棄民
クレープ移動販売者
第1話 雪の街角
ゆーきやこんこん、あられやこんこん~♪
あの歌が楽しげなのは謎だ。白い息と毒を吐きながらあたしはそれを待っている。
あたしもというべきか。早く来すぎたから今ここにはあたししかいないようだけど。
冷たく脆いガラス細工の都会。
遠い外国の詩人がトウキョーをそう評した。端から眺めれば美しい都市。そしてトーキョーに住む者は毎日砕けることを恐れて暮らす。
寒い。
雪だるまが作れる程の雪がトウキョーに降るのはのは久しぶり。
年に一度あるかないかのこの雪イベントを楽しみにしていたのはもうずいぶん昔の話になってしまったな。
こんなあたしでもトウキョーで見る最後の雪、或いはあたしが見る最後の雪に少しだけ感慨に耽る。
宇宙船。
数世代前の人々が憧れていたという恒星間を移動するロケット。通称ハコブネ。
多分数世代前はハコブネ初号機に乗るのは冒険心溢れる勇敢なエリートと思い込んでいたのだろう。
どれも自分に当てはまらなくて笑ってしまう。
太陽系外の惑星開拓。
現実になる寸前までそれはロマンと共に語られていた。頭の良い方が知っていて夢として語っていたのか、頭が良くても現実が目の前に突き付けられる迄それはロマンなのか。
「時間は?」
「入場可能になるまで30分以上余裕があります」
リストバンドから流れる無機質な機械音声があたしの無愛想な質問に答える。
「コーヒーが飲みたい」
「御予算はいくらですか?」
「バンクにあるだけ」
ナビが小さな喫茶店を見つけてくれた。
マスターのおじさんが豆を調合しながら話しかけてくる。
あたしは話しかけやすいという特技があるらしい。自分で調節できない無駄な特技だとつくづく思う。
「宇宙開拓ね。アルファ・ケンタウリ到着まで20年かかるらしいじゃないか」
1年3ヶ月の端数を無視するところにマスターが宇宙開拓と無縁なのが表れている。
空白の3ヶ月問題を知らないのだろう。
9ヶ月で太陽系から離れる。太陽と木星と太陽系でスイングバイ(重力を利用した)で加速をするという。
安全らしいけど、地球の重力を利用したスイングバイはしない。
ハコブネ自体は月から発射されるらしいけど、地球でスイングバイはガンとしてやろうとしない。それだけであたしは自分達の立場がわかった。
もちろん出発と同時にスイングバイで加速した方が早く太陽系外に行けると思う。急な加速は危険だからという説明もあったが、到着の際の減速のときにはその気遣いがなぜかない。
だからきっとそういうことなのだろうし、あたしはそれでも構わなかった。
「若い者は冒険心がある」
ハコブネに乗るのは若者が多いけど、冒険心というか野心や希望ではない。
温暖化の問題や紛争で傷付いた地球にただ居場所でなくなっただけ。
あたし達は地球で必要なくなったから銀河系の逆まで放り出されるだけなのだ。
感傷的になって少し苛立ってしまったけど、よく考えたらそれでもあたしは宇宙開拓団に志願してハコブネに乗るんだった。
苛立ちを謝るとおじさんはケーキを出してくれた。良い人だったんだ。
出発まであと24時間だとリストバンドが教えてくれた。
24時間もある。
宇宙船のベッドで寝よう。無駄に時間がかかりそうなシミュレーションゲームもダウンロードしてあるし、やることなかったらそれをやれば良い。
コーヒーは多分飲めなくなるかな。ハコブネの中やあっちの惑星でも栽培すると聞いてないし。
けど、ハーブなら育てられるような気がする。全部食べちゃう、根ごと食べちゃうという異常な行動さえしなければ葉っぱを増やし続ける筈。
コーヒーを飲むと少し頭が冴える。宇宙船に何を持ち込むのが良いか思い付いた。
コーヒーで頭が冴えてるのは多分トイレに行きたくなるまでの短い時間。さっさとハーブの種を買い占めて寝よう。
何もトーキョー最後の日にまで雪が降ることないのに。あたしは心の中で毒づきながら喫茶店を出る。
この喫茶店に入って良かった。次にくる機会は多分ないけど。多分……あたしはつい吹き出した。絶対ないと認めるのが嫌なのか、心のどこかで何かの手違いでハコブネに乗れなくなることを望んでいるのか。
「ごちそうさまでした。また来たいな」
「是非またお越しください」
「次はないなぁ。また来たいけど」
「ああ、そうか」
おじさんも笑っていた。
笑い事でもないけど。
そして忌々しい雪は今日1日止むつもりはないらしい。
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