Recycle of the life #6
「本日はどのようなご用件で…」
「面会だ!!2744号室!!IDカードをよこせ!!」
カードを奪い取るようにして受け取り、俺はエレベーターのボタンを押した。
だが、そのエレベーターはどれも高層階にいる。
「クソっ!!」
俺は非常階段のドアを乱暴に開け、一心不乱に登りだした。
疲れと汗と涙でぼやけた視界が、ぎりぎりで27の文字を捉えた。
ドアにタックルし、そのまま左に走り出す。
SPの腕をくぐり抜け、病室のドアを開ける。
そして、最後の力を振り絞って叫んだ。
「このみ!!!」
「ゆ、由樹さん!?」
「無事、か…?」
「ええ」
「よかっ、た…」
2kmを全力疾走し、27階分を駆け上がった俺の足は、もはや体を支えることはできるはずもなく。
「由樹さん!?由樹さーん!!」
その声を聴いたのを最後に、俺の意識は暗闇へ沈んでいった。
「気がつきましたか?」
「俺は…」
「わたしに『無事か?』と確認したあと崩れ落ちましたわ。ずっと走ってきてくださったのでしょう?」
このみは一拍置いて、
「本当に、嬉しいですわ」
噛みしめるように言った。
「今日がリミットだな」
「そう、ですわね」
「俺の命、もらってくれるか?」
「その話をする前に…お父様、お母様、席を外していただけませんか?」
「…わかった」
「構わないわ」
「あと…望月さんがいらっしゃっても、入るのを断ってください」
おっさんもおばさんも、素直に頷いて出ていった。
大切な話だろうに、娘の願いを聞いてくれる。
いい親だ。
しばしの静寂の後、このみは口を開いた。
「単刀直入に答えますわ。わたしは、あなたの命を頂くことに決めました」
「…そうか、よかった。断られたらどうしようかと思ってた」
「あなたは…死にたい、という思いは最初から変わりませんのね」
「それがな…実は、結構死にたくないって思いも出てきたんだ」
「それなら、どうして…」
「俺よりも生きてほしいって人ができたから、かな」
俺は少し照れて、頭を掻いた。
好きな人に生きてほしい、とは言わなかった。
俺が死ぬ前に、このみに告白してしまったら、このみはこの先一生告白されたことを心の底に抱えてしまうだろう。
だから、この心は天国まで持っていこう。
「本当は、わたしもあなたに生きてほしかったんですのよ。でも、わたしのために毎日2kmを歩いて、話しに来てくれた人の願いを断ることなんて、できませんわ。あと、理由はもう一つありますの」
このみはそう言って、ベッドの脇からペットボトルを取り出した。
俺が最初の日に持ってきた、病院の1階で売っている何の変哲もないりんごジュース。
「ペットボトル。ポリエチレンテレフタラートというプラスチックの一種で作られた飲料用容器、でしたわね」
懐かしむように言った。
「あなたが最初に教えてくれたことですわ。もう1ヶ月も前なんですね」
「そうだったな」
「あのときは…わたしはまだ断るつもりでいました。でも…あなたが、いろいろなことを教えてくださるうちに、わたしは、自分の目で世界を見てみたくなってしまったんですの」
「このみなら、俺なんかよりずっとたくさん知識をつけて…もしかしたら、世界を見るどころか、世界を手に入れられるかもしれないぜ」
「…かもしれませんわね」
このみは、部屋の時計を見やった。
「あと、3時間と少ししか残ってないのですね」
「そうだな…もうそろそろ望月さんも来ただろうし、終わりにしよう。ありがとう、楽しかったよ」
「す、少しお待ちになってくださいな。もう一つだけ、伝えたいことがあるのですわ。わたしの体を起こすのを、手伝っていただけませんか?」
「大丈夫か?無理をするなよ?」
「いいえ、無理をいたしますわ」
そう宣言して、このみは手を伸ばしてきた。
その華奢な腕をそっと引き寄せると、
このみの唇が、俺の唇に触れた。
「むぐっ!?」
俺は咄嗟に離れようとしたが、このみの腕が許さない。
そのまま数秒。
このみが、名残惜しそうに腕の力を緩めた。
唇が離れる。
「伝えるのが遅くなってしまって、申し訳ありませんでしたわ。わたしは、由樹さんのことが好きです。大好きです」
「…告白したら、このみの人生に重荷背負わせちゃうかなって思ってたんだけど、まさか告白されるとはね。…俺も、好きだよ。このみ」
「…本当に、よかったです。断られたらどうしようかと思っていました」
「このみ…」
「由樹さん…」
俺たちはそっと抱き合った。
「わたしの、初めての恋でした…たった一ヶ月間でしたが、本当に、楽しかったです。あなたがいなければ、わたしは何も知らないまま死んでゆくところでした」
「こっちこそだ。ありがとな」
そうして、何分かの間、俺たちは互いの体温を感じていた。
涙が出そうだったが、堪えていた。
「それでは、命の交換を開始します。よろしいですか?」
「はい」
「構いませんわ」
望月の確認に簡潔に答え、俺はこのみの隣のベッドに横たわった。
「それじゃあ、元気でな」
「…はい」
「俺は天国でゆっくりしてるから、あんまり急いで来ようとしなくてもいいぜ」
「…わかりました。ゆっくりしますね」
これで、この世にもう未練はない。
いや――このみと、一緒にいられなくなることは未練かもしれない。
でも、この気持ちも、このみと一緒にいることで得られたのだ。
あの世への土産には、贅沢すぎるだろう。
「開始します」
俺は目を瞑り、意識を手放した。
もう、二度と目覚めないことを、少しだけ惜しく思いながら。
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