第4話 予兆

「あっ」


 それは仕事中の出来事だった。20時を過ぎたあたりでスマホの電池が切れたのだ。出張中である上司の携帯から、俺に直接電話がかかってくることが多かった。古くなった俺のスマホの電池がとうとうもたなくなったのだ。


「ぬぅ……、遥に『今から帰る』って連絡できないぞ……」


 上司もとっくに直帰してるし、なんで俺だけ残業をせにゃならんのだ。仕事を押し付けやがって。

 まったくもって上司への愚痴しか出てこない。ようやく仕事を終わらせた俺は、帰宅が終電間近になっていた。


「ただいま」


 遥に癒してもらえると思えば、たとえ終電でもがんばれる。そう思い帰宅したが、今日は珍しくリビングも電気が付いておらず真っ暗だ。


「……遥?」


 あれから毎日、遥が夕飯を作って俺を待ってくれていた。何かあったのかな……?

 でももう日付変わってるし、先に寝てるだけかもしれない。スマホも電池が切れて、今から帰るって連絡できてないし。


 リビングへと入ると電気つける。カバンを所定の位置へ置くと、近くにあったケーブルでスマホを充電する。充電ランプが点灯したことを確認して電源を入れると、無事ディスプレイが灯った。


「遥~」


 寝室への扉を開けると、ひとつしかないシングルベッドがこんもりと膨らんでいるのが見えた。


「はは、やっぱり先に寝ちゃってたかな。……ごめんな、遅くなって」


 布団から覗く遥の頭をひと撫ですると、スーツから部屋着へと着替える。リビングへと戻るとお湯を沸かして、夕飯はカップ麺で済ませることにした。




「昨日はごめんなさい、拓海さん……」


 朝起きてリビングへと出ると、エプロンを付けた制服姿の遥が申し訳なさそうに謝ってきた。


「いや別に気にしてないよ。終電になっちゃった俺も悪いし……」


 そう言い聞かせるが、遥は首を振るばかりだ。


「夕飯も用意できてなかったから……」


「帰る時間も連絡できてなかったからなぁ」


 いつも出来立ての料理を用意してくれる遥だ。俺からの連絡がなかったから作れなかったんだろう。


「ごめんなさい、そうじゃないの……」


「え?」


 何か言いかけた遥に続きを促すも、やっぱり首を振るだけだ。


「ううん……、本当にごめんなさい」


 ずっと謝り続ける遥にいたたまれなくなって、そっと包み込むようにして抱きしめる。


「ほら、もう気にしなくていいから。……朝ごはん食べようか?」


「……はい」


 今朝の食卓はいつもよりも言葉が少ない。たまに笑顔を見せてくれるが、なんとなく無理をしているのがわかってしまう。結局何もできないまま家を出る時間になってしまった。


「あの、拓海さん……」


 玄関で靴を履いていると、かけられた声に振り返る。何か言いたそうにもじもじしているが、さっきと様子が違うように見える。


「うん?」


 玄関には段差があるので、遥の顔が真正面に見える。訝し気に聞き返すと、遥がゆっくりと近づいてきた。そして気が付けば彼女と唇が重なる。


「えっ、あ、う……?」


「えっと、昨日のお詫びです」


 何が何だかわからずに狼狽えていると、顔を真っ赤にした彼女からそんな言葉が聞こえてきた。


「あと、いってらっしゃいの……あれです」


 真面目に言われると俺も恥ずかしい。でもそれ以上に悶える遥を見ていると冷静になれる。


「いってきます」


 さっきよりも元気になった遥に、俺はほっと胸をなでおろして会社へと向かった。




 今日は珍しく早めに仕事が終わった。時計の針もまだ19時前を指している。


「お疲れ様でした」


 自分の仕事は終わったし、新しい仕事を押し付けられる前に帰るに限る。


「あ、ちょっと待ちたまえ!」


 何か声が聞こえたけど気のせいだ。ここで振り返ればきっと捕まってしまう。そう思った俺は、遥の顔を思い浮かべながら会社を出た。スマホの電池もまだ25%ほど残っている。『今から帰る』と送ったら、驚いたスタンプが返ってきた。


「ただいまー」


「おかえりなさい!」


 帰宅すると、まるで玄関でずっと待ってましたとばかりに遥が待ち構えていた。


「お、おう」


「今日は早かったんですね」


「ああ、何も問題なかったからな。それよりも腹減ったよ」


「はい! すぐにご飯にしますね」


 嬉しそうにする遥についてリビングへと入ると、着替えてからテーブルに着いてご飯を食べる。やっぱり早く帰ってきてよかった。夜遅くまで起きて待つのもしんどいだろうし。


 ――と、今の様子を見た俺は安心しきっていた。


「拓海さん、お風呂沸きま――」


 俺のパジャマを持って、風呂が沸いたことを知らせてくれた遥がふらつく。


「おっと、大丈夫か」


 同時にポケットに入れていたスマホがブルブルと震える。


「あ……、ごめんなさい。ちょっと貧血みたいで……」


「そうか。……ほら、無理はしなくていいから。洗い物もやっとくから、先に寝てなさい」


「でも……」


「いいからいいから」


 無理して家事をしようとする遥を押しとどめて、強引に寝室へと向かわせる。寝室の向こうへと消えた遥を確認すると、さっき震えたスマホを確認する。通知エリアに残り電池残量が10%切ったアイコンがついていた。


「……充電しないと」


 と思ったところでスマホの電池残量が0%になり、『電池残量がありません。充電してください』と表示されて電源が切れる。

 そして、寝室の向こう側から誰かが倒れる音が聞こえてきた。

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