中川優也
1 出会い
ある日の夕暮れ時、学校の校門を出たところで制服のポケットにあるはずのものがないことに気づき、俺は回れ右して校舎へと引き返した。
いわゆる忘れ物……いや、この場合は『落とし物』と呼ぶべきだろう。
ほとんどの生徒は部活動に励むか、俺を含む三日前に入学したばかりの1年生は部活動見学に行っているため、すれ違う生徒はあまりいない。
薄暗い廊下をしばらく歩き、十分後、俺が所属する1年C組の教室前に辿り着いた。
なぜまっすぐここに来たかというと、ポケットに入っていたはずのアレが落ちる瞬間なんて、六時限目の体育の前に教室で着替えた時だけだと考えたからだ。
誰もいないだろうと思っていたのだが、教室の扉に取り付けられた小窓を除くと、一人だけ女子生徒が残っていた。
長い黒髪が特徴的で、やたら整った目鼻立ちをしたクラスメイトの少女。
名前は確か、古川優奈。
クラスの人間にあまり興味がなく、名前など当然覚えるのが苦手な俺だが、古川のことだけはなぜか覚えていた。
それだけルックスのインパクトが強かったのだろう。
古川はアニメやラノベで言う、いわゆる『美少女』の枠に属しており、俺の中ではクラスで最も可愛い女子といっても過言ではない。
古川はちょうど教室の真ん中くらいの席に座って何かを食い入るように見ている。
(あ……あれは……!)
古川が見ていたのは『Campus』と印刷された青の表紙に『原案』とマジックで書かれた小さなノートだった。
そしてそのノートは、俺のポケットに入っていたはずの物で、俺の落とし物そのものだった。
俺は落し物が見つかった喜びと、中身を見られた恥ずかしさが混ざった変な感情を押し殺しながら教室の扉を開ける。
ガラリという扉の音がすると、古川が一瞬ビクッとなったのが見え、こっちを向いた彼女と目が合ってしまった。
「え……えっと……」
「あ……あの……」
まずい……二人とも硬直状態に陥っているぞ。
両者とも何をどうやって話したらいいのか分からないという感じだ。
しかし、俺の探し物は古川の手元にあるため、話さないわけにはいかない。
ここで俺が古川に近づき、何も話さずいきなりノートを取り上げ、教室から退散したら色々アウトだろう。
入学早々悪い噂は立てられたくないからな。
「えっと……それ、俺のなんだ。返してくれないか?」
「え? あ、うん……」
俺はできるだけ優男ボイスを醸し出しつつ古川に近づく。
古川は開いていた俺のノートを閉じ、俺の方へ差し出した。
「中身……見た?」
答えは分かりきっていたが、一応聞いてみる。
すると古川は、少し申し訳なさそうに、
「べ……別に悪気はなかったの。日直の仕事が終わって帰ろうと思ったら床にそのノートが落ちてて、つい……ごめんね?」
古川は少しうつむき、上目遣いで俺を見た。
まるで『怒ってる?』と聞いているかのような目だ。
「別に謝ることないよ。落とした俺が悪いんだし、正直拾ってくれて助かった。ありがとうな」
俺は受け取ったノートをポケットにしまいながらそう言うと、古川は顔を上げ、ニコッと笑いながら「うん」と一度だけ頷いた。
「ねえ、名前……教えてくれる? まだクラス全員の名前把握してなくて……あ、私は古川優奈」
「中川優也だ。よろしく、古川」
「よろしく……えっと、優也くん」
別に呼び捨てでもいいのにと思ったが、変に馴れ馴れしく呼ばせるのも良くはないと思ったので俺はあえてそう言わなかった。
「優也くんって、小説とか書いたりしてるの?」
「へ?」
あのノートを見られた以上、なんとなく予想していた質問に、わざとらしく素っ頓狂な声を上げる俺に古川は少し渋りながら、
「だから、小説。物語よ。もしかしたら書いてるんじゃないかって思って」
「……なんでそう思うんだ?」
「さっきあのノートを拾って見た時、キャラ設定とか、ストーリーとかが書き込まれてたから」
「結構がっつり見ちゃってたんだな」
俺のあのノートには、今俺が書いているネット小説の原案が書かれている。
ネタが思い浮かんだ時、忘れないうちに書き留めるためのものだ。
そのノートをクラスメイトに見られるとは、なんたる失態。
これで『一年C組の中川優也は小説を書いている』なんていう噂が広まったりしたら猛烈に恥ずかしい。
入学早々、やらかした気がするな……。
古川の口が硬いことを祈ろう。
「ごめんなさい。そんなに見るつもりはなかったんだけど、中身を開いたら私の好きな小説の内容にそっくりで、つい見入っちゃったの」
「へぇ……ネット小説好きなんだな。それで、その好きな小説って?」
「『小説どっとこむ』っていうサイトに投稿されてるネット小説でね、すごい面白くて、感動するラブコメディなの。タイトルは、『Re:Friend』。あれは私のバイブルと言っても過言ではないわ」
古川は目をキラキラさせながらそう言った。
バ、バイブル……マジか。
「俺のこのノートに書かれてる内容と、その小説の内容がそっくりなのか?」
「そうなのよ。最初見た時、このノートの持ち主はもしかしたら『Re:Friend』の作者なんじゃないかってちょっと期待しちゃった」
古川は少し残念そうにそう言った。
「期待しちゃったって、どういうことだよ」
「ありえないのよ。何しろ『小説どっとこむ』のユーザー数は、今では途方も無い数に増えてる……そんな無数のユーザーから、『Re:Friend』っていう一つの作品の作者に出会うなんて、無理な話だよ……」
「そうかな……」
寂しそうに話す古川を見てるうちに、俺はいつの間にか声が出てしまっていた。
「案外会えるかもしれないぜ?」
「どういうこと?」
「その小説の作者の名前、覚えてるか?」
「えっと……確か、『yu―ya』……あっ」
何かに気づいたように古川は俺を指差した。
やっぱりペンネームであからさまに本名使うのは良くないかもな……。
「気がついたみたいだけど、その……俺……なんだよね……『Re:Friend』書いてるの」
俺は自分がネット小説を書いていると他人に打ち明けたのは初めてだ。
それなのになぜ古川にこのことを教えたのかは俺にも分からない。
初めて会った自分の作品のファンに、心が高鳴っているだけなのかもしれないし、もしかしたら自分の名前が売れるチャンスだと感じたのかもしれない。
しかしその真相は不明であり、神秘のペールに包まれている。
ただ、古川にはこのことを教えておくべきなんだと思った。
あくまで、なんとなくだけど。
「嘘……やっぱり……夢じゃない……今が……チャンス……?」
古川は少し動揺したようにブツブツ何かを言った後、急に俺の方に向き直り、
「ねぇ! 優也くん!」
「お、おう⁉」
声の大きさと顔の近さに俺は少し動揺する。
「私に、『Re:Friend』の挿絵をやらせてくれない⁉」
「……は?」
俺はこの言葉の意味を理解するのに、たっぷり十秒ほどかかった。
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