第5話 一難去って……。


 事態の収束によって混乱も落ち着くかと思ったが、野次馬たちの喧騒は相変わらずだった。


(いや、人間ひとり炎上中なんだから当然か……)


 アガトが息をつけば、駆け寄ってくる数名の白コート姿。一応は馬車を止めようと動いていた者たちで、その中にはマシロも居た。

 アガトは、慣れぬ敬礼と共に告げる。


「本日付でこちらに紋章官候補として配属されました。王国騎士団長ブランシェネージュ伯が御預かり、アガト・ルゥ・ヴェスパーダです。……えーと、火急の事態ゆえ、やむなく抜刀に及びました。こちらで燃えている者はアスガルドの間者です。オレは急ぎ騎士団長に報告せねばならない。後の対応をお願いできるか?」


「……あ? か、間者!? ……いや、承知した。貴君の奮闘に敬意を」


 うろたえドモりつつも、騎士のひとりが敬礼を返してくれる。

 アガトも改めて返礼しつつ、やや遠巻きにこちらを見ていたお下げの女騎士に向き直った。


「そういうわけなんで、お父上に取り次いでもらえるか?」


 意識して笑顔を作りつつ呼びかけたのだが、対するマシロは、半ば呆然自失な様子で見つめ返してくるばかり。


「マシロ先輩」

「え……!? あ、ええ、わかったわ。すぐに手配する……」


 慌てて駆け出す姿を見送りながら、アガトは改めて周囲を見回した。

 未熟な連中ばかり……さっきはそうあきれていた彼だが。


「オレも、他人のことは言えないな……」


 何せ潜入任務の早々に、この大立ち回りだ。

 目立つことこの上もない。


「失態だよな、明らかに……」

「まったくだ。相変わらずオマエは加減を知らん」


 意図せぬ返答に振り向けば、大通りから門扉をくぐって歩いてくる太陽紋の黒コート姿、グレン・ルゥ・ブランシェネージュだった。


「……なぜここにいる?」

「オマエに急用ができた。で、急ぎ駆けつけてみれば、この騒ぎだ……」


 異臭と共に燃え上がる遺体を見て苦笑うグレン。


「……穏便な対応、実に大儀だった」

「ああ、いや、ありがとうございます」

「これは皮肉だヴェスパーダ卿。まったく、少しは腹芸も覚えよ」


 いかにもやれやれと肩をすくめるグレンの仕種は、やはり娘に似ている。いや、この場合は娘が父にならっているのだろう。


 突然の王国騎士団長の登場に、居合わせた者たちが一様に直立してかしこまった。


「こ、これは閣下!」

「いや、構うな。けいらは現場の収拾に努めよ」


 グレンは片手を上げてあしらいつつ、アガトに着いてくるよう促した。

 わざわざ場所を移すということは、他に聞かれたくない話なのだろう。


「……娘さんに、閣下への取り次ぎを頼んだのですが」

「ああ、知っている。あれが立ち去ったのを見計らって、オマエに声をかけたのだ。同席されると面倒なのでな」

「つまり、早速に〝お役目〟か? ……ですか?」

「ああ、ひと暴れした直後で申し訳ないがな」


 笑声まじりのそれも皮肉だろう。

 前庭の喧騒から逃れ、庭木の陰に入ったところでグレンが懐から取り出したのは、丸めた封書だった。


「オマエが大将を討ち取ったアスガルド軍。副将級も念入りに始末してくれたおかげで退いてくれた。が、それを善しとせずに離反して居残った連中がいる。将の仇討ちでも企んだものか……」


「……あの燃えている間者は、陣営にいた百人将だった。名までは把握していない。王立図書館に放火しようとしていたから阻んだが、確保できずに死なれてしまった」


「ふむ。おそらくは居残った内のひとりだろうな」


「なぜ、王立図書館を狙ったんだろう」


「さてな。機密書類を狙ったにしても、焼き払っては意味もあるまい。純然と王国の損害を目的としたテロ行為というところか。実際、派手に燃やすならおあつらえの標的だ」


「陽動で、庭先の馬車を暴れさせた別働隊がいるはずだ」


「なるほどな。それであの現場の混乱と醜態か……そういうことならば、オマエの行動もあながち失態とは責められんな。むしろ、本当に大儀だったか」


「……皮肉か?」


「いいや、真っ当な賞賛だ。無様にうろたえていた者たちこそ大失態だ。改めてよくやったヴェスパーダ卿……だが、また敬語が抜けているぞ」


「…………御無礼を致しました。グレン閣下」


「なに、これはからかい半分の冗談だ。あまり気にせんでもいい。実を言えば、オマエに畏まった振る舞いをされるのは背筋がかゆくなる」


 どこか愉快そうに喉を鳴らすグレン。

 褒められているわけではないだろう。あきれを越して諦められたか? 

 何にせよ、失点には違いない。

 やはり、騎士としてもっと礼節を心がけよう。そうアガトは思い直しつつ、受け取った封書を示す。


「この封書は何でしょうか?」

「王都に潜伏しているアスガルド密偵の隠れ家、その内のひとつで不審な動きがあった。件の離反兵どもが集っているのだろう。封書にはその場所と、確認できている範囲の情報を添えた。読んだら燃やせ」


 密偵やその隠れ家は、捕捉してもすぐには対応せず、泳がせた上で然るべき時に対応するのが定石だ。例えば今のように、潜入部隊をあぶり出すためのエサにも使える。


「相変わらず、諜報員だけは優秀なんだな」

「でなければ国防など成り立たんよ。ただでさえ、こうも実戦部隊が不甲斐無いのだからな……」


 前庭を駆け回っている騎士たちを遠間に見やりながら、吐息まじりに呟いたグレン。

 それは今し方にアガトにも向けられた、あきれを通り越した諦めの響き。国の治安を担う者たちが有事に浮き足立つ様は、騎士団の長としては忸怩じくじたる思いがあるのだろう。


 アガトの行動も適切とは言い難かったが、動かなければ事態はもっと深刻になっていたのも事実。

 なら、これからも彼は彼なりに、受けた命令を全うするだけである。


「この件は早速に当たった方がいいか? ……よろしいですか?」

「ああ、このまま向かってくれ。図書館側には私から説明しておく」


 アガトはぎこちない敬礼を返して、きびすを返す。


「期待しているぞ〝クルースニク〟……」


 背中に投げられた、いつもの言葉。

 かえりみれば、こちらを見やる双眸はいつもに同じ琥珀こはく色。


 なら、その名を背負う者として是非もない。


 アガトは首肯を返して、館内に置いてきた装備を取りに駆け出した。



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