幽霊騎士は狂えない
アズサヨシタカ
幽霊騎士は狂えない
序章【幽霊騎士は虚ろに祈る】
第1話 悪魔の騎士
夜半。
天幕を打ちつける雨音はどんどん激しくなっている。
かがり火に照らされた大本営にて、ひとり残ったその騎士は、机上に広げた戦略地図をジッと睨みつけていた。
その口許から小さな舌打ちがこぼれ出る。
ただでさえ想定外の事態に頭を悩ませているのに、その思考を掻き乱すように騒ぎ立ててくる雨音が、単純に腹立たしかったのだ。
宵の口、急に降り始めた雨。
それは瞬く間に強くなり、今や天幕の外は夜闇と雨粒に
詰めていた配下の将兵たちは、この悪天候に備えさせるため各自の陣営に走らせた。
どの道、ここに雁首そろえていても意味がない。軍議は終了し、結論も出ているのだ。想定外の事態ではあるが、やるべきことは変わらない。
明朝をもって、全軍で進軍を開始する。
「戦だ。なれば、我らは軍としての務めを果たすのみ」
彼はあえて声に出すことで、抱いた疑念をねじ伏せようとする。
だが────。
やはり、ねじ伏せきれぬ不条理への疑念が、激しい雨音と共に彼の思考を掻き乱し続けていた。
ここは此度の侵攻目標であるエシュタミラ王国の北方、国境の山麓沿いに敷かれた陣の本営である。
ならば、ひとり陣取る彼こそが今回のエシュタミラ王国侵攻作戦、第一軍における大将たる騎士だ。
名はフレデリック・フォン・ロンダリウス。
北の大帝国アスガルドの騎士であり、名門貴族たるロンダリウスの家名よりも、戦場での働きによって取り立てられた生粋の武人である。
机上の戦略地図を睨むその顔には、やはりイラ立ちの色が濃い。
先ほどから示しているように、想定外にして不条理な状況が、将としての思考を悩ませている。
その状況とは、こちらの宣戦布告に対して、エシュタミラ側が示した徹底抗戦という返答だった。
侵略者に対する反応としては、ある意味で当然。だが、圧倒的な戦力差を前にしてのそれは、首をかしげずにはいられない。
今回、彼が率いてきたのは五千の大軍勢。
対するエシュタミラは、その国力に比して、軍備が極端に少ないようなのだ。実際、事前の斥候や密偵の報告では、正規軍の数は二千にも満たないとのこと。こうして国境近辺に易々と陣を敷けている時点でも、その防備の薄さは歴然。
……否、そもそも国境には兵も配備されていなかったのだから、防衛線という概念すら怪しい在り様である。
その国防意識の薄さは、武に生きるフレデリックには理解不能。
二百年以上も戦火に見舞われたことがないという、幸運な国なればこそなのだろうか? 否、それにしてもだ。国境に見張りの一隊すら置かぬなどということが有り得るのか?
外敵に対して、抗うどころか身構えることすら放棄している。そんな状況であったから、宣戦布告への返答は全面降伏、あるいは和平交渉であろうな……と、フレデリックはそう読んでいたのだ。
しかし、使者が持ち帰った返答は、抗戦の意思だった。
負けるつもりで戦うわけもあるまい。
ならば、勝算があるということだろう。
どこに?
フレデリックは苦悩しながら、再度、戦略地図を睨みつける。
すでに制圧戦の戦略も戦術も準備は完了している。何度見直しても練り直しても、敗北の流れは有り得ない。
戦場に絶対はない。
それはわかっている。
わかった上で、それでもだ。
どんな不測の事態を想定しても、不慮の事案を仮定しても、それでもなお、自軍が敗退する流れは有り得ない。それこそ、突然の大地震などの天災に見舞われるか、あるいは大将たる自分が急な病で倒れでもしない限りは、絶対に負けはない。
そう考えたところで、フレデリックは微かに息を呑んだ。
ひとつ、
〝古の国たるエシュタミラは、悪魔の騎士に守られている〟
それは一千年も昔から伝わるという神話伝承だ。
エシュタミラの初代国王は、百人の赤子を生け贄に捧げ、黒き炎の悪魔と契約したのだという。
以来、エシュタミラに
寝物語に幼子に聞かせて怖がらせる類の、
だが────。
(……悪魔の騎士。それはくだらぬ戯れ事だとしても……)
エシュタミラの勝機が、大将たる彼の急死以外に有り得ぬのは事実。
(ならば、この状況はマズい!)
今、大本営には彼ひとりだけ。
悪天候に視界と物音を阻害されたこの状況は、襲撃者にとってあまりにも好機である。
フレデリックが顔を上げたのは、不吉な予感に駆り立てられた焦燥から。
だが、果たして見やった先には、何者かが立っていた。
「……ッ!?」
天幕の外、降りしきる激しい雨脚の向こう、夜闇の中でなお暗く沈み込んだ禍々しい影。
影は、ゆるりとした足取りで、天幕の下へと入ってきた。
かがり火に照らし出されたその姿は、全身を黒い装束に包んだ男。腰に提げた長剣の
その中で、首から上が異彩に映える。
色褪せた白髪と蒼白い顔。牙を剥き、眼光をたぎらせ、四本の角を生やした、まさに悪魔の凶相。
否、それは仮面だ。
悪魔を象った仮面をつけているのだ。
「何者だ……」
腰の長剣に手を掛けながらフレデリックは問うた。
愚問というなら、そうだろう。この状況でこの場所に現れる自軍以外の者。それは敵対者、すなわちエシュタミラが放った刺客に他ならない。
そして、何者かを問われて応じる暗殺者など有り得ない。
有り得ない……はずだった。
「エシュタミラ
仮面越しに響いたのは若い声。
まだ少年と呼んでも良いその声が唱えたのが、名乗りであるとフレデリックはすぐに理解できなかった。
当然だ。
闇に乗じて忍び込んできた暗殺者が、自ら名乗りを上げるだなどと!
「アスガルドが騎士、フレデリック・フォン・ロンダリウスに問う。御身は、エシュタミラに仇為す者か?」
冷ややかなまでに鋭い問い。
仇為す者であるか?
そう問われれば、答えは当然に是だ。
「宣戦は布告し、降伏も勧告した。戦うと応じたのはそちらぞ。ならば、こちらもまた武人として応じるまでのこと」
「……了解した」
仮面の暗殺者は、腰の長剣を抜き放つ。拵えに反して白銀に輝く剣刃。その煌めく白き刀身を、暗殺者は己の眼前に垂直に立てる。
「ミラに仇為す者を、黒い太陽は
口上とともに、その切っ先を真っ直ぐに突きつけてきた。
大陸全土に通ずる、騎士の決闘の礼。
互いの命運と名誉を懸けて果たし合う意を示す、古式ゆかしき礼節の所作。
(暗殺者が騎士の剣礼だと……!?)
フレデリックは疑念と混乱のままに睨み返す。
だが、改めて見れば、確かにこの刺客の姿は暗殺者のそれではない。
構えたのは長剣と盾、何より、その黒装束の上に羽織っている黒い長衣は、
漆黒の色彩に沈んだ、禍々しくも気高き、その姿。
「……そうか、貴公がエシュタミラの〝悪魔の騎士〟か。よもや実在しようとはな」
フレデリックは戦慄と驚きをもって呟いた。
声を張り上げれば配下の誰かに届くか?
この豪雨にあっては難しかろう。
そもそも近場の者が顕在である可能性は低かろうし、何より、この局面で救援を求める無様は、騎士としての
騎士である彼が、騎士である相手に決闘を挑まれた。
ならば────。
フレデリックは相手の黒い殺意を真っ向から受け止めて、己の剣を抜き放つ。
互いに剣を抜き、互いの殺意を理解した。
もって、これは正々堂々たる騎士の決闘であると了解する。
「「
視線の交錯は一瞬。
直後には、互いに踏み込み放った斬撃が、甲高い音色を奏でて火花を散らしていた。
互いに行き過ぎながら振り返り、刃をひるがえす。
二度目の剣戟音。
大きく弾かれた互いの剣刃。
だが、仮面の騎士の左腕が空を走り、円盾が唸りを上げてフレデリックを打ち据える。
衝撃に仰け反ったフレデリック、くずれた体勢の中で剣を構え直そうとするそこに、仮面の騎士は剣刃をひるがえした。
血肉が断たれる衝撃と鈍い音、フレデリックの右腕が付け根から斬られて宙に舞う。
だが、それで怯むは帝国騎士の名折れである!
フレデリックは気概も激しく、宙を舞う長剣を……長剣を握る己の右腕を、残った左腕でつかみ取り振り上げる。
「まだだ! 私はまだやられはせ……」
気合いの叫びは、その半ばにて文字通りに断ち切られた。
仮面の騎士の剣刃が
己の鮮血が噴き上がる中、フレデリックは眼前の敵を睨む。
今まさに刃を振り抜いた黒衣の暗殺者。
エシュタミラに仇為す者を討ち倒すという悪魔の騎士。
御伽噺に伝わるその名は、確か────。
(……〝
聞いた時には、悪魔のクセに随分と殊勝な名だと笑ったものだった。
だが、今、間近に対峙したその仮面の
(……なるほど、確かに……罪深い眼をしているな……)
フレデリックは抱いた感傷のまま、微かに口の端を歪めた。
瞬間、ゴポリと
直後に走った一文字の剣閃が、フレデリックの頸部を薙いだ。
勢いよく
仮面の騎士は素早く血払いした剣を鞘に叩き込み、飛んだ生首が地に落ちる前に、両手でシッカリと受け止める。
どうッ……と、仰向けに倒れたフレデリックの胴体。
ひざまずいた仮面の騎士は、掲げ上げた敵将の首に深々と礼を捧げた。
決闘に応じてくれた気概に、
片腕を斬られてなお怯まなかった闘志に、
敬意を込めて、祈る。
なぜそうするのか?
仮面の騎士はわからない。
そうすることの意味など理解していない。
ただ、それが正しき騎士の在り方なのだと教えられたから────。
そして、彼は騎士だから────。
だから彼は騎士として、敬意を込めたつもりで祈る。
教えられた通りに、学んだ通りに、決まり切った形と手順をなぞる。
やがてその虚ろな儀式を終えた彼は、生首を胴体の横に置き、天幕の外へと駆け出した。
「……騎士は〝守りし者〟……守るために剣を取る」
虚ろな心に詰め込んだ誓いを、声に出して繰り返しながら、
悪魔の騎士は雨の降りそそぐ闇の中を、ひたすらに駆け抜けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます