第8話 偽りの花嫁


 蒼く澄み渡る空の下で────。


〝騎士は、守りし者だ〟


 かつて、あの少年はそう言った。


(……何を守るんだ?)


 わからないから、アガトは問い返した。


〝守りたい全てだ〟


 少年は即答したけれど、やはり、アガトにはわからなかった。

 守りたい全て……。

 クルースニクであるアガトが守るのはエシュタミラ、この国だ。

 だが、それは守るべきもの。

 守るように義務づけられたものでしかない。


 ならば、守りたいもの……自分自身が守りたいと願うものとは、何なのだろう?


 わからない。

 けれど、太陽を背負ったあの少年は、確かにわかっていたのだろう。

 少年自らが守りたいと願うもの。失いたくない大切な宝物。だから、迷わず、惑わず、真っ直ぐに騎士の道を貫いているのだろう。


 アガトには、わからない。


 だから、共に進むことにした。


 少年と同じに、少年が示したように、その騎士の在り方を模倣した。

 そうすれば、わからないアガトにも、いつかわかる時がくるかも知れないし、何より、そうすることが、一緒に騎士として歩むことが、少年との約束だったから────。




 そして、アガトは唐突に目を覚ました。


 見慣れぬ板張りの天井。

 見知らぬ小綺麗な部屋の光景。

 窓から差し込む日差しから、今が朝なのだろうということだけは、理解した。


(……ここは、どこだ?)


 柔らかなベッドの上、未だ微睡まどろんだ意識の中で自問する。


 アガトは〝お役目〟で、王都に潜入したアスガルド兵を始末するために向かい……そうだ、現場で謎のギョロ眼と戦って深手を負った。そして、逃げ出した敵を必死に追いかけた。


 けど、その後の記憶が欠け落ちている。

 憶えていない。

 あれからどれくらい経ったのか?


 身を起こそうとしたが、背中に鈍痛が疼き、左の脇腹には激痛が走った。


 痛かった。

 スゴく痛かった。

 けど、痛いということは……だ。


「とりあえず、生き延びてはいるんだな」


「そのようですね」


 優しい声が応じる。

 見ればベッドの脇、椅子に姿勢良く座した少女が居た。

 黒い衣服、長い黒髪、対照的なまでに白い貌の中で、あの蒼色の瞳が穏やかに細められて、アガトを見つめていた。


 王立図書館司書の、ユラ・フォルトナー。


「とても苦労しました。血まみれのあなたをこっそり運んで手当てして、誰かに知られぬよう血を掃除して……本当に、大変だったのですよ? どうか恩にきてくださいませ、クルースニク様」


 力無い微笑、言葉の通り苦労したのだろう。

 彼女が助けてくれたようだが、ならば、ここは王立図書館……グレンが用意したと言っていた、アガトの部屋なのだろうか?


 そう思い至ったところで、彼はようやく事態を理解した。


(彼女は、オレを〝クルースニク〟と呼んだ!?)


 とっさに身を起こした。

 激痛が走るが、構わずに視線を巡らせる。


「……これを、お探しですか?」


 静かなささやきと共に差し出された長剣。黒鞘に黒いこしらえをした、クルースニクの剣。

 驚くアガトの眼を、真っ直ぐに見つめてくる蒼い瞳。


「わたしを、斬りますか?」


 アガトが何のために剣を探していたのか、剣を手にして何をしようとしているのか、それを確かに承知している言動。なのに、彼女の笑顔はどこまでも穏やかなまま。


「わたしは、死にたくありません」


 静かに、そう続けた。

 澄んだ蒼瞳。そこに黒い揺らぎはない。

 ならば、彼女は真実を告げている。

 そもそも、誰だって死なずに済むなら死にたくないだろう。それが道理だ。だから、死を恐れぬアガトですら、望んで死のうとは思わない。


 だが、ならば、なぜ、彼女は剣を差し出してくる?


「わたしは、あなたの正体を誰にも口外しません。だから……」


 だから殺さないでください……と、そう続けるのかと思った。


 だが────。


「……わたしを、あなたの妻にしてくださいますか?」


 ユラはニッコリと、どこまでも穏やかな笑顔のままで、申し出てきた。


「……妻……だと?」

「はい、妻です。嫁です。人生の伴侶です。つまり、あなたに求婚しているのです」


 蒼い瞳。黒い陰りも揺らぎもない虹彩。

 彼女の言に偽りはない。つまり彼女は、本気でアガトの妻になりたいと思っているようだ。


「命乞いの対価……か?」

「いいえ。ですが、そう思っていただいても結構です。妻がダメならばめかけでも召使いでも、いっそ奴隷でも構いません。あなたのおそばに置いて欲しいのです。あなたに尽くさせて欲しいのです。あなたに寄り添い、わたしの全てを捧げることを、認めて欲しいのです」


 蒼い瞳は曇らない。

 彼女は嘘を言っていない。


「何で……?」


 アガトは疑念のままに問い質した。

 わけがわからなかった。

 殺されたくないと思うのはわかる。

 命乞いに対価を差し出すのもわかる。

 死を恐れて、恐怖と忌避きひの中で我が身を差し出すというなら、これまでも多く見てきた人間の行動だ。


 だが、彼女はそれを望んでいる。

 仕方なくではなく、嫌々ではなく、自らアガトのために尽くしたいと願っているのだ。


「何で……って、それを望む理由は、ひとつでしょう?」


 ユラは抱えていた黒鞘をベッドの脇に立てかけると、ツイと身を寄せてきた。

 彼女の手がアガトの手にそっと重なり、細い指が甘やかに絡んでくる。


「わたしは、あなたを愛してしまったのです」


 可愛らしく小首をかしげて、微笑みながらそう言った。

 真っ直ぐに真摯しんしに、アガトを見つめてくるユラの蒼い双眸。

 その虹彩にハッキリと揺らめいた、


(ああ、彼女は嘘をついている……)


 アガトは確信と疑念にさいなまれるままに、ゆっくりと息を呑んだのだった。



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