第13話 円卓の騎士団


               ※


 日輪の間。

 それは王国騎士団本部に設けられた一室の名であり、太陽紋が描かれた大きな円卓が据えられていることから、そう呼ばれている。


 円卓の上座にはひときわ立派な玉座の如き椅子が据えられている。

 黒陽騎士第一位の座だが、そこに誰かが座したことはない。それは王国史上、ずっと空位であるはずだ。


 一位の左手が第二位たる王国騎士団長の座であり、右手側が第三位の座、以下、左右順繰りに位階が降って円卓を囲んでいた。


 一位の座には古代文字が刻まれている。

 その文の意訳は〝善なる悪魔〟────。

 エシュタミラの守護者を示す隠し名であり、つまりは、この席は黒き悪魔の騎士〝クルースニク〟のために用意されているものなのだ。

 もちろん、先にも示した通り、実際に誰かが座るわけではない。要は伝承にあやかった験担ぎの儀式であり、大昔からの慣例として、形だけ設けられているものだ。


 伝承にいわく────。


 一千年の昔、エシュタミラの初代国王が、百人の赤子の魂を生け贄にして、黒き悪魔と契約した。以来、その悪魔の騎士は〝黒い炎〟の力で、エシュタミラに仇為す者を闇に葬り続けているという。


 この国の者なら誰でも知っている御伽噺だ。

 黒陽騎士の名も衣装も、その悪魔の騎士が由来となっている。ある意味、建国神話とも呼べる伝説だ。


(けど、いくら国を守ってくれるといっても、悪魔は悪魔。あまりゾッとしないね)


 第九位の末席に座したリュード・ルゥ・アスタローシェは、第一位の空席を眺めながら、浅い溜め息を吐いた。


(百人の赤ん坊の命と引き換えに、千年も国を守ってくれている悪魔か。非道なヤツなのか律儀なヤツなのかわかんないね……ってのは不敬か)


 いずれ神話伝承の幻想物語だ。

 しかし、伝説の真偽がどうであれ、この国が長らく平和であることは、まぎれもない事実だった。


 この日輪の間は、有事の際に、八名の黒陽騎士が一堂に会するための場所である。しかし、現に全員が集まったのは、この数十年間でも数えるほどしかないらしい。


 一年前に現王が病に倒れた時と、八年前に王妃が逝去された時。

 それから、二十年前、だ。


 リュードが知る限り、それ以外に黒陽騎士全員がそろって議論するほどの重大案件は発生していない。

 円卓に並ぶ九脚の座席は、常にガラ空き。現に今も、円卓に座しているのは三人だけだ。


「静かな円卓、まさに我が国が平和である証ですね」


 リュードは空席を見回しながら、若干の皮肉を込めて笑う。


「だが、平和ボケの証であるとも言える」


 応じたのは第二位に座したグレン・ルゥ・ブランシェネージュ。

 その皮肉を通り越した明確な非難に、赤毛の黒陽騎士は笑みを引き攣らせた。


「いやいや、軍隊が暇なのは良いことでしょう」

「働かぬ者は堕落し、動かぬ者は衰退する。現に昨今の騎士たちの惰弱振りは思い知っていよう、アスタローシェ卿」

「……まあ、そうですね。今日もレイナード卿が、持ち前の骨董貴族主義を振りかざして、貴方の御令嬢をイジメていましたよ」

「ああ、レイナードか……度し難いな。少しは弟の聡明さを見習って欲しいものだ」


 レイナード家は嫡子のフルドよりも、その弟の方が、人格も能力も歴然と優れているというのは、周知の事実だった。

 自尊心の高いフルドにはさぞ面白くないだろうが、それを差し引いても、彼の昨今の素行は目に余る。名門貴族の嫡子でありながら、取り巻きのひとりも居ないことが、それを物語っていた。


「いっそ、レイナード家は弟君が家督を継いだ方が、安泰でしょうにね」

「それは王国としてもそうだな。愚者に権力を握らせるのは災厄の種だ。が、家督は嫡子が継ぐのが王国の法である。どんなに暗愚でも、嫡子が健在ならば、嫡子が跡目だ」

「ははは、ままなりませんねえ。フルド坊ちゃまは〝勇猛なる騎士〟を自称しておりますれば、いっそ外地に派遣して、名誉の戦死でも遂げてもらいますか?」

「言葉が過ぎるぞ、リュード坊や」


 ギロリと鋭く睨んできたのは、第三位に座した老騎士だ。

 禿頭に白髭を蓄えたゼドー・ルゥ・ダレンハイド。騎士団最古参にして最年長の騎士であり、先代騎士団長……すなわち、グレンの父親の代から副団長を務める古強者だ。


 その老いてなお鋭い眼光に、リュードは素直に反省し、首を垂れた。

 グレンはというと、叱責を重ねることはせず、冷静に話を戻す。


「それで? その〝勇猛なる騎士〟の暴挙から、けいが娘を助けてくれたのか?」

「いいえ、例の紋章官候補殿に返り討たれていました。で、レイナード卿が逆上して抜刀しそうになったんですが、彼、躊躇ちゅうちょなく剣で応えようとしたんですよ。ボクが止めに入らなかったらどうなっていたか……」

「ふむ、その光景が眼に浮かぶようだな。言ったろう、ヴェスパーダ卿にたわむれは通じない」

「確かに、どうにもつかみ所がない感じでしたよ」

「……しかし、フルド・ルゥ・レイナード、騎士が逆上で剣を取るか……いっそ、そのままヴェスパーダ卿に斬り捨てさせるべきだったな」


 グレンの声音と口調があまりに普通だったので、リュードは一瞬意味をはかりかねた。


「……えっと、冗談ですよね?」

「さて、先刻の卿の発言と大差ないと思うが……卿は冗談だったのか?」


 真顔での返しに、リュードはどうにも真意をはかりかねる。

 咳払いで気を取り直し、改めてグレンを見返した。


「……それで、この平和な御時世に、円卓に呼び出された御用件は何でしょうか?」

「その平和な御時世の国防についてだ。……ダレンハイド卿」


 グレンに促され、老騎士が引き継ぐ。


「リュード坊や、過日の王立図書館での騒ぎは承知していよう」

「ええ、アスガルドの間者が、放火テロを仕掛けて、噂の紋章官候補殿に返り討たれた件ですよね」


 白昼堂々と繰り広げられた大立ち回りは、騎士団内でも話題になっていた。

 ただ、異国の諜報員が潜入して凶事を画策していたことよりも、それを阻んだ新人騎士の方に注目が集まるのは、いかにもこの国の平和ボケを示しているようで、リュードは苦笑いを浮かべたものだ。


「加えて、一週間前には、商家で武装集団が殺害される事件もあった。どこぞの密偵か、盗賊団の仲間割れかと思われていたが、どうやら、それもアスガルド絡みであるようだ。少なくとも、店主はアスガルドの密偵であったのが判明している」


 王都内で立て続けに起きている事件。

 グレンはその鋭い視線をさらに研ぎ澄まして、円卓の日輪を睨む。


「私は王国騎士団長として、治安と国防という概念を見直すべきだと考えるが、卿らはどう思う?」

「閣下の危惧は道理じゃな」

「……まあ、確かに対策は必要ですよね」


 老騎士は静かに頷き、リュードは苦笑いながらも肯定を示す。

 グレンはゆるりと視線を上げ、ふたりを順に見やった。


「早急に当たるべきは警備の強化。そのために正すべきは軍規の乱れだ。昨今、各地からの定期連絡の停滞が目立つ。北のアレッサ地方に至っては、二ヶ月間音沙汰なしだ」

「アレッサ……ああ、あそこの統治はラズバルド子爵でしょう? あのオジサンが連絡サボるのはいつものことでは?」

「ああ、その通りだ。ゆえに、そろそろ領主とは何であるかを思い出させる必要があろう。現在、ラズバルドには王都への出頭命令を送っている。それに応じるなら良し、それすらも無視するようなら、貴族を名乗る資格はないということだ」

「爵位剥奪ですか?」

「当然だ。そもそもアレッサは国境防衛線の要だぞ。そこに陣取る駐屯部隊との連絡途絶。真っ当な軍隊ならば、敵襲を想定して動くべき事態だ。

 そもそも、こうもアスガルドの間者が王都にひしめいているのはどういうことだ? 北の守りはどうなっている? ラズバルドが、国境を抜ける不審者を捕らえたという報は一度たりともない。ゆえに、彼奴の愚行は職務怠慢で片付く問題ではない。国家に仇為す罪悪だ」


 正論だった。グレンの言には一理も二理もある。

 エシュタミラはこの二百年、一度も他国の侵略を受けていない。

 ただの一度もだ。

 長い安寧と平穏は、国民はもちろん、騎士や兵士たちからも、国防における危機感を削ぎ落としている。


 戦争とは、遠い異国や海の向こうで起きている悲しくも愚かな争いであると、それこそ物語に感じ入るようにしか捉えていない。

 だからこそ、細かな報告を怠り、中にはラズバルドのように、無駄な報告など無意味でわずらわしいとばかりに放棄する者も居る。


「断言しよう。例えば、国境に数千の大軍勢が陣取ったとしても、ラズバルドは気づく間もなく攻め入られるだろうな」

「まさか、軍勢で入られればさすがに気づくでしょう。まあ、怖じ気づいて逃げ出したりはするかもしれませんけど」


 リュードが苦笑を返せば、ダレンハイドはさらに輪を掛けて苦い笑みを浮かべた。

 グレンは、やはり真顔のまま。


「仮にだが、国境にアスガルド正規軍五千が陣取って、降伏勧告をしてきたとしよう。卿ならば、どう応じる?」

「五千、ですか……」


 見据えてくるグレンの双眸は真剣だった。

 洒落や冗談ではない、国防を預かる黒陽騎士として、その時にどう動くのかを問われている。

 五千の正規兵。

 しかも、ただの五千ではない。大陸の覇権を巡り戦い続けるアスガルドの猛者たちだ。

 対してエシュタミラの正規兵は二千に届かない。しかも実戦経験は皆無で、新兵同然な戦場のド素人ばかり。諸侯の私兵も加えれば兵数だけは増えるだろうが、いずれ烏合の衆には違いない。


 ならば、選べる手段はひとつだろう。


「和平交渉で、可能な限り優位な講和を結びます」


 リュードの溜め息まじりの返答に、グレンは頷いた。


「及第点だ。頭の固い古参なら、真顔で〝誇り高い決戦を〟と寝言を宣い、威勢だけの若輩なら惑うのみであろう。やはり、戦場を知る卿を黒陽騎士に抜擢ばってきしたのは正しかったようだ」

「恐悦……」


 リュードはわざと慇懃いんぎんに一礼する。

 グレンの言動に皮肉を読み取ったためだ。

 及第点。

 つまり、満点には程遠いということ。

 追い打つように、今度は老騎士の方が厳しい眼差しで問うてくる。


「戦って勝てるわけがない。ならば交渉しかない。が、明らかに劣勢なこちらが、いかに優位な条件を引き出すか。リュード坊や、卿にその肝心な駆け引きの当てはあるのか?」


 予想通りの問い掛けに、リュードはあっさりと両手を挙げて降参した。


「経済力と貿易力を生かした資金援助……ぐらいしか思いつきません」

「ふむ、実質、搾取される植民地と変わらんな。戦火で焼かれるよりはマシかもしれんが、いずれ王権を乗っ取られるのは免れまい。方策としては未熟に過ぎるな」


 鼻で笑われた。

 まったくもってその通りなので仕方ないが、なら、熟練たる騎士ならどうするというのか?


「模範解答をお願いしても?」

「ふむ、儂は頭の固い古参じゃからな。誇り高い決戦を挑み、その勇猛をもって優位を引き出してみようか」


 白髭を撫でながらの返答は愚にもつかぬもの。

 要するに、熟練たるダレンハイドもお手上げということだろう。


「和平交渉の材料がないならば、作るしかあるまい」


 老若の黒陽騎士を睨みつけて、グレンは冷ややかに告げた。

 それはまさにその通りで、だから、問題はいかにしてそれを作るかだ。


「……例えば、我らが黒き太陽に、敵将の首をいくつか刈り取ってもらうのはどうだ? これは中々にキモの冷える脅しとなろう」


 だが、続いた内容はそんなフザケたものだった。

 黒き太陽とは、もちろん黒陽騎士のことではあるまい。

 リュードは第一位の空座を見やりながら、深い深い吐息をこぼす。


「なるほど、伝説の悪魔様にお願いですか。確かに、それは有効ですね」


 本当に、それができれば苦労はない。

 さすがは堅物の騎士団長殿、たまに唱える冗談も実に笑えないと、リュードは不敬を承知でハッキリと口の端を歪める。

 グレンはそれを咎めはせず、むしろ同意するように苦笑った。


「脆弱な我らは、黒き悪魔に頼るしかない。頼ることで存えるから、自力を振るわぬ我らは、なお弱く衰える。悪循環もはなはだしい。まさに悪魔の呪いだな……」


 そんなれ事めいた皮肉を唱えながら、グレンは静かに視線を伏せた。


「アスタローシェ卿、本日より王都内の巡回を強化せよ。動かすのは小隊規模で良い。ただし人員は厳選し、必ず卿が直接指揮を執れ。その上で、不測の事態への対応は一任する」

「それが、今回呼び出した本題ですか?」

「そうだ。この国で使い物になる実働部隊は、黒陽騎士ぐらいのものだからな。市中の見回りのために、最精鋭の部隊を駆り出す大仰さ……実に、滑稽なことだ」


 厳然な態度で紡がれる皮肉に満ちた言。なれど、騎士団長の命ならば、王国騎士たるリュードは粛々と従うのみである。


「御意のままに」

「うむ、卿には期待しているぞ」


 一礼したリュードに、グレンの厳かな激励が投げ掛けられたのだった。


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