2章【幽霊騎士は虚ろに惑う】

第9話 強くある者


               ※


 彼はボンヤリと月を見上げて考えていた。


 夜空に煌々こうこうと輝く月。

 輝きでありながらも、淡く静かな光。


 かつて、とある外道の魔術士たちが語ったところによると、月光とは元をたどれば太陽の光であるらしい。

 太陽の強い輝きが、遠い月輪に反射している……それが月光なのだという。

 ならば、それはある意味で死した光。太陽というまばゆい輝きが、月に触れてゆるやかに死に果てる。その今際の残り火こそが月光。


「で、あれば、これほど美しいのも道理である」


 彼は高らかに笑いながら、手にした長柄をごうと薙いだ。

 その凄まじい剣風に、刃を染めていた血糊ちのりが振り解かれて、地面を濡らす。

 否、地面はとうに血の海と化していた。

 倒れ伏したむくろ、骸、骸、斬り刻まれ倒れている無数の骸たち。その数は三十一人分。みなアスガルド帝国の兵士たちだ。


 倒れ伏した揃いの武装兵のただ中で、月を見上げて笑う彼は、ただひとりの生者。軽装の具足の上にマントを羽織り、フードを目深にかぶった、流れの傭兵といった風体の男。

 その手に握っているのは長柄の斧槍。三日月型の斧頭を備え、さらに石突き部に剣刃を備えた特殊な得物。その刃はもとより、身の丈を越える柄までもが金属でこしらえられた剛の武器。それを片手で軽々と振るう腕力と、微動だにしない体幹は尋常ではない。


 この場にて彼だけが異装、彼だけが異物、すなわち彼ひとりが敵対者。

 周囲の惨状が示すのは、彼がその孤剣にて全員をほふったという、端的にして脅威なる事実。


 されど、男が笑うのは勝利の喜悦ゆえではなく、あくまで輝く月の美しさがために。


 斬り伏せられた兵たちは、過日にアガトが追い払った軍勢の残党か?

 それとも、新たに送り込まれた斥候か?

 いずれにせよ、こうして出会ってしまったのが彼らの運の尽きだった。


「これだけ雁首がんくびをそろえながら、我が身にひと太刀も入れられぬとはな。げに不甲斐なき徒花あだばなどもよ……なれば、月でも愛でるしか、この場に楽しみはあるまいよ」


 彼はフード越しに月を見上げながら、高らかに笑声を張り上げる。

 その笑声が不意に止んだのは、近づいてくる親しい気配を察知したからだった。


「おお、戻ったかウザレ、我が弟よ!」


 歓声のごとき弾んだ声で呼び掛ければ、夜闇の奥から滲み出るように人影が現れる。


「……ただいま、兄ちゃん。こっちは、片付いたんだね……」

「うむ、見ての通りだ。兄はとどこおりなく仕事を終えている。そちらはどうであった?」

「うん、王都に潜り込んでた連中は死んだよ……その、オイラがヤッたわけじゃないけど」


 高笑う兄に対し、応じる弟はその特徴的なギョロ眼を弱々しく伏せた。

 背を曲げてうずくまる弟の、その不自然な姿勢に、兄は怪訝けげんそうに問い質す。


「……何だ? 弟よ、なんじ、何を隠している?」


 低く、それでいて良く通る声。猛獣の威嚇いかくにも似たそれに、鷲鼻ギョロ眼の弟は、短い悲鳴を上げて平伏した。


「ご、ゴメンよ兄ちャん! オイラ……! オイラは……!」

「待て、その腕はどうしたのだ弟よ!」

「うゥ……!」


 呻き伏した弟。

 兄は骸の群れを飛び越え駆け寄ると、その右腕をつかみ上げた。包帯でキツく巻き上げられたそれは、明らかに肘から先が消失している。


「汝、よもや十にも満たぬ寡兵かへいに不覚を取ったのか!」

「ゥうァあァッ! ゴメン! ゴメンよ兄ちゃん! オイラ、頑張ったんだけど……でも、悪魔みたいな仮面のイカレ野郎が……!」


「……何と?」


 うろたえる弟の肩を、兄はガッシリとつかみ問い質す。


「汝、今、悪魔の仮面と言ったか?」

「う、うん……全身真っ黒で、変な四本角の仮面つけてたんだ。そんで〝ミラに仇為す者はゆるさない〟とかほざいてて……」

「おぉッ!」


 兄は大きく身を仰け反らせ、夜空を仰いで高らかに叫ぶ。


「何と! 何と! 何という僥倖ぎょうこうだ! やはり、伝説は幻想に落ちぶれてはいなかった!」


 興奮冷めやらぬとばかりに、兄は弟の両肩を激しく揺さぶり奮起する。


「誇れ弟よ! そいつが〝クルースニク〟だ! 汝は伝説を相手取って生き延びたのだ!」

「……え、クルースニク?」

「ああ、悪魔の騎士クルースニク、エシュタミラの守護者、千年不敗の伝説だ! 身にまとう黒炎の鎧は百の刃を寄せつけず、振るう黒炎の鎖は千の敵を薙ぎ倒し、投げ放つ黒炎の槍は万の軍勢を討ち払う! やはり、やはり存在していたか! ならば、先の将軍殺しも、真なる悪魔の御業なのだな……ククク、良いぞ、実に良い。くだらぬ道化仕事に腐っていたが、本家の伝説を相手取れるのなら、話は別である!」

「伝説……って、え? アイツ、そんなスゲェヤツだったの? でも、黒炎とかぜんぜん使ってなかったし……。それにオイラ、もう少しで勝てそうだったんだけど……」

「……何だと?」

「ヒィッ! ほ、本当だよ! こう、脇腹を抉ってやったんだ! ……でも、オイラ、反撃で腕を斬られて……ゴメンよぉ!」

「……ふむ」


 兄は思案げに首をひねりながらも、泣きじゃくる弟の肩を優しく叩いてやる。


「落ち着けウザレ、汝はこの兄の弟である。なれば、その業前は尋常にあらず。その上で仕留め切れなんだのは、敵の凄まじさゆえ。伝説に一矢報いた誉れを胸に、今はゆっくりと養生せい。その腕の仇は、兄に任せよ」


「うん、うん! ありがとう兄ちゃん! オイラも頑張るよ! 次は逃げない! 負けたままじゃあいられない! だってオイラは、最強の兄ちゃんの弟だから!」


「うむ! その意気や良し! 汝は、まっこと良くできた弟である!」


 兄は弟を抱き締め、心の底から激励する。


 それにしても────。


(クルースニクが、ウザレに不覚を取った……とな)


 彼の弟は強い。

 彼の弟なのだから当然だ。

 とはいえ、それでもあの魔術士どもに言わせれば、デキ損ないであるらしい。まったく業腹な評価だが、事実、成功体である彼とは、歴然と力の差があるのは確かだ。


 ならば、伝説の悪魔は、やはり悪魔と呼ばれているだけの人間でしかないのか?


(……クルースニク、果たして我が求める強者で在りや否や……)


 兄は、期待と猜疑さいぎに胸を焦がしながら……。

 フードの下で、紅く輝く双眸が、ジッと挑むように空の月光を睨みつけていた。


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