EPISODEⅧ - God
EPISODEⅧ - God
第一〇八回講演会
今回の講演会では、教祖様は終始、興奮なさっていた。毎回、世界の真の道理を、美しき御言葉で僕ら信者に説いて下さっていたのだが、今回はいつもの雰囲気と違っていた。何か、いつも以上に神々しく、言葉の一つひとつが直接的だったのだ。
教祖様は常々仰っていた。この世には絶対の平和は無いのである、と。何故ならば、この世に生ける全ての生命にとって平和は同一の定義で捉えられないからだ。
戦争は倫理的に悪であるとされている。しかし生命の重さが等しいならば、必ずしもそうは言えないそうだ。教祖様はこう仰っていた。
「戦争で失われた命がある。しかし、戦争をしなかったために失われた命もある。前者は多数派で後者は少数派であるが、その命の重みは等しく尊い」
平和とは何だろう。命の重さとは何だろう。教祖様は今回、その答を授けると仰った。しかし、何故かその場では答は教えて頂けなかった。
不思議なことに、僕らのような一般人でも、近いうちに身をもってその答を悟ることになるそうだ。
教祖様はこう仰った。「今回の集会に出席し私の瞳を見た者には、既にその権利が私から与えられ、後に君たちがその権利を更に全世界に発信するのだ」と。
僕は教祖様に尋ねた。答を知るとは具体的にどのようなことなのですか、と。教祖様は空を見ながら、厳かに以下のような主旨の御言葉を仰せになった。
「強いて言うならば、それは第二の誕生だ。自分の歴史を遡り、かつて生まれ落ちたその瞬間を目にする時、君たちは生れ変わる。私もまだ歴史を遡っている途中なのだ。だが、神は私に確かに言った。私が生命の再興の起因になるのだ、と」
なんと、教祖様は神の御言葉を直接聴いたと仰るのだ。教祖様は最後にこう付け加えた。
「神に選ばれる予兆は、時の逆行だ。君たちも神に選ばれることを願っている」
教祖様はその言葉を最後に、会場を去ってしまった。そして今回の講演会は閉会した。
僕のような人間でも、教祖様が仰ったように神に選ばれることがあるのだろうか。
教祖様の御言葉の内容があまりに神秘的だったからか、今日はやけに瞳の奥が熱く、胸が高鳴っている。どうしても、神に選ばれることを期待せずにはいられない。
徳永悟の勉強机の前で、田中は絶句していた。その手には革のノートが握られている。
徳永悟が残した最後の日記の内容は、あまりに衝撃的だった。彼の書いたことが事実ならば、リワインド症候群の最初の発症者は徳永悟ではなく、蒼天真理会の教祖ということになる。
日記に書かれた教祖の言葉はそのほとんどが抽象的表現で、一見すると意味不明な内容に思える。しかし、リワインド症候群とリバイバル現象に関してある程度の知識を持った人間が見れば、話は変わってくる。
教祖の言葉は、明らかにリワインド症候群とリバイバル現象によって変わり行く未来を指し示している。
教祖は「人間」と「動物」という言葉こそ直接的に使っていないが、明らかに生命の平等性を述べている。そして、二つの現象に関わるキーワードを使っている。「歴史を遡る」「生命の再興」「時の逆行」などだ。
そして特に存在感のある言葉なのは「第二の誕生」と「生れ変わる」という表現である。自分の歴史を遡るならば、最後に辿り着くのは自らの誕生の瞬間である。そして、その「第二」の誕生は新たな生命として地球に蘇る。教祖は世界に広まっている噂のように、リワインド症候群とリバイバル現象を関連付けて捉えているのだ。
田中は教祖の予言的な発言に悪寒を感じていた。直接彼の言葉を聞いた訳ではないというのに、心の奥底から畏怖に近い感情が湧き出てくる。
蒼天真理会の教祖は明らかに人智を超えた能力を行使している。彼が常時そのカリスマを持っていたのか、日記に書かれた会議の時にだけ「神の賜物」と呼ばれるような力を得ていたに過ぎないのかは、彼女には判断できなかった。
……それにしても、妙だ。
田中は違和感を覚えていた。彼女が畏怖するに至った根本的な理由は、蒼天真理会の教祖が、絶対に知り得ず、それどころか予想することすらできないであろう事を事件の発覚前に知っていたからである。
『教祖様はこう仰った。「今回の集会に出席し私の瞳を見た者には、既にその権利が私から与えられ、後に君たちがその権利を更に全世界に発信するのだ」と。』
この記述はリワインド症候群が視覚を通じて人から人に伝染することを、教祖が既に知っていたことを示している。
しかし、記録上最初に発症して病院に送られたのは徳永悟であり、その日は講演会が開かれた日よりも後なのだ。仮に徳永悟よりも早く発症した者がいて、その者と教祖が会ったとしても、その時点でリワインド症候群が視覚を介して感染するものだと気付くことはまずあり得ない。
……教祖は、何故リワインド症候群の性質を知っていたのだろう。
そして、謎はもう一つ存在した。おそらく、教祖はリワインド症候群の最初の発症者であろう。ならば、教祖自身は一体どこからリワインド症候群を受容したのか。
「……あっ」
田中は、教祖が言った発言のある部分を思い出し、再び徳永悟の記録を見た。
……あった。この記述だ。
『神は私に確かに言った。私が生命の再興の起因になるのだ、と』
……そうだ。そもそも、彼は自らが起因であると言っていたではないか。つまり、リワインド症候群の起源は教祖自身だというのだ。
そして、教祖は蒼天真理会の講演会に集まった信者に、リワインド症候群の症状を伝染させた。
田中は、蒼天真理会の講演会に何人の人間が集まるのか知らない。しかし、全国から数百もの信者が集まることは容易に予想が付く。全国から集まった信者は、リワインド症候群の症状を受け取り、それぞれの住まう地方に帰って行く。そこからあの悲惨な事件が幕を開けたのだ。
だが、そこには教祖の陰謀があったという訳ではなさそうである。
教祖はその言葉の端々に「神」という単語を使っている。
まるで、リワインド症候群の種と、その性質の知識を、神から授かったとでも言うように。
「まさか……神の仕業だとでも言うの……?」
気付くと、彼女は疑問を口に出していた。その声は部屋の中で微かに反響し、やがて行き場を失い消えていった。
田中は徳永悟のノートを持って部屋を出た。もう、この部屋には何も無いように思えた。それに、この土地から伝わる瘴気のような邪気が濃くなったかのような気がしてならなかったのだ。
早くこの家を出たい、と田中は切願していた。
しかし階段の傍の窓からの光景を見て、田中は立ち止まってしまった。
「……な……に、これ……」
窓の外では、大量の烏が空中を舞っていた。団地に張り巡らせられた電線にも隙間なく烏が止まっている。しかも、全ての烏が彼女の方を向いていたのだ。
田中は思わず身震いした。視界いっぱいに存在する漆黒の鳥がこちらを見ている。
烏たちは皆、同じ目をしていた。人間を嘲笑うような瞳。人間を怨むような瞳。人間に呆れるような瞳。
そして、彼等の目は呪いの言葉を、田中の脳内に投げかけてきた。
ニンゲンハ、ココカラデテイケ!
彼女の脳内にその言葉が響き渡ると、烏たちは激しい羽音を立てて一斉に飛び立った。数百もの烏たちが渦を巻くようにして天に翔ていく。それは黒く染められた竜巻のようだった。
田中は、烏が消えてからもしばらくの間、立ちすくんでいた。
ニンゲンハ、ココカラデテイケ!
烏たちの声、否、動物たちの人間への叫びが未だ頭から離れなかった。彼らの言う「ココ」とは、いったいどこなのだろう。田中には、その指示語が「徳永家」を意味するのか、「団地」を意味するのか、あるいは「地球」を意味するのか、判断できなかった。ただその言葉は妙にリアルに脳内で再生され、闇に満ちたオラクルを得た心地がした。
早くその場を離れたいという気持ちと裏腹に、田中がようやく気を落ち着かせ徳永家を出たのは、三十分程後のことだった。
帰りのタクシーの中で、田中は蒼天真理会の教祖が言ったという言葉を再度考えていた。
『神は私に確かに言った』
仮に、神と呼ばれる超自然的な存在が、二つの現象――リワインド症候群とリバイバル現象の背後にあるならば、地球で引き起こされた全ての事象はどう再考できるのか。
もしも神がいるならば、神は何故、リワインド症候群を地球に広めたのだろう。
田中は神の目線で地球と人類を見つめ直した。自分が地球の管理者だったら、人類をどう見るだろう。
……独裁者。
彼女の脳内に浮かんだ言葉は「独裁」だった。人類は自らの繁栄と安泰と娯楽のために他の種を脅かしている。
しかし、リワインド症候群とリバイバル現象によって変わりつつある宗教観は、「人の為の神」を「全生命の為の神」に転換しようとしている。
……そうか、人類は地球から排除されるべきだと審判されたんだ。
ようやく、田中は気付いた。リワインド症候群は人類を抹殺するために発生したのだ、と。そして、蒼天真理会の教祖はそれを広める役目を受けた。
……だけど、だったら何故、人類は生き残ったのだろう。
田中は思考した。人類があの受難を乗り越えられたことの意味を。
「…………最後のチャンス……か」
タクシーの中、運転手に聞こえないような小さな声でそう呟いた。
……人類は己を律するチャンスをもらったのね。
田中は結論に至った。
人類は今まで、自分の傲慢に気付かなかった。しかしリワインド症候群とリバイバル現象が広まり、認知されることで、人々は人類がどれだけエゴイスティックであったかということに関心を持ち始めている。
人類が生き残ったのは、尊い被害をもってして、罪を認めるためだ。そして、その罪を再び繰り返さないように意識を改革するチャンスを与えるためだ。
田中は特定の宗教を信じているわけではなかった。しかし、今回の一連の事件には、人智を超えた力が働いている気がしてならない。
これからも、人類は歴史を刻んでいく。この先もしも、再び人類が自分本位に地球を支配するようなことがあったら、次元を超えた管理者は、人類にどのような審判を下すだろう。そのときは、今度こそ人類は滅んでしまうのだろうか。滅ぼされ、この星に真の「平和」が訪れるのだろうか。
そんな考えを巡らしていると、窓から車内に差し込む太陽の光が、天から地球を監視する視線のようにも思えた。
人類は共存する力を築かなくてはいけない。人が消えなくても、「平和」である地球を創らなくてはならない。
田中はそのためにも、渡部秀真と協力して、現代の『聖書』を完成させることを決意した。それが人類の未来に繋がると信じて。
人類が、その目に未来を映すことができると、信じて。
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