第10話

 リュートがペイルレート家に外泊してから、 数日の時が過ぎていた。

 先日のエジルからの要請・・もあり、 兄弟にアルを加えた面々は食堂にて話し合い、 情勢が落ち着くまでは特訓等は行わない事に決めた。


 もっとも本日のトゥールーズ家での朝食時に、 それとは別でラグナから当面の方針が伝えられ、 マガトやスウェントにも幾つかの仕事が割り振られたので態々話し合う必要性は無かったとも言えるのだが。


 南部大森林の様子は、 領内の全ての人間――村一つで六十人程――が協力して偵察を続ける事となり、 万が一に備えてリュートやアルは行動の範囲が何時もよりも制限される事となった。


 リュートも好き好んで家族や領内の人々に迷惑を掛けたい訳では無かったので、 自宅の庭――と言う名の原っぱ――で一人寝転がり、 流れる雲を見ながら大人しく時を過ごしていた。


「何か、 思ったよりも深刻みたいだな…… 」


 あれこれ色々と頭の中で考えていた内の一つが、 どうやら声に出てしまっていたようだ。

 リュートの独り言に、 家の中から返事が返ってきた。


「何か悩み事かい、 リュート? 」


 掛けられた声に体を起こしたリュートは、 首だけをひねり声の主を確認した。

 リュートの視線の先には兄スウェント、 七歳にして彼は事態の深刻化に合わせて回復薬ポーションの作成を任されていたので朝から不在だったのだが、 それから帰宅したらしい。


 グランディニアにおけるポーションの役割とは、 単に回復魔術の代替品である。

 つまり、 回復を受ける側の得意な属性によって回復量が上下されるので、 その分種類が求められる。

 スウェントは基本の四属性――低級の域に留まるが――を扱える為、 その手伝いに駆り出されていたのだ。


「うーん、 悩みって程じゃないかな。 それよりおかえり、 スウェント兄さん 」


 原っぱから立ち上がり先ずは兄を労ったリュートは、 窓枠に両腕を乗せたスウェントの元へと近づいた。

 スウェントの方も弟へと帰宅の挨拶を返し、 肩のりをほぐす様に何度か腕を回していた。


「おっさん臭いぜ? その動き 」


 茶化すリュートに対して、 スウェントは苦笑いで答えた。

 ポーションの作成は中々の長時間に渡って行われる為、 同じ作業の連続に彼も疲労を感じていたのだ。


「僕はちょっと抜けて来ただけだから、 また直ぐに戻らなきゃいけないんだけど…… 」


 『自分への相談事が有るなら、 時間を改めて作る 』と態度で示してくれた兄に対して、 リュートは首を横に振って答えた。


「本当にそう言う訳じゃないよ、 何て言うか……ちょっと自信が無いってだけだから 」


 自分よりも頼り甲斐のある弟の、 弱気な台詞と顔に浮かべた力の無い笑顔にスウェントはどう返そうかと暫し考えた後。

 何かを思い付いたのか……上に向けて開いた手のひらを、 もう一方の丸めた手で軽く叩くと悪戯っ子の様な、 ある意味とびっきりの笑顔を弟へと見せた。


「やってみれば良いよ、 とりあえず。 それで何かあったらマガト兄さんに二人で泣きつこう 」


 語尾に合わせて片方の瞳を閉じ、 颯爽とリュートの元から去っていく兄を見つめながらリュートはポツリとこぼ す。


「自然とウインクしちゃうもんな……あの人スウェント は将来が恐ろしいぜ…… 」


 実の兄のイケメンっぷりを再確認したリュートは、 窓に背を向け昼寝により固まった筋肉を、 体を伸ばし充分にほぐした所でしっかりと息を吐いた。


「ふぅ……言われた通り、 とりあえずやってみますか! 」


 心に浮かんでいた苦い・・未来予想図を息と共に吐き出しながら、 リュートは己のささやかな願いを叶えるためにも再び庭へと腰を下ろし、 思考の海へと漕ぎ出すのであった。





 それからまた数日後、 リュートはマガトとスウェント、 アルを連れて村の中心部に位置する“精霊の祠”まで来ていた。

 村内は警戒体制が維持されている為、 マガトやスウェントの腰には剣が吊り下げられている。

 四人は新たに子供達の避難場所と定められた領主館――トゥールーズ家――からこっそりと抜け出して来たのだ。


「こんな所で一体何をするんだ? 」


 マガトから掛けられた問いに、 リュートは照れ隠しの為なのか頭を掻きながら答えた。


「ちょっと、 お世話になった人に挨拶しようと思ってね 」


 リュートの言葉の意味が全く理解できなかった三人は、 一様に首を傾げていたが、 そんな三人を置き去りにしたままリュートは地面に木の棒で以て幾つかの図形を描き始めた。


 この“精霊の祠”とは、 文字通りグランディニアで広く信仰されている精霊をまつった物であり、 神聖なものとされている。

 信仰の内容自体は現代における“自然宗教”とほぼ変わらず、 精霊を有り体に言えば、 希に人前に姿を現して力を貸し与える気まぐれ・・・・な存在と言った所だろうか。


「精霊でも召還するのかい? 儀式魔術でもやって……でも 」


 スウェントがリュートの作業を見て、 興奮と落胆を交えながら言葉を発した。

 興奮は未知の魔術に対するもので、 落胆は弟の役に立てない自身の力不足に由来するものだ。


 少しずつだが近付いていた筈の、 年上の弟・・・・の背中が遠くに行ってしまう様な感覚がスウェントを襲う。

 彼がふと隣を見れば、 マガトも彼と同じく悔しさや情けなさを合わせた様な、 何とも言えない表情をしていた。


「精霊? そんなの俺が呼べる訳無いじゃん! 」


 兄二人の変化に気付いたのか、 リュートが作業の手を一旦止めて顔を上げながら声を掛けた。

 予想を外された形になった二人は、 反射的に――


「なら、 一体何を? 」


「こんな時に実験かよ…… 」


 ――言葉を返していた。

 スウェントは純粋な興味から、 マガトは不安定な状況下にありながらある意味自由・・なリュートに対して、 怒りを通り越して寧ろ呆れてしまったのだ。


「リュート君がお世話になった人かぁ、 楽しみだなぁ 」


 そんな中でアルだけは、 リュートと同じくマイペースを貫いていた。

 両親達と一緒に要る事に不満は無いが、 やはり友達とも遊びたい年頃なのだろう。

 アルはここで合流してからずっと、 明るい表情をしていた。


「まぁ何が出てくるか、 お楽しみに!! 」


 リュートもアルと同じ様な笑みを浮かべながら、 作業の続きに取り掛かった。


 リュートは現時点では儀式魔術の知識も【召喚】のスキルも所持していない。

 つまり完全に行き当たりばったりで、 一度見ただけの物を再現しようとしていたのだ。

 何やら一同の雲行きが怪しくなり始めた所で、 リュートが止めの一言を放つ。


「もし変なの・・・が出てきた時は、 一緒に戦ってね、 兄さん達!! 」


 弟から掛けられた言葉の意味を二人が飲み込んだ時、 彼等の背中には冷たい汗が流れていた。


「これはマズった・・・・かもしれないよ兄さん……しかも相当に 」


 弟が自分の助言からこんな答えを導き出すとは思っていなかったスウェントは、 自分の部下の失態を上司に報告するサラリーマンの様な気まずい表情でマガトに告げた。


「……ふぅ 」


 マガトはため息を深く、 それは深く吐いた。

 リュートの上司がスウェントならば、 その上司はマガトにあたる。

 彼にはこれから起きる事を、 更なる上司――しかも父ラグナは領主の為、 言うなれば社長――に報告する義務があるのだ。

 その事を今から考えるだけでも……マガトの胃は痛みを増し始めていた。


「よし、 完成!! 」


 リュートは声を上げると共に木の棒を空へと放り投げ、 その延長で両手の拳を高く突き上げた。

 そこにアルがすかさず駆け寄り、 二人で歓声を上げながらハイタッチを繰り返している。


 恐らく実験場にここを選んだ理由も、 家から離れすぎずに周囲に民家や建物が少ない場所がここと大森林の手前しか無かったからであろう事が……何となく想像出来たマガトは、 一向の年長者として意見を述べた。


「リュート、 やるなら早くしろ!……って別に怒ってないから二人ともそんな目で見るな!! 」


 マガトからの指摘を受けたリュートと何故かアルまでが、 マガトへと非難がましい目を向けていた。


「ほら、 アルは危ないからこっちにおいで。 それからリュートも何かあれば直ぐ逃げるんだよ? 」


 腰の剣を抜きながらスウェントが発した言葉に、 漸く二人は事の重大さに気が付いたのかマガトへと謝罪しながらそれぞれの位置へと着いた。

 マガトも剣を抜き、 上段に構えて直ぐにでも斬りかかれる態勢を取った――


「何でスウェンの言うことなら聞くんだよ…… 」


 ――ブツブツと独り言を溢しながら。





 四人が配置につき、 いよいよその瞬間がやってこようとしていた。

 村の大人達はほぼ全員で大森林への警戒を行っているので、 周囲に人影は無い。

 季節が夏なのと昼下がりと言う時間帯も相まって暖かな日差しが一行へと降り注ぎ、 空には雲一つ無い。


「じゃあ一番手リュート、 行きます!! 」


 リュートが発言権を求める小学生の様に片手を勢いよく挙げた後、 両手を前方の魔法陣へとかざした。


 マガトは『一番も二番もねーよ!! 』と突っ込みたくなるのを必死に我慢し、 スウェントは油断無く推移を見守っている。

 流石のアルも今回は大人しく待っていた。

 年長者二人の頬には緊張からか気候のせいか、 汗が滴り落ちる。

 リュートの額にもうっすらと同じものが浮かんでいた。


 場の緊張が最高潮に達した時……リュートは大きく息を吸い込み、 天まで届けと言わんばかりの大声で腹の底から叫んだ。


「アダゴレ君! カムヒアぁ~~~!! 」


 リュートの発した声の余りの大きさに驚いたのか、 付近の屋根に止まっていた鳥達が一斉に空へと羽ばたいた。

 固唾を飲んで見守っていた三人も、 予想だにしない発言を受けて思わず口を大きく開いて先程とは真逆の表情で固まってしまっていた。





「あれ? アダゴレ君? ……出てきても良いんだよ? 」


 暫しの時が流れた後、 少しも変化の無い地面の上の魔法陣に呼び掛けるように声を発したリュートだったが――


「何も起こらんじゃないか…… 」


「ちょっと詠唱が独特過ぎたんじゃないかな? 」


 ――兄二人の言うように、 リュートがかつて見た光景は何時まで経っても訪れなかった。


「やっぱ無理だったかな……うし、 また―― 」


 リュートも失敗を受け入れ、 三人に声を掛けて領主館へと戻ることを提案しようとしたその時。


「――待って! 何かが動く音がするよ!! 」


 リュートの発言を遮り、 今まで黙っていたアルが急に声を荒げた。

 アルの発言を受けて、 リュートは咄嗟に魔法陣から飛び退いて距離を取り、 マガトとスウェントも改めて各々の腰の剣に手を伸ばした。

 しかし、 アルを除く三人が魔法陣を注視するものの、 肝心のアルは耳に手を当てて辺りをキョロキョロと見回していた。


「何だ、 アル? いったい何が―― 」


 種族的な差異からか、 まだ音が聞こえないマガトが詳細をアルに問い掛けようとした所で。


「――兄さん! もしその音が森―― 」


 スウェントが必死の形相でマガトへと呼び掛けた。

 現在の状況下で森から届く物音と言えば、 たった一つしか存在しない。


「――アルっ!! どっちからだ!? 」


「たぶん……あっちです 」


 事態を把握したマガトがアルへと問い掛け、 アルは自信無さげに西の方角を指差した。

 アルの指先が南部大森林を示した瞬間、 マガトとスウェントは抜きかけていた剣を鞘へと戻し――


「スウェント! お前はリュートだ!! 」


「了解!! 」


 ――マガトがアルを抱え上げ、 スウェントはリュートの首根っこを掴んで一目散に駆け出した。

 本来の避難場所である領主館は方角的に北にあたる為、 祠を挟んで東側にあるレイラの食堂へと向かって。


「ちょっと兄さんズ! いきなり何だ―― 」


「――バカ野郎! 魔物だよ!! 」


 スウェントに首を引っ張られながらも必死で走るリュートの問いは、 マガトに一蹴された。

 アルを抱えているにも関わらず、 走るペースが二人――リュートとスウェント――よりも速いのは鍛え方が違うせいであろう。


「とにかく説明は後だ! 食堂でいいから飛び込むぞ!! 」


 マガトを先頭にして、 一同は必死に走る。

 食堂に逃げ込むと言う事は、 領主館から抜け出した事が露見するという事実をすっかり忘れたままで。



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