3章【幽霊騎士は虚ろに願う】

第15話 傲れる愚者に鉄槌を


               ※


 エシュタミラ北方、アレッサ領。

 その領主にして守護職たる、ヴォルカ・ルゥ・ラズバルド子爵の邸宅に訪問者があった。


 応対に出た壮年の王国騎士は、門前に立つそのふたり連れの男たちを見て、すぐに流れの傭兵であろうと断じた。


 ひとりは長身を軽装の金属具足で包み、フード付きのマントをまとっている。帯剣しているし、傍らに置いた荷袋には、厚布で刃を覆われた斧槍らしき長物がくくりつけられていた。


 もうひとりは、ヒョロリとした痩身を猫背に折り曲げた、ギョロ眼と鷲鼻が特徴的な異相の男。そちらは山男の如き皮の衣服をまとい、背には荷袋、腰帯には異国風の湾曲した短剣が無数に連なっている。だが、右腕の肘から先を失っているようだ。

 隻腕で戦働きが務まるとは思えない。なれば、フードの男が主で、ギョロ眼の方はその槍持ちであろう。


 そこまでを見て取ったところで、騎士は胡乱うろんげな視線でフードの男を睨んだ。


「……んー、何用であるか?」


 閉ざしたままの鉄格子門を隔てて、呼び掛ける。


「うむ、我はイザク。こちらは弟のウザレ。傭兵稼業で糧を得ている。こちらは一帯の御領主宅とお見受けした。なれば、我らの腕を雇ってはもらえぬかと、門を叩いた次第である」


 フードの男は、やけに尊大な態度で申し出た。

 傭兵なれば、騎士や貴族を相手にも物怖じはしまい。それで怖じ気づくようでは戦争屋は務まらない。とはいえ、貴族に己を売り込むのに、このように居丈高と振る舞う者も珍しい。


 目深にかぶったフードから覗く口許、その肌の色は浅黒い。

 連れのギョロ眼の得物といい、南方からの流れ者か? ならば、尊大な口調は異邦人ゆえのズレか?


 いずれにせよ、このふたりがエシュタミラのことを良く知らぬのは確かだろう。

 でなければ、この国に傭兵の仕事など求めてはくるまい。


 騎士は明確な嘲りを浮かべて、フードの男……イザクを睨んだ。


「残念だが、ここには……いや、この国には傭兵の仕事なぞない」

「ほう……?」


 イザクは、さも意外そうに声をもらす。


「大陸中で数多の国が覇権を唱え、数多の軍がぶつかり合う昨今。我ら傭兵は、どこの地でも引く手数多であると自負していたのだが……」

「ふん、外地ではそうであろうな。だが、ここは千年王国エシュタミラだ。我らが王は、愚かな侵略など望まず、また、赦しもしない。二百年の不戦を誇る泰平の国だ。外地がどうあるかは知らぬが、ここでは我ら騎士でさえ剣を抜くことはない」


 壮年の騎士が、いかにも誇らしげに胸を張る。

 イザクもまた、いかにも驚いたとばかりに声を上げた。


「何と! だが、我らは道中のウルクレイア国にて、北の大国アスガルドが、この地に攻め入ったと聞いてきたのだ」

「アスガルド帝国が? ハハ、そんな馬鹿なことがあるものか! アスガルドと我が国の間には、そのウルクレイア領であるイレウス荒野がある。アスガルド軍が我が国に至るには。まずはウルクレイアを攻めるしかないのだぞ?」


 エシュタミラは周辺国と同盟を結び、長きに渡る経済支援をもって国交を深めてきたのだ。

 周辺国が健在であること。

 それこそが、エシュタミラが安泰たる証拠であると、騎士は笑う。


 イザクは、さも神妙な様子で顎先を撫でた。


「ふーむ、イレウス荒野の砦は陥落したと聞いたのだが、それもデマであったか……」

「ああ、デマもデマ、大嘘よ。もしもそんなことがあれば、ウルクレイアからとっくに報せがきておるわ」


 当てが外れて残念だったな……と、笑声を上げる騎士。


「そういうわけだ。この国に傭兵の仕事はない。わかったらさっさと帰れ! どの道、今は領主様が王都に出向いておるから、勝手に傭兵を雇うことなんぞできんのだ」

「ほう? 領主殿は留守とな? では、貴公がその代行者としてここを預かっておいでか?」

「ふふん、まあな、このアレッサ領駐屯騎士団の副将、ギリム・ルゥ・バネットレントとはワシのことよ!」


 高らかな名乗り。

 そして始まったのは、ひとり語りの武勇伝。

 訊ねてもいない話を、声高に語り続ける壮年の騎士。

 この地を、彼らがいかに守っているのか。

 日々、彼らがどのように国防に務めているか。

 その誇り高き騎士の在り方と、そんな騎士たちに、領民がいかに感謝を抱くべきかを、感情的に並べ立て続ける。


 対するイザクは、フードの下にニコやかな笑みを浮かべたまま、大仰な仕種で、大きく相鎚を打ち、さも感心した風に声を上げる。

 それは端から見れば、いかにも馬鹿にしているのが歴然であったが、対する騎士は全く気にした風もない。むしろ、上機嫌な様子で弁舌を振るい続けた。


「だからなあ、領民はぁ、ワシらに尽くすのがぁ、当たり前だぁ! それをぉ、最近はぁ畑の不作がどうだのぉ、獣害がどうだのとぉ、出し渋りおってぇ……まったくぅ、けしからん!」


 そうだろう! と、騎士は声高に叫びながら鉄格子から顔を突き出してくる。その顔が真っ赤に上気しているのは、昂ぶった感情によるものだけではない。


「……まあ、そういうわけでなぁ、ここにはぁ、キサマらのような馬の骨にぃ……やる仕事はぁ……ぜんぜんぅなぁい! わかったらぁ、さっさとかぁえれぇッ……!」


 怪しくなった呂律ろれつで、酒臭い吐息を撒き散らす副将殿。興奮してベラベラとハシャギ立てたせいで、酔いが回ってきたのだろう。

 対するイザクは、ひときわ力強く頷いて、鉄格子から覗く騎士の赤ら顔を睨みつける。


「うむ! 汝らの腐った騎士道、あいわかった。長々と御教授戴き、感謝する!」


 高らかな謝辞と叫び。

 直後、腰だめに握り締めた拳が弧を描き、赤ら顔の顎先を真上にすくい上げた。

 天を衝くように振り抜かれた鉄拳。

 小気味良い打撃音と共に仰け反った騎士。

 無様なその身が、無様に倒れ込んだ時には、すでにしてイザクはきびすを返していた。


「くだらん! 此奴こやつらは武人として相対する価値もない! ただのクズである!」

「あ! 待ってくれよ兄ちゃん!」


 早々に立ち去る兄を、ギョロ眼の弟は慌てて荷物を抱えて追いかける。

 イザクは、よほど腹に据えかねているのだろう。ズンズンと大股で歩く後ろ姿は、あたかも怒りの炎に揺らめいているようだった。


「ウザレ! あの騎士を名乗るクズには、武人として恥ずべき汚点が二十九点ある! 並べよ!」


 怒気もあらわな兄の問いに、弟はビクつきつつも、真剣に考える。

 あの壮年の騎士の悪いところ────。


 武装した相手にひとりで応対した点。

 イザクが顔を隠したままなのを検めなかった点。

 他国の傭兵が密入国しているという状況に、気づいていなかった点。

 仮にも軍人が、外地で散々に暴れ回っているイザクとウザレの名を知らなかった点。

 将たる領主の不在を、あっさり告げた点。

 警備状況や、活動内容を暴露した点。

 領民から不正な税収を巻き上げている点。

 他にも礼節や態度、立ち振る舞いなど、ハッキリ言って、悪い点が多すぎて、どれから挙げるべきかわからないほどだった。


 唯一、門を開けなかった点は良かったが、それも不用意に格子の隙間から顔を突き出した時点で台無し。

 本当に、ダメにもほどがある。実に無様なクズっぷりだった。


「……えっと、とりあえず、いきなり酔っ払ってた時点で、もうダメだよね」

「然りである! ……が、酔うておらねばマシであったかは、はなはだ疑わしいがな」


 イザクは怒気を込めて吐き捨てた。

 彼の言は全くもってその通りで、ウザレも心の底から同意するところなのだけれど。


「うーん……」


 ウザレはその大きなギョロ眼を瞬かせつつ、不可解そうに唇を尖らせ

た。


「……ねえ、兄ちゃん。オイラ、あんま頭良くないから、わかんねえんだけどさあ」


 弟の呼び掛けに、兄はピタリと立ち止まる。


「何だ? 弟よ」


 未だ冷めやらぬ怒りを強く抑えて振り向いたのは、弟の声音にこもる、真剣な疑念を感じ取ったためだ。


「えっと、あの騎士はクズだけど、けど、エシュタミラの騎士様なんだよね?」

「うむ、その通りだな」

「……でさあ、兄ちゃん。ここは北の国境で、そこを守るってことは、スゴく重要な役目なんだよね?」

「うむ、それも全く、その通りだな」


 兄の明朗な肯定に、弟は困惑に揺れる。


「……えっと……その重要な役目を怠けるってのは、スゴくマズいことなんじゃないの?」

「エシュタミラにとって……という意味ならば、その通りだ。国境の守りを怠れば、外地からの侵入を容易とする。内地からの逃亡も同様だ。現に、我らはこうして堂々と歩いておるし、過日のアスガルド軍共もあっさりと布陣を敷けた」


 警戒されることのない防衛網。

 機能していない防衛線。

 喉元に迫った刃の煌めきに、少なくとも、あの騎士共は欠片も気づいていなかった。


「……それってさ、自分で自分のクビ、絞めてるってこと?」

「うむ! 全くもって、その通りである!」


 力強い肯定に、ウザレはなお困惑した様子で疑念をこぼした。


「…………ねえ? 騎士は、守りし者だよね?」

「そうらしいな」

「じゃあ、何でエシュタミラを守る騎士が、エシュタミラにキバむいてるの?」


 わけがわからないよ……と、呻きを吐く弟の純真に、向き合う兄は、さも愉快そうに笑声を上げた。


「牙を剥いている自覚など、ヤツらにはないさ。そもそも、牙など生えておらぬから、あのように姑息で恥知らずな真似ができるのだ」


 例えば────。


「ここに赤ワインと、白ワインがあるとしよう。ウザレ、汝はどちらを好む?」

「……んー、オイラ、酒はあんま好きじゃないし、どっちでもいいよ」

「そうか。ならば、我が赤ワインを好むと言うたら?」

「オイラも赤ワインが好きになる! ……あ、でも、兄ちゃんが赤い方を好きなら、オイラは白を選ぶ方が、兄ちゃんがいっぱい飲めるからイイのかなぁ……」


「クハハ、ありがたいな。まっこと、汝は兄想いの良い弟である! が、要するに、そういうことだ」

「……?」

「ウザレ、汝は酒を好きではない。だから、赤でも白でも、どうでも良いと思った。だが、汝は兄想いである。だから、兄である我が絡んだ途端に、赤か白かが、どうでも良いことではなくなった」

「…………要するに、あの騎士たちは、エシュタミラが好きじゃないってこと?」

「というより、意に介していないのだろうな。自分がどうあろうが、それでこの国がどうなるわけもない。エシュタミラは千年平和なのだ。なら、今日まで平和だったのに、明日は平和ではなくなるなどと、あるわけがない! ……と、そう信じている。否、考えてすらいないのだろう」


 あの騎士たちにとっては、今、この時の泰平が全てであり、目先の享楽が何よりも確かで、重要なのだろう。


「つまり、連中は、この国を守る必要はないと思っているのだ! 守らなくても、この国は安泰だと、心の底から信じているのである!」

「騎士は、守りし者なのに?」

「然りだ。人は、病に倒れて初めて健康のありがたきを思い知るという。なれば、戦を知らぬ平和な国の騎士たちは、平和のありがたきがわからぬのさ。平和がわからぬから、それをおびやかすものにも鈍感なのだ。まったくもって、度し難い!」


 戦火の中で生まれ、戦場に放り出されて生きてきた者としては、その在り方はまったくもって腹立たしい。

 叶うなら、今すぐに引き返して、あのトボケた素っ首をね飛ばしてやりたかった。

 しかし、そうもいかない。

 ここでのイザクたちの役目は、北の国境地帯における現状の確認と報告である。

 武の行使は、あくまで外地から侵入する者たちに対してのみ。

 そういう契約なのだ。


「まったく性に合わぬ……が、それも今日までだな」

「うん、アイツらで最後。結局、国境警備の騎士は、どいつもこいつもクズだったね」


 ウザレが手元の羊皮紙束を確認しながらウンザリとぼやく。

 その言の通り、国境を預かる騎士たちのほとんどが、まともに防衛軍としての役目を果たしていなかった。

 穴だらけの警戒網に、煩雑な監視。形ばかりの訓練。実戦はおろか、まともに剣を振れるのかも疑わしい弱兵たちばかり。


 エシュタミラの国境防衛は、全くもって無様な在り様。


 中でも、このアレッサの惰弱ぶりは飛び抜けている。

 守りを怠けるだけでなく、領民から不当に搾取して私服を肥やし、守備兵は形だけの見回りすら務めていなかった。


 さすがは、先のアスガルド軍襲来を、うっかり見逃した強者たちだ。


 五千の兵が領内に侵入して気づかぬなど、普通は有り得ない。

 ならば、気づいていながら放置したのかとも思ったが、直に連中を確認して、なるほど、本当に気づいていなかったのだと了解した。

 もし気づいていたら、連中は真っ先に逃げ出していただろう。そう確信させるほどに、見事な腑抜けぶりだった。

 今もなお、あの地に留まって愚行にふけっていること……その事実が、侵攻を見落としたことの何よりの証である。


「まっこと、度し難いな……」


 イザクは、心の底からの鬱屈うっくつと憤怒を吐き捨てる。

 その渦巻く闘志を察したウザレは、すぐに抱えていた長柄を差し出した。


「はい! 兄ちゃん!」

「おう!」


 兄は長柄をつかみ上げると、大きくひと薙ぎする。

 頭上を旋回した凄まじい剣圧と剣風に、斧頭に巻かれていた厚布が引き裂かれて千切れ飛ぶ。


「うむ! 我が業前わざまえに曇りなし!」


 鋼鉄の長柄を片手で軽々とひるがえし、肩にかついで悠然と歩み出る。

 次に目指すはエシュタミラの王都。

 いよいよ、此度の仕事の仕上げであった。


 平和ボケしたこの国に、鉄槌を叩き込む。


 それがイザクの次の役目だ。

 そして、この国に刃を向ければ、きっとあの〝悪魔の騎士〟が立ち塞がってくれるはずだ。

 ならば、その伝説との対峙こそ、武人たるイザクの望みである。


「行くぞウザレ! 我ら兄弟の武をもって、伝説に引導を渡してくれようぞ!」

「うん! わかったよ兄ちゃん!」


 兄の高らかな宣言に、弟もまた高らかに応じたのだった。


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