愛情
「ねえ、開けたの?」
一限目に間に合わなくてブルーになっている私に話しかけてきたのは、あの女の子であった。私に箱を渡してきた、あの。少しだけ苛立ちながら、その問いに答える。
「開けましたよ」
「……。 しかも食べたんでしょ、それ」
「それがなにか」
ふふとその子は笑って、またひらりひらりと蝶のように去って行く。好きなことだけ聞いて、肝心なことはなにも教えてくれずに去って行った。私も私で、首根っこ引っ掴んで引き留めることだってできたはずなのに、ただただそれをぼんやりと見送ってしまったのだった。
足取りも重いまま、安いボロアパートへと戻る。
朝慌てて行ってしまったままなので、脱ぎ散らした衣服だとか、タオルだとか、洗っていない食器だとかが散乱している。テンションが一気に下がるのを感じながら、衣服やタオルを拾い集め、洗濯機へと放り込んで、回す。そして、食器を洗って、掃除機をかける。どうにか最低ラインの人間の尊厳を取り戻した部屋に寝転がった。
薄桃色をした紫陽花のような色合いの小さな箱は、朝と変わらず机の上にある。
―――捨ててしまおうか。
ふと、思ってしまった。箱を引っ掴んで、窓を開けて、外へと思い切り放り投げる。きれいな放物線を描いて、箱はぽちゃんという音と共に川へと沈んでいった。
それと同時に強い眠気がやってきた。どうにか窓だけは閉めて、ベッドに倒れ込んだ。目は自然と落ちていって、意識も次第に飛んでいった。
□□□
(開けちゃだめなんだよ)
また幼い声がしている。脳内でキンキンと響いて、不快だ。またそのうち消えてしまうだろう、と目を閉じたままでいると、ぬるりと足を触る手の感覚が。足首をグッと掴んで離さない。なんだこれは、と思って目を開けようとしたが、これが人間であろうとそうでなかろうと、見るのは怖い。だけど、気になってしまう。何が、私の足を握っているのか。目を開く。
(開けちゃだめって言ってるのに)
足下には顔の半分がどろどろに溶けている女の子がいる。ぬるりとした感覚は、肉か胸から流れ落ちている血のせいなのか。たぶん両方だ―――。
「わあああああああ!!」
それを理解した途端に、私は力の限り叫んだ。足に纏わり付くものを必死に、もう片方の捕まれていない足で蹴る。蹴っても、蹴っても。その力を緩めるどころか強めてくるので。足には、肉と血が混じって纏わり付いてくる。蹴って、蹴っても。それはついてくる。
「やめて!やめて!」
(だめだって言ったのに)
声の限り叫んでも、力の限り蹴っても。この女の子はいなくなってくれない。脳内には相変わらず声が響いている。
(おねーさんもあの紫陽花みたいに食べちゃおうか)
「えっ」
私、食べられちゃうの? 死んじゃうの? まだ何もしてないのに? こんなとこで?
(大丈夫、ずっと愛してあげるよ)
ガリリっ、ガリリリ、といやな音がしている。痛い痛いいたいいたい。痛いの、痛いいたいいたいいたいよ。
(だめなことしちゃうおねーさんだって、愛してあげる)
白い箱 武田修一 @syu00123
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