第27話 黒炎を纏う者


 右腕を斬り飛ばされたアガト、その窮地にリュードは眼を見開いた。


「ちょっ……おい!」


 すぐに駆け寄ろうとしたリュード、その眼前に影が立ち塞がったのは隻腕に曲刃剣を構えたギョロ眼の男、ウザレ。

 そいつが今までどこにいて、いつの間に割り込んできたのかもリュードはわからぬまま。


「兄ちゃんの邪魔をすんなよ騎士様、バラ肉に刻んじまうぞ」


 恫喝どうかつには、尋常ではない殺気がこもっていた。

 だが、赤毛の騎士は怯みはしない。


「冗談! それでビビってたら、黒陽騎士は名乗れないんだよ!」


 リュードは折れた大剣を振り放つ。

 瞬時に走った三連の斬撃を、ウザレは尋常ならざる体捌きで回避し、左手の曲刃で受け弾く。

 すぐ様に反撃に閃いた曲刃を、リュードもまた返す大剣で打ち払う。大剣は瞬にひるがえって切り返し、同じくひるがえった曲刃が受け流す。


 大小の旋風となってぶつかり合うふたりを見やり、イザクは高らかに笑声を上げた。


「良い、良いぞウザレ! 汝は、まっこと良くできた弟である! さあ、腕一本で勝負ありとは言うまいなクルースニク! いざ、この素晴らしき闘争の続きを……ッ……!?」


 イザクの笑声が途絶えた。

 その眼は驚愕に見開かれ、口はわなないている。

 彼が声を詰まらせた理由、それは、物理的に喉を締め上げられているがゆえだった。


 ズイと突き出されたアガトの右腕。二の腕から先を切り落とされた右腕の切断面から、漆黒の色彩が伸びていた。


 それは、漆黒で象られた人ならざる腕。


 黒炎で編み上げられた異形の腕が、真っ直ぐに伸びてイザクの頸部を絞め上げていた。

 ギリギリと万力のごとく食い込む異形の五指。

 さらに、イザクを絞め上げているのは黒炎の腕だけではない。同じくアガトから伸びた黒炎の鎖が、長柄を振るおうとちから鼓舞こぶるイザクの右腕を、グルグルに拘束して押さえ込んでいる。


「な……ガ……ッ」


 宙吊りにされたイザクは苦痛と驚愕のままに暴れもがいた。

 喉を絞めつける何かを、左手で懸命に掻きむしる。確かに自分を絞め上げてくる何かを、けれど、それが何であるのか理解できぬ様子で、とにかく抗い続けている。


「どうしたイザク? あんたの紅い瞳には、見えていないのか?」


 アガトの無機質な問い。

 斬られた腕の痛みなど気にした様子のない、淡々とした問い。


 何が……? と、イザクの喉が震えた。


 白髪の傭兵、その紅い瞳が、疑念と不可解に揺れていた。

 対する白髪の騎士は、なお淡々と、訥々とつとつと、紅い瞳を輝かせながら語り掛ける。


「古代の秘術で生み出された悪魔の騎士……黒炎をまとい、黒炎を操る者。オレは物心ついた時からそうだから、正直、実際のところがどうなのかなんて、知らないんだよ」


 同じく白い髪と紅い瞳をしたアガトとイザク、強化された肉の器を持つ存在。


 ならば、その器に宿る魂は?


 人間か? それとも悪魔か?


「あんたはどう思う? オレは、あんたと同じかな? それとも……」


 問い掛けは、意味がないと気づいてやめた。

 この状態ではイザクは答えられない。そもそも答えに興味もない。

 アガトは、自分が人間であろうが、悪魔であろうが、どうでもいい。


 黒い太陽〝クルースニク〟は、ミラを守りし者。

 ミラに仇為す災厄を薙ぎ払う者。

 目の前にミラに仇為す災厄がいて、アガトの身はまだ動く。


 ならば、それが全てである。


 右腕の激痛を堪えながら、アガトは己の黒炎に意識を集中する。

 左手が黒炎をまとい、それは新たな黒鎖を象って、落ちていた剣を絡め取り振り上げた。

 それは周囲から見れば、ひとりでに剣が浮き上がったかのごとく映っているのだろう。


「黒い太陽は、ミラに仇為す者を赦さない」


 決して────。


「赦さないんだ」


 しぼり出した断罪の告知。

 呼応するように黒鎖が脈打ち、剣刃が舞う。


「グぷッ……!」


 腹をひと息に貫かれて吐血に呻いたイザク。おびただしい量の鮮血と共に、その右手から長柄の斧槍がこぼれ落ちた。


 ガラン! と、響いた落下音に、ウザレが弾かれたように向き直る。


「兄ちゃん!」


 兄の窮地に声を上げ振り向いた弟。闘いの最中にあっては致命的なスキであり、それを逃す黒陽騎士ではない。

 リュードの振るった斬撃が、唸りを上げてウザレを薙ぎ払った。

 衝撃に吹き飛んだウザレは、だが、鮮血を撒き散らしながらも倒れることなく地を踏みつけ、駆け出した。

 目指す先は、当然ながら、敬愛する兄のもとである。


「ーーーーーーーーーーーーーーァァアッ!!」


 絶叫とともに曲刃剣を振り回すウザレ。短剣にあるまじきごうの剣風をもって迫るそれを、アガトは引き抜いた剣刃で受け止める。


「ゥォォォオッ! 兄ちゃんに何してやがんだクッソ野郎がよォッ!」


 見開かれたギョロ眼、その小さな虹彩が微かに紅く輝いた。

 ウザレは憤怒と憎悪を張り上げながら、我武者羅に曲刃を振り回す。単純な衝撃だけでなく、その鬼気迫る激情の圧にこそ、アガトは大きく押し退けられてしまった。

 ウザレは、だが、体を崩したアガトには眼もくれず、倒れた兄へと向き直りすがりつく。


「兄ちゃん! 兄ちゃん! 兄ちゃん! ダメだ兄ちゃん! しっかりしてくれよ! 兄ちゃんは最強なんだ! 最強の兄ちゃんが負けるわけねえよ……!!」


 倒れて血を流す兄にすがりつき、ボロボロと涙を流して泣きじゃくる。

 恥も身も世もなく、愛する者の危機に泣き叫ぶウザレ。

 倒すべき敵が見せたそのスキだらけの姿に、けれど、アガトは斬り掛かることはしないまま。


「……ああ、そうか……」


 呆然とこぼれ出たのは、しぼり出すように微かな声。

 それは、喉につかえていた何かがようやく取れたような、わだかまっていた疑念が晴れたような、確かな爽快感をともなった得心だった。


 アガトは思い出した。


 あの時も、こうだったのだ。


 倒れた兄にすがりつき泣きじゃくる。

 そんな姿を、かつてもこうして、アガトはぼんやりと眺めていたのだ。


「……ああ、だったら、やっぱり彼女がオレを愛する道理はありえない」


 アガトは納得して、深く頷いた。

 そんな穏やかとすら見える彼とは裏腹に、ウザレは爆発的な激情のままに左手を振りかぶる。


「よくも兄ちゃんを! よくも! チクショォォォーーーーーッ!」


 絶叫とともに閃いたウザレの左手、瞬く間に空を薙いだそれが、無数の曲刃を撒き散らす。弧を描き、あるいは真っ直ぐに、様々な軌道からアガトとリュードに襲い掛かる曲刃たち。

 リュードは折れた大剣を全力で振り回し、何本かをくらいながらも、自身に迫るほとんどをどうにか打ち落とした。


 だが、アガトは────。


 アガトは呆然と立ち尽くしたまま、迫る曲刃のことごとくがその身に突き刺さっていた。


「おい! 何してんだい!?」


 リュードが焦りの声を上げる。

 その間にもウザレは瀕死の兄を背負い、斧槍を抱えて、一目散に駆け出していた。いつかと同じく、瞬く間に走り去っていく姿を見送りながら、アガトは深い吐息をこぼして感心する。


「あの負傷で、何とも強靭なことだ……」

「いや、何言ってるのさ! っていうか、腕、すぐ止血しないと!」


 やけにのんびりとしているアガトに、むしろリュードの方こそが狼狽して叫ぶ。


「……ああ、そうだな」


 アガトは頷き、サーコートのベルトを外して、止血帯代わりに右腕を縛り上げる。それから、取り落としていた剣を鞘に、盾を背に、そして、斬り落とされた右腕を拾い上げて、もう一度、深い深い吐息をひとつ。


「……また、失態か……」


 やむを得ずとはいえ、市街地の、しかも衆目の前での大立ち回り。

 さらにリュードに正体を知られ、グレンから使うなと厳命されていた黒炎も使ってしまった。


 挙げ句に、再び敵を取り逃がすという大失態。

 何とも不甲斐ない。

 本当に、ここしばらくのアガトは良いところナシだった。


 ドッと全身にのし掛かるような重い疲労感。それは失態への自責ゆえか? あるいは傷の痛みゆえか?


 それとも────。


 アガトは早く帰りたいと思った。

 早く帰って、ユラに謝らなければならないことがある。


「すまないリュード。後始末は、任せる」


 一礼すらもどかしいとばかりに、アガトは急ぎ駆け出した。


「は? ちょっと待ってよ……!」


 呼び止めた声も虚しく、夜闇の向こうに消えたアガトに、リュードもまた盛大な溜め息を吐いて肩をすくめた。


「……はぁ、何がどうなってんだい……」


 巡回中に起きた騒ぎ。

 駆けつけてみれば、市民が大勢殺傷されており、その犯人は正気をなくした王国騎士で、それに対峙していたのは伝説のクルースニク。

 そのクルースニクは新任の紋章官候補で、さらには乱入してきた異国の傭兵までもがクルースニクを名乗るという、異常事態のオンパレード。警備強化を命じたグレンだって、こんなのは想定外だろう。


「ああ! もう、何て報告すりゃいいんだよ。……ともかく、まずは負傷者の救援と、遺体の回収。それから被害状況の把握だ」


 そう意識を切り替えようとした時だった。


「アスタローシェ卿!」


 駆け寄ってきた部下の兵士。血相を変えてオタつき、今にもまろびそうなその慌て振りは、グレンに見られれば厳罰ものだ。


 だが────。


「た、たった今報告が……! 官舎にて、滞在中のラズバルド子爵がお亡くなりに! それで、その……状況から見て、何者かに殺害されたようだと……!」


 狼狽のままに報告された内容に、リュードもまた思いっきり動揺してしまった。


「それはまた、本当にどうなってんだい……」


 果たして、犯人はどちらのクルースニクであるのか?


 リュードは困惑のままに、赤毛を掻きむしったのだった。



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