勉強会

1 数学バカ

「そういえばもうすぐ中間テストだな」


 全員がここの作業に集中する中、ふと思い出したように俺は呟いた。

 五月ももう半ばだし、二日後にはテスト週間が始まる。

 その期間中は部活をしてはいけないというのがアドアネス高校の決まりで、当然この現代文章構成部も例外ではない。


「あ〜、そうだったわね。部活やるの?」


「できるわけがないだろ。テスト週間中は部活やっちゃいけないんだから」


「そうだけど……案外この部活、やってても何も言われない気がするのよね」


「なんでだよ」


「だって顧問の先生一度も来てないし、なんとなくアタシたち、放っとかれてる感じがしない?」


「確かに……」


 否定はできん……。

 リサの言う通り、顧問は来ないし、放っとかれてる気がしないでもない。

 もともとこの部室の片付けだって、優奈は気づいていないようだったが利用されてるだけだったもんな。

 早川が入部した時だって、本来顧問通さないといけないのに、それをやらなくても別に何も言われない。

 確かに、テスト週間中に部活やっても何にも言われなさそうだな。


「何納得してるのよ、バカ優也」


「痛っ」


 俺の心を読んだかのような明確なツッコミを見せる優奈。

 いや、だからって下敷きの側面で殴るのはやめてくれ。

 割とマジで痛いから。


「テスト週間中は部活は無しに決まってるでしょ? みんな勉強してよね。特に優也、この間の数学の小テストの点数、私知ってるんだから」


「な……!」


 なんで知ってる……?


「結構有名だよ? 優也が壊滅的に数学が苦手ってこと」


「どこからそんな情報が漏洩したんだよ……」


 確かに数学は苦手だけれども……そんな壊滅的ってほどじゃないと思う。


「俺はただ、教科書の内容と先生の言ってることが理解できなくて、ノートに書いてある内容は意味不明で、もう数字も見たくないくらい数学が嫌いなだけだ」


「それを一般的に苦手だと言うんです……それに今の台詞、そんなに威張って言うことじゃないですよ……」


 早川が呆れたように言った。


「ふむ。恐らくその小テスト、私のクラスで実施したものと同じだと思うが……割と簡単だった覚えがあるぞ?」


「三角関数の問題?」


「そうだ。サイン、コサイン、タンジェントの基礎的な問題がずらりと並んでるだけで、量は多いが難易度は低いという印象を受けた。あのテストで優也は一体何点だったのだ? ちなみに私は九十六点だ。二問ほどケアレスミスをしてしまってな」


「教えたくねぇ」


 教えてたまるか。

 なにがサイン、コサイン、タンジェントだ。

 そんなもん、人生でいつ使うんだよ。

 そうだ、そんなもんよりも人生にはもっと大切なことが……。


「十三点よ」


「ってうぉぉおおい!」


「どうしたのよ」


「人のテストの点数を勝手に他人に教える奴がどこにいる⁉」


「ここにいるわ。別にいいでしょ?」


「良くねぇよ!」


 今心の中で必死こいて言い訳してたのに、一気に現実に引き戻されたわ!


「早川と鈴音を見ろ! 二人ともうずくまって震えてるじゃねぇか!」


 これを見るのも何回目か忘れたが、いわゆる『笑いをこらえるポーズ』である。

 そして何回も言っているが、全然こらえられていない。


「いいじゃない。笑われて当然の点数なんだし」


「お前酷ぇな!」


 否定はしないけど、そこまで言わなくてもいいじゃないか……。

 ここで何気なくリサの方を見ると、他の二人と違いリサは至って平常運転だった。


「あれ? お前どうしたの?」


「どうしたのって……別にどうもしないわよ?」


「いや……ならいいんだけどさ」


 俺は口ごもると、リサは少しイラつきを見せる。


「何よ、アンタ何が言いたいワケ?」


「いや、この場面で一番バカ笑いしそうなのがお前だからさ、意外と笑わないんだなって思って」


 俺のネタ帳を見せた時にも、一番俺のことをバカにし、大笑いしたのはリサだ。

 そのリサが俺の悲惨な点数を見て何も言わないというのは、なかなかに奇妙なことである。


「アンタ、数学を理解しようと努力してるんでしょ?」


「ま、まぁそれなりには」


 努力しようにもまったく分からんけどな。


「じゃあ笑わないわ。人の努力を笑うなんて、アタシにはできないもの」


「あ……そうだった。悪い……」


「いいわよ、別に」


 俺はこの時、リサに無神経なことを言ってしまったと後悔した。

 リサは努力を知らずに育ち、努力に憧れていた。

 そんなリサが、努力した人間を笑うはずがらないのは、少し考えば分かることだ。

 これもまた、鈴音が言うように、俺の鈍感さが招いたことなのかな……。


「てかいい加減お前らは笑うのやめろよ」


 そんなリサに比べてこいつらは……。

 早川、お前なリサの憧れだってことに早く気づいてやれよ。


「でも優也さん、十三点て……ぷ……くくく……」


「奇妙な笑い声を発するな」


「しかし優也……くく……一体どうやったらそんな点数が取れるのだ? 少し教えてもらいたいものだ……くく……」


 鈴音が怪しげな声を出しながらそう言った。


「それ私も興味あるな。教えてよ優也」


 優奈もそこ乗る場面じゃねぇから。


「教えてって……俺は単純に時間が間に合わなかっただけだ」


「時間? ってことはどこかの問題につまづいたってこと?」


「あぁ。あんな難問は生まれて初めてだぜ……」


 俺がそう言うと、優奈は自分の鞄を床から拾い上げ、中から複数のプリントが綺麗に挟まれたクリアファイルを取り出す。

 そしてその中から、例の小テストを取り出し、机の上に広げた。

 こいつ、他の人に点数見られることに抵抗無いのかよ。

 点数は……百点……満点か……そりゃ抵抗なんかないよな。

 点数の横に赤ペンで『excellent!』って書いてあるのが妙に腹立たしい。

 このやろ、俺のやつには『勉強しなさい!』って書きやがったくせに。


「そんな問題あったかな……どこ? そこって」


「えっと……これだ」


 俺はつまづいた問題を指差す。

 鈴音と早川もテスト用紙を覗き込むと、


「こ、これは……」


「なんとも言えないところですね……」


「優也、本当に勉強したほうがいいかもしれないわよ……」


 全員が呆れ顔になっていた。


「なんだよ。難しかったんだから、しょうがないだろ?」


「いやでも、【1】の(1)って、一番最初じゃない……」


「そこだけで三十分長考したんだ」


「長考ってsinAとcosAとtanAの公式を答えるだけじゃない⋯⋯」


「長考要素ゼロですね⋯⋯」


「ちなみに答えは、sinA=a/c、cosA=b/c、tanA=a/bだが……合っていたのか?」


「その……公式は覚えてたんだが……どれがどれだか、ど忘れして最終的に全部運任せの当てずっぽうでやったら、見事に全部外れてた……」


 本当、つくづく運がねぇ……。

 いや、数学って運要素ないけどさ……。

 場の空気が急に静まり返る。


「……よし、決めた!」


 優奈が何かを決断したようにそう言った。


「何をだ?」


「勉強会、しよ!」


「勉強会?」


「どこでやるのだ?」


「ここ! 部活はやっちゃダメだけど、勉強会するなら教師も何も言わないと思うしね」


「いつやるんだよ」


「テスト週間中、放課後みんなでここに集まるのよ。部活みたいなノリで、やっていけばいいんじゃない? 優也の数学も教えたいし」


 なるほど、考えたな。

 確かにそれなら教師も口出ししないだろうし、人に分からないところが聞ける。

 優奈はクラストップクラスの成績だし、聞けばなんでも教えてくれそうだ。


「俺は賛成だ。みんなは?」


「いいだろう。面白そうではないか」


「私も別に構いません」


 早川と鈴音も賛同する。


「リサはどうするの?」


「あ……アタシは……パスで」


「なんでよ。みんなでやればいいじゃない」


「アタシ、勉強は一人でやりたいから……ゴメン……」


 申し訳なさそうに答えるリサ。


「……分かったわ。それじゃ、あとの四人はテスト週間中の放課後はここに集まること。良いわね」


「了解」


 俺はこの時、気づいてあげれば良かったのかもしれない。

 リサが俺に向けていた寂しげな視線に。

 しかし俺は、理解不能だった数学が教えてもらえるという喜びで他のことなど気にする余裕は一切なかった。

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