第2話 旅立ちのとき

「パスポートの提示をお願い致します」

あたしは機械音声に従ってリストバンドをかざす。

ピッ。

月までの座席だけでなく、ハコブネの居住区までもが印刷された。

あたしはそれを読もうともせずバッグにしまう。どうせリストバンドが覚えててくれる。

知ったからと言ってどうしようもないことを覚えることはとても疲れる。


髪を黄色に染めた女の子と目があって、慌てて視線をさ迷わせる。苦手なタイプだ。

さっさとベッドに潜り込んでやり過ごそう。

「こんにちは」

とは言っても挨拶くらいしないと

けど、またその社交辞令が災いした。

「優等生かよ」

面倒臭そうな絡み方。

「おやすみなさい」

「待てよ。お前居住区は」

仕方ないのでさっきの紙を見せる。

「やっぱり居住区A。A級市民様か」

感じ悪い。居住区Aとか居住区Bとかいうのは身分、階級という意味じゃない。単純な役割なのだけど。ただ居住区Aの住民が特権階級で居住区Cの住民は下級市民とSNSとかで言われていることは知っていた。


「寝ますんで」

「こんな時間からかよ」

「冬眠したいです」

「は?月まで?」

「アルファケンタウリまで寝てたいです。ってか一生寝てても構わない。あたし、起きている意味が良くわからないんで」

「ああ、そういう意味か」

彼女はリストバンドをこちらに向けた。仕方なくあたしもリストバンドを近付ける。ピッという電子音と共に連絡先が交換できた。


彼女の言う通り。そういう意味。

彼女はあたしと違って自分に正直な態度をとってるだけ。

「あたしもさ、このまま明日がこなけりゃ、寝ている間に世界が終わってたら良いのにとずっと思ってた。A級市民様も同じで少しホッとしたよ」

彼女が初めて笑顔を見せた。

不器用で正直なのが羨ましい。

「ハコブネに乗るのは地球に連絡とる相手さえいない者だけだもの」

「あたし眠れないんだ」

「眠れない?」

「眠れないと起きてもいられない」

彼女の話は飛ぶ。

「ごめん。あたしは寝る」

我ながら薄情なものだと思う。眠いわけでもないのだから。起きているのが嫌だから寝る。何だか良くわからない眠る理由だ。


ふかふかのベッド。

しばらくはこの感触を楽しめないかも知れない。太陽系を離れる迄は加速度が1Gにならないから、クラゲのような生活をする羽目になるとかならないとか。


「月ではなるべく起きている方が良い。良い思い出が何一つなかったとしても故郷の星地球を見れるのは月が最後になるから」

引き留めようとするあの娘への言い訳だったけど、今はそれがすごく重大なことのように思えて仕方ない。


ベッドの上でリストバンドを見て思う。

あの娘以外の知り合いとリアルタイムで話をできるのは多分月まで。

リアルタイムでもない。電波は1秒間に地球を7周半程度しかできない。

こんなときでさえあたしには話をしたい人もいない。

だからハコブネに乗る気になったのかも知れない。

そんなあたしが今一番親しみを感じるのはさっきの娘かも知れない。


彼女に連絡しようかな。ふとそう思ったけど、何もせず寝た。早く寝たから早く起きた。


そこで離陸のアナウンス。


離陸したらまた寝よう。あたしは自堕落な決意を固め、うつ伏せになり加速度に供えた。

大した重力はかからないらしいけど。


離陸のカウントダウンを聞いてると不思議と眠くなる。今日なのか昨日なのか、とにかくよく寝る1日だった。



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