第30話

 

 リュートにとって初めてとなった徒歩かちでの旅は、 昼下がりの休憩を挟んだ後も恙無つつがなく進み……日没を待たずして両親たちの待つ野営地へと到着を果たし、 初日の行程を終えた。


 隣町のアドルードまでの道のりを十としたならば、 その内の三割から四割。 更に、 現在地を登山で表現したならば六合目の辺りまでたどり着いたと言えるだろう。 ちなみにだが、 アルバレアの首都である公都までの道のりに関して言えば、 トゥールーズからでは峠越えを含めたとしても馬車に揺られて凡そ一週間と言った所である。


 野営地と言っても峠道の最中にあるそれは、 田舎の道路でよく見る待避所――車同士が行き違う為の空間――の様にただ山肌を他所よりも広く、 そして平らに削っただけのものであり。 本来は地面に焚火の痕跡が僅かにある程度の、 何も無い空間でしか無いのだが。


「……分かってはいたが、 特に問題無かったようだな 」


「うふふ、 当たり前じゃないの 」


 本来は、 と言う事は現在はそうで無い訳で。


 リュートとスウェントが両親へと追いついた時には既に、 彼らは二人用のテントをガッツリと展開するばかりか……明らかにそれ用に設計された焚火台の上にポットを掲げ、 小型の折りたたみ椅子に腰を下ろして何とも優雅な夕食前の一服を楽しんでいた。


「うーん、 自分でも思ったより歩けたと思う……ね? 」


「ふふっ、 そうだね 」


 ラグナの口調と落ち着いた空気から、 真剣に問われている訳では無い事を理解しながらも。 リュートは念の為と言った形で軽快な足さばきを披露して見せる事で心配は不要と言外でも主張し、 スウェントも言葉少ないながらも間髪入れずに同意してみせた。


 実の所、 この二年でリュートはかなりの厳しい訓練をやり遂げていたので……仮に二、 三日ぶっ続けで動き通した所で音を上げる様なやわな鍛え方はしていないのだが。


 誰よりも率先してリュートの訓練に心血を注いでいたのがラグナであり。 そのラグナからの分かり切ってはいながらも親心からこぼれ出た問いかけが、 アリアとスウェントの笑いを誘う。


「……しっかし、 こんな丸見えの場所で野営すんの? 」


 二人の含み笑いの理由を感じ取ったのか。 リュートの口から出たのは、 自分から耳目じもくを逸らしながらもこの場においては無視もし難い内容の質問であった。 こう言ったやり取りの中で、 露骨な話題の転換に走らない辺りは転生者の面目躍如と言えばそうなのだが……見る人によっては子供らしく無い、 或いは奇異を通り越して不気味にすら思えるかもしれない。


 もっとも、 とっくの昔にリュートの事を――転生を含めて――個として尊重している家族からして見れば、 如才じょさいが無い事は頼もしく誇らしいだけに過ぎないのだが。





 さて、 現代社会における野営キャンプと言えば野外アウトドアにおける活動の一つとして――つまりは趣味として――広く認知されているが、 ここグランディニアの大地ではそうはいかない。


 大陸歴が始まる以前――連合王国成立前――のグランディニアでは、 人類が魔物に追いやられ大陸内に各種族の集落が点在しているに過ぎなかった。


 それぞれの地域にて――比較的に――安全と思える場所に集落を築き、 身を寄せ合ってささやかな暮らしを守るのが精一杯であり。 日本史における江戸時代に栄えた宿場町の様な、 出発地点と目的地の中間と言う“丁度良い位置”に拠点を築く事など夢のまた夢であった。


 つまり、 最寄りの町や村へ向かうのでさえも野営が必須であったのである。


 交易を目論む人々は、 その際に扱う品目以外は水や食料等の最低限の必需品しか持ち歩かない。 この“ガチ野営”の流れに一石――と呼ぶには余りにも大きな――を投じたのが他でも無い、 連合王国設立者にして大陸の歴史が千年の時を数えた今でさえ、 稀代の名君と称えられる初代国王――通称“初代様”――である。


 彼が後のキクシュタル王国・王都となる土地に鎮座ちんざしていた地下巨大迷宮ダンジョンから発掘に成功したギルドカード作成機と、 そこにインベントリなる亜空間を付与――しかも恒久的に――する技術を持ち帰った事が、 グランディニアにおける野営事情をそれ以前と比較してまさに一変させた。


 インベントリとは、 ギルドカードに付与された個人専用の“何処かにあれど此処にはない”、 いわゆる亜空間の事である。 個人の資質や身分を問わず、 最低限でも一立法メートルの空間内において内部の重量を約百分の一にすると言うその効果・効力は破格の一言に尽きる。


 ギルドの発足に伴った形で導入されたギルドカードは、 当初は懐疑的な目で見られていたが……主にインベントリの性能からなるその有用性が認知され始めると、 王国中で爆発的に普及した。


 一般的な行商における重い荷物――水や金属、 そして魔物の死骸――の重量の軽減に成功し、 隊商キャラバンに属さない個人単位での行商を可能として交易の活性化を果たした事実だけを以ってしてもインベントリそのものや、 それを発見し運用してみせた初代国王の功績を称えても余りあるものであるのだが。


 それと同等の評価を得ている、 或いは一種の歴史的転換点と言われているのが隊商内におけるQOJ――Quality Of Journey――即ち、 旅先或いは道中での生活水準の向上である。


 当初、 常日頃取り扱っていた品目の重量が突如として軽減された隊商に属していた面々は、 より多くの交易品を運搬する事によって更なる利益を得ようと試みた。 しかし、 その目論みは泡沫うたかたのものへと還る。 その理由は至極単純なもので、 交易相手の側が急な物流件数や量の増加に対応しきれなかったのだ。


 そうした事態に直面した隊商側がとった行動が、 野営時の食事事情の改善や野営環境そのものの充実化であった。


 そこに至った経緯には、 もしかすると思うように進まない商売に対して不満を抱えた隊商内の面々を懐柔する目的があったのかもしれない。


 初代国王がどこまで考えてギルドカードやインベントリを――ギルドに加入する義務はあれど――民衆へと開示したかどうかは、 記録には何も残っていないが……それによって今までは魔物によって生存圏を圧迫され、 その日その日と言った一日を生き抜く事だけで精一杯だった人々の視点を、 生活水準の向上と言ったに押し上げた点は今でも語り継がれる彼の輝かしい功績にいろどりを加えている。


 兎も角、 隊商に属する面々を皮切りにしてグランディニアの野営事情は、 実利と趣味を兼ね備えたものへと変貌を遂げたのである。


 教科書的な物言いをするとすれば、 この時を以ってしてグランディニアの野営文化が花開いた……と言えるのであろう。 回りくどい説明になってしまったが、 要はグランディニアでは冒険者や行商人を始めとした野営に一家言いっかごんある人々が多く存在すると言う話である。





 先ほどのリュートの問い――野営場所の選定に関する是非――に対する回答は、 三者ともに同じ物であったのだが。 やはり弟への説明役を任されたのは、 兄であるスウェントであった。


「場所で言うならここが最善ベストかな。 ある程度の広さが無いと、 魔物が出たら話にならないし 」


「あ、 やっぱそれが一番なんだ? 」


むしろ戦闘を考えないって状況なら、 普通に宿に泊まってるかな 」


「あぁ、 なるほどね 」


 神界にて散々しごかれたと言ってもその内容は殆どが戦闘面に偏っており。 こう言った生活方面の知識に関しては、 リュートが幾ら転生者だと言ってもまだまだ勉学の最中にあった。


 今回のケースで言えば、 飛竜山脈の起伏がなだらかな部分を縫うようにして歩いている訳だが。 直接山頂方向を目指すルートで無いにせよ、 山道である以上は高度が上がれば上がる程に徐々に足場は狭く、 そして悪くなる傾向にある。


 完全に人間側の支配下に有るわけでは無いとは言え、 人の往来がある程度見込める場所では魔物の領域――飛竜山脈の東側や南部大森林――と比較した場合、 魔物の出現率はそれ程高くなかったりするのだが。 それでも偶発的な戦闘の可能性を常に頭に入れて、 少しでも自分達が有利に動ける地点で休息を挟むと言うのはグランディニアにおいては極々ごくごく一般的な考え方である。


 最も、 今回のそれは“あくまで普通に旅をするのならば”と言った注釈が付く。


 冒険者として最高峰の地位にある証である、 ランクAを持つラグナとアリアの二人が居れば二十年前なら兎も角……魔物の討伐が滞りなく行えている、 現在のこの付近でリュート達が危機に陥る事などそうそう無い。


 実際の所、 二年間の一件では彼らは三日三晩と言う短時間で公都からトゥールーズまでの帰還を果たしているのだ。 無論、 そこには鍛えられた軍馬の存在や熟練した乗馬技術や強行軍に対する慣れ等と言った様々な要素が加味されてはいるが。


「じゃあリュート、 周囲の警戒をお願いね 」


「了解、 了解っと 」


 時折こちらへと視線を向けつつも、 何やら楽し気に談笑する両親を視界に入れながら。 背嚢はいのうを地面へと降ろしたリュートは、 ゆっくりと肩を回して調子を確かめた後にスウェントとの距離を詰めた所で……驚きを押し殺した小さな声をあげた。


「……へぇ、 こうなってんだ 」


 既にスウェントのインベントリから取り出されつつあったそれは、 両親達の背後にある一般的な――リュートの知識にもある――テントとは違い……何やら無骨なフォルムを誇り、 一見すると馬上槍の様にも見える。


「ふふっ 」


「……ちぇっ 」


 基本的に家族の前では取り乱す事の少ないリュートの驚いた表情が見られて上機嫌なスウェントの顔の後方に、 揃って口元を抑える両親の姿を確認したリュートは悔しさから一瞬だけ顔をしかめるものの。 直ぐに切り替えて改めてこれからしばらく世話になる、 自分達のに目を向ける。


 迷彩色と言う程では無いものの、 所々に淡い色が混じった土色の布をまとったそれはリュートにとって最近見慣れて来た大鎌と同程度の長さを有しており。 インベントリに入れる以上、 かさを抑える為に不可欠な革紐をほどいた後は、 ビーチパラソルと言うよりは狩猟ゲームにでも出てきそうな堂々とした風貌ふうぼうと相成った。

 

「ちょっとリュートっ! 早くそっち持って!! 」


「……ごめんごめん。 あ、 意外と重いね、 これ 」


 リュートが余りにもまじまじと見つめていた為に、 一人で重たいテントを支える運びとなってしまい……結果として先端を地面に落としてしまったスウェントからの叱責が飛ぶ。


 二人で扱う――泊まる――サイズとは言え、 とある理由からかなりの重量を誇るそれを純魔術師ピュア・メイジである後衛職のスウェントに一人で持たせると言うのは、 旅慣れた冒険者からすれば“何やってんだ”と呆れられる行動ではある。 更に言えば、 槍ならば兎も角これはテントであるので、 先端側を地面に着けてしまうと広げた際に土が上から落ちてきてしまうのだ。


 もっとも、 スウェントが叫んだ本当の理由は、 自分達の背後で見守る保護者達に情けない姿をいつまでも見せたくないと言った部分の方がより比重を占めていたのだが。


「はぁ……我が魔を用いて槍となり、 深く抉れ。 水槍<ウォーターランス> 」


 何とかリュートに先端側を預ける事に成功したスウェントはテントの土台側を地面にそっと寝かせると少しだけ息を整えた後、 おもむろに地面の一点に向けて魔術を打ち込み始めた。


 その一方で、 ほぼ等身大のテントを一人肩に担いだリュートと言えば……特に何もせず。 一本ずつ地面に刺さっては砕ける、 と言うよりは土に吸い込まれて消えていくといった具合の水の槍をただぼんやりと眺めていた。 その表情には何かをこらえている者が浮かべる特有のものは、 一切見当たらない。


「……日常から感じる不思議ファンタジーって所かな 」


 誰に届けるでも無く、 ポツリとリュートの口から零れた言葉が本心である事に間違いは無い。


 リュートが保有する武器に関する戦闘系スキルは幾つかある。 まずは基礎スキルとも言われる【鎌】。 そしてその発展先である【片手鎌】に【鎖鎌】、 最後が最終系とも呼ばれる【大鎌】である。 そして、 扱える武器は鎌系統しか無いもののスキルの数だけ≪筋力≫値に補正が掛かっている。


 勿論、 強化された≪筋力≫が発揮されるのは該当する武器を振るった時に限られてはいるのだが……【杖】しか武器スキルを持たないスウェントよりも【鎌】に関するスキルを幾つか持ち、 【大鎌】と言う最終系まで鍛えたリュートの方が≪筋力≫を始めとした身体能力に関しては優れているのである。


 今はまだ身体が完成していない為、 リュートと同様に【大剣】と言う剣系統の最終系まで保有するラグナには到底及ばないが、 それが成った際にはどれだけの力を発揮しうるのか……楽しみで楽しみで仕方が無い故に、 ラグナは熱を入れてリュートを鍛えているのである。 ただ全力で打ち合う事が出来る相手が欲しいだけとも言えるが。


「スウェント兄さん、 俺も手伝う? 」


「……それ、 本気で言ってる? 」


 前衛と後衛と言った立ち位置の違いはあれどリュートと同等の激しい戦闘訓練をトゥールーズで受けて来たスウェントが成すには、 余りにも丁寧な……まるで魔術を習いたての子供が行うそれに流石に飽きを感じ始めたリュートの口から思わず零れた一言は、 器用に片方の眉だけをひそめたスウェントに切って落とされた。


「いや、 だってやる事無いし 」


「はぁ、 リュートに戦闘以外で魔力を使わせる訳ないでしょ? 」


 グランディニア大陸の冒険者の仕事は、 魔物を倒す事である。 街中の治安を維持する衛士、 馬に乗って街道を駆け抜け領内を巡る騎士と同様に戦闘能力が求められる事は周知の事実だが。 前者と冒険者の間にある大きな違いが、 その活動場所である。


 魔物の領域へと侵入する冒険者には様々な能力が求められるが、 犯罪者や領内に表れた魔物を追い払えば治安を維持できる彼等とは異なり。 冒険者は魔物を討伐し、 人類の領域まで持ち帰らなければならない。 人類の生存圏が圧迫されていた過去とは異なり、 ただ討伐するだけでは十分な評価や対価が得られないのである。


 それでいて、 人類にとって魔物は資源の一つと考えられているだけでは無く、 貴重な食肉の供給源ともみなされている。 魔物の存在が当たり前となっているグランディニア大陸において、 家畜――人類にとって有益かつ脅威でない存在――を飼育する難易度は、 それなりに高い。


 つまり、 手当たり次第に魔物を狩り尽くす事など許される筈も無く。 もしそのような行動をしようものならば、 自らが討伐される側に回る事になる。


 兎に角、 いかに効率よく戦う事を念頭に置いて行動する冒険者のでは、 安全圏ならともかく野営時に苦手な事を苦手とする人物に任せる事は、 訓練等の特殊な状況を除けば殆ど無いと言えた。


 母親譲りの端正な顔立ちと稲穂の様に輝く金髪を持ち、 常に思慮深く冷静に立ち振る舞うその姿から周囲に近寄りがたい印象を与えているスウェントではあるが。 公都に到着した後は別行動となるリュートに今の内にそう言った実践の場でしか得られない情報を出来るだけ伝えたいと考え、 実際に苦言を呈してまで行動するその胸の内には父親ラグナ長兄マガトと源を同じとする、 熱い物が流れているのである。


「だから、 リュートは周囲の警戒をって……はぁ 」


 飛竜山脈の一角に居るのにも関わらずやる気なく立ち尽くすリュートに向けて、 熱い想いを込めた眼差しを送るスウェントであったが。 そのリュートの視線が自分の後方へと、 しかも多分に呆れを含んで向けられている様子から振り返らずとも事態を察してそれはそれは深い、 肺にため込んだ空気を全て吐き出すような溜息ためいきをついた。


「はいあなた、 あ~ん! 」


「ふむ、 レイラの作る食事は確かに旨いが。 野外で食べるこれもまた、 格別だな 」


「あら、 それなら私は要らないって事? 」


「おいおい、 俺がお前以外と食事を共にした事があったか? 」


 問題はただ一点、 普段からトゥールーズと言う大陸でも指折りの魔境で暮らし。 更にここ数年で大陸中の何処でも有り得ない程の変貌をその身で味わった彼の家族からは冒険者の常識など、 すっぽりと抜け落ちてしまっている事だろう。


「マガト兄さん、 覚悟しておいた方が良いよ……トゥールーズウチはとんでも無い事になってるから 」


 二年前の事件の折にちらりと立ち寄って以降、 一度も故郷に帰らず事態の解明の為に公都で忙しくしているであろう兄に向けて、 声援とも言えない何かを送るスウェントの双眸そうぼうには……黄昏たそがれに染まる険しい山並みが広がっていた。




 

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