第3話 俗世の日常
エシュタミラ王国。
大陸西部の内海に面する、半島状の国土を持った国。
北と西を深い山脈に、東と南を断崖と海に囲まれている。天然の要害に恵まれたこの国は、攻めるに難く、守るに易い。
それゆえに、外敵の侵略とは限りなく無縁の歴史を歩んできた。
今現在に大陸全土で荒れ狂っている戦乱も、この地には届いていない。
そういうことになっている。
少なくとも、民はそう思っている。
長く平和であるということは、長く栄えているということ。内海に面していることを活かした交易により、経済はハッキリと豊かだ。
そんなエシュタミラ王国の王都ともなれば立派なもので、実際、大陸諸国の都に比べても、何ら遜色のない発展ぶりだ。
中でも、王立図書館は特に大きく立派な施設だった。
高い外壁と庭園に囲まれた敷地。豪奢ではないが荘厳な造りの建物は四階層。王城か大聖堂かという趣の玄関大扉をくぐれば、広々と開けた吹き抜けのホール。閲覧用の長机と椅子が並び、奥には巨大な書棚が威圧的なまでにズラリと立ち並んでいる。
「建国以来の書籍と資料が余さず収められています。大陸では、西の法皇庁に次ぐ蔵書量だそうですよ……まあ、館長の受け売りですので、真偽はわかりかねますが」
ユラの説明は、投げやりながらも簡潔だ。
少なくとも、そう言われて納得できる規模なのは間違いない。広い館内には利用者の姿も多く、並ぶ閲覧席はほぼ埋まっている。中には白いサーコート姿や、休憩中なのか兵士の姿もちらほらとあった。
そんな中、アガトは受付け前にいるひとりの白コートが軽く手を振っているのを認めた。ユラが微笑を浮かべて近づいていったので、どうやら知り合いなのだろう。
「こんにちはマシロ」
「ええ、こんにちはユラ。そちらの彼が、例の紋章官候補さん?」
図書館内なのを配慮してだろう、やや抑えた声音で呼び掛けてきたその王国騎士を見て、アガトは少なからず驚いてしまった。
茶金色の髪を首の後ろで長いお下げに編み束ねた、切れ長の双眸が気の強そうな印象の顔立ち。
見た目の歳はアガトと同じくらいか?
ついでに身長も同じくらい。ビシッと姿勢良く向き合ってくる姿が、落ち着いた声音とも相俟って、いかにも優等生という印象の少女。
そう、少女なのだ。
少女っぽい少年という風でもない。どうみても女だった。
しかし、彼女が着ているのはアガトと同じ太陽紋の白コート。腰には長剣を
つまりは、女の王国騎士?
「初めまして、エシュタミラ〝
丁寧に敬礼してくる少女騎士に、アガトも慌てて慣れぬ敬礼を返す。
(月光騎士……聞いたことがないな、新設の部隊か? いや、それよりも……)
彼女の名乗った名の方が気になった。
「ブランシェネージュって言ったか? じゃあ、あんたは……」
「ええそうよ、グレン・ルゥ・ブランシェネージュ団長閣下は、私の父です」
なるほど、そう言われて見れば、生真面目そうな雰囲気は似ている気もする。が、外見は髪と瞳の色以外はぜんぜん似ていない。端正な細面の美人顔で、あと、胸が大きかった。
(あんなにデカいと、剣を振る時には邪魔になりそうだな)
そんな
「何してるんです? 彼女の胸に見とれてないで、さっさと名乗ってください」
傍らのユラから、溜め息まじりに急かされる。
(……ああ、そうか。名乗られたら名乗り返さないと)
それが騎士の礼儀だ。
(……そういえば、さっきユラさんには、ちゃんと名乗ってなかったな)
だから彼女は歯切れ悪い反応をしていたのだろう。今さらにそう思い至りながら、アガトは意識して丁寧に名乗りを上げる。
「えーと、本日付で王立図書館に紋章官候補として配属されました。王国騎士団長グレン・ルゥ・ブランシェネージュ伯が
事前に教え込まれていた肩書きをそらんじれば、マシロも改めて敬礼する。その拍子に、豊満な胸元が揺れた。
(……やっぱり、剣を振るのに邪魔だよな……)
騎士としては難儀だろう……と、他人事ながらも神妙に考えていたアガトだが、それは端から見れば、女性の胸元をジッと凝視している状態である。
「……ハレンチですね。そんなに大きな胸が好きなのですか?」
ユラが冷ややかに呟き、マシロは困ったように苦笑う。
だが、当のアガトは全くもって平然と否定を示した。
「いや、特に好きでも嫌いでもない。剣を振るのに邪魔そうだなって思ってただけだ」
あまりにも平静に、欠片も動じていない彼の様子に、むしろ問い詰めるユラの方が困惑に眉根を寄せる。
「……でも、ジッと胸に見とれてたじゃないですか」
「見てはいたけど、見とれてはいないな。……ああ、そうか、女性の胸を凝視するのは失礼だったな。すまない」
素直に頭を下げるアガト。
マシロは曖昧に頷き、ユラは呆然と溜め息を吐いた。
「……アガトさん。あなた、変です」
「……そんな風にシミジミ言われるほど変か?」
「変です。もしや女性に興味がないのですか? こんな大きな胸、女のわたしでもツイ見てしまうのに……ええ、本当に、うらやましい」
「ユラ、眼が怖いから。あと胸つつくのやめて……」
鬼気迫るほど真剣な顔のユラと、ひたすら困り顔のマシロと……そんなふたりの少女を見比べながら、アガトは首をかしげる。
(別にオレだって、女に興味がないわけじゃないんだけど……)
細身でしなやかなユラも、健康的で減り張りのハッキリした体型のマシロも、それぞれに綺麗な容姿をしていると思うし、話した感じも特に悪い印象はない。が、だからといって、出会って間もないのに好きも嫌いも判断つかない。
(それに、見とれるっていうなら、オレは……)
アガトは改めてユラの双眸を、その蒼い色彩を見つめて思う。
美しく澄んだ晴天の蒼。
出会い頭にもツイ見入ってしまったが、彼女の瞳は本当に綺麗だと思う。いつまでも見つめていたいとすら思う。
「何です? そんなに睨みつけて」
「いや、睨んでるわけじゃない……」
綺麗な瞳に見とれているだけだ……などと正直に口走ったら、また怒られそうな気がして、アガトは言葉を濁らせる。
「……? まあ、何でもいいです。とにかく、館長にあなたの到着を報告してきますので、少しここで待っていてください」
ユラは溜め息まじりに奥の間へと向かう。
長い黒髪をなびかせて去って行くその後ろ姿を、アガトが何となく見送っていると、傍らのマシロが困惑と心配とが半々といった苦笑で問い掛けてきた。
「彼女、普段はもっと穏やかなんだけど……。キミ、何かしたの?」
「別に何も……いや、最初に〝綺麗な瞳に見とれた〟って言って、怒られたな」
「何それ? いきなり口説いたの?」
「口説いてないが、……これは口説いてる感じなのか?」
「…………うん、ユラの言う通りね。キミ、ちょっと変だわ」
やれやれと肩をすくめられる。
まあ、常からグレンにも散々に言われているし、アガト自身も己が変だとは自覚しているのだが、何がどう変なのかはイマイチ理解していない。
これまでは、それでも特に問題はなかった。だが、今後は王国騎士のひとりとして生活していかねばならないのだ。
(改めないと、いけないんだろうな……)
アガトは内心で独りごちながら、ふと、カウンターに置かれた書物に眼を留めた。
薄い装丁の、絵本……だろうか?
表紙に描かれているのは、夜の荒野を背景にたたずむ骸骨の姿。鎧とマントを身に着け、剣と盾を携えているので騎士なのだろう。
ひとり力無くうつむき立ち尽くすその姿は、だが、骸骨で表情がないせいだろうか? 悲壮感も何もない、ひたすらに
タイトルは〝幽霊騎士の冒険〟。
マシロが読んでいたものか、それともたまたま置かれていただけか……わからないが、なぜだろうか? アガトは、妙にその絵本が気になった。
彼は絵本に手を伸ばそうとして────。
不意に、猛る馬の
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