第4話 平和な王国


 不意に、猛る馬のいななきがホールに響き渡った。

 続いて複数の悲鳴と、激しい破砕音。それらは全て建物内ではなく、外側からとどろいてる。


「え!? 何の騒ぎ!?」

「さあ、何だろうな」


 ふたりが見やった外の光景、半開きの大扉越しに見えたのは、前庭を暴走する馬車の姿。

 来館者が乗りつけていたものが、何かの拍子に暴れ出したのか?

 一頭引きながら豪奢な屋形を備えたそれは、垣根やベンチを薙ぎ倒しながら、前庭を駆け回っている。 


 突然の騒ぎに、館内は一様に驚きザワめいている中で、騎士や兵士は対応のために外に飛び出して……いなかった。

 居並ぶ守り手たちは、皆一般人と一緒になって、惑いうろたえている。


「…………」


 そんな無様な喧騒の中で、異質なほど静かな者がひとり。

 奥まった位置の閲覧席に座していた町人風の男。みんなが玄関側へ注目する中で、まるでその騒ぎにまぎれるようにして書棚の間へと歩いて行くのが、実に不審である。


「……マシロ先輩、手を貸してくれ」

「え? ええ、そうね、行きましょう!」


 ハッと頷きながら慌てて外へと向かう女騎士殿。


(いや、そっちじゃないんだけど……まあ、オレの言葉が足りなかったかな)


 引き止めて説明する間に、動いた方が早いだろう。

 そう思い、アガトはきびすを返す。


 館内はなおもパニック状態。

 右往左往する者や呆然としている者ばかりで、事態の対応はおろか、安全確保に動いている者すらほんの数名だけ。

 マシロの動きにわずかな騎士が追従したようだが、大半は相変わらずに慌てふためき、うろたえている。


〝この国は、平和ボケが過ぎるのだ〟


 グレンがそのように愚痴ぐちっていたのを思い出す。

 平和であることは素晴らしい。が、一般人はともかく、貴族や騎士がこんな在り様では、確かに愚痴りたくもなるだろう。


 アガトはホールの混乱を後目しりめに、あの妙な男が消えた書棚の奥へと急いだ。

 立ち並ぶ書棚に囲まれた角、いかにも周囲の眼の届かぬその場所で、男は懐から取り出した薬品らしきビンの栓に、今まさに手をかけていた。


「おい! 何をしている!」


 動きを制止するためにも鋭く呼びかける。

 ハッとこちらに向き直ったその男の顔に、アガトは見覚えがあった。


(こいつ、アスガルドの将兵!)


 過日の任務の折、陣営の中で見かけた百人将のひとりだ。

 なぜ帝国の士官がここにいるのか? 何をしようとしているのか?

 そんな考えるまでもない愚問は放棄し、アガトは大きく踏み込みながら腰の剣を抜き放つ。

 男は素早く飛び退き、詮を抜いた薬ビンを書棚に投げ放った。

 ツンと鼻をついたオイル臭、いずれ可燃性の液体であろう。それは予測していたことだから、元よりアガトの剣先が狙っていたのは男ではなく、薬ビンの方だった。

 薬ビンの口、その縁飾りに剣先を引っかけて回転させる。

 遠心力がビン底に向き、中身を保持したままに旋転。その口が男の方を向いた一瞬に、しのぎ……刀身の腹でビン底を打ち払う。

 真横に流れたビンは、投げた男自身にぶつかって中身をぶちまけた。


「……ッぐ!?」


 あやまたず液体のほとんどは男の衣服に染み込んで、周囲に飛んだのはわずかな飛沫だけ。液体を浴びたことよりも、それを為し得た剣技の妙にこそ、百人将の男は驚き、うろたえた。

 アガトはさらに踏み込み、斬撃を振るおうとして……。


(不測の潜入者。なら、斬らずに捕らえるべきか……?)


 その一瞬の惑いのスキに、百人将はハッと立ち直った。素早く傍らの書棚に手を伸ばし、並んだ数冊の書物を力任せに薙ぎ放ってくる。

 飛来物をかわしながら放った斬撃はわずかに逸れて遅れ、切っ先がギリギリで標的を逃す。身をひるがえした百人将の男は、書棚の奥を迂回して駆け出した。


「待て!」


 などと叫んだところで待つわけもない。

 アガトはとっさに左手を突き出した。

 あたかも逃げる相手を遠間につかみ捕らえようとするように、伸ばされ開かれた五指。


〝その身の消耗については、良く心得て振る舞うことだ〟


 脳裏に、グレンの警告がよみがえる。

 アガトは左手を下ろし、改めて、敵を追う駆け足の方に力を込めた。

 さらに投擲とうてきされてくる書籍を躱しながら、書棚の隙間を駆け抜ける。

 ホールへと飛び出せば、そこは未だうろたえた人々で混乱状態。逃げ走る油まみれの不審者に、全く気づいていない。


「そいつはアスガルドの間者だ!」


 アガトは追いすがりながら、ダメもとで叫んだ。

 ダメだった。

 居並ぶ民間人はもちろん、貴人も騎士も兵士も、何事かと向き直るだけ。駆け抜ける男に為す術もなく突き飛ばされ、押し退けられていく。


 玄関扉から飛び出していく百人将の男。

 大きく遅れて飛び出したアガトが見たのは、すでに前庭を半ばまで駆け抜けた敵の後ろ姿と、横合いから突っ込んでくる暴走馬車の影だった。


(まだ取り押さえてなかったのか!?)


 轢殺れきさつ上等で迫りくるのを、アガトはギリギリで躱し様、馬首に腕を絡めて地を蹴り、反動と勢いに任せて鞍の上に飛び乗った。

 すぐに手綱を引いて制止をかける。

 嘶きとともに前肢を上げて急停止した騎馬。アガトは左手で手綱を操りながら、右手の剣で車体とを繋ぐ固定ベルトを断ち切って、馬首を逃げ去る敵の方へと向けた。

 騎馬は再度の嘶きを上げて疾走する。

 暴れまくって疲労しているだろうが、それでもその速度は迅速に、重荷を切り離した今はなお速く、瞬く間にアスガルド百人将の背中に追いついた。


 左脇を走り抜けながら、アガトは馬上から斜めに身を乗り出して、剣を振り放つ。

 急角度で低空を走った剣撃は、走る敵の脚を薙ぎ払った。

 生かして捕らえるべきだろう。

 そう判断し、刃ではなく鎬で打ち払った一撃に、相手は激しくつんのめって倒れ込む。馬首を巡らせたアガトはすぐに飛び降りて、百人将を取り押さえようと走り出した。


 シュッ……と、何かが擦れる音。流れた火薬の匂い。


 直後、百人将の全身が炎に包まれる。たっぷりと衣服に染み付いた可燃油が、瞬時に、容赦無く、燃え上がった。


(あぁ、しくじったか……)


 馬が炎に驚き暴れるのを、どうにかなだめながら、アガトは失態に呻く。


(いっそ斬りつけるべきだったか……)


 そう後悔したが、結果論だろう。

 それで自害の動きを封じ切れたかはわからないし、致命傷を避け得たかもわからない。


「……ゥグググ……ァグフフフゥグ……!」


 赤く赤く燃え上がる炎の中から、呻きとも笑声とも取れる濁った声が響く。

 捕らわれ利用されるのを避けるためか。あるいは、単純に虜囚のはずかしめを忌避きひするがゆえだろうか。

 いずれにせよだ。


「……敵ながら見事、その覚悟を讃えよう」


 いさぎよき最期には、敬意を払うのが騎士道だと、そう教えられた。


 だからアガトは剣を納め、ひざまずいて一礼する。


 そうすることにどんな意味があるのか?

 やはり、理解は出来ない。

 非戦闘員が多くいる公共施設を焼き討ちしようとした敵に、なぜ敬意を表さねばならないのか、わからない。


 それでも、アガトは騎士であるために、騎士の礼節と作法を模倣する。


 見上げた蒼天。

 その澄んだ色彩は、アガトにかつての約束を思い起こさせるのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る