第19話 噛み合わぬ者たち
※
騎士団長室を出たアガトは、そのまま図書館に帰ることにした。
もちろん、ユラに会うためだ。
グレンの言う通り、まずはなぜユラがアガトを打ったのか……その理由を直接訊いてみないことには、どうしようもない。
理由がわかれば、改めようもあるだろう。
あるいは、改めようのないことだったり、そもそも理由を教えてくれないほどに機嫌を損ねているのかもしれないが……。
(その時は、平身低頭に謝り倒すしかない)
結局、グレンの意見に頼りっぱなしなわけだが、それ以上の妙案が浮かばないのだ。
それこそ、アガトに思いつくのは贈り物で機嫌を取るくらいだ。
まあ、それもマシロの助言であるし、そもそも、ユラは贈り物をされても嬉しくないようだった。
とにかく、まずは理由を訊く。
全てはそこからだろう。
考えながら歩き、中庭沿いの回廊を進んでいる途中のこと。
アガトは、一瞬だけ立ち止まった。
少し奇妙な気配があるのだ。
前方、玄関へと続く角を曲がった先で、たたずんでいる者が居る。
人が行き交うための廊下で、何をするでもなく、ただ、たたずんでいるのだ。まるで、誰かを待ち構えているかのように。
アガトが警戒しつつ角を曲がれば、そいつはまさに待ちわびていたとばかりに声を上げた。
「おお! これはこれは紋章官殿! 奇遇ですな!」
満面の笑顔で呼び掛けてきたのは金髪の貴公子。
ガタイの良い体躯を白いサーコートで包んだそいつは……。
「フルド・ルゥ・レイナード卿」
紋章官として憶えておくべき名門貴族。その名を今度こそアガトがそらんじれば、フルドはなお露骨なまでの明るい笑顔で頷いた。
「ああ、フルド・ルゥ・レイナードだ。この間は失礼をした。だから貴公には是非ともお詫びがしたかったのだ。ここで偶然に会えたのは、まさに
嬉しそうな声音で、親しげな笑顔で、フルドは優雅に一礼した。
友好的な態度、だが、その両の眼には黒いゆらぎがある。
何のつもりだろう? と、アガトは首をかしげた。
黒いゆらぎも示している通り、この遭遇は偶然ではない。
フルドはここでアガトを待ち構えていたのだ。加えて、さっきから感じる彼の気配が、ぜんぜん友好的なものではない。首筋をチリチリとくすぐるような、陰湿な敵意。そんなものをダダもらしながら、ニコニコと笑い掛けてくる。
偶然を装い、作り笑いを浮かべた上で並べ立てた口上……どこまでが嘘なのか、あるいは全て偽りなのか、その判断はつかないが……。
(……これじゃあ、まるで敵を騙し討ちにしようとしているようだ……)
アガトとフルドは敵同士ではない。同じ王国騎士だ。
それなのに、なぜ、そんなことをされるのかが、アガトにはわからなかった。
「どうだろうヴェスパーダ卿、我らは誇り高き王国騎士。騎士は武人だ。ならば、試合にて剣を交え、武人らしく親睦を深めようではないか」
フルドはニコやかに、手にした二本の木剣の片方を差し出してきた。
その笑顔の仮面を見返したアガトは、怪訝そうに首をかしげる。
「騎士同士の私闘は厳禁だろう?」
「……いや、だから試合だ。別に斬り合いをしようというのではない。模擬戦で互いの力をぶつけ合い、力を高め合おうと言っているのだ」
フルドの声音がわずかに震え、頬が引き攣った。
早速に笑顔の仮面がヒビ割れ始めたフルドに、だが、元より彼を短気な男と認識しているアガトは、さほど気に留めることもない。むしろ、察しの悪いアガトに多少イラ立つのは当然だろうと思った。
「試合か……」
そういえば、そういう修練法があったな……と、思い出す。
誰かと稽古して武技を磨くだなどと、アガトには全く縁のないことだったので、思い至らなかった。
木剣を使った、あくまで試し合い。殺し合いではない。ならば、確かに闘いではない。そもそも、それは騎士や兵士が日常的に行っている真っ当な訓練のひとつ。
ならば、騎士道に反するものではないだろう。
「わかった。受けよう」
了承し、差し出された木剣を受け取ったアガト。対するフルドの笑みが、いかにも我が意を得たりと勝ち誇る。
「いやいや! 受けちゃダメだよアガト!」
割り込んできたリュードの声に、驚いたのはフルドだけだった。
近づく気配など当に察知していたアガトは、平然と振り返り、投げられた言葉に対して首をかしげた。
「なぜだリュード? ただの試合、技競べだろう。騎士団原則には……」
「いやいやいやいやいやいや! あのニッコリ怪しい作り笑いを見なってば! 何か悪いこと企んでますよーって、顔に書いてあるじゃないか! こんなの絶対ワナだから!」
リュードの指摘に、アガトは改めてフルドを見る。
ニコニコと愛想良い笑顔は、もはや明確に引き攣っていた。まとう気配も相変わらず険悪なまま。
……ただ、それがリュードの言動に対する反感なのか、それとも図星を指摘されたゆえの焦燥なのかはわからない。
それに────。
「企んでいるって、何を?」
「いや、具体的にはわかんないけどさ。そうだね、例えば……。
いざ試合の場に行ったら大勢で待ち構えてたりとか、木剣に細工してたりとか、鍔迫り合いにかこつけて隠し武器とか、試合の事故に見せかけて反則攻撃とか、試合の前後に毒入りの飲み物勧めてきたりとか……。
とにかく、絶対何かやってくるって! そういう顔だろ? どう見てもさ! だいたい、あのフルド坊ちゃまが〝仲直りしましょう〟とか言い出してる時点で怪しさ大爆発なんだよ! 重要なことだからもう一回言うけど、彼が誰かに敬意を持つとか、絶対に有り得ない!」
だが、リュードの憤慨は、どちらかというとフルドよりも、アガトに向けられたものだった。
こんな露骨な悪意くらい見抜けよ……と、そういうあきれまじりの叱責。グレンからも何度も向けられている馴染み深い感情だ。
周囲には数名の野次馬の気配。
以前と同様、往来の廊下でのやり取りに、他の騎士たちが遠巻きに集まり始めている。
(これ以上目立つ前に、さっさと済ませた方がいいな……)
さて、そのためにもフルドとリュード、どちらを信じるべきか?
リュードの濃灰色の瞳に、黒いゆらぎはない。少なくとも、彼がフルドを疑う言動に偽りはない。とはいえ、それだけではリュード自身の主観でしかない。
「レイナード卿、あんたはオレと仲良くしたいのか?」
なので、フルド自身に率直な問いを向けた。
「だ、だから……最初からそう言っているだろう? このあいだは感情的になってしまったが、我らは同じ王国騎士。手を取り合うべきだと悔い改めたのだよ」
神妙な態度で、抑えた声音で、微かに口の端を震わせる。
その両眼には、相変わらずドス黒いゆらぎを滲ませたままだ。
つまり、彼は今も嘘をついている。少なくとも、仲直りしたいわけではないようだ。
ならば、リュードの言う通り、この誘いは受けるべきではないだろう。
アガトがそう結論づけようとした時だった。
「アガト君、ちょっと」
凛とした声に呼ばれて、アガトは振り返る。
廊下の来し方に立っていたのは、茶金のお下げ髪に白コート姿の女騎士、マシロ。呼び掛けてきたのは彼女のようだが……。
マシロの手振りは、さらに後方、中庭の方を示している。
その先を目で追えば、降りそそぐ陽光の中、たたずんでいる黒髪の少女が見えた。陽の下でなお黒く煌めく長い髪、身にまとう漆黒の法衣に、対照的なまでに白い肌をした、
「ユラさん?」
見間違えるわけもない。アガトの妻である少女だ。
騎士であるマシロはともかく、司書官であるユラが、なぜここに居るのだろう?
疑問に思いながらも、アガトは早足に中庭に下りた。
そのまま、蒼い瞳に吸い寄せられるように歩み寄れば、彼女もまたスッと身を寄せてくる。
「耳を……」
潜めた声音。
周囲に会話を聞かれたくないのだろう。
言われるまままに耳を寄せれば、小柄な彼女はやや背伸びをして耳元に囁いてくる。
「……この試合、受けてください……」
静かに、そう促してきた。
なぜ? と問う前に、ユラの言葉が続く。
「……ここで拒絶しては、より反感を買うだけです。彼は腐っていますが名門レイナード家の嫡子。揉めても厄介なだけ。できれば穏便に、波風を避け、こちらへの興味を失ってもらうのが上策です。
彼は、その素行から孤立しています。仲間が待ち構えていたり、伏兵を忍ばせている可能性は低いでしょう。そもそも、気位だけは高い方です。格下と見ている相手に対して、あからさまな卑劣を駆使することはないと思われます。
おそらくは、剣の勝負なら自分が上だと思っており、試合を名目にして痛めつける意図かと……」
ですから────。
「……試合を受けて、負けてください。上手く相手の実力を立てる形で、自然に敗れてください。あの手の輩は、己の自尊心さえ満たされれば、引き下がってくれます……」
静かに淀みなく並べられた、明快なる打開策。
アガトは驚いて見返した。その驚きの意味を誤解したのだろう。ユラは小さな溜め息を挟んで、語気を強める。
「……騎士として、わざと負けるのがイヤですか? それとも、千年不敗の
「……ああ、違う。負けるのは構わない……」
アガトはハッキリと否定した。
千年不敗とか、無敵の悪魔とか、そんな呼称にこだわりなんかない。
ユラの言う通り、騎士は守りし者であり、クルースニクはミラを守る騎士だ。ならば、身内と衝突するなどと、無意味で無駄な行為は避けるに越したことはない。
「……オレはそんな
アガトの素直な呟き。
「……これじゃあキミの方が、立派な騎士のようだ……」
他意はなく、ただ、純然と感心して微笑んだアガト。
ユラは、ひゅっ……と、短く息を呑んだ。
表情が凍り、微かに口の端を引き攣らせる。まるで、アガトの笑顔におののくようにして、その蒼い双眸を見開いていた。
「……ユラさん……?」
「……ぃ……いえ、何でも、ありません……」
ゆるりと眼を伏せ、半歩だけ身を退いた。
半歩だけなのに、何だかそれは、やけに大きく距離を隔てられたように、アガトは感じた。
(……やっぱり、怒ってるんだろうな……)
こうして口を聞いてくれたのは、状況から仕方なくなのだろう。
早く理由を訊いて、謝らないといけない。こうして、彼女に物憂げに眼を伏せられるのは、何だかイヤだった。
アガトは、彼女の綺麗な蒼い瞳を見ていたいのだ。
そのためにも、厄介事はさっさと片付けようと向き直る。
「待たせてすまない! レイナード卿! 改めて、試合を受けよう!」
張り上げたアガトの返答に、リュードは顔をしかめ、マシロはやれやれと肩をすくめ、フルドが会心の笑顔で頷いた。
踏み出したアガトに向かって、ユラは溜め息をひとつ。
「くれぐれも、オイタはなさりませんように……。あなたが傷つけば、わたしも傷つくのですから……」
背中越しに投げられた言葉。以前にも聞かされた言葉。
今、それを唱える彼女の瞳には、果たして黒いゆらぎはあるのだろうか?
振り向いて確認すれば、それでわかることだ。
ただ、振り向けばいい。それなのに、なぜだろうか?
アガトは、振り向くことができなかった。
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