誰かに見られたら困るから」


「分かってるさ、人気商売だからね。俺もこんなことしたくないが、手術ミスで女を殺しちまってさ。医師免許剥奪よ。で、金は?」


 ヨレヨレのコートを着た杉山は、まるで浮浪者のようだった。


「ええ、持ってきたわ。写真は?」


 夕夏梨は革手袋の手で、ビニールに包んだ札束をバッグから出した。


「写真だ」


 杉山はポケットから2枚の写真を出した。


 夕夏梨は受け取った写真を明かりに向けて確かめると、札束と交換した。


「今夜は分厚いステーキが食える」


 杉山は受け取った札束を数えようと、明かりを背にビニールを剥がしていた。


「……寝る前に食べないほうがいいわよ、胃がもたれるから」


 夕夏梨はそう言いながら、ポケットのジャックナイフを手にすると、


 カチッ!


 刃を出し、素早くその刃先を杉山の背中に刺した。


「うっ」


 杉山が短い唸り声を発した。その隙に杉山が手にした札束を掴んだ。


 杉山はよろめきながら海に落ちた。


 ドッボーン!


 飛沫が跳ねた。夕夏梨は黒いコートに付いた飛沫を革手袋の手で拭うと、ナイフを海面に放り投げた。


 ジュポッ





 ――那美子が所属しているプロダクションの社長、片野汎かたのひろしと出会ったのは2年前。


 それは、当たった宝くじで整形し、流行りのファッションで身を包み、高級レストランで食後のレモンティーを味わっていた時だった。


 客たちは、那美子に熱い視線を注ぎながら、羨望のため息を漏らしていた。優越感に浸りながら、那美子は細い脚を組み直すと、色鮮やかなネイルアートの指先で、長い黒髪を背中に流した。

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