1章【幽霊騎士は虚ろに生きる】

第2話 蒼い瞳の少女


〝……騎士として、守りし者として、この国を守る……〟


〝……それが、オレの夢だ……〟


 揺れる馬車の中で、アガトがふと思い出したのは、懐かしい宣言。

 なぜそんな回想をしたのかといえば、きっと、こんな服装をしてしまったせいだろうと、アガトは己の出で立ちを見る。

 鋼糸が編み込まれた帷子かたびらの上から羽織った、純白のサーコート。背面に金色の太陽紋が刺繍されたそれは、このエシュタミラ王国の騎士軍装だ。


「どうした?」


 低い呼び掛けは、対面に座した中年の騎士。

 同じく太陽紋のコートをまとっているが、威厳も年期も段違いだ。それも当然、あちらはアガトと違って真っ当な王国騎士であるし、何よりそのサーコートは漆黒色だった。

 黒いサーコートは、この国の騎士の中でも特別な階級を示すもの。


黒陽騎士こくようきし


 王直属の近衛騎士にして最精鋭騎士が賜る称号で、一位から九位までの序列で示される。精鋭中の精鋭。

 対面の騎士は、その中でも序列二位。

 一位は古来の慣例として空位であるため、事実上は王国騎士で一番偉い大騎士様だ。役職も騎士団長であり、便宜上はアガトの上官……いや、これからは正式に上官になるのだろう。


 名は、グレン・ルゥ・ブランシェネージュ。

 ルゥはこの国の貴族階級を示す位。中でもブランシェネージュ家は名門だ。大騎士にして大貴族である彼を前にしたアガトは、だが、かしこまる風もなく車窓から外を眺めたまま。


「……別にどうもしない。疲れているだけだ。さすがにこう立て続けじゃあな」


 目覚めたばかりで国境まで駆り出され、ようやく今朝方に戻ったばかりなのに、もう次の任務だ。


 だから、その疲労を素直に口にしたアガトに、グレンは苦笑う。


「それはすまん……が、気をつけろ。今の言動は通常は嫌味や皮肉に取られるぞ。無駄な衝突を生まぬためにも、ある程度は社交性を心がけろ。それと、今後は敬語で接するようにな」


 教師が生徒をいさめるようなグレンの言は、もっともだった。

 確かに、天下の黒陽騎士様を相手に、下級騎士の若僧がタメ口を利くのは不自然だし、不敬極まりない。


「気をつける……つけます」

「うむ。さて、本題だが、次はこの王都での潜入任務だ。オマエには王国騎士団の新任騎士として行動してもらう」

「それはもうわかってる……わかっております。こうして制服も受け取りましたから」

「……で、肝心の任務内容なのだが、遺憾ながら内通者の始末だ」

「内通者? 裏切り者か?」

「そうだ。身内から外地に情報をもらしている者がいる」


 アガトは過去にも〝お役目〟で裏切り者を斬り捨てたことがある。

 記憶に新しいものでは、仮にも黒陽騎士のひとりが、国の最高機密を外地に流出させてしまった大事件。

 裏切りというなら、最悪の部類だろう。


(あれはどのくらい前になるんだ。十……いや、二十年だっけか……?)


 何にせよ、重要なのは過去より現在の裏切り者だろう。


「それで、対象は?」

「まだ不明だ」


 思わず沈黙してしまったアガトに、グレンは澄まし顔で続ける。


「だが、内通者がいるのはほぼ確定している。しかも、かなり致命的な中枢にな。過日にオマエがもてなしたアスガルド軍、あれの襲来はその手引きであるようだ」


 単なる目先の金銭や利益に留まらない。国家の存亡に関わる情報漏洩。

 なるほど、確かに致命的だった。


「無論、対象の調査はこちらで行うのだが。常の警戒のためと、何よりも判明次第に迅速な処理を行うためにも、オマエを王都に滞在させることにした。それに、これからはオマエも市井しせいの生活に慣れんとな」


 淡々と語られるグレンの言は、相変わらず腹芸三昧な内容だった。

 グレンの琥珀色の双眸。そこにゆらめくを見やりながら、アガトは考える。


(……〝対象が不明〟というのは嘘だな)


 なら、少なくとも当たりはつけているのだろう。それでも伏せるということは、裏付けが取れていないのだろうか?


「内通者の他にも、諸国が送り込んでいる密偵もいるだろう。可能ならそれらもイモヅル式に対応したい」

「忙しい話だ」

「ああ、だが、ヒマよりは良かろう」

「そうかな? 騎士団がヒマなのは平和な証拠だろう?」


 ましてや、暗殺者が忙しいなんてのはロクなもんじゃない。そう淡々と唱えるアガトに、グレンはやはり苦い笑顔のまま話を先に進める。


「オマエには、紋章官として行動してもらう」

「紋章官か。けど、確かこの国には……」

「そうだ。長らく不在の役職だ」


 紋章官とは、名の通りに紋章……家紋や国旗、印章などを管理する役職だ。

 紋章は組織や家名を現す象徴であり、証である。すなわちどこの誰なのかを示すものであり、その把握と管理は重要。

 特に、戦場におけるそれは最重要項目だ。

 戦ったのがどこの誰で、戦死したのはどこの誰なのか。どこの誰を、どこの誰が討ち取ったのか。それらを確認精査して正確に記録するのが、戦場における紋章官の役目。

 だからこそ、戦場での紋章官は所属や敵味方に関わらず、不戦不介入の不文律によって保護されている。


 だが、この国はもう長らく戦をしていない。公的記録の上では実に二百年に及ぶ長きに渡り平和を維持している。そのため、エシュタミラ王国での紋章官は他国のそれよりも圧倒的に重要度が低い。


「この国における紋章官の仕事は、各紋章の発行と管理が主……完全な事務方だ。ゆえに、長らくその役目は騎士ではなく、王立図書館の司書官たちが兼任してきたわけだが……。外地における現状の群雄割拠ぐんゆうかっきょぶりを鑑みて、有時に備えて戦場に出向くことが可能な、本来の紋章官を任命しよう……という名目で、新たにその候補生を採用することにした」


「で、オレがその候補生の新米騎士ってことか」


「そういうことだ。紋章官という肩書きは都合が良かろうからな」


 紋章官はその性質上、所属を跨いで動く大義名分を持てる。しかも普通の騎士と違って軍務に束縛されず、単独で行動しても怪しまれない。

 確かに、便利な肩書きだろう。


「これからオマエは王立図書館の配属となり、紋章官の職務を学んでもらうが、所属としては私の直属となる。つまり、指示系統は今まで通りだ。住居は図書館側に部屋を用意した。騎士団宿舎では、いざという時に人目を忍び辛いからな」

「名は?」

「ん?」

「名は、そのまま名乗ってもいいのか?」

「……ああ、構わんよ。ヘタに偽名を名乗るよりはその方がボロも出まい。つくづく、オマエに腹芸は合わんらしい。気づいているか? さっきからずっと敬語が抜けている」


「ああ……、申し訳ありませんでした。以後、厳に努めますグレン閣下」


 意識して姿勢を正して改めれば、グレンは相変わらずの苦い笑みで頷いた。


 やがていくらも走らぬ内に、馬車は停止する。

 しかし、目的地である王立図書館まではまだ距離があるはずだった。


「このまま図書館まで送ってやりたいが、生憎と私も多忙でな。悪いがここまでだ。後は図書館の職員が案内する。ああ、それから……言うまでもないが〝お役目〟は極秘の特務だ。私以外の者にとって、オマエはあくまで紋章官候補の騎士であることをキモに命じよ。特に、については、良く心得て振る舞うことだ」

「了解しました」

「うむ、期待しているぞ」


 そう言って、グレン・ルゥ・ブランシェネージュは穏やかに笑った。

 アガトは装備を収めた荷袋を背負って通りに下り立ち、走り去る車影を見送りながら思う。


 やりとりの最後に、毎度グレンが投げかけてくる言葉。


〝期待しているぞ〟


 琥珀色の瞳が告げてきたそれには、今日も嘘はなかった。

 ならば、アガトは粛々しゅくしゅくとその命に従うことにする。

 国のため、民のため、守りし者として剣を取る。それが彼の使命であり、誓約だ。


 改めて意を引き締めるように深呼吸をひとつ。

 見上げれば、蒼い空が広がっていた。

 どこまでも晴れ渡った、蒼天の空。


(……綺麗なんだろうな、この空は……)


 どうやらアガトは、蒼天の色彩が好きらしい。

 断言できないのは、抱いたこの感覚が好感なのかどうかがイマイチわからないからだ。

 彼にとって、感情とは抑えるもので、情動とは静めるもの。ひたすらにそうして生きてきたのだから。


 ただ、蒼い空を見上げると、胸の奥から何かが込み上げる。

 ギュッと締めつけられるような感覚に、息が詰まりそうになる。いつまでも呆然と見上げてしまいそうになる。

 それは普通の者が、美しいものに魅惑され感動するのと同様だと思う。

 常から情動の希薄なアガトが、晴れ渡る蒼い空を見上げた時だけは、平静ではいられない。


 いつからそうなのか、なぜそうなったのか、心当たりは歴然だった。


 それはあの過去の日、同じく晴れ渡る蒼天の下で笑っていた少年。

 騎士になってみんなを守るのだと誓ったその姿が、あまりにもまぶしかったから────。


 だからアガトは、蒼い空が好きなのだと思う。


「……あの、あなたが紋章官候補の騎士様ですか?」


 ふと、横合いから呼び掛けられて思考を中断された。

 凛と冷ややかな少女の声。グレンが言っていた案内の者だろう。


 振り返れば、声音の通りに冷ややかな少女が立っていた。


 南方人や東方人のような長く艶やかな黒髪。だが、肌の色は対照的に白く、まるで新雪のよう。華奢きゃしゃで小柄な体躯たいくを黒い法衣で包み、その白すぎる肌とのコントラストが危ういほど儚げな雰囲気を感じさせる。


 何よりも印象的なのは、その瞳だった。


「……蒼い……」


 アガトは思わず呟いていた。

 大陸の民に多い濃灰色の瞳とは全然違う、鮮やかに澄み渡る蒼天の色彩。物憂げに細められた蒼の双眸が、モノトーンの色彩の中でひときわ透き通った輝きを宿している。


 見上げた蒼天そっくりな、その美しい蒼色を、アガトはしばし呆然と見つめ返していた。


「……わたしの顔に、何かついていますか?」


 少女に不審げに目を細められ、アガトはハッとして謝罪する。


「いや、ごめん。あんたの瞳が綺麗だったんで、見とれてた」

「……何ですそれ? いきなり口説いてくるとか、ありえないです」


 少女はなお冷ややかに、ジト眼で睨みつける。

 アガトとしては、単に質問に応じただけなのだが、どうやら失言だったようだ。


「……それで、結局あなたは紋章官候補なのですか?」

「ああ、オレが紋章官候補の騎士だ。あんたがグレン……閣下が言っていた案内人か?」

「ええ、左様で御座います。王立図書館司書のユラ・フォルトナーです。以後よろしく」


 人形のように綺麗なその少女は、人形のように冷ややかな表情のまま、慇懃いんぎんに一礼した。

 アガトも慌てて慣れぬ敬礼を返しつつ考える。


(……何だか、見た目は儚げなのに、妙にトゲがあるな)


 それとも、さっきのアガトの言は思った以上に失言だったのだろうか?

 何にせよ、アガトにとって重要なのは、彼女がこの国の味方かどうかである。


 だから、彼はいつものように問い質す。


「なあ、あんたはミラ……この国の味方なのか?」

「えっと……? どういう意味です?」

「言葉のままの意味だ」

「……よくわかりませんが、敵ではないつもりですよ。王立図書館の司書ですから……」


 応じたユラの瞳に

 綺麗な蒼色のまま……この少女は

 ならば、エシュタミラの敵ではないのだろう。ひとまずそれがわかれば問題ない。


「じゃあ、案内してくれよ」

「…………いいですが、あなた、態度悪いですね」


 再度のジト眼で睨まれ、アガトはまた敬語を忘れていたのに気づく。

 だが、別にユラはアガトの上官でも何でもないのだ。騎士と司書官では先輩後輩というわけでもない。そもそも、アガトは一応なりとも貴族で、ユラは平民……いや、司書官ならば準士族階級だが、いずれ身分はアガトの方がハッキリと上位なのだ。


(けど、オレは王立図書館所属なんだから、広義的にはこの子は先輩か)


 そもそもそういうこと以前に、騎士は女性に敬意を払うべきだろう。

 まったく色々と難しいものだが、無用な衝突は生むべからずなのは確かだった。


「不快なら、頑張ってかしこまってみるが……正直、うまく振る舞えるか自信がない。礼儀作法はロクに習ってないんだよ」

「何ですかそれ? それでよく騎士が務まりますね」

「ホントにな」

「…………まあ、いいですけど。それでは着いてきてください。……えーと、わたし、あなたの見た目の特徴しか聞いてないんですが」


 呼び名に困った様子で小首を傾けるユラ。

 確かに、こんな白髪頭に紅い眼をした若い騎士など他にいないだろうから、それで充分ではあるが、あのグレンにしては雑な仕事だった。


「アガトだ」


 彼は手短に名乗る。

 それは騎士としても、社会人としても、あまりにも手短すぎる雑なものだった。

 社交性の欠如。

 グレンにも指摘されたそれは、だいぶ重傷なのである。ならば、ユラに外見特徴しか伝えなかったのも、自己紹介くらいは自分でしろという指導なのかも知れない。


「……そうですか、アガト……さん……ですか……」


 彼女は改めてアガトの頭と瞳、それから腰の帯剣を見やって冷ややかに笑った。


「白い髪に紅い瞳、まるで御伽噺おとぎばなしの〝クルースニク〟ですね。まさかその黒いこしらえの剣は、わざと真似ているのですか?」

「……まあね」


 アガトは心底から適当に頷いた。

 大多数の者にとって〝クルースニク〟は御伽噺の英雄。架空の存在。本気で本物かもなどと疑うわけもない。

 ならば、この手の指摘に否定も肯定も意味はない。ヘタな腹芸で墓穴を掘るぐらいなら、素で流すのが良いと思ったのだ。

 ユラが表情をしかめたのは困惑かあきれか、何にせよ、それ以上は追求してこなかった。


「……それでは改めて、着いてきてくださいアガトさん」


 溜め息も深く先導してくれる彼女に、アガトは返事をしようとして……。


(ユラさん……いや、ユラ先輩? どっちの呼び方がいいんだろうか?)


 そもそも名前は馴れ馴れしいか? なら、フォルトナー先輩か……?


(……迷ってたって仕方ない。適当に呼んで、怒られたらその呼び方はやめよう)


 アガトはそう結論し、先行する黒衣の司書を追ったのだった。



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