第36話冬が来る

 

「わ、わたくしは今日はあなたさまの護衛役です。服装もこのようなものでダンスには適していないというか、その……、あなた様に、恥をかかせてしまいますから……、だから、あの……」


 じりじりと後退していこうとするリーゼの腰を笑顔で抱きかかえたまま、私はむしろ彼女の耳元に唇を寄せ、低く囁く。

「どのような服装だって、リーゼは世界で一番綺麗だよ。

 その姿も新鮮でかわいいし、なにより私が学園で過ごせる感謝祭は、これで最後だ。君との思い出を、もうひとつ私にくれないかな?」


『リーゼロッテが赤面したー!先ほどからしばらく続いたこの攻防もいよいよ決着か!?』


『惚れたが負けとは言いますし、恥をかかせるだのかかせないだのというほどフォーマルな場ではないようですから、リゼたんはさっさと諦めるべきですね。

 ゲームでもフィーネちゃんとリゼたんは女の子同士でダンスをおどっていましたし、実際先ほどから女同士男同士でおどっている人たちがちらほらといます。タキシードと軍服の2人がおどってもなんら問題はないでしょう』


 エンドー様のお声に続いて聞こえたコバヤシ様のお声に、ダンスホールをちらりと見れば、たしかに同性同士で楽しげにおどっているペアが幾組かいる。

 私もはやくあちら側に行って、リーゼとの仲のよさを周囲に見せつけながらおどりたいものだ。きっと楽しい。


『ああ、そういえば今日ここに来る前、リゼたんがはじめての人前での社交ダンスに緊張して顔面真っ青にしていたフィーネちゃんに、“では、どれくらいまでおどれるようになったか、私が確認してさしあげましょう”なんていって、自宅で2人でおどっていましたね』

 それは聞き捨てならない。

 コバヤシ様からもたられた情報は、瞬時に私の心をささくれさせた。


「フィーネとはおどったのに、私とは、おどってくれないの……?」

 腕にこめた力をゆるめ、彼女の顔を正面から見つめながらそういった私の声音は、自分でもどうかと思うくらいわかりやすくすねたものだった。

「な……、なぜ、それを。いやでもその、あれはただの確認で深い意味はなく……。

 だいたい、今日は敵との決戦の日で、浮かれている場合では……」


『いやー、めっちゃ楽しげにきゃいきゃいおどってたぜー』


『しかもおどり終えたときにはリゼたんが“ま、及第点ですわね”とかいって、フィーネちゃんが嬉しげに照れて、実にゆりゆりな空気が流れていましたね』


 リーゼの言い訳と神々の暴露を聞いた私が半眼でリーゼをにらむと、彼女は気まずげに目をそらせた。自分でもここに来る前に浮かれてしまった自覚があるのだろう。


「いま、この場で、あらわれるわけではないだろう……?

 なにより、“感謝祭の日に最後におどった相手とは、厳しい冬もともに乗り越えられる”っていうのに、このままじゃリーゼの相手はフィーネ嬢だね?

 それは、許せないんだけど……なぁ」

 私がため息まじりにもらした言葉を聞いたリーゼは気まずげに視線をさまよわせている。


 感謝祭は、女神リレナをはじめとするこの世界の守護をする神々に秋の実りの報告と感謝をささげる祭りだ。祭りの日取りや形態は地域や階級によって異なるが、この学園では他よりも少しはやい時期に舞踏会を開催する。王宮で開催する感謝祭への予行練習を兼ねているようだ。

 感謝祭は今年も豊かな収穫を得られたことや愛する人とともにあれることを感謝するのはもちろん、これから迎える厳しい冬をみなで乗り越えられるように神に祈る側面もある。そのせいか、私が口にしたような迷信がある。今友人同士で戯れるようにおどっている者たちも、ラストダンスには自分のパートナーとおどるだろう。


「うう……、でも、フィーネはいま、バルドゥールとおどっていて、だからさっきのは無効というか、その……」

 リーゼロッテはなおも諦めの悪い言葉を口にした。そこで私は、じっと彼女を見つめていた視線をはずし、あえてそっと目を伏せた。寂しげに見えるように、悲しげに見えるように。

「……っ!……わかり、まし、た。少しだけなら、おどりましょう」

 やはり、リーゼは優しい。理屈をこねるよりも罪悪感を刺激したほうがいいようだ。

 しぶしぶといった声音でもたらされたその嬉しい言葉に、私は即座に笑顔を返す。


「すこしだけですからね!?わかっていますの!?」

 焦ったようなリーゼのそんな言葉に明確な返答は返さないまま、私はただ笑顔で彼女をホールの中央へといざなう。

「でもはやく私たちがおどらないと、気にかけてくれている者たちもいるのだから」


 王太子と侯爵令嬢である私とリーゼがこの中ではいちばん身分が高い。カジュアルな場だからマナーはさほど気にしなくていいとの教職員のアナウンスを受けてもなお、私たちよりも先におどるのは失礼に当たるのではないかとためらっていたものたちがいる。

 私の言葉でそんな彼ら彼女らの視線に気がついたリーゼは、口を閉じて優雅に私のリードに合わせることにしたようだ。



 ――――



 1曲おどり終え、周囲の注目がすこしゆるんだ瞬間、リーゼは“すこしだけ”の宣言の通りに壁際へと戻ろうとしたが、私がそれをゆるさなかった。人前で私に恥をかかせるつもりなどはないらしいリーゼは、再び私のリードに身をゆだね、2曲目もそのまま私に付き合っている。


「……ねぇ、リーゼ、本当に君も裏庭に行くのかい?」


 曲にあわせてゆったりとおどりながら、私はあらためてリーゼに問うた。

「もちろんです。【古の魔女】からの攻撃は、私におそれよりもこの手で叩き斬ってやりたいという思いを強くもたらしましたから」

 迷いのない様子で、リーゼはそう返答した。

 それは、何度もきいた。けれどいざ当日となると、やはりリーゼにはより安全性の高いと推測されるこちらに残っていてほしいという私の気持ちは、どうしょうもないほどに膨らんでいる。


「なにより私は、……いつでも、どんなときでも、あなたの隣に有りたい。

 むしろここであなたの帰りを待っているほうが、魔女と直接相対するよりも、おそろしいですから」

 どう説得しようか悩んでいる私に向かって、リーゼは照れもせずに、そう、断言してみせた。


 それも、そうか。

 私も、リーゼが死地に赴くならば、自分だけ安全なところになどいたくない。

 たとえ王族として王太子としてそうするべきだと誰かにいわれたとしても、絶対に譲れない。

 彼女の決意と思いにくすぐったいような嬉しさをおぼえた私は、思わずくすりと笑っていた。


「それなら、ずっと手を繋いで行こうか。

 はじめてあった、あの日のように」


「はじめてあった、日、ですか……?」


 笑顔にのせた私の言葉に、リーゼはふしぎそうな表情で少しだけ首をかしげた。

 当時5歳のリーゼはおぼえていないようだが、私はあの日、彼女の手をずっと握り締めてはなさなかった。


 リーゼとはじめてあった日、私は彼女と婚約するということを、知らされていなかった。というか、そのときは私たちの婚約はまだ決まっていなかった。

 だから私はあの日、そうすべきであったからではなく、ただ純粋に、知り合ったばかりの愛らしい少女の興味をひきたくて彼女が最初にいった“おうじさま”の言葉の通りにそれらしく振舞っていたし、緊張した様子の彼女を安心させるようにずっとにこにこと笑っていたし、なぜか彼女と触れていたくてずっと彼女の手をひいていた。

 それらが私の身に染み付いて当たり前になるころには、リーゼはツンが強くなっていて、私はもしかしてあまり好かれていないのかもしれないと思うようになっていたのだけれども。

 とにかくそんな私の態度を見た両家が、元々“いつかは”レベルであった婚約の話を早めたというのが真相だ。


 どうにか思いだそうとしているのか、眉間に皺を寄せているリーゼも、かわいい。今日は戦闘のためか髪を高い位置でポニーテールにまとめているのも、近衛兵の制服も、新鮮でかわいい。

 リーゼは、ずっと、ひたすらに、かわいい。

 エンドー様とコバヤシ様がいらっしゃらなければ、私はそんな当たり前のことすら失念していた。

 だから、彼女が私との出会いなど少しも覚えていなくとも、かまわない。少しはおぼえていてくれたら、嬉しいけれど。


「思い出せなくて、かまわないよ。ただ、5歳のリーゼもかわいかったし今のリーゼはもっとかわいいって話だから。私がおぼえてさえいれば、それで」

 私がそういってくすりと笑うと、リーゼは面白いくらいに赤面した。

「な、な、…………ああ、もう!」

 口をパクパクとさせて言葉を失った様子のリーゼは、やがて悔しそうに叫んだ。

 どれほど動揺してもステップを踏み間違えたり、姿勢を崩したりはしないところは、さすがだと思う。


「わかりました。手を、つないでいきましょう。

 私も、その方が、心強い、ですから」

 顔を赤くしたまま、目をそらしたまま、とても小さな声で、それでもたしかにリーゼはそういった。


「けれど、むこうについたらはなしてくださいませね!?私の得物は槍ですから、距離もきちんととってくださいね!?」

 先ほどの言葉をごまかすためか必死な様子でそういう彼女に、私は微笑みを返す。

「うん、まあ今日は仕方ないよね」

 私の言葉にあからさまにほっとした様子の彼女に、「まあ今日以外ははなす気はないけれど」という言葉は、言わないでおいた。


 感謝祭が終われば、冬が来る。寒く厳しい冬が。

 冬を越えて、ずっと、ずっとこの先も、彼女とともにいられるように。

 握り締めたこの手を、けしてはなさないように。

 隣にいられる幸福を、けしてのがさないように。


 そんな祈りをこめて、私はおどった。

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