第2話 推敲後。

 少女によって放り投げられた小柄な男の姿は、スローモーションではっきりと認識できていた。

 そしてあたしは、不意に直感する。この男が絶命する様を。


 あれ? 待って。この男って、もしかして。


 なにかが頭の中で噛み合っていく。


 霧の街で相次ぐ【切り裂き魔】による事件。

 伯爵令嬢エレアノールが滞在する屋敷の裏で起こる事件。

 エレアノールのメイドに【タマラ】という名の少女。


 ひょっとして、あたしは【知っている】の?


 まもなく男は、伯爵邸を守る柵の先端に貫かれて痙攣し、動かなくなる。

 それを見届けて、あたし――タマラははっきりと思い出していた。


 あ。やばい。これ、確実にやっちゃったな。


 殺してしまった――という罪を感じての感想ではない。なぜなら、襲ってきたのは男のほうだもの。殺意を抱いて狙ってきたのは相手なのだから、過剰防衛だと指さされようがあたしは悪くない。


 うん。あたしは、絶対に悪くない。


 数分前からの出来事を思い返し、どう考えても無罪だと自分に言い聞かせる。

 自然と胸に抱えた荷物をぎゅっと抱きしめた。平静を保つために。


 いや、しかし……やっぱりまずいよね?


 ここはとりあえず現場を離れて無関係を装っておこうと決める。【話】がよじれると、取り返しがつかない。

 あたしはそう考えてはいるが、自分が思い出した情報がこの世界の真実であれば、もうすでに修復不可能な事態に陥っていることも理解していた。

 【物語】を正しい流れにするために【タマラ】がすべき行動は自明だったのだが、今の自分はそうしたいとは全く思えない。ゆえにその方法は却下である。


 人に見られる前に、一刻も早く立ち去らなきゃ。


 遠回りになるとわかっていても、タマラは来た道を戻ることにした。どうせこの深い霧の中では目撃者はいないだろう。かなりの早足で、すたすたと進む。


 いやいやいや、でもどうするよ、これ……


 次から次へと【前世の記憶】と【この世界の情報】が【タマラの記憶】に追加されていく。

 鼓動がどんどんとはやくなり、汗がふきだしてくるのは、なにも駆け足気味に歩いているからだけではない。

 この世界でのタマラがどんな運命をたどるはずだったのか、それが意識から消えてくれないからだ。



 ねえ、神様。あたし、ここで死ぬはずだったんでしょ?



 これが、霧の街で恐れられていた【切り裂き魔】の最期だと判明するのは、もっと先の未来のことである――



 *****



「――本当にタマラが無事でよかったわ」


 いつもどおりに訪れる穏やかな紅茶の時間。

 それこそいつもどおりに紅茶とお菓子を用意したメイドのあたしに、主人であるエレアノールは優雅に微笑みながら声をかけてくれた。


 いつ見ても麗しいです、お嬢様。


 エレアノールこそが本来の物語の主人公だ。ふわふわの金髪に宝石みたいにキラキラとした青い瞳、磁器のように白くてなめらかな肌を持つ、お人形みたいな美少女。外見も身分も申し分ない十七歳の伯爵令嬢――それがエレアノールだ。

 一方、あたしことタマラは孤児院出身で親の顔は知らない。慈善活動で孤児院に訪れていたエレアノールに住み込みのメイドとして雇われた身である。

 縮れぎみの赤毛が特徴で、白い肌ではあるがそこかしこにそばかすが散っている。緑色の瞳は大きくて童顔なのだが、年齢は十七か十八くらいなので立派な成人だ。その証拠に、華奢ですらっとした長身でありながら胸は大きい。


「ありがとうございます。まさか、あたしが出かけている間にあのような凄惨な事件が起きているだなんて想像していませんでした」


 あたしは澄ました顔をして嘘をつく。


 夜間の警備で死体が見つかり、明け方に警察が訪ねてきたのだ。

 変な音や声はなかったか、この屋敷で妙なことは起きていなかったか、亡くなった人は知人や友人ではなかったか――などなど、いろいろ情報を収集して去っていったらしい。

 あたしは寝ていて知らなかったので、お嬢様が後から教えてくれた。


 いやー、夢だったらよかったんですけどね。


 同僚や上司たちからも朝の騒ぎについて話題にしていたので、事件は真実だったのだろう。


「ねえねえ、タマラ? やっぱり例の事件に関係しているのかしら?」


 例の事件というのは、新聞記事にもなった【切り裂き魔の事件】のことだ。霧の街とも呼ばれているこの都市で、おそらくもっとも熱い話題だろう。すでに三人が惨たらしく殺害されている。

 夕暮れで霧が紅く染まる頃のひと気のない通りに犯人は現れる。犯人に出会ってしまった被害者はみな腹を裂かれ、そこら中におびただしい血液をばら撒くようにされて亡くなっている。

 ゴシップ誌も食いついて派手に書き連ねているからか、あらゆる階級の市民の間で【切り裂き魔】について囁かれているほどだ。


 事件について語るエレアノールの瞳はキラキラと輝いていた。


 正直、いい趣味だとは思えないけど、そういう物語だもんねえ……


 このお嬢様、つまりは推理小説の探偵役なのである。

 さらに説明を付け加えるなら、タマラが死ぬことで【切り裂き魔】と接点ができ、事件の真相に近づいていくという役どころ――だった。


 だって、あたしは生き延びちゃったし、肝心の【切り裂き魔】は絶命しちゃったし、もう事件は起きないものね……どうするのよ、これ。


 あたしは必死に思い出す。

 この物語はエレアノールを主役に、【切り裂き魔】と対峙しながら彼女自身の恋も進行していくラブミステリーだ。物語の終盤、エレアノール自身も狙われて、ヒーローが間一髪のところで救い出し、一緒に犯人を追い詰めて捕まえるという筋書き。


 その筋書き、あたしがうっかり白紙にしちゃいましたけどね!


 さてさてどうしたものか。

 【切り裂き魔】への興味はまだ継続中であるが、これ以上事件が起きないとなればエレアノール自身の恋は発展しないし、そもそもヒーローとの出会いのシーンがなくなってしまう。


 いやー、あたし的にはあのヒーローはナシだから、いなくてもよくね?


 前世で読んでいた物語において、エレアノールの相手として用意されたヒーローがずいぶんとポンコツだったことを思い出してしまった。

 主役を食ってしまうような活躍はご法度だとしても、現場は荒らすわ、エレアノールの足を引っ張るわ、死んだタマラを侮辱するわ、ラスト間近での活躍以外でいい印象はさっぱりない。


 よし、切り裂き魔事件はこれで終わったことにしよう。


 あたしは言葉を慎重に選ぶ。事件への興味が失せる方向にシフトだ。


「まあ、そうですね……聞いた話ですと手口が違うようですし、無関係ではないでしょうか?」

「これまでとおんなじように血がブシャーって感じだったって聞いてるけど?」


 確かに出血は多かったわね……


 死んだのは切り裂き魔だが、あんな最期を迎えなくてもよかったのではなかろうか。


 いやいや、同情の余地なしよね。あたしの前世の最期と同じように迫って来たのが悪いのよ。これはリベンジよ、リベンジ。


 前世にて、あたしはアクション女優をやっていた。さまざまな武術を経験し、実際強かった。

 だがあの日。あたしは酔っていたこともあって、襲われてもすぐに反応できなかった。手加減しないとまずいだなんて思考がちらついてしまったのが油断を招いたのだと思う。

 享年二十九歳。まだまだ恋も仕事も頑張りたかった。あの犯人が捕まったのかどうかが気がかりではあるが、この世界に転生してしまったから知りようはない。


 あの犯人が切り裂き魔に転生していたなら、ほんと、ザマァなんだけどね。手口も似てたし。


 食いつきのいいお嬢様をたしなめるように、あたしは苦笑した。


「そうですね……それでも、違う気がします。ただのカンですけど」


 とりあえず、【切り裂き魔】のことは忘れて欲しい。時間が経てば、【切り裂き魔】の事件は風化されて徐々に忘れ去られていくはずだ。

 それに、このお嬢様に血なまぐさい事件をひもとく探偵なんて似合わない。彼女にはもっと、素敵な恋物語の主人公がふさわしいだろう。


 否定されてつまらないのか、彼女は頬をふくらませていた。


「事件のことよりも、領地に帰る支度について考えてください。本格的な冬になる前に戻る約束でしょう?」


 あたしが知る物語では、領地に帰る時期が遅れるために事件に巻き込まれる。遅れた理由はタマラの死が関連していたので、そのイベントがなくなった今、例年通りに霧の街の外に出るはずだ。


 領地に戻ったらあのヒーローにも会わないものね。一石二鳥じゃない。あとは、どんな人とエレアノールをくっつけるか……ね。


 物語の詳細もかなり細かな部分まで覚えている。物語に関係している人物のことであれば、今のタマラ以上の情報を得ていた。うまく使えば、エレアノールにとっての良縁を見つけられるかもしれない。


「ええー、領地は退屈なんですもの。ここに残りたいわ。事件の結末も見届けたいです!」

「なにをおっしゃいますか、お嬢様。ここは危険と隣り合わせです。領地は静かでいい場所ですよ」

「むー」


 エレアノールには仕事を与えてくれた恩がある。だから彼女には幸せになってほしいのだ。


 前世でも、エレアノール様のファンだったから、なおさら、ね。





 物語では次の事件が起きているはずの日も無事に過ぎた。

 平穏な日々が続いていくものだと安堵した矢先、まさかあの人が訪ねてくることになろうとは――

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うっかり犯人をヤッてしまいまして。【初稿と推敲後を比較検討する】 一花カナウ・ただふみ @tadafumi

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