第26話 深紅の交錯


「これは、どういうことかな……?」


 リュードが混乱のままに呻きをこぼした。

 紅い瞳に白い髪が、悪魔の騎士〝クルースニク〟の特徴だ。

 少なくとも伝承にはそう語られているし、現にアガトはその通りの姿をしている。


 そして、同じく白い髪に紅い瞳を持った、異国の傭兵。


 世界は広い、そういう色彩特徴をした人間もいるのかもしれない。が、そういうことではないのは、イザクの態度が明確に示していた。


「前言の通り、我もまた同じ〝黒き悪魔〟である。ただし、エシュタミラの騎士ではないというだけだ」

「……キミも、悪魔の騎士……?」

「いいや、我は騎士ではないよ。言ったろう? 我には仕える主君も忠義もない、この身ひとつで天下に奮い立つ戦士であると。ただ、そちらのクルースニクと同じ、悪魔の力を備えているというだけだ。否、正確に呼ばわるなら、悪魔の力を備えている……となるか」


 悪魔の力ではなく、悪魔のような力。


「百人の赤ん坊を生贄にして呼び出された悪魔……それがクルースニクのはずだけど?」


「そうだな。それがエシュタミラに古来より伝わる伝承だ。黒き悪魔の騎士は、エシュタミラに仇為す者の前に現れる。

 その身にまとう黒炎の鎧は百の刃を寄せつけず、

 振るう黒炎の鎖は千の敵を薙ぎ倒し、

 投げ放つ黒炎の槍は万の軍勢を討ち払う。

 まさにこの世ならざる魔法めいた力、その悪魔の力をもって一千年を守り抜く絶対英雄。ふむ、童心には心躍る御伽噺だな。が、よもや赤毛の騎士殿は、長じてもなお、そんな絵空事を信じていると?」


「…………」


 リュードはしかめっ面で口を引き結ぶ。

 信じているかと問われれば、信じているわけがないのだ。

 だが、エシュタミラは現に千年の歴史を存続し、戦に巻き込まれたことはない。少なくともこの二百年の公的記録に、戦争の歴史はない。

 そして、今、ここにはアガトが……〝悪魔の騎士〟を名乗る、とんでもない強さの騎士がいる。


 ならば────。


「クルースニクと呼ばれる者がこうして実在する。それは確かだろう?」


 リュードの問いに、イザクは応と頷く。


「エシュタミラには悪魔の騎士が居るという伝承。それをただの御伽噺と断じるには、不可解な点があったようだ。

 エシュタミラを狙う者が、現に死に見舞われる事実。

 悪魔は方便であるにしても、エシュタミラが強力な暗殺者を擁している可能性は高いのではないか? ならば、それはどんな輩か?

 そのような疑念から始まったことだ。そして、その秘密にたどり着いた者たちがいた」


 イザクは皮肉げに笑みながら、己の懐に手を入れる。


「伝説は誇張であり、悪魔の名は張りぼて。人の身の暗殺者が代々〝悪魔の騎士〟を演じることで、諸国に睨みを利かせてきただけの壮大なハッタリ、それが〝クルースニク〟の正体。そして、そのハッタリを押し通すことができたかなめこそが、これである」


 イザクが懐から取り出したのは小振りな薬瓶。

 その中に、ドス黒い色彩が揺れているのが、アガトには見てとれた。

 だが、違うのだろう。あの中身は大粒のアメ玉に似た紅い丸薬だ。

 ただ、アガトにはそれが黒炎にゆらいでいるせいで、ドス黒く見えるだけなのだ。


「地獄の悪魔など居ない。あるのは、人の身を極限以上に高め、人並み外れた力を発揮させる、強力にして無比なる悪魔のような霊薬。古の時代の遺物であり秘術。エシュタミラにはそれを用いるわざがあり、それによって人為的に強化された兵士。それが〝悪魔の騎士クルースニク〟だ」


 神経や筋力を、さらには皮膚や骨格、果ては内臓に至るまであますことなく強化する古代の秘薬。


「当然、そんな劇薬に人体は耐えられない。先刻に汝らが相手取った愚者と同様、ある者は肉体が自壊し、ある者は精神を損ない、ある者は急激に衰えて朽ち果てた。いかんせん、かすめ盗ってきた技術なれば致し方なしであると、我らを処置した魔術士どもは宣っておったよ。

 クククク……! ああ、まっこと業腹である! 本家であるエシュタミラならば、今少しはマシであるのかな? それとも、未だに伝承通り、百人にひとりの成功率であるか?」


 イザクの貌を歪めるのは、皮肉を通り越した酷薄な笑み。


 百人の赤子の魂を生贄にして、黒き太陽は生み出された。

 それがエシュタミラの伝承。

 悪魔の騎士の伝説。

 数多の犠牲の上にあるのが紅い瞳の超戦士……で、あるならば、それが超常異界の存在であれ、非道な人体実験の産物であれ、悪魔の御業と呼ばわるのは、必然にして当然だろう。


 ……いずれにせよだ。


「確か、二十年前だったかな……」


 アガトが思い出すのは、過去の〝お役目〟の記憶。

 黒陽騎士のひとりがミラを裏切り、悪魔の欠片を……イザクの言うところの霊薬の秘術を、異国の間者に横長そうとした事件。


 あの時、裏切り者は始末できたが、肝心の欠片は外地に流れてしまった。このイザクは、欠片を得たどこかの国が、あるいは誰かが、生み出した存在なのだろう。


 アガトにとっては遠くもない記憶。

 けれど、休眠と覚醒を跨いで色褪せた記憶。


 振り返って思い出すのは、泣いている友人の姿だった。

 あの時は、なぜ泣いているのかが、わからなかったけれど────。


「そうか、例えミラを裏切った敵であっても、愛する家族を失えば、悲しいのが道理か」


 ヴォルカの死に、その妻が泣き叫んでいたように────。


「ん……? 愛する者の死を嘆くは、確かに人の情であるが、突然どうしたのか?」

「いや、こちらの話だ。それで……イザク、要するにあんたは何が言いたいんだ?」


 長々と講釈を聞いたものの、アガトには、そこのところがイマイチ理解できないでいた。

 イザクは、どこか釈然としない様子で首をかしげる。


「……ふむ、貴国にとっては、国を揺るがす重大な秘密、その暴露であったと心得ているのだがな……。実際、傍らの赤毛の騎士殿には驚いてもらえたようだ」

「オレたちを、驚かせたいのか?」

「そう言われると身もフタもないが……意趣返しというかな。ノンキに張りぼての平和に胡座あぐらをかいていられるのも今の内であると、そう挑発しているのだよ」

「ああ、なるほど」


 アガトは、ようやく理解できたとばかりに首肯する。


「そうか、あんたは、例の内通者に雇われたのか」

「……雇われてここにいるのは、その通りだがな。我個人としても、本物のクルースニクとまみえたかった。伝説の悪魔と死合ってみたかったのだ。そういう意味では、正直に落胆している」


 この世ならざる領域から召喚された、真なる悪魔としてのクルースニク。そんな存在との激闘を期待していたのに、いざ出会ってみれば、自分と同じく強化されただけの人間だった。

 予想はしていたものの、やはりガッカリしている……と、そういうことなのだろう。


「あんたとオレが、同じだと?」

「同じであろう。古代の秘術で人為的に強化された者。悪魔的ではあるが現世の存在。それがクルースニク。我もまた同じだ。数多の実験体の中で生き延び覚醒した稀少体……まったくもって、業腹な話だがな」


「違うな」


 アガトは静かに否定した。

 静かな、けれど強く断言されたそれに、対するイザクは怪訝けげんを返す。


「違う……とは?」


「あんたはクルースニクじゃない」


「……ほう?」


「クルースニクは、ミラを守りし者だ。だが、あんたはミラに仇為す者」


 それは決定的な差異であり、それこそが、この場において最重要たる道理である。

 ゆえにアガトの紅い眼光は、イザクの紅い双眸を、真っ直ぐに射抜いて宣告する。


「黒い太陽は、ミラに仇為す者を赦さない!」


 闘志も新たに、左手の盾を大きく振りかぶる。

 前方のイザクを目掛けて、力強く投げ放った。高速回転して飛来するそれを、イザクは斧槍で真上に打ち上げる。

 その眼前には、すでに走り込んできたアガトの姿があった。垂らした剣先が石畳に火花を散らし、その摩擦力を乗せた斬り上げが刹那に閃いた。


「おお……!?」


 鮮やかに円月を描いた斬撃。それを間髪の傍らに見送りながら、瞬動したイザクは長柄をひるがえす。

 左右からたたみ込むように放たれた斧槍の薙ぎ払い。

 アガトは同じく左右に剣をひるがえして受け弾く。

 大気を引き裂いた互いの剣風。響き合った豪速と轟音に、イザクの紅い瞳が歓喜に見開かれた。


「良い、実に良い! 前言撤回である! この強さ、伝説にあたわずとも落胆には及ばず! 非礼を詫びよう! 汝は、我が死合うに相応しき強者である!」

「別に謝る必要はない」


 喜び叫ぶイザクに律儀に応じながら、返す刃で逆袈裟に斬り上げたアガト。踏み込みが石畳を割るほどの斬撃に、受け止めたイザクの身体は大きく後方に飛んだ。

 吹き飛んだのではなく、衝撃を逃がすための跳躍である。

 その着地様、長柄の斧槍が超速で円を描く。右に一度、左に一度、斜めの角度に斬り上げられたそれは、地に落ちていた曲刃を絡め上げて撃ち放った。

 アガトはそれを避けようとはせず、むしろ踏み込みながら左手を頭上にかざす。

 そこには跳ね上げられていた彼の盾が、今まさに降ってきたところだった。つかみ取るなり薙ぎ払って曲刃を弾き、その勢いのままに一回転して再度投げ放つ。

 対するイザクは、トドメとばかりに力強く斧槍を振りかぶっていたので為す術もない。無防備な腹部に盾の直撃をくらって前のめる彼に、アガトの剣が真っ向から振り下ろされた。


 絶体絶命の瞬間。

 しかし、イザクが上げたのは、それでもなお高らかな歓声だった。


「クハ! なんとぉッ!」


 無理矢理に身を起こしながら振り放たれた斧槍。

 イザクの斧刃と、アガトの剣刃。

 ふたつの剣風はごうと重なって鋭く走る。


 交錯の瞬間、刃が骨肉を断つ斬撃音が、確かに響き渡った。


 得物を振り抜いた姿勢で行き過ぎたふたり。


 体を崩してよろめいたのはイザク。


 だが、血飛沫を上げたのはアガトの右腕だった。


 ひと目でわかる深手、そう、一目瞭然だ。何せアガトの右腕、その二の腕から先がバッサリと斬り飛ばされているのだから。


「我が弟の意趣晴らし、まずは完了である!」


 勝ち誇るイザクの声。

 未だ剣を握り締めたままのアガトの右腕が地面にまろび落ち、石畳がたちまち鮮血に濡れていく。


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