第6話 暗殺騎士
王都に潜入した離反兵たちは、すぐに捕捉できた。
場所は封書に記されたまま、区画としては王立図書館からさほど離れていない。大通りから外れた裏通り、登録上は毛皮商となっている二階建ての木造商家が、連中の居所だった。
封書にあった人数は八名。
店主である密偵一名と、兵士七名。だが、その内の一名は図書館で焼死した百人将、つまり、残る標的は七人だ。
近場の建物の屋上にひそんで様子を窺っているが、店舗は休店状態。七人とも中にこもったきり。すでに宵の口も過ぎた現在まで、出入りは全くない。
図書館での失敗から、警戒して様子見を決め込んでいるのか?
逃げるつもりならとっくに動いているだろうし、離反してまで残った連中が、このまま引き下がるとも思えない。
半日見張ったが、何も動きはない。
太陽は沈み、周囲は夜闇に落ちた。暗い通りに人影はなく、それでいて周囲の建物内には生活の気配と明かりがある。無音ではない、ほどよいザワめきに満たされた空間。
(……そろそろ頃合いだな)
アガトは、ゆらりと立ち上がる。
その姿は闇に溶ける黒装束。
黒鉄の盾を背負い、黒鞘を腰に
顔を覆う四本角の仮面と、夜風に揺れる髪だけが白い。
ミラを守りし悪魔の騎士〝
古から続くその使命を遂行するため、アガトは夜闇に身を躍らせる。
建物の屋根伝いに駆け、目標の商家二階の外壁へと取りついた。
壁越しに察知した気配は、七人分。全員が二階に集まっているようだ。
会話を盗み聞けば、何らかの情報が得られる可能性もある。
だが、それは別の者たちの役目であり、もうその必要はないからこそ、アガトに命が下された。
ならば後は、速やかに確実に、排除するべきを排除する。
窓枠のひとつに手をかけ、腰の剣を細かく一閃させる。微かに傾いた窓板を蹴り破って、室内へと飛び込んだ。
広間と呼んで差し支えない室内。まばらに座した七人の男たちは、突然の乱入者にビクリと向き直りつつも呆然と。
その一瞬の虚をつき、アガトは名乗りを上げる。
「エシュタミラ黒陽騎士、アガト・ルゥ・ヴェスパーダ」
右手の長剣を顔の前に垂直に立てた、決闘の剣礼。
居並び座した一同を見回して、鋭く声を張る。
「オマエたちは、ミラに
皮鎧や帷子の軽装で身を包んだ兵士たち、彼らは一様に眼を見張り、直後、それぞれに怒号を上げながら長剣を、短槍を、戦槌を、手に手に構えて立ち上がる。
「何だキサマは!」
「刺客か!」「おのれ!」
口々に叫ぶ者たちに、アガトは首肯をひとつ。
何者かは告げた。問うべきも問うた。
その上で、応じず刃を向けるというのなら、致し方ない。
「問答無用か? なら、その敵意をもって回答と判断する」
立てていた長剣をひるがえし、水平に一閃。
右側から迫った敵の、構えた戦槌の柄ごと腕を斬り飛ばす。絶叫を上げようとした喉笛に剣尖を突き入れ、黙らせた。
「
叩きつけた黒い殺意に、残った敵兵たちもまた武器を振り上げた。
左側から短槍で突き掛かってきたふたり目の敵。その槍柄を、アガトは左手でつかみ取って引き寄せ、反対側から迫る三人目へと突き刺す。同士討ちになって怯んだ双方の喉笛を、振るったひと薙ぎで斬り裂いた。
続いて斬り掛かってきた四人目。
その刀身をこちらの刀身で巻き上げるように絡めて打ち払い、返す刃で
次いで脇から迫る五人目を、
噴き上がる血飛沫。
その向こうから襲い来る六人目が、長剣を大上段に振り上げる。
だが────。
ガシンッと響いた衝撃は、振り上げ過ぎた剣先が、天井の
「くっ!?」
「屋内戦は不慣れか? ウカツだな」
慌てて剣を引き抜こうとする男の喉笛に、アガトは剣刃を突き入れ薙ぎ払った。
わずかの間に鮮血の海と化した室内。
瞬く間に仲間を倒され、最後に残った七人目の男は、悲鳴を上げて身をひるがえす。
ひとりだけ商人風の服装をした男。店主に扮していた密偵だろう。
「背後を追い打つ無礼、赦されよ」
出口に向かう密偵の首を、一刀に
血を噴き上げ、くずおれる敵の身体。
これで終了……と、アガトはひと息つく。
直後に、ドス黒い殺気が突き刺さってきた。
血飛沫の向こうから、鋭利な煌めきが飛来する。
アガトは直ぐさまに背負っていた円盾を投げ放った。回転する円盤となった盾が飛来物を弾き、前方にひそんでいた何者かに直撃する。
「グゲッ!」
濁った呻き。
反動で跳ね返ってきた盾を、アガトは左手でつかみ取る。
弾いた飛来物は、床に突き立っていた。
短剣だろうか?
「……うぅ、痛ってえなあ……」
間延びした呻きとともに起き上がった禿頭の男。
さっき気配を窺った時には、確かに居なかったはずの八人目。
気配を殺して隠れていたのか?
あるいは、今まさに乗り込んできたのか?
いずれにせよ、襲ってくるまで全く察知できなかった。
「盾は騎士の誇りだろうが! それを投げつけるかぁ? 何なんだよテメェ……ああ、でも、騎士じゃなくて同業者かあ……いや、にしては名乗りの口上してたしなあ、傭兵が名乗るわけねえよなあ……殺し合う前に挨拶してくるのは、騎士様だけだよなぁ……」
やや猫背気味の低い体勢から
アガトが受け取った資料にはなかったし、見覚えもない、不測の存在。
「まぁ、何でもいいや。テメェ、今、オイラのこと殺す気だったろ? 殺す気で盾を投げつけたよな? そういうの、オイラはわかるんだぜ?」
ブツブツと、さも不満そうにぼやいてくるギョロ眼の男。
(何だコイツ……)
態度も仕種もフテ腐れた子供のようだが、まとう殺気が尋常ではない。寸前まで完全に気配を消し切ってていたのが信じられぬほどの剣呑さ。殺す気で投げつけたはずの盾も、シッカリと防御したらしく、それほど効いているようには見えない。
「ったくよぉ、オイラの代わりに殺しまくってくれるのはいいけどよぉ、ヤり過ぎなんだよテメェ……シゴトの手間が省けても、オイラが死んじゃったら意味ねえだろぉッ!」
怒声とともに神速で投げ放たれた曲刃、その数は四本。
アガトは左手の盾を構えながら床を蹴った。
飛来する二本を躱しながら、二本を盾で打ち払う。その流れのままに踏み込んで、右手の剣を振りかぶった。
「ヒャッハァッ!」
ギョロ眼が笑声を上げたのに同じく、背後で風を切る鋭い音が響いた。
アガトの背面にゾワリと走った悪寒。
避けた刃が、ひるがえって背後に迫っているようだが、このタイミングでは回避も防御も間に合わない。
(……なら、構うだけ無意味だ)
背中に刃が突き刺さり、激痛が走る。が、そんな予期していた事実は無視して、放つ斬撃のみに集中する。
眼前のギョロ眼の表情が引き
アガトは大きく踏み込みながら、剣刃を斜めに斬り上げ振り抜いた。
「ィギャァァァァアァァーッ!!」
濁った悲鳴と、仰け反った胸元からしぶいた鮮血。
両断する意気で斬り込んだアガトの斬撃だが、浅い。ギリギリで飛び退かれたようだ。
ギョロ眼の男は激しく身もだえながらも、アガトを睨み返してくる。
「何だよテメェ! 何なんだよテメェ! 普通は怯むだろぉッ! わめいたり叫んだりするもんだろぉッ! 何で普通に斬りつけてんだよぉッ! バカか? バカなのかぁ? あぁッ!」
「……まあ、変わり者だとは言われているし、自覚はある」
「はぁッ!? っとに何だよテメェ! 何を平然と、痛み感じてねえのかタコ!」
「痛いに決まっている。ものスゴくな」
「だったらそれっぽく泣きわめくなりしろやボケェッ!」
「……何だそれは?」
アガトにはギョロ眼の指摘が理解できなかった。
泣けば痛みが消えるのか? わめけば傷が癒えるのか?
無意味だと思った。
そもそも殺意を持った相手を前にして、痛みにもがいている場合ではない。そんなことをしている間に攻撃されてしまう。
アガトは、改めて対する敵を、そのギョロ眼を睨む。
鮮やかな気配の消しっぷりに加えてこの戦闘力。
いったい何者なのだろうか? アスガルド兵の一味にしては異質だ。なら、むしろ離反者を始末するために放たれた暗殺者とか? それにしては賑やかだが、暗殺者らしくないのはアガトも同じこと。
いずれにせよ、アガトの役目は変わらない。
「黒い太陽は、ミラに仇為す者を赦さない」
「うるせえ! さっさと死んでろイカレ野郎!」
ギョロ眼が血走り、両の手から無数の曲刃が閃く。
その数は六、いや、八だ。
高速回転しながら空を裂く刃が、急角度に弧を描いて、八方からアガトに迫る。
ひとつやふたつ叩き落としても無意味。そう判断したアガトは、最初から全速力でギョロ眼に向かって
「ヒハーッ! また捨て身でイラッシャイますかぁ? このおバカさんがよォ!」
ギョロ眼が、待ってましたとばかりに、両手に新たな刃を構えて斬りつけてくる。
(回避ではなく迎撃してくれたか、良かった)
読み通りに動いてくれたことに感謝しつつ、アガトは勢いに任せて身を伏せ床を滑り、相手の股下をくぐり抜ける。
虚を衝かれたギョロ眼は、それでも凄まじい超反応で斬りつけようとしてくるが……。
「うぉお! ザケンナコラァッ!」
弧を描き舞い戻っていた曲刃。アガトが伏せたのだから、必然、その軌道の多くは投げた当人を襲う。
ギョロ眼は両手の刃で三本を叩き落としたものの、一本が側頭をかすめ、一本が肩口に深々と突き刺さった。
「アチチッ! 痛ぇじゃねえかコラッ!」
賑やかにわめくギョロ眼の男。
(……うん、やっぱり、そういうのはスキだらけだ)
そのスキをついて、アガトは剣を斬り上げる。
だが、返ったのは硬質な手応え。ギョロ眼は双手の曲刃を交差して、斬撃を受け止めていた。
アガトは振り抜こうと力を込めたが、その挙動をこそ利用され、受け流し様に体当たりされる。
(このギョロ眼、動きはデタラメだが、反応が高速すぎる!)
勢いのままに背後の窓枠を砕き、互いにもつれながら外に投げ出されたアガトたち。至近距離すぎて、長剣はまともに振るえない。
「くたばりくされ!」
罵倒とともに曲刃を突き上げてくるギョロ眼。
一瞬だが、
その全身が、黒い火花に包まれたように見えた。
黒い、墨のように黒い炎。
それは、アガトがかつて自在にまとい操った悪魔の力であり、今も嘘をつく者の瞳に見ている、漆黒のゆらぎ。
こちらを睨む三白眼の小瞳。
間近に見たそれは、アガトと同じ深紅の色彩を宿していた。
「オマエは……!?」
一瞬の驚愕、その瞬の動揺に、曲刃が構えた盾の裏を掻いくぐってくる。脇腹を深々と抉られる激痛。さらに刃をねじり込まれながらも、アガトは盾で殴り返した。
重い衝撃とともに仰け反るギョロ眼の男。
反動で互いの距離が開く、そのきわに、アガトは右手の剣刃を鋭くひるがえす。
直後、地面に叩きつけられた。
ほとんど受け身も取れず、
それでも無理矢理に身を起こせば、同じく墜落していたギョロ眼も起き上がるところだった。
「……っぐぶ! っ痛ぇッなぁクソ! 騎士様が無様に足掻くんじゃねえよ! いいからさっさとくたば……」
口と鼻から盛大に血をこぼしながら身構えたギョロ眼は、その右腕の肘から先が消えていることに気づいて、声をわななかせた。
「……は? あれ? 腕ないじゃん? 何で?」
ギョロ眼は呆然と呟きながら、アガトが構えた長剣を見つめ、それから、やや離れた建物の軒先に引っかかり血を滴らせている己の腕を見やる。
「ぎ、ィギャアァァァァァァァーッ! ハぅワァァァァァァーッ!」
男はそのギョロ眼を飛び出さんばかりに見開き、あらん限りの絶叫を張り上げた。
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