第12話 覚悟の定義
「それじゃあ月光騎士団のことだけど、確かにまだ新設されたばかりよ」
月光騎士団の結成は、今から半年ほど前だという。
総勢五十人にも満たない小隊規模の騎士団で、何と女性のみで構成されているらしい。
「この国の現国王陛下のことは知ってるでしょう?」
「ミリアルド・ルゥ・エシュタミラ王陛下か」
アガトにとっては面識の薄い国主様だ。
けれど、その人柄と善政は聞き及んでいる。良く治め、良く導く、模範的なまでに誠実な王らしいのだが……。
「確か……心臓の病気? で、ほとんど寝たきりらしいな」
「ええ、お
現王は、まだ四十路手前だ。
ちなみに良妻と
とかく善人は、悪意の標的になりやすいという典型だ。善人ほど早死にするという俗説は、それなりに真理なのだ。
それこそ、善良な国民は預かり知らぬことだろうけれど……。
「……で、問題は次期王位なわけだけど、現王には嫡男も妾腹も後妻もいない。直系の血縁はただひとり、現王と亡き王妃様の実子、リリエストゥラ姫だけ」
王位継承を巡る血生臭い争いが起きないのは何よりだが、万事問題なしというわけでもない。
「王国史上二度目の女王即位か。けど、まだ十歳だっけ?」
「そう、元服まであと五年ある。それまで王陛下が御健在である可能性は低いみたい。いずれにしても、姫様が立派に王位を担えるまで、家臣で支えることになるわね」
放っておけば、幼い女王の摂政となって
だからこそ、それらはグレンの指示により、アガトが対処済みだ。争いの芽は摘まれている。
本当に、この国は平和で何よりだった。
「月光騎士団は、姫様のために新設されたの。姫様の身辺警護を専任する近衛騎士団。そう言えば聞こえはいいけど……」
幼くも健気に頑張る可憐なお姫様を守るのは、同じく麗しき少女騎士たち……いかにも大衆が好みそうな、ロマンあふれる事柄だ。
「要するに、次期女王のための、宣伝部隊ってわけか」
「……そういうこと。基本は姫様のお世話だから、団員には王城の侍従から選抜された者も多いわ。そのせいで〝メイド騎士〟……なんて
皮肉げに口の端をツリ上げるマシロ。
そういう仕種は、父親によく似ていた。
(だが、揶揄というのはよくわからないな……)
アガトは首をかしげる。
設立の前提はどうあれ、現に王族を守るのだから、立派に騎士の役目だろうと思ったのだ。
問い返そうとしたアガトだが、ふと、騒々しい気配を感じた。
騒々しい。
肩で風を切り、無駄に力強く足を踏み締めている感じ。忙しないというか、落ち着きがないというか、ともかく派手な気配だ。
振り向いてみれば、廊下の先から歩いてきたその気配の主は、いかにも貴公子然とした二十歳前後の金髪男。ガタイの良い長身にまとうのは、当然ながら、太陽紋の白いサーコートだ。
「ん? おや、これはこれはブランシェネージュ家のお嬢様ではないか。今日も女だてらに騎士の真似事か? 酔狂なことだな」
声音も高らかに言い放つ貴公子。その敵意も露骨な呼び掛けに、マシロはこめかみに青筋を立てつつも、
「あらあら、どうも御機嫌よう坊ちゃま。相変わらずお元気そうで、心から残念ですわ」
「ッ! ……キサマこそ相変わらず不遜なことだな。それより……」
貴公子の視線が、アガトを睨めつける。
「その白髪に紅い瞳、貴公がウワサの紋章官候補か?」
「ウワサというのは知らないが、確かにオレは紋章官候補だ。名はアガト・ルゥ・ヴェスパーダという。よろしく」
「ヴェスパーダぁ? 聞いたこともないな。どこの田舎貴族だ?」
「ああ、西部のイセリナ地方……今は確かダレンハイド家の所領になっているはずだが、そこを三十年ほど前まで治めていた。今は所領のない没落貴族だ」
「…………何だキサマ?」
スッと、貴公子の眼光が冷える。
その剣呑な気配にアガトは困惑した。なぜ
(どこの者だと訊くから、答えただけだろう……?)
戸惑うアガトの肩を、マシロがチョイチョイとつつく。
「今のは挑発込みの皮肉よ。要するに〝田舎者が高貴な自分に対等に話しかけるなよ〟って、警告したかったのよ彼は。それをキミが平然と答えたのが面白くないの」
「……何だそれ。話したくないなら、何で話しかけてきたんだ? 変なヤツだな」
ふたりのやり取りに、対する貴公子はピキリと頬を引き攣らせながら、なおも尊大に胸を張り、声を張り上げた。
「と、ともかくだ! 騎士とは誇り高き男児の職務なのだ! 遊び半分のお嬢様はさっさと屋敷に帰って、花嫁修業にでも励むんだな!」
立ち去り様、高々に吐き捨てられた口上。
その内容がどうにも納得しかねたアガトは、疑念も強く呼び止めた。
「待ってくれ坊ちゃま」
「誰が坊ちゃまだ! 私はフルド・ルゥ・レイナードだ。憶えておけ!」
憤慨もあらわな糾弾に、アガトはまた大いに戸惑う。
(憶えておけも何も、あんたはまだ名乗ってなかったぞ? ……いや、待てよ、レイナード家か、ブランシェネージュ家に次ぐ名門だな)
確かに、名門貴族の顔と名は把握しておくのが紋章官の務め。全く忙しいが、ともかくだ。
「レイナード卿、遊び半分とはどういう意味だ? それに、騎士の真似事とも言っていたようだが」
「は? そんなのはもちろん、そちらのブランシェネージュ嬢を始めとした、月光騎士団の小娘たちのことだよ。わかりきったことを訊くな!」
反論に荒ぶるフルドに、アガトはなおのこと首をかしげる。
「月光騎士は正式な騎士だろう?」
「あ? 何だそれは? 本気でおめでたいヤツだな。正式だろうが何だろうが関係ない。女が騎士だなどと、片腹痛いんだよ。幼い姫様に
力説だった。
このフルドは、相当に月光騎士団が気に食わないのだろう。
アガトは頷きながら、傍らで唇を噛んでいるマシロに問い掛ける。
「お飾りなのか?」
「え?」
「あんたは、お飾りで騎士をやってるのか?」
彼女の琥珀の瞳が大きく見開かれた。
「そんなわけない。私は父のような騎士に、ブランシェネージュの名に恥じない騎士になる。そのために月光騎士団に入ったのよ」
キッと鋭く睨み返してくる双眸に、黒炎の淀みはなかった。
ならば、そこには疑心も虚偽もありはしない。
偽らざる信念があるなら、それは立派な騎士道である。
アガトは、そう教えられた。
だから、フルドを真っ直ぐに見返して、告げる。
「騎士は守りし者だ。守るべきもののために剣を取る。女でも、男でも、守ると決めて騎士道に生きれば、そこには何の違いもありはしない。そもそも戦場に立ったことがないのは、あんたも一緒だろうにレイナード卿」
この国は公式記録で過去二百年、戦争に巻き込まれていない。
一部、貿易路の護衛や、特務として外地で従軍した者を除けば、国軍に戦場経験者は居ない。
それは誇ることではあれ、卑下することではないはずだ。
騎士が戦うのは平和を守るため。
平和とは、理不尽な戦いや、不当な争いのない社会。
この国の騎士は、戦わずに済んでいる。
すなわち、この国は平和なのだ。
それは素晴らしいことなのだと、アガトは教えられてきた。だから、素直にその教えを告げたつもりだった。
だったのだが、そんな彼の意に反して、フルドはこめかみをブルブルと震わせる。
「キサマぁ、私を愚弄するかッ!」
(何で怒るんだ……?)
怒声を上げてつかみ掛かってきたフルドに、わけがわからぬままに身構えるアガト。病み上がりの彼をかばおうとしてか、横のマシロが気丈にも割って入ってきた。
(いや、むしろ邪魔なんで下がってて欲しいんだが)
アガトはやれやれと、ともかくこのままでは彼女を巻き込んでしまう。ここしばらくの失態に続き、マシロに怪我をさせたとあっては、グレンに合わせる顔がない。
「悪い、ちょっと触れるぞマシロさん」
「え? ひゃっ……ちょっと!?」
両腕で抱え込むようにかばったせいで、大きな胸に触れてしまい、大いに狼狽される。
「いや、だから、火急なんで勘弁してくれ」
アガトは重ねて謝りつつ、迫るフルドの顎先を後ろ蹴りに打ち上げた。
「ッが! 騎士を足蹴にするかぁッ!」
フルドは衝撃に仰け反りながら、それでも怯まずに殴り掛かってくる。
意外にしぶとい、そして、キレのある動きだった。仮にも王国騎士、良く鍛えているのだろう。
アガトはマシロを背にして向き直り、自由になった諸手でフルドの拳を受け止める。そのまま手首をひねり上げつつ、同時に軸足を蹴り払った。
衝撃に浮き上がったフルドの
ヘタに意識があったら、気合いで立ち向かってくるだろう。
そう思い、意識を絶つつもりで殴りつけたのだが────。
アガトの脇腹が、鋭く疼く。
そのせいで思うように力が出せなかった。
「……ッぐ、キサマァ……!」
フラつきながらも立ち上がったフルドが、激昂のままに腰の長剣を握り締めた。
(……剣を抜くのか?)
ならば、ここから先は決闘。命のやり取りだ。
アガトの紅い双眸が鋭く冷える。が、当のフルドは、己が致命的な一線を越えようとしていることなど
瞬間、涼しげな口上が轟いた。
「王国騎士団大原則がひとつ……〝わたくしの闘争を赦さず〟……」
遠巻きにこちらを見やる野次馬たち、その間をスリ抜けて現れた赤毛の騎士。
まだ少年の如き風貌は、マシロと同年代だろう。しかし、スラリとした長身を包む太陽紋のサーコートは、白色ではなく漆黒色。
「騎士同士の私闘は極刑。剣を抜くからには、それを承知の上ですよね、レイナード卿」
いっそ爽やかとすら感じるほど優しげな笑顔で、しかし、その眼差しには底冷えるほどに鋭い殺気を込めて、その赤毛の少年騎士は、フルドを問い質した。
(あの赤毛、たしか黒陽騎士の第九位……)
「……リ、リュード・ルゥ・アスタローシェ!?」
アガトが思い出そうとしていた名を、フルドが狼狽のままに叫んだ。
「はいはい、黒陽騎士が末席のリュード君ですよ。で、どうなんです? レイナード卿、貴方はその剣を抜くんですか? なら、そこには明確にして正当な理由が必要ですよ。そちらの彼には、騎士に斬られるべき、確かな罪状があるんですね?」
「いや、それは……」
口ごもり視線を泳がせるフルドに、リュードはなお優しげな笑顔で殺気を向ける。
「それは……何です? 返答は要領良くお願いしますよ」
「……く、おのれアスタローシェ! 新参者の成り上がりが、調子に乗るなよ!」
捨て台詞の勢いだけは勇ましく、フルドは早足に、そして一目散に廊下の向こうへと逃げ去っていった。
「やれやれ、ホント、悪役の見本みたいな人だなあ。……ああ、皆さーん、どうもお騒がせしましたねえ、もう大丈夫なんで、それぞれの仕事にお戻りくださーい」
リュードはやはりどこまでも涼しげな笑顔のまま、周囲の野次馬たちに呼び掛けた。
実にのんびりと穏やかな声音と態度。それでも、王国最精鋭たる黒陽騎士の命なれば、居並ぶ騎士たちは迅速に散っていく。
すぐに日常を取り戻した周囲の情景に、マシロが浅い吐息を挟んで、丁寧に一礼した。
「ありがとうございます、アスタローシェ卿」
「んー? ああ、気にしない気にしない。むしろ感謝すべきはフルド坊ちゃまの方だろう?」
ニコニコと人懐っこい笑顔は、アガトに向けられている。
どういう意味なのかは明白だ。
あのままではアガトも剣を抜いていた。そうなれば無事に済まなかったのはどちらなのか、リュードはその結果を確信しているのだろう。
ならば、アガトもまた一礼を返す。
「あんたのおかげで、無用な血を流さずに済んだ」
態度と口調だけは
ふたりの反応に、当のアガトは数瞬ほど考えて……。
「……ああ、そうか。黒陽騎士様に対して〝あんた〟は無礼だな。申し訳ない。改めて、貴方のおかげで助かりました。ありがとうございますアスタローシェ卿」
律儀に、そして、淡々と一礼し直すアガトに、リュードは愉快そうに笑みをほころばせた。
「なるほど、グレン団長が〝素直に礼儀を知らない〟と言ってたけど、本当にそんな感じなんだね。まあ、無理に畏まらなくていいよ。見ての通り、黒陽騎士とはいえボクも若輩だ。気さくに呼んでくれて構わない」
「そうか、なら、リュードと呼べばいいか?」
「ちょっとキミ!」
傍らのマシロが大慌てでアガトの口を押さえる。が、当のリュードは、咎めるどころか嬉しそうに笑声を上げた。
「あはは、いいね、その方が楽だ。その調子で仲良くしてくれると嬉しいな。ボクはフルド坊ちゃまの言った通り、成り上がりの新参だから、畏まられるのは慣れてないんだよね」
楽しげに細められたリュードの瞳。大陸民に多い
「わかった。オレも畏まるのは慣れてないから助かるよ」
素で応じるアガトに、リュードもまた笑顔で頷き返す。
そのやり取りに、傍らのマシロだけが、心胆の縮む思いであわあわと狼狽えていた。
「さて、それじゃあボクは失礼させてもらうよ。怖いオジサンに呼び出されてるんでね……ああ、脇腹は大丈夫?」
さすがに黒陽騎士。
アガトが傷をかばう微かな所作を、見抜いていたようだ。
「大丈夫だ」
「なら良かった。お大事にね」
赤毛の騎士は軽く手を振りながら、最後まで爽やかに去っていった。
遠ざかる黒衣の太陽紋を見送りながら……。
マシロが盛大な溜め息をこぼしたのを見て、アガトは心配そうに問い掛ける。
「どうした?」
「どうした……じゃないでしょう? 黒陽騎士様を相手に、何でそんな平然としてるのよ?」
「……ああ」
そりゃあ自分も黒陽騎士だから……とは、さすがに答えられない。
「リュードは本気で身分とか気にしてないようだったからな。それに身分というなら、名門ブランシェネージュの御令嬢であるマシロさんの方が、上だと思うぞ」
「…………それでも、騎士としては向こうが遥かに上よ」
どこか面白くなさそうなのは、自嘲よりも悔しさからなのだろう。
「確かに、強そうだったな」
あのリュードの力量は相当だった。
多少の腕自慢では、束になっても敵うまい。
何より、あれは実戦を知っている者の圧だった。外地では、少なからず戦場に立った経験があるのだろう。あの若さで黒陽騎士に名を連ねているだけはあるということだ。
「強そうとか、そういう単純な力量の話じゃなくてね……」
「違うのか?」
「騎士としての風格とか威厳とか、そういう方面もふくめてよ」
「ああ……」
なるほど、アガトにはわからない類の話だった。
騎士はかく在るべしという理屈は覚えているが、なぜそう在るべきなのかは、わかっていない。
例えば、アガトは犯罪を避ける。
だが、それは法で戒められているからであり、そこに彼個人の感情は絡んでいない。
アガトは人殺しは悪いことだと知っている。
だから普段は殺さない。
けれど、ミラに仇為す者は殺さねばならないと知っている。
だから〝お役目〟の標的を殺すことには
もうずっと繰り返してきたそれに、葛藤も疑念も持っていない。
彼はただ、定められ決められた、騎士の道理に従うだけだ。
「騎士同士の私闘は厳罰だったのか、なら、オレの行動もマズかったな」
「いいえ、キミの場合は私闘じゃなくて正当防衛よ。そもそも、か弱い貴婦人を守って戦うのは、騎士の使命でしょう?」
そう言って、マシロは溜め息まじりに己を指差した。
名門貴族の御令嬢は、確かに貴婦人。だが、彼女がか弱いという印象は、アガトにはなかった。
「マシロさんは騎士なんだから、守られる方じゃなくて、守る側だろう」
「まあ、そうなんだけど……やっぱり、キミって変だわ」
相変わらず何が楽しいのか、彼女はニッコリと笑った。
柔和に細められた琥珀の瞳、そこには黒い揺らぎなんて欠片もない。本当に楽しくて笑っているのだろう。
アガトは思う。
できれば、あの蒼い瞳の少女にも、そうして曇りなく笑って欲しかった。
「マシロさん、ちょっと訊きたいんだけど……」
「何かしら?」
「女の子を笑顔にするには、どうしたらいいんだろう?」
真剣に問い掛けるアガトに、マシロは大いに戸惑い、うろたえたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます