努力の結晶

1 リサの過去

「待ってくれ、リサ」


 校門を出た後、俺は帰り道が俺たちと逆方向のリサを呼び止めた。

 自転車通学のリサは、走らせようとしていた自転車を止め、こちらを振り向く。


「何よアンタ、帰り道こっちじゃないでしょ?」


「ちょっと本屋に寄りたくてな。そこまで一緒に行こうと思って」


「本屋って……もしかして、稲沢書店?」


「そうだけど、それがどうかしたか?」


 稲沢書店は俺の知る限りこの街で一番の品揃えだ。

 ただ、アドアネス高校の学生寮と逆方向にあるため、行くのが少し面倒くさい。

 でも今日はたまたま欲しいラノベの発売日なのだ。

 絶対に手に入れておきたい。


「ちょうど良かった。アタシも今日、稲沢書店に寄ろうと思ってたのよね」


「本当か? なら丁度いいじゃん。一緒に行こうぜ?」


「別にいいわよ。アンタが条件さえ呑んでくれれば」


「条件?」


 一緒に本屋行くのに条件付きかよ。

 無理難題じゃなきゃいいけど。


「この自転車、本屋までアンタが引いてって」


「自転車? そんなことでいいのか?」


「そんなことって、たかが本屋一緒に行くくらいで何でそんな高条件をアンタに持ちかけなきゃいけないのよ」


「いや……夏希財閥のお嬢様が一般ピープルの俺にどんな難題をふっかけるのかと思っただけだ」


 俺が割と真剣にそう言うと、リサは急に吹き出し、腹を抱えて笑いだした。


「あははは!」


「何がおかしいんだよ」


「いやだって、アンタがバカすぎるから……ぷくく……あー面白い!」


「しょうがないだろ? 割とマジでそう思ってたんだ!」


 なんか自分の周りのことは全部メイドにやらせてるみたいなこと前にもリサが言ってたし。

 俺もそんなメイドさんと同じような扱いをされるのかと思った。


「心配しないで。アタシ、アンタがそんな高い性能持ってるとは思ってないから、そんな無理な要求はしないつもり」


「さらっとひどい事言うんだな!」


 要するに俺は低能って言いたいのか?

 まぁ、そりゃ夏希財閥のメイドさんほどスペック高くはないけどさ!


「別に事実を述べただけじゃない。ほら、さっさと自転車持つ」


「へいへい……」


 俺はリサと立ち位置を代わり、自転車のハンドルを握る。

 そして二人で肩を並べて歩道を歩きだした。


「しかしまぁ夏希財閥のお嬢様からしたら、俺みたいな普通の高校生は、よっぽど低スペックに見えるんだろうな」


 さっきのリサの言葉が地味に傷ついたので、嫌味っぽく俺がそう言うと、リサは急に表情を変えた。


「いい? いい機会だから教えとくけど、アタシはうちが大嫌いなの。さっきのアンタみたいに、事あるごとに『夏希財閥のお嬢様』とか言われると、虫唾が走るのよ」


「そうなのか? えっと……すまん……でもなんでだよ。何不自由なく育ってきたんだろ?」


「それが嫌なのよ。幼い頃から専属のメイドがついて、アタシのできないこと、やりたくないことは全部やってくれたわ。でもおかげで私は……『努力』を知らない人間として育った……」


 いつも元気なリサに見合わない、静かで、どこか寂しそうな声。

 リサの話に、俺は返す言葉が見つからなかった。


「不思議なことにね、努力を知らないと人と接することができなくなるの。なんでだと思う?」


「……分からない」


「それは、人と接する努力をしないから。常に人任せで、自分が動こうとはしてこなかった人間が、コミュニケーションっていう、自分から動かなければ何も始まらないことなんか、できるはずないじゃない。せっかく声をかけられても、どう返していいのか分からないから会話のキャッチボールが成り立たずに人はアタシから離れていく。おかげでアタシは中学までずっと一人ぼっちだったわ」


「嘘だろ……?」


 あのリサが、毎日を楽しそうに過ごしてるリサが……一人ぼっち?


「本当よ。唯が言ってたでしょ?アタシが告られても一度も返事をしたことがないって。これは返事をしなかったんじゃなくて、できなかったのよ。告られても、どう返事したらいいのか分からない。結果的に、無視することになったの」


 そういうことか……。

 なんか聞いてる俺が複雑な気分になる。


「だからアタシはあの子が……早川唯が羨ましくてしょうがなかった。小さい頃から運動神経抜群で、成績優秀で、決して努力を怠らない唯が……本当に羨ましかった」


 リサは、どこか遠くを見つめるようにそう言った。

 なるほどな……。

 結局のところ、リサは早川のことを認めていたんだ。

 これはきっと、早川も同じだろう。

 それなのにあんなにいがみ合うのは……きっと、お互いに持っているステータスが羨ましくて仕方ないからなのかもしれない。


「それでアタシ、高校に入ったらなにか部活入ろうかと思ったの。当時陸上部のエースだった唯に習ってね。それで見つけたのが、『現代文章構成部』。部活勧誘の掲示板で群を抜いて輝いてるポスターがあってさ。アタシ運動もそこまで得意じゃなくて運動部は嫌だったから、そこにしようってすぐに決めたのよ」


「ちょっと待て、ポスター⁉」


「何よ、知らなかったの? 多分優奈が書いたものだと思うけど」


「マジかよ……」


 知らなかった。

 ちゃっかり何作ってるんだよアイツ。

 てかあんな短時間でよく作れたな。


「それで勇気出して部室入ると、アンタと優奈しかいないじゃない? なんか急に部長争い始めるし。二人見ててどうしていいか分からなかったけど、とりあえず勝負ごとみたいだったし、誰でも知ってるジャンケンを提案してみたの」


「それであの死闘が繰り広げられたと」


 あれは酷かった。

 てか残酷だった。

 できればもう二度とジャンケンなんかやりたくない。


「いざ活動開始してみると、部室のガラクタ掃除だって言い出すし、制服汚れるし、最低だったわ……けど、あの時アタシは生まれて初めて努力をした。努力の辛さと、厳しさ、そして楽しさを知った。それでいつの間にか部員が増えて……唯が入った時は流石にびっくりしたけど、アタシはその中に溶け込めた。人と接することがこんなに簡単なことだったんだって気付けたのよ」


 そうか……。

 あんだけ文句たらたらだったくせにちゃんと部活に来てたのは、内容がガラクタ掃除でも、それがリサにとっては楽しかったからか。

 俺としては面倒なことこの上ない、できればやりたくない作業だったけど、リサは努力を知らないからこそ、作業の中の楽しさを見出すことができたのかもしれないな。


「それで、この前から小説のネタ帳書き始めて……アタシ、思ったんだ。これだけは全力でやってみよう。努力してみようって」


「だからあんなに沢山ネタ帳書き込んでたのか」


「そう……小説について色々調べたわ。ジャンルとかね」


「なるほどね」


 ははは……こりゃ他の二人と差が出るわけだ。

 自分の小説にかける思いから、リサは根本的に違っている。

 きっとその思いは、俺をはるかに上回る。


「でも、それでもアタシは、まだ怖い。アンタたちがそのうちアタシから遠ざかっていくのが……また一人ぼっちになるのが……」


 少し俯いてそう言ったリサはの目は、どこか怯えていた。

 そして、不安に満ちていた。

 俺はリサの小さな肩に手を置く。

 こうすることで人の不安は、少しでも和らぐ気がする。


「……お前、『Re:Friend』が俺の過去なんじゃないかって話になった時に言ってくれたよな。過去なんか興味ない。大事なのは今だって。俺もそう思う。せっかく話してくれた過去だけど、俺はそんなの知らんし、興味がない。大事なのは今だ。今俺たちがお前から……夏希リサから離れていくなんてことは、まずありえない。だからこれだけは言っておく」


 俺はすっと息を吸い込み、全力の作り笑顔で右手の親指を立てながら、



「今のお前、すっごくいいと思うぜ?」




 と言った。

 するとリサの口元が、かすかに揺らいだ。


「ふふ……作り笑顔、バッレバレ。女の子励ますなら、もうちょっと上手くやりなさいよ」


「え……バレた?」


「十中八九バレるわよ。若干さっきの顔怖かったし」


「マジかよ……」


 俺なりに結構頑張ったんだけどな⋯⋯。


「まぁでも、顔はともかく……言葉は嬉しかったわ」


「へ?」


「今のアタシ、すごくいいって言ってくれたじゃない」


「いやまぁ……その……」


 やべぇ、今更恥ずかしい!

 もっと言葉選ぶべきだったかな……。


「優也」


 俺が慌てふためいていると、リサは歩みを止めた。

 それに合わせて俺も足を止め、リサの方を見る。

 リサは風になびかせた綺麗な金髪をかき上げながら、



「ありがとね」



 と、俺の知る限りのぶっちぎりを飾る笑顔でそう言った。

 ……やっぱ可愛い……よな……。

 リサの笑顔に心臓バクバクモードに陥っていた俺は、


「お、おう」


 とだけ返して、再び歩きだした。

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