第6話 ジェリコ

 働き始めたシオエラは、初めから一人というわけではなかった。タンケという幼馴染の少年と一緒だった。彼もまた、両親を亡くした戦災孤児である。シオエラが宿内を取り仕切り、タンケが外で集客や食料日用品の調達を行っていた。仲良い二人は上手くそれぞれの仕事をこなし、以前は復員将兵や行商人、尋ね人の捜索者で繁盛していたそうな。健気に働く若い二人は、それなりに元気に楽しく過ごしていた。

 ただ、そんなある日。


「俺、『地下要塞』に行ってくるよ。あそこは上等なワインやチーズ、戦争で死んだ高名な職人が作ったグラスだってあるみたいなんだ。これまでヤミは仲買人を何人も通してたから高かったけど、そこに行けば直接もっと安く手に入るんだ」


 目を輝かせるタンケは、繁盛していたって掛かる経費の高さに嘆くシオエラの言葉を思い出していたのだろう。

 地下要塞に幾ら物資が溢れていても囲っている商人が善人でないことくらい解っていたはずである。しかしシオエラが止めるのも聞かず、タンケは行った。行ってそのまま消えてしまった。


 消息を絶ってからしばらくしてタンケを探しシオエラも地下に足を踏み入れることとなる。タンケの情報は僅かで、彼女自ら捜索するしかなかった。闇市で手に入れた、上流階級に配布されたパンフレットだけが地下の資料だった。完工予想図を記載した案内図は結局工事途中に放棄された地下ではあまり役に立たなかったが、それでもある権力者と接触することとなる。


 トロッコの線路を辿っていると捕まった。手荒い扱いはされなかったものの拘束され、引っ立てられたのは大人の女の前。


「お待たせしました。あの角曲がってしばらく行くと一旦到着です」

「で、今から会いに行く人は味方ってことですのね」


 まもなくの到着を告げるシオエラにマリアが応えた。先ず向かう先がその女の許であった。彼女も地下を牛耳る派閥の一権力者であり、シオエラの客であった。


「お父様にご縁のある方でよかったですわね」

「はい。初対面の時は何されるんだろうってドキドキでしたけどね。今じゃ地上に出た時は泊まりに来てくれるし、安くお酒や食材、日用品も売ってくれます」

「でも、タンケさんが居るグループではなかったと」

「その通り。もっともあんな穏健なグループだったら、何か連絡の一つくらい寄越せる環境いたはずなんですけどね」


 シオエラはタンケ少年と再会できなかった。

 所持品検査をされて父との写真が出てきた時、戦前に浮浪していた際父に助けられた一宿一飯の恩義がある人物の娘であることが判り、以来懇意にしてもらっている。

 だがタンケが取引しようとした相手はこの派閥ではなかった。もっと過激な連中の手下になっていたのだ。無理にでも探そうとするシオエラは簀巻きよろしくぐるぐる巻きにされて丁重に家まで送り届けられた。純粋に商売に行くのと併せて幾度となく同じことを繰り返し今に至る。

 だから解決屋として実績あるルンシャたちが雇われた。


「誰か!」


 角を曲がった先から響く誰何に交じり、小銃のボルト音を三人は聴き逃さなかった。少女たちの反射的に構えられる銃にはシオエラが驚いた。衛兵も銃口に気づき、規則の誰何三回の内残り二回を口走った。三回終われば発砲されても文句は言えない。


「誰か!誰か!」

「わあっ!バーグマンです、宿屋のシオエラ・バーグマンです!皆さんも鉄砲を下げて!」


 シオエラの存在に気づいた衛兵は銃の安全に戻し低速進行してくるトロッコを受け入れた。寸でのところで免れる衝突に一同胸を撫で下ろした。


「もう、急に装填なんてするから驚きましたわ」

「三回誰何が終わってて撃たれてもおかしくなかったですわね。お礼を言いますわ、シオエラさん」

「ここの人たちは私たちの敵じゃないんですから、そんなに警戒しなくてもいいんですよ。衛兵さん急にすみません、ジェリコさんは今日いますか?」


 通行証を差し出しながら発した名前、ジェリコというのがここら一帯を仕切る女団長である。衛兵は頷いて所在を認めるとレールの先を指差した。シオエラは一言礼を言うと再びトロッコを発進させた。


 嫌な感じであった。取り上げられる訳ではないし常識的な範疇の所持品検査であると解ってはいても、置かれた机の前にそれぞれの武器を並べることは武装解除の趣きがあった。ただ、持っている兵器を置けとの命令に鞄の中身の開示はなく、指摘が無いのをいいことにあと一つずつ持つ拳銃とナイフだけは未申告のままだった。


「そんなに強張らなくても大丈夫ですよ。ジェリコさんはとっても良い方ですから」


 シオエラは煙草を喫みながらにこにこと煙を吐く。彼女の言う「良い方」にどれほどの信頼を置けるものか。ジェリコという女はシオエラには体面上淑女の振舞いをしているかもしれないが、武装集団が来たとあったらばどんな態度に出るか判らない。もしもに備えて各人鞄のバックルや紐を解いておいた。

 ハイヒール並に背の高そうな踵の長靴がコツコツと床を鳴らして近づいてきた。暗闇からスポットを浴びるように現れて、卵の如く白い肌にグラマラスな唇が真っ赤に映えた。


「金銀黒、また賑やかな毛色で揃ったわね」


 ルンシャのブロンド、マリアのシルバー、ミーシャのブルネットを評価する彼女もド派手なピンク髪を揺らす。陸軍の軍帽を被り男物の戦車服はルンシャ以上に豊かな胸が弾けんばかりに、脇に吊った拳銃のハーネスが際立たせている。誰もが羨むスタイルに女優の如く輝く美貌は、どう見ても地下生活に不要な薄い褐色サングラスの奥に妖しい光を持つ瞳があった。

 長い睫毛の瞬き三回、見惚れるより先に取り込まれそうな仕草に三人は身を寄せ合った。


「シーちゃんのお連れさんね。シーちゃん、挨拶は後にしてハグをちょうだい!」

「うん!」


 ジェリコは相好崩してシオエラと抱擁を交わす。よっぽど可愛がって懐かれているのか如何にも嬉しそうに抱き合っていた。

 微笑ましがる風景であろうが、純粋な気持ちで眺めていられたのはほんの数秒で、ジェリコの頬はたちまち上気しシオエラの抱かれる頭を横に、糸引いた舌の艶めかしいこと甚だしく、睫毛瞬くたび妖しい色を帯びて血走る目。気づいてないシオエラをいいことに呼吸の荒さは周囲に知らしめるほど。


「あ、あの、私はルンシャ・ディーンと申します。解決屋としてシオエラさんに雇われていますの。こちらはマリア・ウェストハイマ―、ミーシャ・スレッジ」


 ルンシャの言葉が全く耳に入らないジェリコは、髪を弄る手つきのなんとエロティックなことか。ここに及んで三人は赤面する。


「ねえシーちゃん、新しい入浴剤が手に入ったの。お風呂入っていきなさいな。背中も流したげる」

「いいんですか!ジェリコさんのお手てとても気持ちよくって」

「あのー」

「なにようるさいわね」


 まるである種の行為に茶々入れられたかのように、せっかくの自己紹介も無になった。それでも淫猥な視線が三人に向けられることはなく胸を撫で下ろす。ジェリコはロリコンであった。


「解決屋さんですって。カービン・ルー、SMGマリー、ショット・ミシャね」

「あら、私どもの名前を知ってらっしゃいますの」

「貴族の娘が銃を振り回してるって有名よ。重装備ね。でも生憎だけど、私SMプレイに興味ないの」

「だ・れ・に、向かって仰ってるんですの!?」

「冗談よ。私はSMもイケる口」

「そこはどうでもいいのですけれど」

「ジェリコさん、私たちはシオエラさんに雇われて地下に参りましたの。私たちが地下で行動すること、ご理解頂きたいのです」

「シーちゃんなんで雇ったの?」

「それは、その、タンケを探してもらおうと思って」


 ジェリコの瞳にもはや下心はない。真剣というよりは咎めるような視線でシオエラを見つめた。「本気で言ってるの?」彼女の言葉に少女は深く頷いた。

 溜息一つ漏らすとシオエラを伴い再び闇に消えようとした。


「もう兵器を戻していいわ。こっちにいらっしゃい」


 検査らしい検査もなかった。でも許されたというのなら別にいい。三人は慌しく兵装を身につけると二人の後を追った。

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