第45話『マジ天使』
「え、誰。……は?妻?妻のにおいがする?お前が前からいってる【彼女】ってやつ?……とはちがう?は?どういうこと?
……おいそこで黙るなクオン」
久遠桐聖の顔をした彼は、そういったきり、困惑した表情で首をひねる。
『クオンの気配が弱まりました。
ええと、というのもどうやら今表に出ているのは、久遠桐聖さん本人みたいで、クオンは……、うっわずいぶんとまあふかーいところに潜り込んで……』
リレナの言葉で、だいたいの事情を察した俺と小林さんは、互いにばしばしとアイコンタクトを飛ばす。
どうやら憑依といっても完全にのっとられていたわけではなく、現在は久遠桐聖自身が彼の体を動かしていて、しかも邪神クオンはリレナの加護を受けた俺たちの登場にびびって逃げたらしい。どうしたらいいんだ、これ。
『クオンの魂は今、桐聖さんの心の奥深くに潜り込んで、ひきこもってます。しかも思ったよりもクオンと桐聖さんが密にくっついていて……。
小林様と遠藤様の方でなにかこう、クオンを怒らせるとか動揺させるとかしてくれませんか?
そうしないと桐聖さんの心にガッチリとしがみつきすぎていて、ちょっと、ひっぺがせそうになくて……』
もうしわけなさそうな声でリレナが告げた言葉に、俺と小林さんはそろって深いため息をつく。
邪神クオンをどう怒らせたらいいのかはよくわからんが、まずはとりあえず、この善良そうな桐聖青年に、事情をきちんと説明しなければいけないだろう。
――――
「はー、なるほどねー。
おっけ。つれて返って」
俺たちが知っている限りの事情を聞き終えた桐聖さんは、地べたに座り込んで白猫を膝に乗せてなでながら、実にフランクにそう言った。
「クオンさ、正直俺も迷惑してるんだよね。
俺元々陰キャなのに俺の体で勝手に俳優なんざやりはじめるわ、それで稼いだ金を乙女ゲーム開発とかいうわけのわからんかったことにぶっこむわ、週一ぐらいしか体かえしてくんねーわ、たまに発狂するわ、ここで見つけたネコチャン、あ、このこな、をうちに連れて帰るのに反対するわ……。
なんかもうマジいい加減出てけ返せよ俺の体って思ってた、ので。
嫁さんが迎えに来たっつーんなら大人しく連行されろよ、クオン。おい、クオン。クーオーン?」
最後は自身の心の中の邪神クオンに呼びかけながら、桐聖さんはため息まじりに愚痴をこぼした。
「クオン、お前の企みは失敗したんだ。
お前が狙ってた神の声ポジションは俺と小林さんがかっさらったし、あっちの世界のみんなは誰一人死ぬことなくしあわせになってる」
「リゼたんもバルも生きてるし、リレナも女神に戻ったし。なによりフィーネちゃんはバルとラブラブだから!あんたの入る余地はもうないから!」
俺と小林さんが怒らせるか動揺させるか、とにかくクオンの魂に揺さぶりをかけようと言葉を投げかけても、反応がない。
「つか俺には彼女彼女いってたのに片思いどころか存在すら認知されてなかったとかマジただのストーカーじゃんきめぇ」
ところがぼそりと桐聖さんがそういった次の瞬間、一瞬久遠桐聖の頭が揺れ、がらりと彼の表情が
「人間ってのは、どうしてどいつもこいつも、
恨み言を口にしながら、彼が立ち上がる。
膝の上、今しがた桐聖さんが愛でていた白猫が、短い悲鳴をあげて転がりおちかけくるりと着地し、そしておびえたように逃げていく。
『神だってポンコツだったらポンコツっていわれるし、小林様と遠藤様みたいに慈悲深く善良であれば、元はただの高校生だって神とあがめられるの。
立場と力に胡坐かいているような存在は、いつか打ち倒される。それはたとえ、世界を創った神であっても』
リレナが彼女自身にも言い聞かせるように、ゆっくりとそういった。
目の前の男が中空をぎろりとにらむ。
「お前がそんな偉そうなことをいえるようになるなんて、ね。
僕のいない間に、そっちの世界に、いったいなにがあったのやら……」
邪神クオンがおどろおどろしく吐き捨てた言葉に対して、小林さんは余裕の表情で返す。
「あなたがただの悪役令嬢と思い込んでいたリーゼロッテがね、実はとーってもかわいかったの。
だから私たちはあなたの代わりに神様になって、リレナも正気を取り戻して、王子様だってリゼたんにメロメロになって、みんながみんな、しあわせになれたの。
あちらはもう、最高を越えた最高のハッピーエンドが、リゼたんも、バルも、古の魔女すらも死なない、さいっこうのハッピーエンドが確定しているの。
だから、人の恋路を邪魔する神は、妻に封印されてしまえ!」
びしり、と、人差し指をクオンに突きつけ、腰に手をあて、小林さんは堂々とそう言い切った。
「君の心だってずいぶん黒くゆがんでいるのに……、大した言い草だねえ?」
クオンはその瞳を金色に輝かせ、ひたりと小林さんを見据えながらそういった。
少し色素の薄い青年ではあったが、それでも久遠桐聖の瞳は茶色だった。
その瞳の色の変化と、わけのわからない言葉に俺が困惑している間に、クオンは一歩小林さんに歩み寄り、そして言葉を重ねる。
「僕と同じ、嫉妬の色だね?君、ハッピーエンドなんて、本当に望んでいるの?妬んでいるんじゃないの?」
「腐っても、神、か……。
そうだね。私は、嫉妬してる。でもだからこそ、リゼたんのこと、心の底から尊敬してる。
あちらのみんなのハッピーエンドがいかに得がたくてすばらしいものかわかるから、本当によかったっていえる」
毒のような邪神クオンの言葉に、それでも動揺はみせずに、小林さんは冷静な言葉を返した。
「あなたも、知っているでしょう。まじこいの、シナリオ。
ジークヴァルトルートの、リーゼロッテ。その最期を」
ゆっくりと告げられた彼女の言葉に、クオンは訝しげに首をひねる。
「リゼたんは、嫉妬に狂った。古の魔女にのっとられて暴れて、バルを死なせてしまった。
それでも最期は、正気を取り戻した。愛するジークのしあわせを願って、死なせてしまったバルにわびて、そして自らの手で、自分ごと古の魔女を殺した。
クオンも、古の魔女も、……私も、自分自分自分の感情ばっかりだ!そんなの間違ってるんだよ!そこから間違っているんだよ!
そんな押し付けがましくて自分勝手な存在、好きになれなくて当たり前じゃん!
遠藤くんも、そりゃ当然私じゃない人のことを、お姉ちゃんのことを好きになるよ!」
俺?は?いや待ってなにそれ。
一歩一歩クオンにむかって歩みを進め、段々にヒートアップしながら叫ぶ小林さんの背中を、慌てて追いかける。
「でも、私はそれでも、殺そうとか思わないし、邪魔……は、ちょっとしてるけど、でもリゼたんみたいにちゃんと諦めて遠藤くんのしあわせを祈りたいと……!」
「待って待って待って!待って!1回待って!」
彼女を背中から抱きとめながら、俺は叫んだ。
「え、……あ」
怒りのためか真っ赤になっていた小林さんは、瞬時に血の気をひかせて動きをとめた。
「あの、なんか誤解があるようなんだけど、まず俺が好きなのは、詩帆乃さんだから、ね?」
「……へ?」
なぜ姉の方に懸想しているだなんて誤解をされたのかわからないくらいにあからさまな俺の片思いは、どうやら本当に本人にだけは伝わっていなかったようで、小林さんは惚けた表情で小首をかしげている。
「俺は、……小林詩帆乃さん、あなたのことが、好きです。放送部に入るって決めたときから、あなたのことが、ずっと、ずっと、大好きです」
俺はあのプロポーズのときジークもこんな気分だったのかなぁなんて微妙な気持ちで、心からの言葉を口にした。
「うそ、だぁ……」
それでもなぜか信じられないらしい彼女は、呆然とそういった。
「いや本当だよ俺の片思いなんか放送部員全員に知れわたってるよ。そもそも俺がこんなことに付き合ってるのも小林さんが好きだからだし!
つかなんで俺小林姉のことが好きだと思われてるの?」
俺が必死にそういうと、小林さんは怒ったように俺の腕を振り払い、俺のことをキッと涙目でにらんで叫ぶ。
「だって、文化祭で、遠藤くん、お姉ちゃんに告白してた。理想で天使だって、めろめろのべた惚れだって!!」
それ、やっぱりきかれていたのか。なのに、そこだけをきかれていたのか。
「それ、まず小林姉から詩帆乃さんに興味ないのか?ってきかれて、だから。
俺が理想で天使だと思ってるのも、めろめろのべた惚れなのも、全部……、詩帆乃さんのことだから」
俺は恥ずかしさを我慢しながら、なんとかかんとか、言葉にした。顔も耳も、首までもが熱い。
「あの、ところで、さ。
さっきの言い方だと、詩帆乃さんも、俺のこと好き……、ってこと、だよな?
それなら、その、……俺たち、付き合わない?」
「付き合う!私も遠藤くんのこと、好き!
ただ、申し訳ないことに、私、ひと聴き惚れなんだけど!」
俺の提案に、小林さんは食い気味でのっかってきた。
「ひと聴き、惚れ……?」
耳に馴染みのない言葉と、それが申し訳ない理由がよくわからなかった俺が首をひねると、小林さんはうんうんとうなずきながら、口を開く。
「うん。去年の4月、入学したてのころだね。
いい声のクラスメイトがいるなって思って気になって、みたらあれやだ見た目も好みって思って……」
「その当時って俺丸坊主じゃね?」
見た目が好み、の部分にひっかかりをおぼえた俺がまぜっかえしたが、彼女はあっさりと首肯した。
「うん、いい頭のかたちしてるよね」
「あ、ありがとう?」
まじめにほめられてしまった俺は、戸惑いながらそういった。丸坊主に戻すべきか。
「そのあと野球部でがんばっている姿をみて、なんて努力家なんだろう中身もステキって思って惚れ込んで、……まあ、その、つまり私は全面的に下心で遠藤くんを放送部に引っ張りこんだりしたので、天使?とか言われちゃうと困るし、なんか申し訳ない……、んだけど、それでも、いい?」
「いいか悪いかっていうか……、めっちゃかわいいよねなにそれ。
一生大切にするわ」
思わず抱きしめなおしてそう言えば、真っ赤になってもじもじする小林さんマジ天使。
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