第16話

 春が近付いているとは言え、 根雪の残る飛竜山脈では依然として冷たい風が吹き抜ける。

 辺りは深い闇に包まれ、 夜行性の狼のものらしき遠吠えがどこか遠くで木霊する。


 人の出入りを拒むような……月の灯りを閉ざすように鬱蒼と繁った山林と、 その奥に見える険しい山々がこの場所の異常さを端的に表していた。

 いくら冒険者が刹那的な生き方を好むとは言え、 この時刻に狩りをする者など居ない。


 人間が文明の発展に際して、 火を手に入れた時からどれだけ時間が経とうとも……それはたとえ魔術を手に入れたとしても。

 魔物の跳梁跋扈ちょうりょうばっこするこの世界において、 夜の闇は決して人に取って味方とはならない。

 そんな闇の中をうごめく影から声が発せられた。


「総員、 傾注 」


 固く、 そして尖った……まるでけものが唸るように発せられた低い声に対して、 影達は頷く事で同意を示した。

 夜間の活動程度で恐怖を感じて声を発してしまわないくらいには、 訓練を積んだ集団のようだ。


「目標はこの先、 半里程行けば木製の門が見える。 その手前で散開、 家屋が見えたらフォンタナはアレ・・で火を放て 」


 リーダーとおぼしき男の言葉に、 フォンタナと呼ばれた男は今一度首を縦に振った。

 月明かりによって微かに映るその横顔は……若い、 ともすればリュートとそう変わらない年齢の少年のものであった。


 フォンタナを始め、 周囲の緊張を感じ取ったのかリーダーらしき男は先程から口調を一変させた。


「何、 緊張する事は無い。 今のあの村には竜殺しも魔女も……俺達を阻む者などは居ない 」


 声は抑えていても、 強者故の覇気と言うべきものが自然と周囲へ伝わったのか……待機する一団から、 迷いや戸惑いのような後ろ向きの感情は消えていた。

 リーダーの男はその様子を自分の目で確かめた後、 依然として声を抑えながらも、 力強く宣言した。


「よし、 速やかに実行に移る。 総員、 かかれ 」


 リーダーの男の宣言により、 髪はおろか服装、 そして持ち物までも全てを黒く染め上げた一団が、 夜の闇に溶け込むように前進を開始し……僅かな足音のみを残してトゥールーズ村へと向かっていた。





 突然、 強烈に体を揺さぶられたリュートは思わず飛び起きて……目を開けて再び、 気持ちの上でも飛び起きる事となった。


「な、 何だよ! みっ!? ( ……どうしたんだよ、 みんな!? ) 」


 宴会の流れでそのまま、 レイラの食堂で寝落ちしてしまったリュートであったが、 飛び起きた後に周囲の様子を見て……小声で尋ねた。

 楽しかった筈の雰囲気は既にひと欠片も無く、 全員が武装を済ませて何かに警戒するような体勢を取っていたのだ。


(「良いかい、 リュート。 まずはアルを起こしてくれ……くれぐれも静かにだよ ) 」


 得物である片手剣を抜き、 女性には大きめの盾を抱えたシルワーヌがリュートへと声を抑えながらささやいた。

 言われたままにリュートは、 隣の椅子で寝ていたアルを優しく、 それでいてハッキリとその体をさすり……同じく寝起きの声を上げようとしたアルの口を、 物理的に塞ぐ事で何とか対応した。


「(ともかく説明してくれ! 一体何が起きてる!? ) 」


 リュートは小声で声を荒げる、 といった器用な行動をしてみるも当然ながら誰一人としてそれを茶化す様な真似はしない。

 それほどまでに事態が切迫している、 と言うことであろう。

 漸くアルがしっかりと目を覚ました所で、 シルワーヌからこの異常事態の説明が二人へとなされた。


「(ついさっきだよ、 ザグリーブさんが正体不明の一団がこの村に接近しているのを教えてくれた……そこでみんな飛び起きたって訳さ。 ここに居ない面子はもう迎撃の準備を始めてる。 アンタ達はレイラさんと一緒にここで待機だよ ) 」


 シルワーヌから語られた言葉に、 息を飲むリュートとアルの二人……話には聞いたことがあっても、 まさか竜殺しが治める村を襲おうと言った輩――つまりは人間――が居るとは……正直に言って考えた事は二人には無かった。

 パニックになりそうになる頭を必死で落ち着かせながらも、 リュートはシルワーヌに尋ねた。


「(なんでって聞いても……分かりっこ無いか ) 」


 言葉の途中で彼女が首を横に振った為、 リュートは質問を諦めた。

 諦めざるを得ないほどに事態が深刻と言う事だ……ならば――


「(俺も出…… ) 」


「(バカ言ってんじゃないよ!! ) 」


 ――リュートの提案は即座に棄却された。

 いくら今のリュートが領主代理であったとしても、 子供を戦場に立たせるほど自分達は落ちぶれていない。

 そう言わんばかりにシルワーヌの目は見開かれ、 口元は引き締められ……表情はおろか、 彼女の全身が怒りに包まれていた。


 両親や兄達にもここまで怒られた事のなかったリュートは、 反射的に日本語で謝りそうになるのを何とか堪えるのが精一杯であった。

 戦場に赴く戦士の決意を侮辱してしまった……そんな気持ちで一杯になりそうなリュートの様子を察したのか、 シルワーヌは優しく、 それでいて諭すように二人へと告げた。


「(幸いにして、 最悪の事態は避けられたんだ……後はアタシ達に任せときな。 イイ男ってのはね、 黙って女の帰りを待つもんさ ) 」


 まるで男性が、 それも取って置きのタイミングで言うような台詞を女性に言われて固まるリュート……アルは未だに不安そうにリュートの服の袖を摘まんでいた。

 そんな二人の頭を優しく撫でたシルワーヌは、 レイラと視線を交わし合うと、 食堂に残った面々を率いて表へと出て行ってしまった。


「レイラ……ザグさんとかダズは大丈夫なの? 」


 思わず不安に駆られ、 レイラへと尋ねたリュート。

 数年前のサウスパンディットウルフの襲撃の際は、 ここまで心が揺れ動かなかった筈だ……そんな気持ちを落ち着ける為にも彼女に尋ねたのだが、 そのレイラでさえも初めて見る姿――革鎧に包丁では無く短剣――だったので、 抑えようと思った声が動揺から抑えきれなくなってしまっていた。


「リュート様、 アル 」


 レイラは手に持っていた短剣をそっとテーブルの上に置くと、 二人を優しく包み込むように抱き締めた。


ダズだってこの村の一員だ。 子供に心配される程にヤワじゃないさ……ザグリーブさんも若い頃は方々ほうぼうを駆け回った冒険者だったんだよ、 今じゃすっかり隠居したおじいちゃんだけどね 」


 心配は不用だと自信を持って告げるレイラの言葉に、 漸く二人の気持ちは落ち着きを見せた。


「みんなが戻ったら、 またうちから秘蔵の奴を持って来るよ! 」


「あ、 僕もお父さんの秘密の戸棚を探します! 」


「私も取って置きのワイバーン料理を作ってやるさね! 」


 何とかして不安な夜を乗り切ろうと、 各自が明るい話題を口々に語りだし……暫しの時が流れた所でーー


「ぐぁぁぁぁぁあ!? 」


 ――周囲に響き渡る轟音の後、 身もすくむような悲鳴を上げながらくだんのダズが食堂の壁を突き破り、 室内に雪崩れ込んできた。

 その体にはいくつもの傷が走り、 至る所が赤黒くにじんでいた。

 打ちひしがれたダズを、 何とか介抱しようとリュートが駆け寄ったその時――


「此処に居たのか……探したぞ、 少年 」


 ――破られた食堂の壁面の先に、 これまた赤黒く染まった双剣を携えた……全身黒尽くめ男が悠然と立ち尽くしていた。





 双方の衝突は、 一方に取っては理想的な形で。

 もう一方に取っては最悪と言って良い形で訪れた。


「ちくしょう! アイツら……よりにもよって領主館に火をかけやがった!! 」


 思わずダズが叫んでしまったのも無理は無いだろう。

 敵勢の集団は、 トゥールーズ村に侵入するや否やのタイミングで、 領主館へと強力な火属性魔術を放ったのだ。

 冬と春の間にあるこの季節は、 例に漏れず非常に空気が乾燥しており……南部大森林産の木材で建てられた領主館はあっという間に炎で包まれた。


 魔術があるとは言え、 グランディニアには地球のように物理法則が当然として存在している。

 大気中に目には見えない魔素がある以外はさして地球と変わり無い環境にある為に、 乾いた空気と火種があれば木は燃え盛る。


 当たり前の常識が、 逆に信じがたい事実となってダズを始めとしたトゥールーズ村の迎撃メンバーに襲い掛かり……自身達の象徴シンボル――かつては地竜の巣と呼ばれたトゥールーズ領の解放の証――として大切にしていた領主館を焼き払われた事で、 迂闊にも意気消沈した状態で接敵と相成ってしまったのだ。


「ちっ! いつまでもピーピーわめいてんじゃ無いよ!! 」


 延焼した領主館を起点に、 左右へと別れて村へと進攻してきた敵集団に対して、 シルワーヌが左側を受け持つ形で前に出た。

 村の来歴からか対人戦、 つまりは今回の様な賊――トゥールーズ側から見た場合――の襲撃には何の用意も出来て居なかったのだ。


 魔物が来るのは村の西側に生い茂る大森林か、 たまに北の山々から飛来するワイバーンの二方向のみであった為に、 北側には木製の門が有るのみでろくな防衛設備も無く……真っ向から打ち合う以外に対策を取れないでいた。


「右はわしが行く! 一人たりとも抜かすなよ!! 」


 シルワーヌの男気・・に応える形で、 モルゲンが右側へと躍り出た。

 ドワーフの小柄な体全身を覆うほどに大きな盾と、 切っ先の鋭く尖った魔鉄製の鶴嘴つるはしを掲げて大きな声を上げた。

 同じく魔鉄で組まれた全身鎧フルプレートは相当な重量の筈だが、 それを微塵も感じさせない素早い動きだ。


 互いの前衛と前衛がぶつかり合い、 金属同士が火花を散らす。

 深夜だが照明は必要なかった……彼等の眼前で領主館が赤々と燃えているからだ。


 時おり聞こえる燃え盛る木々の割れる音と、 互いの武具が打ち合う金属音が響き渡る村内に有りながら……臨時の指揮官となって方々へと声を飛ばす中衛のテュレミエールは、 どこか腑に落ちない心境を抱いていた。


(「何だ? コイツらは何を狙っている……? 」 )


 敵の目的が読めないのだ。

 仮にこの敵勢の集団を盗賊と仮定した所で、 盗賊が狙うのは金銭や食糧、 更には胸くそは悪いが女性……しかも妙齢ではなく子供だ。

 グランディニアの住人は、 ほぼ全員が何かしらの魔術を扱える為に女性だからと言って侮れば手痛い反撃を食らう。

 その為にスキルの育っていない年端の行かない子供を狙うのが、 グランディニアにおける盗賊達の言わばセオリーである。


(「しかし……此処を狙うからには何かしらの目的が…… 」 )


 そう、 盗賊であるならば態々わざわざこのトゥールーズ村よりも――言葉にすると悪く聞こえてしまうのだが――やり易い・・・・村など、 幾らでも有るのだ。

 だから余計に奴等の目的が気になる……そうテュレミエールが思考にふけっていた所で――


「テュレ!! 」


 ――後方から弓で援護していたミリエラから声が飛び、 テュレミエールが正面を見たその時には……眼前に幽鬼の如く悠然と双剣を構えた長身の男が立っていたのであった。


「疾っ!! 」


 テュレミエールは、 咄嗟に手に持っていた長槍で突きを放った。

 長身の男は、 その突きを僅かに体をらす事でかわすと同時に、 手に持った双剣でもって槍を巻き上げようとした所で……後方へと跳躍した。


 男が先程まで立っていたその場には、 ミリエラの放った矢とフローラントの繰り出した水の槍が突き刺さっていた。


「ふっ、 随分と上手な誘い方だな? 」


 “雷花”の連携に感心した様子で、 男が口を開いた。

 男に狙いを外される形となってしまったが……事実、 彼女達は時には自分の身を囮とする事さえもいとわない姿勢をもってして、 女性にはあまり優しくない、 このグランディニアを生き抜いて来たのだ。


 言わば必勝パターンを外された形となったテュレミエールは、 この双剣の男への警戒レベルを最高レベルまで引き上げた。


「こいつ……アタシより強いよ!! 」





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