EPISODEⅦ - Origin
EPISODEⅦ - Origin
その住宅団地は、酷く廃れたイメージを漂わせていた。まだ昼間で、太陽光も住宅の隙間から多分に差し込んでいたが、人は少なく、まるで廃墟のようだった。もっとも、多くは実際に廃墟と化してしまっているだろう。この団地では二年前にリワインド症候群の惨劇があったはずだからだ。人が少ないのも、そのせいかもしれない。
田中涼子は大通りから団地内に入ったときから、背筋に僅かな寒気を感じていた。まるでそこに、凶悪な怪物が潜んでいるかのような、見えない影が住宅団地を覆っていた。
彼女は団地の近くまではタクシーで来たのだが、そこからは自分の足で目的地まで出向くことにしていた。ピリピリとした異形なムードが、肌を直接撫でる。
……きっと、何かある。
田中は心の内で確信していた。
しばらく歩くと、目的の家が見えてきた。記録上最初の発症者である高校生、徳永悟の住居だ。
徳永家は今、遠縁の親戚によって管理されている。しかし実際のところ、その家の鍵を持っているというだけで、管理はなされていない。親戚だという彼らも、リワインド症候群の発症者が出た家には来たくないようだ。
徳永家の調査は、比較的スムーズに許可が出た。被害者徳永悟の肉親はみな、リワインド症候群で死亡してしまい、管理権が委託された親戚も、徳永家にほとんど関心を持っていなかった。親戚間の関係は希薄で、どうも良好というわけではなかったようだ。
田中は、徳永家の前までやって来た。すると、住宅団地を覆っていた影の正体が解ったような心地がした。
それは死だ。死の冷たさ。死の寂寞観。この場所には死が浸透している。
……そうか、沢山の人が死んでしまったんだ。
死に囲まれた家々、そしてそれに包まれて実感する生の感覚。彼女は自分が生きてここにいるということを再認識した。
家の中に入ると、埃の臭いが僅かに鼻孔を刺激した。玄関にはすり硝子の窓がある。そこから太陽光が差し、玄関は比較的明るい。舞い上がる埃の粒子が細やかに輝いていた。
玄関からは西に向かって廊下が続き奥の方で左に曲がっている。南にはキッチンがあり、キッチンの西にはリビングがあり、部屋の奥が先ほどの廊下と繋がっている。一階の全ての部屋を確認すると、徳永悟が日頃使用していた部屋は二階にありそうだという結論に至った。階段は玄関に繋がっている。
ギシリと階段の軋む音を聞きながら二階に上がると、そこには四つの部屋があった。寝室、ウォークインクローゼット、トイレ、そして徳永悟の部屋。田中は徳永悟の部屋をすぐに認識できた。ドアに「SATORU」と書かれた札が下がっていたのだ。
ドアを開けると、徳永悟の部屋は六畳程の部屋だった。学習机と椅子、そして巨大な本棚。彼の部屋は主にそれらで構成されていた。
入口近くに置かれていたのは本棚だ。
本棚には太宰治や芥川龍之介、坂口安吾、梶井基次郎の小説が整頓して並べられている。田中は何となくその内の一冊、『梶井基次郎全集』を手に取った。すると、相当読み込んであったのか、短編『檸檬』のページが自然と開かれた。
……青年の悩みを描いた作品『檸檬』。徳永悟もまた、そのような悩みを抱えていたのだろうか。
田中はそんなことを思いながら、本を閉じて棚に戻した。
二年間使用されていないということを除けば、部屋は比較的綺麗だった。薄く積もった埃を払えば、すぐにでも使えるようになるだろう。
しかし、田中には今更掃除をする気もなく、埃の少ない場所から調べることにした。
最初に目に付いたのは学習机の引き出しだった。
引き出しを開けてみると、B5判程度のサイズで白い革のカバーが付いたノートが一冊だけしまわれていた。表紙には黒い文字でこう書かれている。
「蒼天真理会」
田中はそれが何なのか知っていた。蒼天真理会は新興宗教団体である。リワインド症候群が世に知れる直前、月に一度の定例講演会の直後、教祖が失踪して一騒動あった団体だ。彼女の知る限りでは、蒼天真理会の信者は、誰一人教祖の失踪に慌てなかったらしい。まるで、失踪することが分かっていたかのように。
ノートの表紙をめくると、会員証のようなカードが挟まれていた。
会員番号 2010 番
氏名 徳永悟
年齢 17歳
どうやら、徳永悟は蒼天真理会の会員、つまり信者であったようだ。
革のノートは、信者皆に配布されるもののようだ。
パラパラとページが捲れる音を立てながら、ノートの中を覗き見ていくと、六十ページ程ありそうなノートの三分の一近くまで文字が書かれていた。内容は、ある種の日記だった。蒼天真理会は月に一度、教祖による講演会を開く。ノートにはその講演会の様子が記録されていた。
田中はノートに書かれた最後の日記を読むことにした。教祖が失踪する直前、そして徳永悟がリワインド症候群を発症する直前の講演会の様子が書かれた日記だ。何か重要なことが書かれているかもしれない。
田中は『第一〇八回講演会』と題の振られたページを開いた。
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