第20話 想定外の苦戦
アガトは受け取った木剣を軽く振ってみる。
実剣に比べれば半分以下の重量……とはいえ、まともに打ち込めば骨折や打撲はもちろん、頭に当たれば致命の危険もあるだろう。
(普通は訓練用の防具を着けるんだよな……)
模擬試合などアガトは初めての体験であり、さらには木剣だって手にするのは初めてのことだ。
何にせよ、このまま教練場へ向かうのだと思っていたのだが、見れば、フルドがゆるりと余裕の足取りで中庭に下りてきたではないか。
「もしかして、このままここでやるのか?」
「軽く手合わせして汗を流すだけだ。わざわざ移動するのも手間だろう?」
ニコニコと応じるフルド。だが、その口許は
どうやら、防具は無しでいくようだ。
周囲には、それなりの野次馬が集まっている。どうせなら、衆目の前で叩きのめして、その様を見せつけてやろうという魂胆なのだろう。
負けた時にはそれが逆転するわけだが、そこはどうやらユラの指摘通り、フルドは己の剣の腕に相当自信があるようだ。
それは真に実力に見合った自負なのか?
それとも、貴族として持ち上げられた思い上がりであるのか?
どちらであれ、負けるのが目的であるアガトには関係のないことだ。
(人目があるのは、こちらとしてもありがたい)
着任以降、妙に一目置かれてしまっているアガトだ。ここらで無様な負けっぷりを見せつけておくのは、歯止めになるだろう。そういう意味では、この試合は一石二鳥の好機かもしれない。
そのためにも、大前提として、巧妙に負ける必要がある。
わざと手を抜いていると気づかれることなく、それなりに善戦し、フルドの自尊心を満足させた上で、周囲がアガトに落胆するように、敗れ去らなければならない。
惨敗すぎたり、無様すぎたりすれば、逆に悪評で目立つ。
フルドにも衆目にも、ほどよく興味を失ってもらうような、絶妙な負けっぷりでなければならない。
程よく痛めつけられつつ、しかも、怪我をしてはいけないのだ。
怪我をしたら、ユラに怒られる。
「……思ったより、高難度だな」
それでも、何とかやってみるしかない。
開けた中庭は、試合場としては充分以上の広さ。芝生の中央、十歩ほどの間合いを挟んで向かい合うアガトとフルド。
「はぁ……仕方ないんで、ボクが審判役をやるよ」
リュードが間に歩み出て、露骨なまでに気のない様子で右手を上げる。
向き合うアガトとフルドは、それぞれに身構えた。
フルドは木剣を両手で握り、そのまま大きく振り上げた上段の構え。
対するアガトは右手だけで木剣を握り、剣先を相手の喉元に向けた中段の構え。左手は柄ではなく、右手首を甲で支えるようにして添えている、変形の片手正眼。
時に盾を取り、時に相手を殴りつけ、つかみ掛かり、武器の持ち手すら切り替える臨機応変を前提とした構えだが、果たして、それを理解したのは赤毛の黒陽騎士だけだった。
向き合うフルドは、どこか笑いを堪えるような気配……どうやら、剣の構え方もロクに知らない未熟者だとでも思われたか?
(……こないだ、怪我で動きが鈍かったのを全力だと思われたのかな?)
見たところ、フルドの構えは様になっている。体格といい、修練はそれなりに積んでいるようだ。フルドなりに彼我の力量を洞察して、己の方が上だと踏んで勝負を挑んできたのだろう。
いずれ自信満々で攻めてくれる方が、負ける側としてはやりやすい。
「はいそれじゃあ、尋常に始め」
リュードが棒読みの合図と共に、右手を下ろした。
試合開始。
フルドは直ぐ様に、アガトから見ればやや遅れ気味に、力強い踏み込みで木剣を振り下ろしてくる。
真っ向から迫る力強い打ち込み……だが、さすがにこの一撃でやられては呆気なさ過ぎる。
アガトは木剣を斜めに掲げて受け止めた。
本来なら、このまま受け流すなり弾くなりするところだが、あえてそのままに構えて、押し切られることにする。
そうしてよろけて見せれば、すかさず追撃してくれるだろう。まずはそれをくらって倒れ込む。
そんな感じで何合か打ち込まれつつ、決着に相応しい適当な大振りを待ち構えよう。
そう算段しながら、押し込まれる剣圧に備えようとしたのだが……。
「……ッ!?」
振り下ろされた剣圧は押し切ってくることなく、それどころか、フルドは大きく後ろに跳んで間合いを開いてしまった。
意図せぬ挙動に体幹がブレて、危うく不自然なタタラを踏みそうになったアガトだったが、どうにか堪えて身構える。
(……しまったな。わざと下がろうとしたのを読まれたか?)
どうやらアガトは、フルドの腕前を見誤っていたようだ。
受けからの反撃を狙っていると警戒されてしまった以上、もう積極的に攻めてはくれないだろう。
そうなれば、こちらから攻めるしかない。
だが、わざと外すのは、わざと受けるよりも数段難しい。
当たるように振るいながらも外し、力強く打ち込みながらも加減しなければならない。矛盾した所作は、その分、不自然になりやすい。
「ふん、この私の初太刀を受けるとは、やるな紋章官殿」
不敵に言い放ってきたフルド。
そのあまりにも不敵な様子に、アガトは困惑した。
何だか、フルドの言動が、言葉のままであるような気がしたのだ。
言葉のまま、自慢の一撃を受け止められたことに、不敵に構えながらも驚いているかのような、そんな風に見えた。
「…………」
アガトは真っ直ぐにフルドを睨みながら、左足を前に踏み出し、右手の剣を右脇側に垂らして構えてみる。
こうなれば、アガトの左半身側が太刀筋の死角になる。
そのため、対するフルドは反時計回りに位置取りながら動くのが定石であり、上策なのだが……。
フルドは、アガトの斬り上げに備えるかのように、木剣を自身の左側に寝かせた。
(……まさか……)
アガトは不吉な予感を抱きつつ、右半身の基本体勢から、木剣を上段に振り上げてみる。
フルドは、上段からの振り下ろしに備えるように、木剣で頭上をかばう形で斜めに掲げて身構えた。
アガトが右に構えれば、己の左側を……。上に構えれば、上を……。左に構えれば、右側を……瞬時に構えを切り替えて備えるフルド・ルゥ・レイナード。
戦慄を抱きながら、アガトは握り締めた木剣に剣気を込めた。
〝……今から、オマエの喉笛を剣刃で貫いてやる……〟
そんな殺撃の意を込めて、紅い眼光を鋭利に叩きつける。
外野のリュードが、眼を見張って身構えた。
なのに、相対しているフルドは、なお平然としていた。
アガトの叩きつけた殺気はもちろん、リュードの警戒にも、全くもって反応していない。
ダメ押しとばかりに、アガトは周囲の野次馬を気にするようにして、視線を横に外してみた。
勝負の最中に、相手から視線を逸らしたのだ。
だが、フルドは全く反応しない。そもそも、アガトの視線を気にしている様子がない。
どうやら、間違いない。
アガトは、フルドの腕前をなおも見誤っていたようだ。
(こいつ、思っていた以上に弱い……!)
愕然と見返すアガトに、フルドは木剣を大きく振りかざして応じる。
「さあ、どうなされた紋章官殿! 攻めあぐねておいでか? 打ち込まねば、このフルド・ルゥ・レイナードは倒せんぞ?」
堂々たる挑発。
(……うん、その代わり、打ち込んでいれば、もう十七回ぐらい倒しているだろうな)
ともかく、向こうが攻めないのなら、こちらから攻めるしかない。
アガトは木剣を大きく振り上げる。ことさらに大きく踏み込んで、大ゲサに間合いを詰めた。
思いっきりわかり易く攻めて見せる。
そのために意図して放った、フルドの初太刀と同じ攻め手。
ならば、フルドは同じく受け止めるか? それともガラ空きの胴を薙いでくるか?
(実戦なら、喉への刺突で迎撃もあるが……)
これは試合だ。
殺撃を放つことはしないだろうし、フルドには技術的に無理だろう。
そう思ったのだが────。
フルドは迎え撃つように大きく右足を引いた。
握り締めた
驚く間もあればこそ、真っ直ぐに突き込まれてきた剣尖。
刺突はないだろうと意図から除外していたせいで、アガトは
(……しまった。くらって倒れるべきだった!)
刺突の軌道はアガトの喉笛を狙うものではなく、胴体。それも
衝撃を逃がしながら派手に倒れ込めば、いかにも迎撃で仕留められた風に、劇的な決着を演出できただろう。
アガトは半身をひねった体勢のまま、あえて動かない。
否、動けない。
なぜなら、対するフルドが、未だ木剣を突き抜いた体勢のままなのだ。
彼としては、まさか避けられるとは思っていなかったらしい。驚愕に引き攣る表情を無理矢理に笑みに象りながら、横に回り込んだアガトを睨みつけてくる。
「……ッ、おの……いや、やるではないか紋章官殿」
「…………(いや、そういうのいいから早く動いてくれ!)」
アガトは声なき抗議を上げる。
大振りの刺突を外してスキだらけのフルド。今、アガトが木剣をひと振りすれば、それで勝負が決まってしまう。斬り上げでも薙ぎ払いでも振り下ろしでも、選り取り見取りで決定打確定だ。
だからこそ、アガトは動けないのだ。
フルドの挙動の全てにあふれ出るド素人臭。
どうやら、さっきの刺突も、意表を衝いたのではなく、ただ勢い任せに放っただけのなのだろう。
ただでさえスキの大きい刺突後の挙動が、なお盛大にスキだらけだ。
この絶好のスキに打ち込めば勝ってしまう。かといって、その絶好のスキを前にして飛び退けば、不自然に見られよう。
アガトは動くに動けぬまま、もうこれ以上の停滞は絶対に不自然だというその瀬戸際で、ようやく足を踏ん張ったフルドが、身をひるがえし様に木剣を薙ぎ払ってきてくれた。
だが、さすがにこんな悠長な一撃をくらうのはわざとらしい。フルドはともかく、周囲で見てる者が怪しむだろう。
アガトは形だけでも懸命そうに木剣で受け止めて、わざと半拍置いてから、木剣を大きく振りかぶった。
露骨なまでの大振りで斜めに薙ぎ下ろした剣閃は、吸い込まれるようにフルドの右肩口に命中する。
「……は?」
思わずアガトの口をついた、間の抜けた声。
まさか当たるとは思っていなかったアガトは、木剣を止めるのが遅れてしまった。
鈍い手応えと衝撃に、慌てて木剣を引いたが、時すでに遅し。
フルドは木剣を取り落として呻きを上げる。
「な、バカな……!?」
打たれた右肩を押さえて、そのまま前のめり膝をついてしまった。
手加減していたとはいえ、避けさせるつもりで大振りに放った一撃だ。肩には相当な衝撃が通った手応えがあった。
うずくまったフルドは、小刻みに震えながら呻きを堪えている。
あるいは、果敢に立ち上がってくれるか? ……とも期待したが、そんなことはなかった。
審判役のリュードが、開始時に輪を掛けて力無く右手を挙げる。
「……まあ、勝負ありだね」
アガトの意図など承知していたのだろう。
苦笑いながらの、いかにも気の抜けた勝利宣告。反して、周囲の見物人たちは普通に歓声を上げていた。
当然だ。
ウワサの紋章官候補騎士が、イケ好かない嫌われ者を返り討ちにした。それ以外の何ものでもない光景だった。
(…………やってしまった)
アガトは、腹の底から吐き出すように、深い溜め息をこぼしたのだった。
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