第一章 自然の法のフィーナ

 絶対に「改ざん」ができない仕組み……、新興の相場専門で様々なアイデアにかぶりついてきたのだが、ここまで言い切られると、これには、他にはまねできない素質や力などが、あるのだろう。これは大きく伸びると直感し、すぐに、大量に買い付けた。ここまでの材料は、この先、出てこないだろう。何があろうとも、「銘柄に惚れるな」と責められても、絶対に手放しません。長期の保有が、すべてです。


――――――


「これは……、なかなか興味深い滑り出しの書物です。さすがは、そこそこの相場が存在していた時代みたいですね。一度でも惚れ込んだら、絶対に手放さないなんて、これ、本当に素敵なことだと思いません?」

「あっ、そうですね……」


 わたくしは今、じわじわと吹き出てくる額の汗を腕で拭いながら、ロウのように固まってベトベトしたほこりや、じわじわ広がる疲労感と戦いつつ、あたり一面に散乱した書物を整頓しています。


 そうです……、フィーナ様に誘われ、明かりを手に持ち、曲がりくねった先にある例の隠し部屋まで、ご一緒しました。なぜか、壁一面に数式や何かの図らしきものが、ぎっしりと書き込まれており、その内容はわからずじまいで、言い知れぬ不安にとりつかれます。それでも到着するとすぐに、笑顔のフィーナ様に、その役割を交代するから! と告げられて、その明かりを取られます。はぁ……、目の前には、ため息が出るほどに散乱した大量の書物が、床に散らばっています。


 やれやれでございます。わたくしは、そのフィーナ様と目が合った瞬間に、事前に立てたあの予測が、すべて正しいことを悟ります。それは……黙って、薄暗い中、床に散乱している書物の整頓でした。


 その一方で、フィーナ様は、床に散乱していない、棚にある方の書物を片っ端から手に取って、まず、頭の部分を読みます。それで、お気に召されると、壁際までゆっくりと歩き、そのまま寄りかかって明かりを持ちながら、手に取ったお気に入りを読みふけっているのでした。そして、内容を頭にすばやく叩き込んだら、また棚へ……を、繰り返しています。


「特に、改ざんができないという記述が、とても気になります。書きかえを試みると、すぐに元の内容に戻るような仕組みが、あるのでしょうか? それとも、白塗りで消しても、翌朝には元通りに戻るとか? まるで、捨てても持ち主の元に必ず戻ってくる、祝福されたお人形さん、みたいなものですね?」


 やはり、ここにも「白塗り」みたいのがあるのですか。たしか、都合の悪い部分を隠す、あの行為ですよね? 幸いなことなのか、ここでは一度もみていません。たまたま、フィーナ様以外を信用していないため、そうなっただけなのかもしれませんが。なぜなら、気難しい方が多くて、話がつながらないためです。しっかりとした会話ができませんと、その方に信頼は置けませんので。


「白塗りね……。わたくしが地にいた頃は、しばしば、みてますよ」


 わたくしがそう述べると、フィーナ様が突然、読む手を止めて、こちらをじっと見つめてきました。なんか、まずいことを言ってしまったのかな……。なにかをつむぎ出そうと、眼で訴えかけてきます。


「フィーナ様、もし、ご機嫌を損ねられたのであれば、申し訳ございません」

「えっ! あ、それはその……、そうそう、そうね、黒塗りではなく白塗りの方、ですか?」

「あっ……、はい。間違いなく『白塗り』でした」


 フィーナ様……、何か引っかかるのか、話しづらそうでした。それでも、しっかりと論理を組み立てて、答えていただける所が、信頼を置ける証です。


「実は……、塗りつぶしには、『黒塗り』と『白塗り』の二種類があるのです。そして、この二つは意味が異なります。まず、一つ目の黒塗りです。これは単に、塗りつぶしたい目的で利用いたします。そのままの解釈ですね」

「黒いものを、みえないように黒く塗りつぶす、か」


 あれですよね? 閲覧したい部分が黒塗りにされていると、何ともいえない不信感に見舞われます。そんなありきたりな手法でも、いわば「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という状況が、この地では多かったかな。


 地に集まる大勢の『ヒト』、それらを管理する『精霊』、そして……、精霊に適切な指示を下すのが、ここに集まる『天の者』です。それゆえに、統制的には、あまり物事を引きずらない『ヒト』が多数を占めてくれますと、楽なのかもしれません。


「黒いものを黒で隠す、ですか。そこには、何かしらの後ろめたさを感じているのかも、しれませんね」

「なるほど……」

「では、二つ目の白塗りですね。これは……少し驚くかもしれません。白く塗られるのは、学術が道徳的にまずいことをしでかした場合です」


 えっ……! 道徳的に……って、きっと、気安に触れてはいけないものだろう。でも、さすがに気になってしまいますね。おそるおそる伺ってみることにしました。


「そ、それは……具体的に、どのように使われるのでしょうか?」

「そうですね、例えば、何かしらの学術でフィーナの名が白塗りされていた場合、このフィーナって者は、とんでもないものに首を突っ込んでしまったと、みなされます。白塗りは、とても怖いのですよ……」


 ……、その白塗りが脳裏をよぎったのでしょうか? フィーナ様がうつむき加減で、手に持つ書物を開いたり閉じたりしています。これは……、過去に何かあったのだろうか。あまり触れない方がよさそうですね。


「すみません! つまり、わたくしがみた白塗りは、学術に関するものだったのですね。特に新興の相場なら、そういった話で頓挫して……、というのは、よくある話でした。どのみち、そんな相場に参加している方々は、その程度の白塗りは『織り込み済み』ですよ。まれにですが、そんなの関係ないと否定する脇の甘い方が、派手に散ってしまう、そんな相場でした」

「……そのようなのが話題になる、消された『精霊』が出るような新興すら、難なくこなしていたのですか。さすがです。それこそ地では、『自力で這い上がってきた凄腕のトレーダー』として有名で、それが気になって、ためらわずにお誘いして正解でした。その大胆な手法は、大群で祭りを移動して、またたく間に、次々と爆益を抜いていく、でしたよね?」

「そ、そんなやばい新興はさすがに……。あと、凄腕って……、それは、かいかぶりですよ! 最後は、うまく事が運んだ、それだけです。途中、すべてを失う『退場』の危機に何度も見舞われていましたよ」

「へぇ……、やたらとご謙遜ね?」

「そもそも、これは『天の取り決め』とはいえ、フィーナ様の監査が、道端に転がっている石ころのようなトレーダー上がりで大丈夫だったのですか? 正直、引くに引けなくて、そろそろ手堅くいかないと破滅するよな……という絶妙なタイミングでお声をかけてくださったので、そのまま成り行き、ですよ? さらに正直に言いますと、『ヒト』から『精霊』になれるという点に、心を奪われたという点もありますよ?」


 天の取り決め……天の者に「ヒト」から監査を付けよ、というのがありまして、それに選んでくださったとは、今でも、信じ難いです。監査の肩書きは「精霊」になりますので、これで、自動的に「ヒト」から「精霊」に昇格するわけです。


 そうです! こんな幸運に恵まれているのですから、この程度の整頓で、不満を漏らすようでは、いけませんね。僅かばかりですが、やる気が湧いてきました。


「イナゴさん? 今、きちんと自分の心のなかを正直に話されましたね? それでこそ……監査の資格があるのです。そこで、他の意見に流されにくく、自分に正直な方を探していた結果、イナゴさんのようなトレーダーに、たどり着きました」

「……。自分に正直か。でも、相手に対してはわかりませんよ? トレーダー上がりなのですから。それでも、なぜか、安心はしました」

「自分にも相手にも正直な方など、まずいらっしゃらないので、片方だけで、十分なのです。わたしは、自分に正直な方が、この監査に向いていると判断しました!」

「なるほど。たしかにそんな方、いませんよ! そういえば、古めかしい言葉……『人間』という言葉を使い、この力が最も重要で、それこそが全てにおいて正直だ、という考えを大いに表明していた銘柄がありました。わたくしみたいなトレーダーが好むようなものではないため、触っておりませんが、あれからどうなったのか、気になってきました。これを終えたら、調べておこうかな」

「『人間』ですか? それを大いに表明なんて、ちょっと寒気がするのです」

「フィーナ様、それはわたくしも同じ意見です。もしや、トレーダーの気質があるのでは?」

「わたしが、ですか? 今のガバナンスがない相場では、最初のはめ込みで、派手に散りそうです……」

「そんなことを言っていて、新興の相場に、余力の全てを張る『全力』を、平気な顔でやる方とか、いましたよ!」

「『全力』ですか……。わたしがそんな張り方をしたら、その場で倒れてしまいます。それにしても、やはり相場は得意だったようですね。その証に、この話になってから、整頓のペースが上がっています。これについては、もっと早めに話しておくべきでした。他の意見に流されやすく、自分を偽っても平気な方を監査に置いてしまうと、早い段階で、お金だけの関係になりますから」

「えっ、お金だけの関係、ですか?」

「はい。お金と信用を天秤にかけて、お金の方が重くなる場合、これをお金だけの関係と呼びます。ここで、自分に従順となる監査にするには、お金だけになりそうな関係をみつけだし、まず、天からお金を恵みます。すると、大体は『朗報』と天高く叫んで、そのお金のことしか、頭に残らなくなります。その状況下で、『悪魔のささやき』でも一つあれば、間違いなく、暗黒に落ちます。まるで、お友達のような関係になってしまい、監査としての役割はすべて失われるのです」

「天からお金を恵む、そんなのがあるのですか?」

「はい。天では下っ端のわたしにすら、恵む分の枠が、割り当てられています。年単位で更新されていて、それまでに使われなかった枠とお金は、翌年には持ち越しされずに、すべて返すことになっています。わたしの場合はですね……、この担当の者が……、どうせ余っているのだから、自由に使ってしまって構わないとおっしゃいましても、使い先がないため、そのまま触らずに返す状況が続いています。そこで、どうですか? イナゴさんがご希望であれば、その枠の一つを行使いたします。金額については、手堅いご職業に就かれた方の……おおよそ十五年分の収入に相当します。さらに、税の対象外です。なぜなら、天または精霊から割り当てられたお金に、税をかけては意味がないとの解釈からきています」


 十五年分の収入って……、それ位はたった枠一つで動かせるのか。しかも、無税なのですか。これでは、心を奪われる方がいても、不思議ではないな。


「それを受け取ったところで、わたくしにも、使い道がありませんよ?」

「……、『朗報』にはならないのですね?」

「なりませんよ」

「本当に? これで最後だとしても?」

「なりませんよ、フィーナ様」

「ふぅ……、さすがは元凄腕のトレーダーさんですね。この程度の金額では、手堅い方のランチ代という、感覚でしょうか?」


 えっと、ランチ代って……。いや、何でもないです。


「フィーナ様、さすがにそれはちょっと……。普通に大金ですよ」

「そうですか。大金では、まだ足りないと?」

「えっ! そういう意味では……」

「では、これならどうでしょうか? 実はです、数年分を一度に動かすこともできます。監査だと、三年弱はいけますね。これなら、十五年分に三をかけて、おおよそ四十五年分になります。さすがにこれ以上は、下っ端のわたしでは、無理ですよ?」


 四十五年分……。手堅い方が、一生働いてようやく得られる収入に相当しますよね、これ? それが今ここで、「朗報」と叫ぶだけで手に入るのか? なるほどね、ようやくわかってきました。


「手堅い方の一生分ですよね、その金額?」

「イナゴさん? これ、一生分以上ですよ。なんといっても、無税、ですから」

「……。無税で、しかも、一度に入るのか。まさしく、先ほど話された『悪魔のささやき』ですね、それ?」

「はい、そうなりますね。ちょっとした書面が必要となりますが、それと『朗報』を叫ぶだけで、確実に手に入りますよ? ちなみにこれ、イナゴさんを試しているわけではないのです。必要なら、素直に応じてください。もちろん、天や精霊、地のすべてが従う『天界の法』で、問題になることはありません。ご安心ください」


 散らばっている書物を整頓していた手が、僅かな時間だが、止まった。まさか、わたくしにも、無意識の領域で、ちょっとした迷いが生じているのか? これね……、その金額を軽く扱った経験がないと、これだけの誘惑を跳ねのけるのは厳しいと言わざるを得ません。そこで、わたくしの考えを素直に述べていきます。


「それらの財源は、地で働く方々の、血と涙の結晶で、間違いありませんよね?」

「はい。大部分が、それです」

「フィーナ様が、例えば……書面の送付にかかるような、ささいな費用でも節約できるように、日ごろから工夫をこらす心がけなどを、拝見しています」


 フィーナ様が、唖然とした表情で、こちらをみつめてきました。


「あ、あの……」

「そういうことでしたか。普段から、妙な視線を感じていたのですが、しっかり、わたしを監査していたのですね?」

「あ、いや……」

「……、『朗報』という言葉が出てきたら、どうしようかな……と、少しドキドキしてしまいました。大丈夫みたいですね」

「えっ! やはり、試されていたのでしょうか?」

「いえ、これは、わたしからのちょっとした、いじわるなのです」


 「いじわる」か。試したと言わないところが、フィーナ様らしいです。まあでも、わたくしは、トレーダー上がりですので、やってきたことは……「クズ」と呼ばれても致し方ないです。そんなのは当たり前で、それこそ、陰ではなく真正面から怒鳴られても、まったく動じません。だからこそ、試されたのかな。


「フィーナ様……わたくし自身、『クズ』と呼ばれても致し方ないことは、十分に承知しております。売買を行う板の上で、カネを回して、利ザヤを抜いているだけ、と言われてしまえば、何も言い返せないです。本当に、このような場に誘ってくださっただけでも、十分なんですよ!」

「イナゴさん……? 今、なんて言いましたか?」

「はいっ? あっ、十分と言いましたが……」

「そこではないです。『クズ』と呼ばれても致し方ないと、言いましたか?」

「えっ!? あっ、はい……」


 フィーナ様、もしや、怒っておられる?


「例えば、新興の相場は、いかがでしたか?」

「えっ! 新興の相場に張る、ですか? あの相場は、慣れていないと、本当に難しいですよ。『新興は化ける』と、うたわれていますが、わたくしが触るとしたら、どんなに魅力的なエサを並べられても、全枚数の持ち越しなんて無理で、半分以上は回転で対処します。それこそ、『ホルダーのみなさまへ』が出てからでは逃げられませんので……」

「それです。そのような危険なエリアを、『クズ』なんかでは、出歩けませんよ?」

「……ちょっと唐突ですが、そう言ってくださるのは、悪い気はしません」


 あっ、特に嫌ではないのですが、散らばった書物を整頓しながら新興を語るのは……、とりあえず話題を変えられるように試みます。


「……、フィーナ様! さすがに、疲れてきました……。新興の話ならば、ここは腰をすえて、じっくりといきましょう」

「あっ、配慮に欠けていましたね。わかりました。少し、お休みしましょう」


 それから、わたくしにとって、とても興味深い話がはじまりました。


「この極東の地では、トレーダーが、『無意味な立ち位置』や『必要のない存在』などの悪い方向に解釈されがちで、とても残念です。でも、自然の状態および発生をつかさどる『自然の法』のフィーナは、トレーダーが、欠かすことのできない存在と言い切ります」

「……言い切る? それは、どういった意味でしょうか?」

「それはですね、からっぽの板を置いて、さっそくここで売買してねっ! と誘っても、まったく誰も来ないのです。ずっと、からっぽのまま、時間だけが虚しく過ぎていきます」

「いや……、さすがに、それはないと思います。ちょっとしたスケベ……、じゃなくてっ! ちょっとした興味の買いとかは、放っておいても自然に出てくるとは思いますが?」

「えっ、今なんて? スケベ、なの? へぇ……。ちょっとしたスケベな買いって、たしか、誰も寄りたがらない不祥事を何回もやらかした、夜間の取引なんかに出てくる、小さな買い方のことでしょ……? 違います? イナゴさん?」


 フィーナ様が、目を丸くしたと思いきや、微笑を浮かべつつ首をかしげました。これはまずい! と考え、すぐに話を「からっぽの板」にふることにいたします。


「そうですよね! 放っておいても、買いなんか、出てくるわけがないですよね、ははは……」

「そう……。わかれば、構いません。それで、からっぽの板をどうするのか、です。これを最適な値に導くのが、俗にいう『ディーラー』さんとかです。うまい具合に、最初の相場を美しく編み出していきます」

「おお……、そうだったんだ」

「そこは過酷な世界で、値の変動を刻々と記録した図……『チャート』のはじめの部分をつくる重圧に押しつぶされてしまう方が、後を絶たないのです。なぜなら、そのような場に集まる方々は、淡々と、おかしな取引や誤った発注などを狙っています。少しでも油断をすれば、大変なことになります」

「なるほど……」

「念のため言っておきますけど、ディーラーさんは、スケベではないですよ?」

「あっ、いや……」


 そういえば、フィーナ様って、案外……引きずるタイプでした。少しの間は、からかってくるだろうな……。


「そうやって、やっとの思いでできた板も……、放っておくと、また動かなくなります。取引する方々がいなくなり、閑散としてくるのです。そこで、必要とされるのが『トレーダー』さんです。日頃から常に出入りしていただくことにより、取引の量……『ボリューム』を維持して、いつでも売れる環境を提供します。これが、どれほど大切なことなのか、ね?」

「……。そう言ってくださるとは……」

「いつでも売れる環境の構築……高い流動性が提供される、その信用から、資金源となる最初の放出分が売れるのです。そして板が、閑散となる度に、トレーダーさんが恋しくなるのよ、きっとね」

「恋しくなる、か……。果たして、そういう存在だったのでしょうか?」

「どうかしらね? そうね……、そういう存在だったのならば、そろそろ、いまだ散らかっている書物を整理する気力は戻ってきましたでしょうか?」


 そんな話をしているうちに、たしかに、散乱した書物の整理により極端に失われていた気力と体力が戻ってきました。さっさと終わらせて……、あっ! 大事なことが後回しになっていましたね。夢の件です。その事をお伝えするために伺う予定が、相当な回り道になってしまいました。


「ところで、別世界の夢をみる方の件なのですが……」

「はい、ようやくその件ですね。ここの整理を終え次第、その方のもとに向かっていただき、こうお伝えください。『夢の内容を口外しないでください』と。特に、具体的な部分を口外されてしまうと、地に、大きな爪痕を残してしまいます」

「えっ、夢の内容が大きな爪痕を残す、ですか!? 具体的な部分って……口外するほど鮮明には憶えていないでしょうから、それでもですか?」

「はい、それでもです。なぜなら、あまり憶えていないぼやけた夢は、『自然の法』に基づく、ごく一般的な場合ですが、その方の夢は、この法に背きます。それは、すべての内容を、はっきりと憶えていることになります」

「『自然の法』に背くって、そんなことがあり得るのですか? その場合、生まれ持った者が誰にも邪魔されずに行使できる権利に背く、となりますよ?」

「さすがは……、元凄腕のトレーダーですね? 少しでも疑問を抱いたら、後回しせずにその場で解決するクセが残っていますね。わかりやすく簡単にいきますね?」

「……。はい」

「まず、その方……、過去に大きなショックを受けています」

「あっ!? それですね……」


 わたくしはフィーナ様に、過去にその方が受けた、精霊からのきつい仕打ちを、お伝えいたしました。大損の愚痴で、つぶやいていましたからね。


「……、それ、相変わらずの精霊ですね。たしか、『ヒト』のことは名で呼ばず『確保番号』で呼んだり、なぜか生気が感じられない方々が集まっていたりと、そんなのが別に珍しくも何ともないと、嫌になるほど耳に入っていますよ」

「フィーナ様……、わたくしは元々『ヒト』ですので、こういうのは、どうにかならないのか、切に願っております」


 わたくしも、あのとき「退場」していたら、似たような境遇だったでしょう。他人事とは思えません。


「……ごめんなさい。『自然の法』のわたしでは、手が出せないのです。もちろん、それらの拘束が自然な状態に反しているのなら、そこから責めることはできます。でも、やっぱり難しいのです」

「難しい、ですか?」

「はい。実は、あなたを誘う少し前の話ですが、『みんな明るく笑って元気に働ける』という理想のスローガンを掲げていた精霊に、……不穏な噂が流れました。それはなんと、生気が感じられない方々が集まってきていると。そこで、さっそく地に舞い降りて、その精霊とディスカッションをしました」

「話し合いをされたのですか……」

「はい。その精霊は、『彼らがいるだけで美しく輝く』の一点張りでした。そこで、その『彼ら』に改善の点を伺いました。しかし……、『問題ない』を繰り返すのです」

「えっ、それは単に、言わされているだけなのでは? よくあるじゃないですか、無理に笑みを浮かべて、精霊の素晴らしさを語る、あれです!」

「イナゴさん……、わたしだって一応、天の者なのですよ? その言葉が、本心なのかくらい、しっかり読み取れます。そして……、すべて『本心』だったのです」

「つまり、本心だったということは、別に不満はないと? まさか……」

「心の奥底から『問題ない』と吐き出すことが、真実になるように、すり替わってしまったとみています」

「それなら、その真実とやらを、責められないのでしょうか?」

「すみません……それは、厳しいです。こちらから、その真実をねじ曲げてしまうと、その精霊からは離れることができても、その方の心が、壊れてしまいます。『自然の法』は、ねじ曲げられることに、とても弱いのです」

「それでも、そこは無理をしてでも、強く出ないと! 相場を張っているときですら、このときだけは強く攻めないと、上には抜けられないという場面があります。その状況……、まさに、その瞬間です」

「そうですね……」


 じっと宙を見つめて、何やら考えごとを始めてしまいました。しばらくすると、こちらに視線を向けてきました。考えが、まとまったのかな。


「このような事態を、わたしの姉様なら、どうやって切り抜けるのでしょうか……」

「えっ? 姉様?」

「あっ、イナゴさんには話していなかったようですね。わたしには、姉様がいます。わたしにはない、バラエティに富む巧みな要素を持つ、すらっとした姉様で、名は『リリア』といいます」

「へぇ……、すらっとした、姉様ね?」


 おや? 急に、フィーナ様の頬が紅色に染まりはじめました。


「あっ、あのですね? それはちょっと、問題なのです」

「問題?」

「わたしなんかと比べたら、それはそれは……です。それで、わたしと手を切って、姉様のもとへ向かうのでしょうか?」


 これは……、うかつなことは言えませんね。そういや、ここまでフィーナ様と話し込んだのは、初めてでした。うまく切り返さないと。


「『自然の法』は、ねじ曲げに弱い、でしたね? そのねじ曲げの中で、とりわけ酷いものだと思いますよ、そのような行為は……」

「そうです! わたしも、この書物にあるように、絶対に、手放しませんわ」

「はいっ? 急に……何を、手放さないのでしょうか?」

「何をって。イナゴさん、あなたですよ」

「あっ……、あのですね? この状況で、からかわれるのは……苦しいです」

「そうですか? こういうのは不向きですか?」

「……時と状況の次第、ってところです」


 ……急に、これですからね。そうですね、その目を通されている書物は、かなりお気に召したと、勝手に考えておきます。


「あっ、いえ……、そうですよね、ちょっと取り乱しました。姉様は今、地の方で『大精霊』として張り切っている、はずです」


 「大精霊」か。精霊を束ねるのが役割で、元締めの肩書きに多くいます。わたくしも、この大精霊とやらに、だいぶ、相場の世界でいじめられました。


 おや、ちょっと待ってください。フィーナ様が「天の者」で、姉様が「大精霊」か。力関係は、フィーナ様の方が断然、上ですね。いくら、精霊を束ねる大精霊であっても、天の者には、逆らえません。


「それって……? フィーナ様の方が、お立場が上なのでしょうか?」


 フィーナ様が、首を横に大きく振った。


「いいえ。本来は『天界の法』をつかさどる、わたしなんか足元にも及ばない高位な立場なのです。しかし、アクティブな性格が災いして、その影響から、大きな失敗をしでかしてしまい……、地の方で頑張ることになりました」

「な、なるほど……」

「一応、姉様のために伝えておきますが、左遷ではないのです。今回の処置は、一時的という条件付きですので、おそらく『頭を冷やして来い』だとみています」

「フィーナ様、それ、理由が気になりますね?」

「理由ですか。……、わかりました。隠していても仕方がありませんね。みなが従うとされる『天界の法』で、資産の部分に、へんてこな点が存在したのです」

「へんてこな点、ですか?」

「はい。それは……、資産の保護に対する優先順位が記されていました」


 うわ……、優先順位ね。わたくしも少し前までは「ヒト」だったので、それくらい、嫌でもわかっていますよ。


「フィーナ様、それくらいは地にいる方のほとんどが、暗黙の了解ですよ。それは……天、精霊、ヒトの順ですよね? いまさら、そんな程度では、驚きません」

「……、そうではないのです」


 フィーナ様が、わずかに視線をそらしました。


「えっ! あっ、思わず、すみません……。違うのですか?」

「はい。元凄腕トレーダーのあなたでも、これについては、頭の中が真っ白になるかもしれません。それは……『西の大精霊』を、最優先に保護すべきと、あるのです」


 ……「西の大精霊」といえば、その豊富な資金力で、この極東の地のトレーダーやディーラー、現物一筋の投資家などを、とにかく退場寸前に追い込んで、鼻をならしながら楽しむことで有名です。わたくし自身も、何度もやられています。


 だからっ! ちょっと待ってください。なぜ、この極東の地で『西の大精霊』の保護が最優先なのですか……。もしかしたら、フィーナ様、少しおかしくなられたのでしょうか……?


「それは、本当なのですか?」

「はい、本当です。わたしの姉様も、これには納得できなかったご様子で……」

「当然ですよ。まさか、それを指摘して、厄介払いにされてしまうとは」

「そんなところです」

「ところで……、それについて、地の方々が知ったら大暴れしますよ?」

「はい。それについては、わたしも間違いないとみています。そして、そこに夢の方が、大きく絡んできます」


 そもそも、元々はフィーナ様よりも上の立場の方が、そのような処遇になってしまうとはね。これについては、触れてはいけない何かが、あるのか? いや、さすがに考えすぎか。そうそう、わたくしが相場を張っていた頃……、考えすぎると、どうしても小さな売買になりがちでした。ほどほどに考えつつ、後からすばやく補正していくのが、最もやりやすかった、かな。


「夢の方が絡むって……。もしやこれは、やりごたえのある内容になりますね?」

「これは、かなり重要なミッションです。だからこそ、なかなか動かない天にいらっしゃる管理の者が、ようやく、ここにある『古代の書物』の開放に、おそるおそる踏み切ったのでしょう。なぜならこのような書物が多い場所は、この極東ならではの慣習だった点を、知っていますか?」

「さすがにそれは……。どこでも、似たようなものが多いと思うのですが?」

「いいえ。他の地域では、このような形で残っている書物が、ほとんどないのです。間違いなく、別の形で内容が保管されていて、風化され失われてしまったと、考えられます」

「別の形……ですか? まさか、これのことですか?」


 わたくしは、日頃より大切にしている『精霊の端末』を胸ポケットから取り出しました。これを起動しますと、奥行きのある情報が可視範囲にまんべんなく映し出されます。それらに対して、脳裏から指示を出しますと、その通りに動作する優れものです。


「それは、『精霊の端末』ですね? そういったものが、いにしえの時代に存在していた場合、そこに書物の内容が、情報として、収められていたかもしれません」

「たしかに便利ですからね、この端末。しかし、このような端末に書物を入れてしまうと、これ自体が形として残らないから、長い年月が経過すると……そろって無くなってしまう、か……」

「それですね。遠い未来までしっかり残すなら、それだけで読めるようにしないとダメなのです。そこで極東では、それに書物を選び、形として残したと考えられます」

「たしかに今の時代でも、書面やシールなどの紙類が大好きですよね? 端末があるにもかかわらず……」

「わたしは……、シールは案外、好きなのです。また最近、デザインに趣向をこらしたシールを、地に向けて、天が配布していましたね。興味もあって、その出来立てをいただいたのですが、これ……、明らかに多すぎて余りますから、それらを必要のないところにペタペタと貼るのが、たまらないと思います。そうです! 今度、『朗報』と大きく描かれたシールを提案してみようかな……」

「……、あ、あの、それは必要のないシールです。フィーナ様……、そういうご冗談はちょっと……」

「あっ、はい……、そうでした、すみません。経費がもったいないですね」

「仮にでも、そのようなものを作って、どこかの書物に紛れ込んだりでもしたら、後々、恥ずかしいですよ!」

「そうですね……、でもイナゴさん? 自然の力を、あなどってはいけませんよ。シールみたいな『ただの紙』など、自然に分解され跡形すら無くなります。遠い未来までしっかり残すには、それ相応のすごい技を詰め込む必要があるのです」

「そのまま残りそうな紙すら、何もしないと、消えてしまうのですか?」

「はい、消えて無くなりますよ。『自然の法』のフィーナが言っているのですから、信じてくださいね」

「なるほど。そこまでしても、残したかった内容が、今、ここにあるのですね」

「これらの書物には、それだけの想いが詰まっているはずです。夢の詳細を、ここにある残された古代の知識で、解明させる必要があります。まず、出所から探りましょう。これはわたしの推測ですが、ねじ曲げた内容を、口の軽そうな方に思う存分みせて、そこから地の混乱をまねくのが、目的とみているからです。なぜ、この時期に、こんな手の込んだことが起きはじめたのか、それはわかりません。ただ、ここで手を打たないと、取り返しがつかないことになるのは、間違いないのです」

「ねじ曲げた内容、ですか……。なるほど、それで『自然の法』をつかさどるフィーナ様に、この夢の件が舞い込んできたのですね?」

「はい、そうなります。これについては、いつもの雑用とは異なります。決して、面倒だから下っ端に押し付けたとか、そういった軽い案件ではないのです。イナゴさんにとっては、はじめて『精霊』として、地で活動する案件になりますね」

「改めて、承知いたしました。しかし幸いなことに、この夢の方もトレーダーです。わたくしと話が合うと思います。使える手は、惜しみなく出し、ご期待に応えます」

「……まったく動じていませんね。さすがです」

「フィーナ様、自信過剰にはなりますが、精神面はお任せください。この極東の取引所で扱われる、新興相場の極悪な動きで、鍛えさせていただきました!」

「たのもしいですね。そうなりますと、あとは姉様です。一時的とはいえ、地での生活となりますので、やはり心配なのです」

「地には、色々な考えの者がいますので」

「そうですよね。たとえば……、スケベ、ですか?」


 えっ! うう……。ここでそうきますか。かなり、引きずられていますね……。さて、どうすべきか。こうなったら、煙にまく方法しかありませんね。ただ、相手がフィーナ様なので、うまくいくかは未知ですが。


「それについては、特に、ご心配される必要はないと考えて、さしつかえないと存じます。地であっても、常に気を引き締めないと恐ろしいことに発展するのは、あくまで、相場を張っているときであって……」

「……一応、自然に引きずってしまう悪いクセが、わたしにあることは自覚しています。いつも、治そうと試みてはいるのですが、これが、なかなかね……」

「あ、あの……?」


 この流れ……、大事なことが出てくる前触れです。もう慣れました。


「実は、姉様について心配なのは、身の上を案じているのではなく、地にある変なことに首を突っ込んでいるのではないか、という事情があります」

「変なことに首を突っ込む? 先ほど話されました『白塗り』とかに、ですか?」

「あっ、『白塗り』ですか。わたしも、それについて話しているとき、姉様が脳裏をよぎりました。なぜか、そういう行動を好みますので。そしていつも、何かしらに関わっているのです。例えば、だいぶ前のことになります。それは……『お金』の仕組みを詳細に解明しようとして、止められていました! 『お金の解明は諦めました』と、周囲には打ち明けていたようですが、あの表情は……間違いなく、諦めてはいません。スキをねらっては、その解明を試みているはずです」

「そ、そうなんですか……。『お金』って、ウォレット残高のあれ、ですよね? 解明して、そのまま黙って増えるのなら嬉しいですけど、そんなことあるわけないし」

「イナゴさん? 簡単に、増やす方法がありますよ、『朗報』があります!」

「あっ、あのですね……」


 楽しそうな笑顔で「朗報」を迫ってきます。案外そういうの、お好きみたいですね。


「ウォレットの残高には、興味があるのですね? それでも、『朗報』には興味がない。うんうん、あなたをお選びして、本当に良かったです」

「フィーナ様、そうやって迫ってきても、それには折れませんよ。そのような『カネ』を受け取ってしまうと、必ずや、後悔することになるでしょうから」

「大きくまとまったお金を目の前にして、そこまで言い切れるとは……。いまここに、姉様がいなくて良かったです!」

「そっ、それは……、どういう意味で?」


 わたくしが歯切れの悪いお答えをいたしますと、小さく笑い始めました。


「気にしないでください!」

「あっ、わかりました。では、話を戻しましょう。その姉様という方、一時的に飛ばされたとはいえ、『大精霊』のお立場ですよね? 地で『大精霊』といったら、普通に『雲の上の存在』ですよ。そこまでご心配されなくても、大丈夫ですよ!」

「それでも、天の者ではなく『大精霊』なのが、問題なのです。その華奢な容姿だけではなく、行動力や分析力なども加味して、あまり関わりたくない『西の大精霊』が姉様を狙っているという、信じがたい噂がありました。姉様がこちらに戻られる前に、誘い込んでしまおうと、策略を練っているような気がしてならないのです」

「あまり関わりたくない『西の大精霊』、ですか……」

「はい。誰もが見捨てた腐ったものですら、ウォレットの残高に変えてしまう、あの大精霊です。イナゴさんも、知っているとは思いますが……?」

「そいつらですか。もちろん、承知しています。それは……まずい状況ですね。わかりました。その姉様の件も、地に舞い降りたときに、噂を集めて、しっかり調べておきます。なお、『精霊の祭り』にご参加されていると、ここからでもわかるのですが……、その線はなさそうですね」

「それは、ありがとうございます。姉様は、周りに合わせて、自然と『精霊の祭り』へ参加するような方ではないです。きっと、常識離れのやり方で参加しますので、ここから地を見渡すだけでは、まずみつかりません。それでも、抜けているときが結構ありまして、わたしは、そこがまた好きなのです。普通に話が通じますから! もし会えましたら、フィーナは元気にやっていると、お伝えくださいな」


 それから、姉様について楽しそうに話すフィーナ様が満足したところで、休憩を終え、棚に収まらない分を、整頓しつつ、邪魔にならないようにまとめる形で、この雑用を完了いたしました。


 雑用か……。いよいよ、その段階を終え、わたくしも、次のステップに進みます。そう考えますと、ほどよい緊張感が、全身を駆け巡ります。


「きれいに揃いましたね。このわずかな時間で……。びっくりです」

「フィーナ様……、わたくし、整理や並び替えなどは得意です。これができないと、いらない銘柄に埋もれて、何もできずに一日を終えることになります」

「これで効率よく、読み進めることができるのです!」


――――――


 いよいよわたくしが、「精霊」として本格的に地で活動する日がやってきました。フィーナ様は、例の書物でひたすらに知識を蓄えます。わたくしは……、地へ舞い降りて、その活動を開始いたします。天のご期待に、応えるべく。

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