第11話 騎士として


 王国騎士団の本部庁舎内、騎士団長の執務室にて────。


 着任七日目にして遅ればせながら登庁したアガトは、王国騎士団長グレン・ルゥ・ブランシェネージュの前で、厳粛にかしこまっていた。


「……以上、敵を取り逃がした挙げ句、負傷療養という失態。まことに申し訳ございませんでした」


 ひと通りの報告を終え、最後に丁寧に謝罪するアガト。

 報告の内容自体は、過日に封書でも伝えていたことなので滞りなく、座したグレンも静かに首肯を返す。


「ふむ。まあ〝お役目〟そのものは完遂したのだから、そう気負うな。それと、取り逃がした敵についてだが、おそらく傭兵だ。イザクとウザレ、外地では名の知れた兄弟でな、弟であるウザレの特徴が酷似している。現場での言動といい、どうやら、離反者の始末役として雇われたのだろう」

「相変わらず、情報収集は早いですね」

「……まあな。そんな事情なので、すでに国外に逃げている可能性もある。いずれにせよ、相手はオマエが仕損じるほどの手練れだ。仮に見つけたところで、ウカツに手は出せん」

「あのギョロ眼の男には〝黒い炎〟が見えました」


 アガトの言葉に、グレンは頷いた。頷いたが、しかし、いかにも反応に困った渋面で、溜め息をこぼす。


「古の悪魔が操る〝黒い炎〟か……。気のせいではないのか?」

「……かも知れません。何ぶん久しく見ていないものですし、一瞬のことでしたので……」


 本当は、今も嘘を吐く者たちの瞳に黒炎を見ている。

 だが、クルースニクが虚偽を見破れることは絶対の秘密だ。経験上、知られればロクなことにならないのは思い知っている。

 己が吐いた言葉の真偽を見破られる。

 それは普通の人間にとっては、堪え難いことであるらしい。

 だから、例えグレンが相手でも、いや、グレンだからこそ、教えるわけにはいかなかった。


「まあ、承知した。気には留めておこう。とはいえ、発見したらオマエに任せるという対処は変わらんがな。……さて、報告は以上か?」


「いえ、もうひとつ。些事さじですが、この度、妻をめとりましたので報告を」


「ふむ…………ん?」


 頷いたグレンの口角が下がる。


「妻を娶った……と言ったか?」

「はい」

「妻というと、嫁のことか? 人生の伴侶という意味か?」

「はい、その妻です。成り行きにて、王立図書館司書のユラ・フォルトナー女史を娶ることになりました」


 どこまでも平然と応じるアガトに、グレンは大きく眼を見開いて驚き、軽く額を押さえて呻いた。


「あの娘を娶った……だと? 何がどうしてそうなったのだ?」


「ですから、成り行きです」


 実際は正体を知られたせいだが、それを報告するのがマズいのは、さすがのアガトも理解していた。

 対するグレンは、困惑のままに再度の呻きをこぼす。


「ただでさえ初日の騒ぎで注目を集めているところに、さらに司書官と結婚だなどと……つくづく、オマエは騒ぎを起こしてくれるのだな。まあ、いずれ血縁者でもない私がとやかく言う問題ではないのだが……」


「それでも、オレの肩書きは王国騎士であり、立場はグレン閣下の御預かりです。閣下の許可をもらうのが道理だと思いました。御安心を、当面は結婚のことは周囲に伏せ、式も挙げません。悪目立ちしては任務に支障が出ましょう」


「…………どうしたヴェスパーダ卿?」

「どうした……とは?」

「いや、先の報告や謝罪といい、オマエにしては随分とマトモな言動なのでな」

「……ああ、それは、療養中にユラさん……妻から、厳しく指導されましたので」


 溜め息まじりに虚空を見上げるアガトに、対するグレンは下げていた口角をツリ上げる。それは先刻までの厳格な騎士団長のそれではなく、もっと親しげで気安い笑みだった。


「ほう、それは頼もしいな。そういうことならば、なおのこと反対する理由はない。せいぜい尻に敷かれて、真人間になってくれることを願おう」

「……それは皮肉か?」

「いいや、真っ当な祝福だ。言ったろう、オマエはもっと社交性を身に着けるべきだと。そういう意味では、これは良縁であろう。……しかし、オマエが結婚とはな」

「そんなに変か? そっちだって既婚者で子持ちだろうに」

「当然だ。私は社会性もある真っ当な大人だからな。とっつぁん坊やの朴念仁とは違う。まあ何であれ、オマエが人として成長してくれるのは、嬉しい限りだ……が」


 グレンの顔から笑みが消える。


「頼むぞ? オマエが何者であるか……そのことだけは、努々忘れてくれるな」


 ミラに仇為す敵を密かに駆逐する、黒き悪魔の騎士。


「期待しているぞ、クルースニク」


 投げ掛けられたいつもの言葉。

 見つめるグレンの双眸は、変わらぬ琥珀色。ならば、アガトもまた、いつものように深く一礼を返す。


「御意に」


 返答は厳かに、アガトは騎士団長室を後にした。


(さて、差し当たっての用は済んだが……)


 せっかくなので、このまま騎士団本部の構造把握に努めることにした。

 もちろん、過去にも訪れたことはあるが、現状を見て回るのは重要だ。


 騎士団本部は王城と隣接しており、城壁から分岐した石塀で囲まれている。そのため、見た目は王城とひとまとめな巨大施設に見えるが、城門側に回らないと互いの行き来はできない。


 施設はこの本庁舎を始め、議場や講堂などの別棟に、広い教練場。

 それから、実質敷地のほとんどを占めているのが宿舎だ。王国騎士のほとんどが寝泊まりしているのだから当然だろう。


 アガトは中庭を囲む回廊をぐるりと回り、本庁舎をひと通り見て回ったところで、次は宿舎か教練場を覗いてみようと足を向けた。


(……しかし、何で女騎士が居るんだ?)


 渡り廊下を歩きながら、疑念に首をかしげる。

 本部内を行き交う人々、その白コート姿の中に、女性がまじっていた。ふたりだけだが、普通はひとりだって居ないものだ。そもそも女性が騎士になること自体を禁じている国が普通だし、それ以前に騎士になろうとする女性がまず居ない。


(神話や物語の中ならいざ知らず……)


 アガトは着任初日にもマシロを見て驚いたが、少なくとも、現在のエシュタミラ王国においては、女騎士はそれなりに存在するようだった。


 アガトが寝ている内に、国の文化や意識に改革が起きたのだろうか?


 考え歩いていれば、さらに前方から現れた、ふたり連れの女騎士。その片方は見覚えのある茶金のお下げ髪、マシロ・ルゥ・ブランシェネージュだった。


「あれ? キミ……」


 向こうもアガトに気づいた様子で、歩み寄ってくる。


「久しぶりねヴェスパーダ卿。あの後に怪我したって聞いたけど、もう良くなったの?」

「とりあえず、出歩けるくらいには回復した」

「それは何よりね。貴方、申し訳ないけど後は任せていいかしら」


 マシロは微笑みながら、連れの女騎士に何やら指示を出した。相手は丁寧な所作で「了解しました」と敬礼して歩き出す。

 その去り際、彼女はこちらを気にしている風にチラチラと見ていたが、当のアガトは〝白髪紅眼が珍しいのだろう〟と、特に気にした風もない。

 それよりも、アガトが気になっているのは、先ほどからの疑念。


「なあマシロ先輩、何でこんなに女騎士がいるんだ?」

「何でって、もしかして〝月光騎士団〟を知らないの?」

「知らない。新設されたのか?」

「ふーん、王都では宣伝しまくって騒がれたんだけど、そもそもそれが目的のお祭り部隊なのだしね……でも、王都以外じゃ、まだまだ知名度低いのかしら」

「いや、多分オレの勉強不足だ。悪いが教えてくれないかマシロ先輩」

「ふふ、別に悪いなんてことないわ。それより、その〝先輩〟って呼び方はやめてくれるかしら。父に聞いたけれど、歳は同じ十八なんでしょ?」

「……ああ、まあ」


 問われても、アガトは自分の年齢なんて把握していなかった。

 グレンが十八と言ったのなら十八なのだろう。それでいいと思うし、真実かどうかも関係ない。


「同い年でも、あんたはオレの上司の娘さんで、名門貴族の御令嬢だ。それに、騎士としては普通に先輩だろ?」

「だとしても、騎士としての実力はキミの方が遥かに上よ、ヴェスパーダ卿。私はあの時、何もできなかった……」


 自嘲めいた苦笑い。

 あの時というのは、着任初日。王立図書館での騒ぎだろう。

 有事に動けなかった自分を反省し、動いていたアガトに敬意をもってくれたようだ。だから、ヴェスパーダ卿などと畏まった呼び方をしているのだろう。


(そういうのは……そうだな。確かに堅苦しいかも知れない)


 それに、アガトにとって彼女は上司の娘であるが、同時に妻の友人でもある。ならば、もう少し気さくに接するべきかもと思った。


「なら、これからはマシロさんって呼ぶよ。その代わり、オレのことも名前で構わない」

「別に〝さん〟づけじゃなくていいわよ」

「いや、そこはオレの性分だ。女性を呼び捨てにはしない」


 それは騎士道に反する。

 女性には敬意を払え……と、そう教えられた。


「……そう、なら私もアガト君って呼ばせてもらうわ」


〝君〟は敬称。

 だが、彼女の場合は、どこか年下の少年を呼ばわる風に感じるのは気のせいだろうか?

 まあ、それこそアガトにはどうでも良いことなので、流すことにした。


「それじゃあ、改めてよろしくマシロさん」

「こちらこそ、よろしくアガト君」


 一礼するアガトに、マシロはにっこりと微笑みを返したのだった。


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