第3話 戦災孤児

 宿に着きくつろいでいると街の公安委員が報酬を持ってきた。彼女たちの給料は特殊公安委員会という組織が出している。解決屋という連中が些かアウトローであっても、銃器使用許可を与えているのは国であったから、一応建前としては公が責任を持っていた。


「結構なお湯浴みでしたわ。あら、お給金をお持ちになられたのですね」


 浴室から、湯上りのルンシャがほぼ裸で現れた。実に豊かで形良い胸にタオルを巻き、乾かす金髪を滑らかに揺らして結った。マリアとミーシャは彼女の裸に見慣れてはいるものの、その見事なプロポーションにはいつも羨望混じった瞳を向けざるを得ない。ミーシャに至っては恍惚と蕩つく何百回目かの賛辞を贈る。


「ルンシャお姉さま・・・いつ見てもお美しいですわ」

「あら、照れてしまいますわ」

「よく飽きないですわね、あなたたち」

「美しいことには、いついかなる時にも最大限の栄光を讃えるのが、幸せの源ですわ」

「まあ生意気な」

「お給金は、と・・・いつも通りですわね」


 ルンシャは紙幣を検めると何枚か出し財布に納める。残りは実家に送ることにしてあり、それは他の二人も変わらない。仕事にも慣れた最近は小遣い銭も少し増えた。加えて各々の家族も新たに始めた仕事が安定し、絶望的な状況からはなんとか脱しかけていたのだった。

 では、こんな仕事を続ける意味は?家に戻ってもいいのだが、淑女の中に実は秘められている野獣が性に合っているのか、不思議と引退しようとの声は出てこない。

 先に風呂に入ってシュミーズ姿のマリアは、昼にガンショップで買った弾薬を手に取り眉を顰めた。


「お給金が増えればもう少し良質な弾薬を購入できますのに」

「良質な物は軍需優先ですものね」

「戦争が終わったのに不条理なことですわね。戦後の不景気やそれに伴う治安の悪化、尻ぬぐいをしているのは私どもですのに」

「あらマリア、尻ぬぐいなんて言葉ははしたなくてよ?」

「でも、それ以外の言葉は見当たりませんわ」

「ならその言葉通りでも良いではありませんか。私たちはたとえ没落しても貴族、お国がしていた戦争で困窮する民の、少しでも救いの手を差し伸べられれば」

「・・・いつもルンシャには言いくるめられてしまいますわね」


 なんだかんだとボヤいて、弾薬に関しては確かに不条理を感じるけれども、ルンシャの言うことに別に異論はない。ただ、この頃は命の危険をさほど顧みなくなったことをふと思い返し、むしろ気にかけなければならないのは自分自身たちの方ではないかと、しみじみする。

 ノックがあった。「どうぞ」とミーシャがなんの気無しに入室を許可すると、件の少女が扉を開けた。


「お食事の用意ができました。よろしければ食堂で・・・ぴゃっ⁉」


 頓狂な声も無理はない。客、それも美少女が、半裸だったり下着一枚でくつろいでいる。一番何も身に付けていないのが一番ナイスバディ。三人からしてみれば、着替えや入浴の手伝いに来る女性の使用人の前で裸体を晒すことには慣れていたからどうともしないが、しかし少女の仰天もオーバーだった。


「女同士、そんなに驚くことありまして?」

「し、失礼しました!まさかお風呂上りとは思わなくて・・・と、とにかく食堂へどうぞ」


 服を着て少女の後についていく。そうすると、尚更彼女の少女らしくない姿が目立った。白いシャツに目立たない色のチョッキ、放出品なのかくすんだ軍靴はダボつき、バンドで締め上げた男性用ズボンの裾は折り曲げてもなおズルくっていた。身体つきからしても凹凸控えめで一見少年のよう。顔立ちはソバカスも可愛らしい少女そのものであるが。まさか、髪が少々長く声のやたら高い男の子ではないのかと、先の驚愕されたこともあって勘繰った。


「あの、シオエラさんと申しましたか。少しよろしいでしょうか?」

「はい、なんでしょうか」


 名前に関しては上品そうで、本人も決して粗雑ではなかったのだが、くるり振り返られるとやはり男でない気もしない。


「失礼は承知でお聞きするのですが、シオエラさんは殿方でして?」

「へぇっ⁉︎」


 なんでもかんでもオーバーな反応を返す子である。しかしこの様子だと、本当に少女であることには間違いない。シオエラ冷汗飛ばして否定した。


「わ、わたし女です!男の子みたいに見えました?」

「いいえ、ただボーイッシュな雰囲気を感じただけですの。ごめんなさいね」

「でもそういうところも、却って可愛らしいですわね」

「そんな、からかわないでください。かわいいだなんて」


 完全に少女であると判ると、寧ろシオエラの姿がキュートに映る不思議、しかし擁護しきれないあまりにも似つかわしくない物が食堂にはあった。食堂と言っても台所、欠けた皿に光らないスプーン、それは別になんとも思わない。安煙草の群が這う灰皿が、コンロの隅に肩をすくませていた。どれも短い吸殻は、今しがたまで口づけされていたのか燻る物もある。シオエラは手を洗うついでに灰皿へ水滴を飛ばし消火すると、皿を取って卓に並べ始めた。彼女に言われずとも席についた三人、灰皿を注視しつつ料理を待ち、それぞれのグラスと皿が見た感じ清潔なことに安堵する。


「お酒になさいますか。無銘でも、悪酔いしないと評判の物が揃ってますよ」


 飲むと目が潰れると巷でいわれる、悪質な酒はないという意味であろう。しかし、ルンシャたちの誰にも、日頃の食卓で酒を嗜む者はいない。丁重に断って水を欲した。


「お酒は、私たちにはまだ早いわ。お水をくださいな」

「そうですか。どんなお客さんでも皆さんお酒を欲しがるものですけど」

「よく、お酒をお買いになれますのね」

「ええ、ヤミなら本物のお酒がいっぱい手に入るんです」

「そうじゃなくてよ、もう」


 質素な食材もヤミなのかどうかは知らない。しかしシオエラの腕は確かなようで、供される食事は没落貴族の舌を楽しませ、パッと輝く瞳のいつぶりのことか、それぞれ惚ける頬に手を当てた。上品な味でもあった。王国最高の料理人の腕にも親しみのある三人は、シオエラが高名な料理人の腕を継いでいると直感する。


「王宮の料理人でもなさってまして?とても上品なお味ですこと」

「い、いえ、王宮だなんて。料理はお父ちゃんから教わりました。この宿を開く前は首都のレストランでコックをしていたそうです」

「そう、とても腕の立つお父様でいらしたのね」


 そこで「お父様もご一緒にお宿を?」とは誰も聞かない。聞くだけ野暮だった。三人とも一瞬厨房の片隅に目を遣った。灰皿の上に飾られる写真、セピアに焼けた思い出は、軍属従軍服姿の中年男性と髪が長くおしゃれしたシオエラの姿。この軍属が彼女の父であるはずだった。わざわざ軍属の料理人が付くのは高級将校たちの巣であるため、危険な最前線にいたかどうかは定かでないが、たとえ後方の司令部付であってもゲリラの襲撃や空襲に遭うことは考えられる。もしかしたら、この宿は微々たる遺族年金によって辛うじて経営されているのかもしれなかった。


「お父ちゃんはどうしたのかって、仰りたいんですよね」


 写真の視線と急に黙りこくったせいかもしれない、三人の間に変な空気があるのを、シオエラは感じ取っていた。父親のことを口で尋ねなくても同じことだった。彼女が煙草をくわえ紫煙取り巻く横顔は年上の没落貴族たちよりよっぽど大人びて見えた。


「リセイル会戦の際戦死したそうです。帰還した同僚の方のお話ですと、山岳地帯に撤退した時行方不明になったとかで」

「場所が場所ですものね。今でも時折、戦時の救援部隊に再会できなかった将兵の方々が、終戦知らずに立て籠もっていたところを見つかるとか」

「でも、もう諦めてるんです。炊事の方たちはまとまった生還率も高いのに、その中にいなかったんですから」

「この際だから聞いてしまいますけれど、お母様は?」

「こちらも疎開中にはぐれちゃって。何万人も避難民がいた駅で空襲警報が出て、混乱の最中出られる列車に詰め込まれて出発しましたから。その時から行方が分かりません。帰っても来ないですし」

「結構なお食事でしたわ。私、お先に失礼いたしますわね」


 ルンシャ、ミーシャと戦時のことを口にして、続くマリアは、口を拭うと席を立った。急に暗い影を宿して誰とも目を合わせず立ち去る彼女に、シオエラ除く二人は顔を見合わせて気まずい色を顕す。リセイル会戦と聞いて、マリアの父が指揮官である戦いだったと思い出すべきであった。

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