第5話

 グランディニア大陸歴 1069年 トゥールーズ村内





 グランディニア大陸の南東も南東。

 辺境とも最果てとも呼ばれる現トゥールーズ男爵領。

 他に無いもない……この領で唯一の人里であるトゥールーズ村にて、 リュート=ヴァン=トゥールーズが誕生してから四年の月日が経っていた。


「つまり、 このグランディニアと言う大陸の名付け親こそが連合王国の初代国王であり―― 」


 昼下がりの食堂に、 少年の澄んだ声がこだまする。

 彼の名はスウェント=ヴァン=トゥールーズ、 リュートから数えて三つ歳上の実兄。


 稲穂が夕陽に照らされたかのような輝かしい金髪に、 弱冠七歳とは思えない程に知性を感じさせる面構え。

 彼こそが領主一族たるトゥールーズ家の才媛たる次男だ。


 その彼が村で唯一の食堂の館内にて、 グランディニア大陸史――簡潔に言えばこの世界の歴史の教科書――を読み上げていた。

 本来であれば、 勤めを終えた老人であったり教会の神父等が果す教師役。

 それを特殊な事情を抱えるこの村では、 領主の次男である彼が担っていた。


「――言語と貨幣の共通化、 同業の職人同士で完結していた組合組織を発展させた“ギルド”の創設に始まり―― 」


 これが大学の講義――日本に置ける一般的な――であったならば、 恐らく講堂は聴講人で溢れかえっていたであろう。

 目麗しい金髪の少年が、 真剣に、 自身の持ちうる知識と語彙ごい力を総動員しながら難解な歴史書を丁寧に朗読する光景……年頃のお姉様方が殺到する姿が容易に想像出来る。


「――現在のキクシュタル王国の根幹を成す、 迷宮ダンジョン施設の解放も彼が中心となり……ってリュート、 聞いてる? 」


 兄からの叱咤しったに弟であるリュートは、 頬杖から転げ落ちた頭を起こし、 自身の口元から零れたよだれを手で拭いながら答えた。


「んあぁぁ、 スウェント兄さんの声、 超ヤバイ……何か変なモン出してない? 」


 情けない弟の反応に、 スウェントはため息を吐きながらも端整な目鼻立ちを崩さない。

 家族や兄弟だけしか居ない空間ならまだしも、 ここには食堂の主たる女将のレイラと、 その弟のダズも居るのだ。

 領主の息子として不格好は見せられない、 見せてはいけない筈なのだが――


「アル坊は真剣に聞いてるってのに、 ほんっとにリュート様はだらしないねぇ 」


 ――スウェントの努力虚しく、 領主一族のみっともない姿はレイラの目にバッチリと収まっていた。


「まぁまぁ姉さん、 この年頃の男の子に歴史書は辛いって 」


 夕食の仕込みのジャガイモの皮剥きを手際よくこなしながら、 女将の弟・ダズがリュートのフォローを始めた。

 四歳児にグランディニアの来歴等を説明しても退屈だろうと。

 領主の息子達、 つまりは貴族に対して最低限の敬意しか払っていない言葉遣いだが、 この村では特に珍しい事では無い。


「俺もガキの頃は……英雄譚ぐらいしかマトモに読まなかったもんさ!! 」


 ニカっと白い歯を見せ接客業で働く者、 特有の人当たりの良い爽やかな笑顔を一同に見せる。

 口は動かしながらも手は止めず、 頬に滴り落ちる汗を袖口で拭いながら作業を続ける姿は実に男らしい。


「別に嫌いな訳じゃ無いんだけどね…… 」


 営業中には客席となるテーブルの、 向かいの椅子に座るスウェントと……彼の隣で熱心にノートを取るアルフレッドにも聞こえない程の声量で、 リュートは呟く。


 リュートは兄であるスウェントに隔意は無い、 寧ろ感謝の気持ちすら抱いていた。

 外で遊びたい年頃なのにも関わらず両親の言い付けをしっかりと守り、 リュートとアルフレッドと言う二人もの幼児の面倒を見ているのだ。

 これもその一環であり、 リュートの為を思っての授業なのだが……リュートにとってはその内容こそが退屈なのであった。


 本日のお題目は“グランディニア大陸史”。

 話し手よりも詳しく知っている――程度の差はあれど――内容を、 四歳児に理解出来るように噛み砕いて説明される。

 眠くならない方が異常だろう、 とリュートは内心で思っていた。


 リュートは転生して直ぐに、 この地方の言語――グランディニア標準語――は理解していた。

 何せリュート本人が元々備えていたスキルが【言語補整 (微)】なのだ。

 そこに神界での成果たる【知力補整 (微)】が加われば、 幼児期の脳の柔軟性も加味するとたかが言語一つの習得等……はっきり言えば朝飯前なのであった。

 リュートは一歳を前にして、 日常的にグランディニア標準語を理解していた。


 その上、 グランディニアについての基礎的な知識は神界にて強制的に・・・・植え付けてられていた。

 転生した時代が想定していた時期より千年・・程、 後ろにズレ・・ていた事は想定外であったが、 寧ろ平和になっていた事に感謝すれど文句など無い。


 リュートは、 『街の外=修羅の世界・・・・・・・・・ 』なんて方程式が成り立たない事に腹を立てる様な命知らずではないのだ。


「良く学べよ、 若人わこうど


 一心不乱にノートを取る、 隣席のアルフレッドに向かって声を掛ける。

 それは彼の邪魔をしないように小さな声で発した言葉だったのだが……聴力に優れる種族エルフであるアルフレッドには、 それでも充分な音量であったようだ。


「リュート君ったら……またおかしな事言ってぇ 」


 肩幅近くまで尖った耳をピクリと動かしたかと思えば、 世話しなく動かしていた手を止めて。 顔をテーブルから上げると、 隣で頬杖を付くリュートを見やる。


「せっかくスウェント様が教えて下さっているんだから、 真面目に聞かないと失礼だよ? 」


 流れる様な銀髪に、 幼いながらも整った顔立ち。

 本人は中々背が伸びないことを気に病んでいるようだが……『もうお前は充分だよ 』と教えてあげたい程に、 アルフレッドは完成していた。


 真っ直ぐに切り揃えられた前髪と、 尖った耳を強調するようにクルっと丸く納められた襟足。

 健康な男子のリュートでさえも目を疑う程に可愛らしいその姿は、 アル――親しい者は彼をそう呼ぶ――が男の子で良かったと思えば良いのか神を呪えば良いのか、 村内で議論が尽きない程度には美少年を地で行っていた。


 そんなアルに叱られたリュートは、 彼の余りの愛らしさに我慢が出来ずに吹き出してしまう。

 彼もリュートと同じく、 一年前にこの様な授業が始められた際には居眠りをしたり駄々をこねていたりしたのだが……最近はどうやら勉学の道に目覚めたようだ。


「ぷっ、 ごめんなアル、 真面目に聞くよ 」


 含み笑いを何とか堪えようとして、 上手く行かずにニヤけた表情のままでアルへと言葉を返したリュートの態度が気に食わなかったのか。

 彼は頬をリスの様にぷくりと膨らませてリュートを睨み付けた。


「もぉぉ! またリュート君はバカにしてぇ 」


 アルの発言を皮切りにして……食堂内に暖かく、 そして微笑ましい空気が広がっていく。


 スウェントは二人――リュートとアル――のやり取りが始まった時点でリュートへの説教どころか、 授業の続きすら諦めた。

 この二人が言い合いを始めたら最後、 周囲にはポヤポヤした空間が広がってしまい……真剣に話をする自分に耐えられなくなってしまうのだ。


 仕込みに終われていた筈のレイラとダズでさえ、 手を止めてテーブル席で突っ伏すスウェント、 怒るアルに釈明をするリュートを眺めてはニヤニヤしてしまっている。


 ちなみに村内でのアルの別名は、 “時間泥棒”だったりする。


 緩みゆる に緩んでしまった食堂の空気を引き締めたのは、 彼等年少組とは別行動で鍛練に出ていた領主一行の帰りを迎える村人の叫び声だった。


「ラグナ様達のお帰りだぞぉぉ!! 」


 その声を聞くや否や、 食堂に居る面々は一目散に表へと飛び出した。

 村の大動脈である表通りには、 先程の声を聞いた村人達が続々と顔を揃えつつあった。


 トゥールーズ領の東に位置する海辺から、 村へと帰還した戦士達の奮闘をねぎらう声が次々と掛けられる。

 毎回の如く繰り返されるやり取りであったが、 帰還する集団の中ではやや小柄な赤髪の少年がその全ての声に対して目を合わせて手を掲げ、 一言二言と言葉を返しながら歩いて来ていた。


「マガト様は偉いねぇ、 相当にしごかれただろうに……って! 何でも無いよ、 すまないねぇ 」


 レイラがポツリと口走ってしまった、 自身の言葉に対して謝罪を述べた。

 たった今、 自分が称賛した相手は彼女のすぐ側に居る兄弟達の長兄であり、 このトゥールーズ領の嫡男ちゃくなんだったからだ。


「別に構いませんよ、 レイラさん 」


「そうそう、 マガト兄さんは本当にすげぇから 」


 気まずそうに兄弟を見つめるレイラに対して、 二人は間髪入れずに言葉を返した。

 穿うがった見方をすれば、 スウェントとリュートの二人を頼りないと揶揄やゆする言葉に聞こえたかも知れない。


 だが二人は逡巡しゅんじゅんする事無く答えて見せた。

 兄弟間の強い信頼とも尊敬とも言える想いが垣間見えた瞬間であった。


 リュート達がその様なやり取りを交わしていた間に、 ラグナとマガトの一行は既に次の行程へと移っていた。

 矢継ぎ早に指示を出す領主であるラグナと、 その補佐をするラグナの妻であり兄弟達の母アリア。


 その二人と幾つかの会話を済ませた後、 マガトがリュート達の方へと歩いて来た。


「お疲れ様、 マガト兄さん 」


「マガト兄さん大丈夫? 顔色悪いぜ? 」


 弟達から掛けられた言葉に対して、 長兄であるマガトは先程とは異なり……脇目も振らずに二人の所まで距離を詰めてから、 おもむろに口を開いた。


「スウェント、 リュート、 アル……俺はもう駄目かもしれん 」


 次期領主に内定しているマガトの言葉に、 兄弟とアルを除いた二人は耳を疑った。

 村内では、 トゥールーズ家三兄弟の中でも長男マガトは責任感に溢れ、 どんな苦しい訓練の最中にあっても決して弱音を吐かない……年相応と言うよりは年齢以上に立派な少年と評されていたからだ。


 ちなみにトゥールーズ家の面々のフルネームは――


 領主・父 ラグナ=フォン=トゥールーズ

  母 アリア=ヴァン=トゥールーズ

  長男 マガト=フォン=トゥールーズ

  次男 スウェント=ヴァン=トゥールーズ

  三男 リュート=ヴァン=トゥールーズ


 ――となっており、 父ラグナと長男マガトだけがミドルネームが“フォン”、 残りの三人が“ヴァン”となっている。


 これは千年前の……当時、 発足当初の連合王国の初代国王が定めた規則により、 貴族位に有る者とその嫡男――女児も可――はミドルネームを“フォン”。

 それ以外の一族は“ヴァン”と名乗る事を義務づけた事に由来する。


 リュートからすれば、 “フォン”も“ヴァン”も元は同じ字面・・発音読み方が異なるだけなのだが……過去にそう定めた人が居たので、 受け入れるしか無かったりする。


 額面通りに受け取れば長子ちょうし優先の古風な身分制度にも思えるが、 これには様々な要素・要因が含まれていた。


 第一に誰を“フォン”とするかは、 その貴族家の当主にのみ権利が委ねられており、 子孫達の成人後も――グランディニアの成人年齢は一般的に十五歳――当主の権限を持って変更する事が出来る。

 つまりは当主が健在な限り、 これだと思う優秀な後継が現れるまでは子孫達を“ヴァン”のままにしていても良いと言う事だ。


 第二に、 自領の後継ぎ――つまりは当主以外の“フォン”――に何か問題があった場合は、 他家の“ヴァン”を迎え入れる事が了承されている。

 当主が健在で嫡男に不幸があった場合には、 養子として余所の貴族家の人間を“フォン”に据える事も出来るのだ。

 勿論自身の家の“ヴァン”を“フォン”として繰り上げても良い。


 これらは魔物達が跳梁跋扈ちょうりょうばっこするグランディニアにおいて、 血の繋がりを維持する事を円滑にして後継者争いを防ぐ為とも、 政略結婚の規則を定めた制度とも、 はたまた当主を失った未亡人や優秀な他家の人間を合法的に手に入れる為の人身売買制度だとも言われている。


 ちなみに病気や戦争、 魔物との戦闘による重大な負傷や死亡以外の理由で後継者を変更する事は――


『ウチは後継者一人、 まともに育てられない 』


 ――と内外に向けて宣伝してしまっている事に他ならないので、 貴族階級の中では最大級に忌避きひされている。

 いつの時代も、 名誉や名声にはそれなりの責任と言う名の重荷が付きまとう物だ。


 説明が長くなってしまったが、 平民からすれば次期領主が明確なので分かりやすい。

 商人からすれば、 次の“フォン”を見極める時間が持てる上に賄賂を贈る先も限定出来るので、 プラスはあれどマイナスは大きく無い。

 つまり特権階級の人間以外には、 意外と好意的に受け止められているシステムだったりする。


 トゥールーズ領では、 長男のマガトが誕生した時点で“フォン”とする事が発表されていた。

 その為に村内の人間達は、 次男スウェント三男リュート嫡男マガトでは明らかに異なった態度で接し、 彼に掛けられている期待は他の二人とは桁違いなのだ。


 そんな立場にあるマガトが少数相手とは言え、 家族の前以外で弱音を吐いていた。

 辛うじて立ち姿を維持してはいるが、 顔色は非常に悪い。

 このまま放っておけば、 その内に地面へと倒れ込むであろう。


「スウェント兄さん! アル!! 」


「とりあえず食堂に運ぼう……良いですね? 」


 アルがリュートの言葉に頷くや否や室内へと駆け出して行く。

 兄弟二人は、 素早くマガトの体を前後から挟み込む様に抱え上げ……まるで重傷者を安全地帯に引きずり込むようにして食堂の入口を潜っていく。


 十歳にしては立派な体格を誇るマガトを、 手際よく運び去っていく兄弟達の姿に呆気に取られながら……レイラとダズも我が家が他人の持ち物に変わってしまったかの様に、 おずおずとその後ろをついていく。

 スウェントの最後の言葉は、 女将――この食堂の持ち主――であるレイラに向けられたものだったのが……驚きの余りからか、 彼女は直ぐに返事をする事が出来なかった。


「どういう事だ……こりゃ? 」


 状況の変化に着いていけない姉弟を代表して、 ダズが発言した。


 店内では……先行していたアルがせっせと椅子を並べて簡易のベッドを用意しており、 そこにスウェントとリュートが四苦八苦しながらも兄であるマガトを寝かせる。

 何とかマガトを椅子に寝かせた兄弟は、 ここでやっとレイラとダズの方へと向き直って声を掛けた。


「すいませんが……レイラさんは、 清潔な布を何枚かお願いします 」


「ダズさんごめん、 大きめの桶とか無い? 」


「……マガト様の為なんです! お願いします!! 」


 自分達へと掛けられた言葉を中々飲み込めないでいた姉弟に業を煮やしたのか、 アルが二人を急かす言葉を付け加えた。


「ち、 ちょっと待っておくれ! 」


「すぐ用意するぜ!! 」


 ようやく自分達の成すべき事を理解した姉弟が、 足早にバックヤードの方へと駆け出して行く。


 領主たるトゥールーズ家の長男であるマガトが……疲れきった肉体の安静と、 少しの平穏を心から望み。

 それは信頼する兄弟達や小さなエルフの献身と、 心優しい住人達によって叶えられる事となる。


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