第46話『唯一でも、絶対でもない』

 

「あの、さあ……」

 しあわせな気分で見つめあう俺たちの耳に、地を這うような低い声がきこえてきた。

 やべ。忘れてた。

 気まずい気分でクオンを振り返ると、目の前でカップル成立の瞬間を見せ付けられたフラれ神は、どろりと濁った目で俺たちをにらんでいる。


「結局、君らも、両思いなわけだ?

 なんなの人類。滅びろよ」


 怨念のこもった奴の様子に俺は反射的に彼女を俺の背に庇おうとしたが、無敵の恋する乙女は挑発的に鼻で笑って胸をはり、鮮やかに神をあざける。

「私は、あなたとちがって、恋敵を殺したり、愛する人や他の誰かを害してまでむりに相手を手に入れようとするような邪悪なことは、しなかったからね?

 ちゃんと、まっとうに、がんばったもの。

 太り過ぎないように食べたらその分運動するとか、肌も髪も丁寧にケアしてみがきあげるとか、化粧……、は、まだ勉強中だけど、でも少しでも好きな人にかわいいって思ってもらえるようにってがんばる、ひとつひとつはそんな小さなことだけど。でもちゃんと毎日続けて、がんばって、会話ひとつするにもあれこれ考えて、どうにか少しずつ距離をつめて、苦節1年半、ようやくこうして両思いなんだから!

 あなたは自分のことだけだったけど、私も、きっとリゼたんも、常に相手がどう思うか考えて努力をしてる。

 だから嫉妬をしたって、うまくいかなくたって、それでも相手を思うことだけは、ゆらがない」

 ゆっくりと告げられた小林さんの言葉を受けたクオンは、悔しげに地面を睨んだ。

 その表情は子どもっぽくて、彼の未熟さがそのまま現れているようにみえる。


「クオン、お前はひたむきさとかいじらしさとかかわいらしさとかが一切ない上に邪悪で凶悪なんだよ。

 それじゃいくら顔がよくても、能力が高くても、おそろしくて好きになれない。

 つかそもそも浮気しようとしたのがダメだし」

 俺はクオンを怒らせるべく追撃をくわえたが、クオンはふっと笑って吐き捨てる。

「リレナは、僕の半身だ。あれが僕を愛することなんか当たり前で、だからそれだけじゃ足りなくて当然だろ?」

 身勝手な言い分の彼を、小林さんは冷徹な瞳で見下げている。


「サイテー。

 リレナさー、クオンなんかいいかげんみかぎって、他の誰かを愛した方がいいよ」

 小林さんは天を見上げてそういった。それを聞いても、クオンの余裕の笑みは崩れない。

「はっ、リレナは神だよ?僕以外に、愛せる存在なんて、対等な存在なんて、いやしない」

「情報ふっる。今は新時代の神様ってのがあっちの世界にいるんですぅー。リレナは唯一神じゃないんですぅー」

 小林さんの煽り言葉に、ようやくクオンの余裕が、崩れた。


「……え?」

 ぽかんと首をかしげる彼に、彼の半身リレナの声がかかる。

『いやほら、私たち、あのとき全力でぶつかったでしょ?

 クオンも私も力を失って、その失われた力がこちらの世界中に飛び散って、人に取り込まれたの。……じゃなきゃ、なんでこちらの人類が魔法使えると思ってるのよ』

 まじこいをつくったのが彼ということは、クオンはあちらの世界やあり得た可能性をみたはずだ。

 だから当然魔法や新世代の神々についてクオンも知っていると思ってのリレナの言葉だろうが、女神の予想を裏切りクオンはあからさまに困惑していた。


「いや……、なんか……、すこしみないうちに面白い進化したなぁ、って……」

『いやいや望みの通りにこの世界を動かすとか、どうみても私たちの力じゃない。

 で、そんな力をたくさん集めることができた魂があったら、それはもう、私たちと同じ、神……、でしょ?

 私もだいぶ力を取り戻せたとはいえ、正直勝てないんじゃないのかなってレベルの子たちがごろごろいるの』

 どこか誇らしげにリレナは言った。あちらの世界の母としてはわが子を自慢するような気持ちなのだろう。


 顔色を悪くし黙りこんだクオンに対し、小林さんはにやりと笑って口を開く。

「ほら、他の神、いるんだけど。

 リレナ、その中にいい感じのヤツ、いないの?」


『い、いや、その……。

 私の復活をよろこんでくれた子は、います。

 その子に、“あなたの、古の魔女の苦しみ悲しみに触れて、癒してやりたくなった。だから俺は、神になった”とかいわれて、ちょっとときめいたりは、しました。

 でも、私はやっぱりクオンのことが……』

「やめときなよこんな浮気者ー」

 小林さんはリレナの世迷い言をみなまでいわせなかった。


「つーかたしかアルトゥルの祖先とか、神の寵愛を授けられた人間もいるんだよな?

 そもそもクオンもエーファを愛し……?まあ愛したつもりらしいし、リレナに選択肢がないわけがないと思うんだけど」

 凶悪でいびつなクオンの感情を愛と呼ぶことに疑問はあったが、俺は神と人類の恋の可能性に言及した。


 畳み掛けられた俺たちの言葉で呆然としているクオンは、まさに魂が抜けたかのようだ。

「……なあ、今なら、捕獲できる、んじゃね?」

 俺はこっそりとリレナに呼びかけた。

 

 瞬間。

『……!つか、まえ、たー!』

 ポンコツ女神の嬉しげな声が響いた。ほぼ同時に、かくん、と久遠桐聖の体から力が抜け、俺と小林さんはあわててその体を支える。

「……っ、……ぷはっ」

 彼が、息をふきかえした。

 一瞬かしいだ彼の肉体だったが、久遠桐聖はよろよろとしながらもなんとか立ち上がる。


「……お、おおー……、クオン、抜けたか……。

 さよならクオン。ちゃんと嫁さんに叱られろよクオン。今までありがとなクオン!」

 桐聖さんは取り戻した自身の両手をすぐに頭上でぶんぶんとふりながら、そんな言葉を口にした。

 存外元気なその様子に安堵のため息を吐きながら、俺はふと疑問に思う。

「……ありがと?って?」

 週6で体を好き勝手に使われていて、なにを感謝するのだろうか。


「あー、クオンな、一応俺の命、助けてくれたんだよね。小学生のとき、余命いくばくもない病弱な薄幸の美少年だったの、俺」

 自分で言うか。

 反射的にツッコミたくなったが、いやでも今この顔なんだから少年時代はさぞや美少年だったのだろうとも思う。

「クオンが治してくれたんだ?

 でもだからって、他人の体で好き勝手するのは、やっぱり、ダメだよ。

 リレナ、ちゃんと厳しくしつけなおしてよ」

『はい!もちろんです!!』

 小林さんの言葉に、女神リレナの元気いっぱいの声がこたえた。

『私はポンコツなので、こちらの世界のみんな、自慢の子どもたちに、助けてもらいます。

 私はもう、唯一でも、絶対でもないので!』

 続けられた本当に嬉しそうな彼女の言葉に、俺はなんとなく、ハッピーエンドの予感を感じた。

 お互いしかいない世界で歪んだクオンとリレナの関係は、きっとこれから、よりよいかたちになっていくのだろう。

 俺は別れた方がいいとは思うが、別れるにしろ再構築するにしろ、殺すだの滅ぼすだのそんな物騒なことはもうクオンにはできないだろうし、リレナはクオン以外の存在を知った。前とは違う。


「がんばってね、リレナ。……さよなら!」

 涙をこらえながらどうにかそんな言葉をしぼりだして、小さく手をふる小林さんを、そっと抱きしめなおした。

 俺の胸元に顔を押しつけてしゃくりあげはじめた彼女の背中をそっとなでる。

「そっか。俺たちの役目、終わったんだな。

 ……さよなら」


 夏からはじまった俺たちのふしぎなゲームは、こうして幕を閉じた。

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