第5話 地下

 モーター音も始まりはよかったが、小一時間も聴いていると耳鳴りがしてきそうだった。湿っぽい空気にレールや柱梁の錆臭さが混じり、ミーシャはしきりに髪を手櫛した。


「お姉さま、今どれくらい走りまして?」

「見当もつかないわ。シオエラさん、今どれくらいでして?」


 トロッコを運転するシオエラは額に掛けた防塵眼鏡姿頼もしく「低速トロッコで申し訳ないです。さっき降りてから5㎞は進みました」ニヤと笑う歯が弱い前照灯に反射した。

 

 どこぞの廃墟街に囲まれてやたらと大きなトンネルがあった。衛兵所の跡を見つける三人は軍事施設の跡地であることは直感した。地方都市に乱造された要塞モドキなぞ珍しくもない。しかしこの地下要塞は訳が違っていた。


「まさか来ることになるとは思いませんでしたわ。懐かしくなくて?あの厳めしいパンフレット」


 前方を警戒していた、借り物の戦車兵眼鏡を首に押し下げるマリアが振り向いた。彼女の言葉に苦笑するルンシャ、ミーシャは恥ずかしそうにそっぽ向いた。


「嫌な思い出ですわ!まったく、お父様ったら」

「許してあげなさいな。親の子を思う心ですわ」

「それでも、せめてお姉さま方のご家族にくらい相談したっていいものではありませんこと。勝手に我先にと私の家族にだけ避難準備させるなんて」


 この当地、戦時下でも国内決戦の場合に備え立案された戦闘計画にも、主戦闘地域としては含まれていなかった。それにも関わらず世界にも類を見ない広大な防衛施設となったのには、国家にとって重要な理由がある。政府機関の臨時収容場所、そして国の重要人物とその家族の避難施設となっていた。

 一昔前の戦争の頃から、国内に敵が侵入してくる可能性は幾度となく議論されてきた。そうした中最悪の場合を想定し建造が続けられてきた施設である。戦時内閣に政府各出先機関の設置、国に莫大な利益を貢献する財閥の事務所、またそうした要人と皇族以下貴族の避難施設が設けられていた。各家族のシェルターには使用人を含む人数を楽に収容しインフラは整備され、これまでと変わらない生活を送れる財産と食料まで備蓄する計画であった。前の戦争が終わった後も細々と建設が進み、今次大戦に於いては急ピッチで施工が行われ、設備含め8割方まで完成したところで戦争が終わった。国からは戦後の財政難で放棄され、今は行きつく所のない人々やならず者たちのねぐらになり、運び込まれた莫大な国庫財産が残っているだの秘密兵器が未だ眠っているだの黒い噂は絶えない。

 結局実現しなかったが、戦争激化の折完成し始めた居住区への避難案内が出されたことがある。しかし皇族は皇帝以下ほとんどが避難を渋り多くの貴族もそれに倣った。一般市民の疎開が進まない中、特権階級だけ安全地帯へ赴くことはできないという純粋な想いが語られた談話はマスコミによって広く流布され、国民の士気を上げることに役立ったものである。結果、敵国の越境は行われなかった。

 そんな中、避難案内が届くと同時に引越し準備に取り掛かったのがミーシャの父であった。小心者で家族想いな彼は周囲の目も気にせずせっせと妻や娘たちの着替えを調達しに街へ繰り出していたのであった。


「恥ずかしいですわ、街の人々の陰口にも全く気付かないだなんて」

「でも却ってよかったじゃありませんか。もしここに住んだら戦争が終わるころには髪がゴワゴワになっちゃったでしょうね」

「永住したくなるような部屋だってあるんですよ」


 シオエラの言葉に三人は首を傾げた。先から時折見かける扉の破損した空き部屋は、地下室にしては広いがお世辞にも住みたくなるような場所ではなかった。内装が施された形跡もなく、住人は鼠ばかり。不気味な眼光が瞬いていた。


「ほとんどは鼠の巣ですけどね。でもいくらかの部屋はちゃんと換気空調が整備されてるんです」

「そういえばここ、電気はちゃんと通ってますものね。空気の汚れもそこまで酷くないし」

「設備だけじゃないですよ。一級ホテル並みの空間もあります」

「よほど高貴な御方がお住いのようね」


 カラカラとシオエラは笑った。「お嬢様方ほどではないです」次に三人に向けられる顔は、真剣だった。


「地下の権力者といったところです。いくつかの派閥に分かれてそれぞれのを支配してます。私のお客さんもいますけど、みなさんにお仕事をお願いしたい相手は違います」

「そうでしょうね。シオエラさんのお客さんであれば、あなたのボーイフレンドを束縛することはありませんもの」

「そ、そんなんじゃないですって。言ったでしょ、友達って」


 俄かに頬を染める可愛らしさに、三人はシオエラの隠しきれない淡い心に微笑んだ。


 なぜこんなところに彼女たちが来たのか。昨晩三人の居室に上がり込んだシオエラの話からコトは始まった。

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