第34話 守りし者


 エシュタミラ北部アレッサ地方。

 そのさらに外れ、国境にほど近い山間の村落。

 全ての住民は、すでに騎士団の誘導で避難させてある。この場には、もうアガトたち以外は残っていない。


 営みの音が消えた静かな村。

 その中央広場にて、アガトは着々と戦いの準備を整えていた。

 黒い帷子かたびら脚絆きゃはんをまとい、黒金の手甲と脚甲、同じく黒い板金鎧で身を覆う。


(こんなものを身に着けるのは、いつ以来か……)


 アガトは懐かしいような、戸惑うような、微妙な苦笑を浮かべる。

 古の技術で鍛造された甲冑、クルースニクのための全身鎧。現在の鍛鉄技術では叶わぬ軽さと頑健さを備えているが、それだけだ。特別な力が込められているわけでもない。

 軍勢を相手取るには、不足に過ぎる。それでも、無いよりは遥かにマシであろう。


 アガトは最後に仮面を手にして、しばし考える。

 もう顔を隠す必要はない。仮面はいらない。けど、ずっと愛用していたものだし、様式美というやつも必要だろう。だから、ひとまず留めヒモを首に回して提げることにした。


「アガトさん、どうぞ」


 ユラの声。見れば、その腕が差し出しているのは、真新しい漆黒のサーコートだった。それを甲斐甲斐しくアガトに着せてくれながら、彼女は上目づかいに睨んできた。


「ところで、あの髪飾り、まだ持ってます?」

「ああ、持ってるけど……」

「そうですか、でしたら、そのまま無くさず持っていてください。そして、帰ってきたら、またわたしの髪に挿してくださいませ」

「え……? でも、髪飾りは嫌いなんじゃあ……」

「嫌いです。髪に何かが触れるのはとてもわずらわしいですから。でも、言ったでしょう? 愛する旦那様がくださった贈り物が、嬉しくない妻がおりましょうか」


 以前にも聞いた言葉を、今は蒼く澄んだ瞳で告げられた。


「あ……、だったら、今……」

「は? バカなんですか? 帰ったら、と、言いましたでしょう? 御無事に帰ってきてくださいと願う健気な女心がわからないのですか? 最悪です。死んだ方がいいです。もうこのまま特攻して死んでください」


「ちょっと、何でイキナリ喧嘩してんの? それともイチャついてんの? どっちにしろ空気読もうよ」


 リュードがあきれの声をもらす。新調した大剣を杖代わりに寄り掛かりながらの彼に、ユラは眼差しも冷ややかに睨み返した。


「今のがイチャついているように見えましたか? 黒陽騎士様の眼はまるで節穴ですね。今度良い眼薬を調合して差しあげましょう。焼けるほどに効きますよ」

「それ、毒的な効きにしか聞こえないんだけど」

「はい、一滴で節穴が空きます」


 ニッコリ可憐に笑うユラに、リュードはゲンナリと肩をすくめた。


 そんな仲間たちのやり取りに、アガトは何だかくすぐったい感覚を覚えつつ。いつものように盾を背に、剣を腰に佩くと、馬鎧で武装した騎馬に飛び乗った。片手で器用に手綱を操りながら、見送る仲間たちを見やる。


 ユラと、リュードと、そして────。


 力なくうつむいている女騎士。その茶金のお下げ髪に、アガトは穏やかに呼び掛けた。


「マシロさん」


 ビクリと、弾かれたように顔を上げたマシロ。その琥珀の瞳を、馬上から真っ直ぐに見つめて、アガトは告げる。


「グレンとの約束を、果たしてくる」

「……約束?」

「ああ、ずっと昔、オレはグレンと約束したんだ。騎士になって、一緒にこの国を守る。そう約束した。オレは……」


 そうだ。あの日からずっと、今でも変わらずにずっと、アガトはそれを願っている。


「オレはあの日から、グレンのような立派な騎士になりたくて、剣を取ってきたんだ」


 だから、ここで諦めるわけにはいかない。

 それではグレンの死が報われない。死は、絶対に覆ることはないけれど、だからこそ、それを無意味にすることだけはイヤだった。


「あいつが目指した騎士道は間違っていない。ただ、あいつはクソ真面目だから、ちょっと道を踏み外してしまった。そうだろう?」


 マシロの表情が、泣き笑いのように歪む。

 それでも、もう彼女はうつむきはしなかった。


「そうね……きっとそう、私は……私も御父様のような、立派な騎士になりたいの」


「なれるよ。なれる。守りたいものがあって、そのために剣を取れば、それが騎士道だ」


 あの日、あの澄み渡る蒼天の下で、琥珀の瞳が教えてくれた。

 その曇りなき色彩は、今もマシロの瞳に生きている。だから、きっと大丈夫だ。


「それじゃあ、いってくる」


 馬上から告げれば、ユラが穏やか笑い返してくれる。


「はい、いってらっしゃいませ旦那様。くれぐれも、オイタはなさらないでくださいね」


「あぁ……それは難しいなあ」


 蒼い瞳の忠告に、正直に困ってしまった。

 アガトは、どうしても無茶をしてしまうし、そもそも今回は無茶をしにいくのだ。だから、まあ、仕方ない。帰ったら精々神妙に謝ろう。


 アガトは馬首を巡らせ、手綱を振るう。

 軍馬は、すぐに疾風となって駆け出した。


 騎士は守りし者。


 だから、アガトは守るべきものを守って千年を駆けてきた。


 けど、今は────。


 懐に収めた白花の髪飾りに、意を向ける。

 守りたいものができた。やっと見つけた宝物。

 だから、悪魔の騎士は、この心を胸に抱いて剣を取り、盾を構える。

 倒すべき敵はいる。

 守るものもある。

 喜びも悲しみもある。

 欲しいものもある。


 だから、もうアガトはカラッぽじゃない。


 このうつろを満たしてくれた宝物を守り抜くために、もう一度だけでいい。この身に〝善なる悪魔アガトダイモーン〟の炎を、どうか……!


 祈りながら、アガトは騎馬を疾駆させる。

 駆け抜けて、駆け抜け続けて、やがて国境を見渡せる丘陵地帯へと差し掛かった時────。


 駆けていた騎馬が、急停止した。


 何かに怯えるように、畏れるように、前肢を高く上げていななく。すぐに手綱を操り、馬首を抱いてなだめるアガトだったが、馬は暴れることをこそやめたものの、ガクガクと怯えてうずくまってしまった。


 下馬したアガトは、前方を睨む。

 丘陵を上る道、その先に立ち塞がるように仁王立ちしている男がいた。

 白い髪に紅い瞳、身に纏うのは鈍色の軽装甲冑。だが、その腹部には穴が穿たれ、ベットリと血糊に汚れている。


「待ち侘びたぞ、クルースニクよ!」


 手にした斧槍をひと薙ぎし、白髪紅眼の傭兵は高らかに叫んだ。


「いやなタイミングで現れるもんだ。わかってて待ち伏せてたのか?」

「当然である! ミラを守る者が、この現状でどこに現れるのか……この先の丘は、迫る軍勢を一様に見渡せる絶好の地点なれば……」

「じゃあ空気を読んでくれ、オレは、あんたに構ってる場合じゃあないんだ」


 アガトの簡潔な申し出に、対するイザクは不敵に構えたまま。


「ウザレが死んだ」


「…………」


「我が弟、ただひとりの家族である。だが、死んだ。我が敗北したせいで死んだ。だから、死した弟に約束したのだ。我はもう負けぬ。負けるわけにはいかぬ。我は強き兄、ウザレが誇れる最強の兄であると、世界に知らしめると誓った」


 ゆえに、不覚を取ったままではいられない。


「伝説の悪魔、千年不敗の大英雄。まずは汝を討ち倒さねば、我は先に進めぬ。最強の武を示すことができぬ。汝の都合は知ったことではない。力によって我を通す、それが武の本質である! ならば、我は我であるがままに、汝に決闘を申し込む!」


 イザクは斧槍をひるがえし、眼前に立てた。

 大陸全土に通ずる決闘の剣礼。古式ゆかしき騎士の礼法。

 命懸けの戦場で、国の命運を懸けた局面で、悠長に決闘だなどとバカげている。本当にバカげている。


 それでもだ。


 騎士であるアガトが、真っ向から決闘を申し込まれたのだ。


 アガトは抜き放った剣を眼前に立てて、剣礼を返した。

 イザクの笑みが、歓喜に染まる。


「「剣の無礼、いざ!」」


 互いの口上は鋭くも高らかに、斧槍と長剣が旋風となってぶつかった。

 打ち合い迫り合った刃は、瞬時に離れ、瞬時に衝突する。


 気合い一閃に薙ぎ払われた斧刃、受け止めたアガトの刀身が、長柄を絡め取るように上方に巻き上げる。


 瞬に振り下ろされた斬撃を、イザクもまた反転させた長柄の剣刃で受け弾いた。


 剣を振り抜く勢いのままに身をひるがえしたアガト、その右脚がイザクの足下を薙いだが、すでにイザクは跳び上がり様に斧槍を振り下ろしていた。

 甲高い音。

 アガトが背負った盾を、背負ったままに斧槍に叩きつけて打ち弾いた音。すぐに身を転じて放たれた剣閃を、イザクもまた仰け反って回避していた。


 互いに大きく武器を振り抜いたふたりは、両脚を踏み締めて体幹を保持し、すぐ様に身構えて睨み合う。


 見開かれた互いの双眸が、同じく紅い光を宿して輝いた。


 再び剣風が巻き上がる。

 互いの刃が空を裂き、互いの四肢が交錯し、剣気と闘気が渦を巻きぶつかり合って、斬り結ぶ双炎を熱くたぎらせていく。


「クハハ! 強い、強い、強いなクルースニク! 強いことは素晴らしい! その強さで汝は千年を勝ち抜いてきた! 力は全て! 力こそパワーだ! 強き武は全てをつかむ! 我は最強たる汝を叩き伏せ、真の最強を手に入れる! 我は……!」


 激しく打ち込まれた斧槍、受け流しきれずにアガトが一歩後退る。

 イザクの眼光が、煌と輝いた。


「我は、強き兄であらねばならんのだ!」


 砂塵を巻き上げて身をひるがえしたイザク、脇から突き出された長柄の剣刃が、真っ直ぐにアガトの心臓を狙い撃つ。


 鍔鳴りと鐘撞き音が、刹那に重なった。


 長柄を打ち払われて仰け反ったイザクが、驚愕に眼を見開いた。


「何……とぉ!?」


 眼前のアガト、その左手には黒鉄の盾があった。一瞬で納刀し、盾に持ち替えての神速の弾き。

 すぐに崩れた構えを戻そうとするイザクだが、当然、そんな余裕など有り得ない。


「おぁ……!」


 立て続けに轟いた鐘撞き音。

 アガトが振るう黒鉄の盾が唸りを上げていた。その表が、側角が、イザクを滅多打ちに打ちまくる。


「が、ぐ、ぉ、ぐぅ……ぁあッ!」


 暴風のごとき乱撃に、イザクの視界が乱れ、脳が揺れ、四肢が躍る。

 それでもなおイザクは地を踏み締め歯を食い縛り、全力で長柄を振り放った。

 響いたのは重い鐘撞き音。

 渾身の一撃は、再び盾で弾かれていた。


「ガハ……ッ!」


 衝撃に一瞬だけ眼を閉じてしまったイザク、まぶたを開けた彼の視界に映ったのは、盾を背負い直し、抜き打ちに剣を握り構えたアガトの姿。

 鍔音が鳴り、逆手で抜刀された剣閃が、イザクを逆袈裟に斬り上げる。

 剣閃は胸鎧ごと肉を裂き、太刀筋を追うように鮮血が噴き上がった。


「この我が、瞬くことも赦されぬのか……!」


 血泡まじりの呻きは、驚愕と焦燥のままにこぼれ出た。

 イザクは血飛沫を上げながらも、長柄は手放さない。むしろなお力強く握り締める。だが、それを身構えるよりも先に、反転したアガトが彼を蹴り飛ばしていた。


 大きく吹き飛ばされて地に伏したイザク。

 激痛と出血にさいなまれながらも、彼の中にあるのは敗北への恐怖と、勝利への渇望。

 負けるわけにはいかない。

 勝ち続けなければならない。

 それが彼の真理であり、摂理。そして、大切な誓いだった。


「……我は、ウザレに約束したのだ……」


 強き兄であると約束した。ならば、負けるわけにはいかない。

 負ければ失う。勝たねば何も得られない。

 もうイザクに失うものは何もないけれど、ただひとりの弟と今際に交わした約束だけは、この誓いだけは、どんな手を使ってでも守り抜く!


 イザクが取り出したのは小さな薬瓶、その中から紅い丸薬を取り出し口に放り込むと、一瞬のためらいもなく噛み砕き呑み込んだ。


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