6 早川唯(前編)
俺が入学してからもうすぐで一ヶ月。
四月ももうすぐ終わりそうというある日のことだ。
授業を終えた俺が部室に向かおうと中庭を歩いていると、アドアネス高校指定のジャージを着た高身長の男子生徒と、制服で眼鏡をかけた女子生徒が二人で話しているのを見かけた。
ジャージに入ったラインが黄色いことから、男子生徒の方は二年生だということが分かる。
女子生徒の方は同じクラスの……名前は確か早川唯。
長い黒髪と、赤縁の少し大きめの眼鏡と低めの身長が特徴的で、クラスではあまり人と話すことはなくいつも本ばかり読んでいる、いわば図書館系女子。
そういうインドア派の女子は運動が苦手というのはラノベ、漫画によくある設定の一つだが、早川は違う。
この前の体力テストでは、50メートル走6.8秒という驚くべき成績を残し、女子はおろか、男子も度肝を抜かされた。
あ、ちなみに俺は7.1秒。
そんなに遅くはないとは思うが、早川のタイムと並べられるとどうしても遅く感じてしまうのが残念なところだ。
そんな早川が一つ上の先輩と学校の中庭のど真ん中で何を話しているんだろうか。
逢い引きかとも思ったが、早川のキャラじゃないし、そもそもそんな感じは一切なく、どちらかというと険悪なムードが漂っている。
参ったな……二人が話してるところの近く通りたいんだけど……何気なく通りすがるのが無難だよな……。
俺は早歩きでさり気なく通りすがろうとするが、二人に近づくにつれて会話が聞こえてきた。
「ですから私は陸上部には入りませんって何回言ったら分かるんですか?」
「しかし早川。君くらいの運動能力を持ちながらどの部活にも所属していないなんて勿体無いぞ」
なんだ、陸上部の勧誘か。
まぁ、あの運動神経なら当然だろうな。
というか、もう五月になるのに早川のやつ、どこにも部活に入ってなかったのか。
「私はもう陸上部には入らないって決めたんです」
「それは結果を残せる自信が無いからなんだろ? だが俺の見立てだと君が短距離に出場すれば県どころかインターハイは固い。だから陸上部に入るんだ」
「お断りします。何回誘ってくれても答えは変わりません。それでは失礼します」
「待て」
早川が先輩に一礼して離れようとすると、先輩は早川の腕を掴んだ。
「いい加減にしろよ。何度も言わせるな。お前は陸上部に入るんだ。いいな?」
先輩はさっきと全く違った冷たい口調になり、早川を上目遣いで見つめた。
「ちょっと……離してください……!」
「この入部届けにお前が名前を書いてくれれば離してやる」
そう言いながらポケットから四つ折りにされた紙を取り出す先輩。
多分入部届の用紙だろう。
「そんな……脅迫じゃないですか」
「こうでもしないと君が入ってくれないからね」
「く……」
いかに早川の運動神経がずば抜けているとはいえ、運動部の男子に腕を掴まれたら女子の力ではまず逃げることはできない。
「あの、すいません」
「あん? なんだお前は」
「その子のクラスメイトの中川優也です。今の光景を少し見ていましたが、あれは完全に脅迫ですよ」
ってうぉぉおい!
一体何をしている俺!
なに正義のヒーロー気取っちゃってるの⁉
何気なく通りすがる作戦どこ行った⁉
「クラスメイト?それだけの関係の人間が口出しさんじゃねぇよ。さっさとどっか行けよ」
それはまぁ、ごもっともです。
でも、乗りかかった船というか、正直乗りたくもなかった船だが、乗ってしまったからには仕方がない。
何とかしてみるか。
「とにかく、今の状況は全てこのスマホで撮影させていただきました」
ポケットから自分のスマホを取り出す俺。
「これを先生方に見せたらどうなるでしょうね? まぁ、廃部とはいかなくても、陸上部はしばらく活動休止。先輩自身もある程度の罰があると考えてもいいでしょう」
「お前それ盗撮じゃねぇかよ!」
「確かにそうですが……俺はこの学校の理事長と少しばかり気の知れた仲なんですよ。正直な話、盗撮くらいならいくらでも揉み消せますし、この場合ですと先輩の犯した『脅迫罪』を立証する大きな証拠ともなります」
「んぐっ……」
もう一押しかな?
「だからその手を離してください。さもないと……」
俺はスマホをおもむろに操作し、耳に当てる。
「あ、もしもし理事長ですか? 今中庭で」
「分かった! 離すから! チクるのは勘弁してくれ!」
そう言って先輩は早川の腕を離すと、俺はにっこりとできるだけ怪しい笑みを浮かべ、
「次早川に近づいたら……最期ですよ」
「悪かった! それじゃ、俺は練習に行く! すまんかった!」
あ、逃げた。
そこは流石陸上部。
足はめちゃ速いな。
まぁ、しかし反転裁判、通称『反裁』やっといてよかった。
反裁の主人公の台詞を丸パクリして先輩に言っただけで何とかなったし。
よくやったぞ、俺よ。
「あの……」
俺が自己満足に浸っていると、早川が低い位置から声をかけてきた。
「助けてくれてありがとうございます。優也さん」
「あぁ、いいよ別に。じゃあな」
女の子を助けて名も告げずに去って行くというデキる男の理想形を演出しながらその場から立ち去ろうとする俺。
まぁこの場合、名前はもう知られてるのがネックだが仕方がない。
「待ってください」
「……なんだ?」
流石にそこは俺が立ち去るのを静かに見守っとこうぜ。
「私、優也さんと同じ部活に入部します」
「……はぁ⁉」
……オーマイゴッド……。
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