第27話ツンデレも実況も解説も関係のない、誰かの話

 レオン・シャッヘという自分の名前には、24歳になった今でも、まだ違和感がある。


 この名になったのは、7歳のとき。それまではただのレオンとして生きていた。

 いや、正確にはうまれたときから僕はシャッヘ伯爵の婚外子のレオン・シャッヘとして届けを出されていて、正式にシャッヘの名を名乗ることを許可されたのが7歳のとき、だったらしいのだけれども。


「あなたは今日から本邸で暮らせるのよ」


 母がどこか誇らしげに言ったその一言で、僕の生活は一変した。

 それまで片親で、しかも母親はなんの仕事をしているかわからない人で、いってしまえば僕は世間から見下されるような存在で、母もそこまで僕に手をかけるタイプの人でもなくて、すさんだ薄汚い子どもだった僕は、ある日いきなり伯爵家の嫡男なんていうけったいなものに、なった。ならされた。


 貴族の子息とかいうものは、7歳ごろになると神殿に行って祝福を受けて、そしてそのことを周囲に祝ってもらうとかいうイベントがあるということを知ったのも、その日だった。

 いきなり母に家から追い出されて、護衛という名の見張りに囲まれて馬車に乗せられて、風呂で痛いくらいに洗われて、動きづらい服を着せられて硬い革靴を履かされて、「これから君は、この家の跡取りだ。来月には神殿に行くからそれまでに覚えてもらうことがたくさんある」といわれ、わけのわからないことが次から次へとおきたあの日を、生涯忘れることはないだろう。母をぶん殴ってでも逃げときゃよかった。


 理不尽に反発し、生活の変化に戸惑い、荒れに荒れていた当時の僕にマナーを身につけさせるよりは、野生のサルにダンスを覚えさせるほうが簡単だったろうなと思う。

 だから、殴られ、蹴られ、食事を抜かれ、そうして抵抗する気力もうせるほどの調教を施されたのは、まあシャッヘの家もそれだけ必死だったのだと、今なら思える。けれど、当時は確かに、死にたいくらいにしんどかった。



 ――――



 お腹すいた、しんどい、つらい。


 当日はただそんなことを考えながら、途切れることなくやってくる父の知り合いに頭を下げ続けた。

 ときおり聞こえた【はんぶん】、それがどうやら貴族の父と庶民の母の間の子どもの自分に向けられた陰口だと気がついても反応する気力すらわかない状態で、どれくらいの時間がたっただろうか。

 ふいに伯爵家の広いホールが、ざわざわと浮かれた空気に包まれ始めた。


「エリーザベト様だ」「妖精姫ね」「今日もお美しい」


 新たに現れたらしい客人を口々に褒め称える声が聞こえ、すべての視線がそちらに集まる中、彼女の父親らしき紳士に手をひかれゆったりと現れたのは、この世のものとは思えないくらい、美しい人だった。

 顔も体形もも小さく華奢で、たしかに妖精のお姫様ようにどこかおさなく神秘的な印象の少女は、ふわふわと微笑みながら、彼女に見惚れる衆人の中を抜けてこちらにやってきた。


「本日は、おめでとうございます」

 紳士がそう父に声をかけ、父と紳士が談笑をはじめても、僕はそのエリーザベト・マルシュナーという少女の美しさに心を奪われて、瞬きをすることすらできなかった。


 僕のぶしつけな視線に気がついた彼女は、ふわりと笑みを深めた。


 ほう、と、周囲の人間も、僕も、彼女の微笑みに、ため息をもらした。

 その瞬間。

 妖精姫の手元が、一瞬、動いた気がした。


「きゃあ!」

 ふいに彼女が悲鳴をあげた。

「エリーザベト、なにか?」

 彼女の父がそう尋ねると、少しおびえた様子の妖精姫は、震えながら口を開く。


「今、なにか、……ネズミっ!?」


 彼女の大きな声と視線の先を見ると、たしかに中々立派なサイズのネズミが、床を這いまわっていた。

 こんな人の多いところにでてくるなんて、変なこともあるもんだ。

 僕は冷静にそう考えたが、貴族の、特に女性の反応は驚くほどに大げさだった。


「きゃぁああああああ!!」


 まず、そんな、耳をつんざくような誰かの悲鳴が響いたかと思うと、パニックがあっという間に伝染していく。

 足もとをちょろちょろと這い回るネズミから逃げるもの、逆に追いかけるもの、みな一様に大きな声をあげながら大騒ぎをはじめた。


 いや、ただのネズミじゃん?そりゃ清潔とは言いがたいけど、そう噛んだりしないし騒ぐほどのものでもなくない?

 そう考えているのは、僕だけらしかった。

 その馬鹿らしい騒ぎを眺めながら、どうしたものかと考えていたら、ふいにネズミから逃げ出す流れのうちの誰かに、手をひかれた。


「……妖精、姫」


 僕が僕の手を引くその人のことをそう呼ぶと、彼女は先ほどと同じようにふわりと微笑み、けれど思いのほか力強く僕の手をひいて、ホールからそっと抜け出した。



 ――――



 そのつながれた手にどぎまぎしながらただ彼女に黙ってついていった。

 やがて酔客のために開放してあった客間へと僕を連れて滑り込んだ彼女は、がちゃりと鍵を閉めた。


「はー、くっそつまんなかったね!」


 ……妖精姫?


 こきこきと首を鳴らしながらそういった彼女は、なんというか、先ほどまでの大人しく可憐な印象とは、まるっきりちがって、貴族のお姫様らしくないというか、むしろ僕が馴染みのある、普通の女の子に見えた。

「大丈夫だって、あの混乱だもん。攻撃魔法ぶっ放そうとしてるバカも見えたし、今頃あっちは大混乱だから、そんなにおびえなくてもへーきへーき」

 彼女の変化に呆然とした僕をどうやら誤解したらしい彼女は、そう僕を励ました。

 言われてみれば、勝手に抜け出したことは父に咎められそうだが、そんなのは今はどうでもよかった。


「まったく、ネズミのひとつで、おおげさよねぇ?」

 彼女は僕に同意を求めた。それは、その通りだと思う。けれど。

「……やっぱり、さっきのネズミ、あなたが、出しました、よね?」


 彼女はネズミにおびえていなかった。

 そして直前にしていた動きから推測した疑問を彼女にぶつけると、彼女はあっさりとうなずいて返した。


「そ。さっきのは今朝キッチンに盗み食いしにいったら見つけた、私の盗み食い仲間のカールヒェンだよ」


「名前までつけてるんですか……」


 さっきまでのはかなげな印象のお姫様はどこにいったのだろうか。

 ネズミを出すわ盗み食いをするわ、あまり貴族に馴染みのない僕でもわかる。このお姫様、変だ。

 呆れてそういった僕に、彼女はふへへと笑った。


「まあ、名前付けたのはなんとなくだけど、無事に逃げ切ってくれとは思うよね、カールヒェン。おかげで私も君もこうして抜け出せたわけだし」

 まあ、僕も彼(?)には、感謝しなくてはいけないだろう。

 同意を示すうなずきを返した僕の顔を、じっと彼女に覗き込まれた。


「レオンくん、ひっどい顔してるよ。それこそ思わず連れ出しちゃったくらい」


 そういってそのまま僕をまじまじと眺めていた彼女は、そのドレスの、布を重ねてあるようなデザインの袖を、ごそごそとあさった。


「これは、ちゃんと料理長がおやつにもたせてくれたビスケットだよ!食べよ!」

 ぱっと笑顔で差し出された、包み紙にくるまれたそれは、たしかに何枚かのビスケットのようだった。

 どこになにを仕込んでるんだこの人。

 疑問は色々あったが、限界までお腹のすいていた僕は、それを1枚だけ、受け取った。


「……ありがとう、ございます」


「いいってことよ」


 お礼を言った僕に男前にそうこたえた彼女が、さくさくとビスケットを食べるのに続いて、僕もビスケットに口をつける。あ。これおいしい。


「おうちの人にきかれたら、可憐でか弱い妖精姫がネズミの出現に気分を悪くしてしまったので、客間に案内して介抱してたっていっときなね。私もそういうことにしとくからさ」

 さくさく、さくさくとビスケットを食べる合間に、彼女はそういった。

 異論はないが、本当のことをいっても誰も信じてくれないだろうとも思う。彼女が言ったシナリオのほうがよほど自然だが、現実に僕は今彼女にもらったビスケットを食べている。変な感じだ。


「……さっきのネズミ、どうやって連れてきたんですか?」

 僕はふと疑問に思ったことを尋ねた。

「魔法ー。で、眠らせて、袖のところに、あ、ビスケットとはちゃんと逆のだよ?に、仕込んでおいて、こう腕を振って、袖から飛び出させると同時に、解除。カールヒェンにとっては寝起きドッキリだね」


「そんなことが、できるんですね」

 彼女の言葉に感心した僕がそういうと、ビスケットを食べ終えた彼女はそのやわらかそうな頬に手を当て視線をさまよわせた。


「んー、いや、実はわりと禁呪。使えるってバレたらヤバイやつだから、内緒ね」

 そういって彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 いわれてみれば、魔法で相手を昏睡させることができるとか、かなりヤバイやつだな?いや魔法のことなんてくわしくはわからないけれど、なんとなくヤバそう。


「あなた何者ですか……」


「何者……?強いて言うなら、野心家かな?

 とある大事な計画のために、手段は選んでられないの。そのために、こういう、裏の人間が使うような魔法も身につけたし、日々猫かぶってるのさ」

 彼女はそこまでいうと、にやりとわらって僕を見た。


「これはアドバイスなんだけど、実力なんてね、できるだけかくしておいた方が、いいんだよ。これから君が強くなっても、そうしておきな。

 私はか弱い見た目してるし、君は【はんぶん】だと思われてる。周囲が勝手にあなどってくれてるんだから、最高だね」


「あなどられることが、……いいことですか?」

 僕がそう疑問を挟むと、彼女は力強くうなずいた。


「いいことだよ。ただ微笑むことしかできない、無力な人間だと思わせておけば、いざというときに、敵は油断してくれている」


「敵、ですか」


「敵だよ。私にとっては、私の家族も、貴族社会も、全部敵。

 私から愛する人を奪い取ろうとする、ひどい敵」

 そういった彼女は、憎憎しげに中空をにらむ。

 先ほどホールでの様子からみるに貴族社会の中心に近いところにいそうな彼女がそこまでいうだなんて、当時の僕にとっては、本当に不思議なことだった。


「レオンくんも、そうでしょ?

 っていうか、貴族なんか、信じちゃダメだよ。少なくとも、シャッヘ伯爵は信じていい相手じゃない」

 それは、そうだろう。彼女が真剣に言った言葉に、ただうなずく。

 7歳になるまで一度も父とも名乗らず会いにもこなかったくせに、いきなり自分の都合で男児である僕を拾い上げた男だ。信用できるわけもなければ、たしかに彼女のいうとおり、父は僕にとって敵といえる。けれど。


「……僕にも、それ、使えるように、なりますか?」


 けれど、それに対抗するだけの力をひとつも持たない僕がそう尋ねると、彼女は難しい顔で首をひねる。

「どうかな?とりあえずめっちゃしんどいよ。

 こういう魔法って、ぶっちゃけ呪いだから、覚えるまでの間、慣れないうちは、なんか撥ね返されたりするんだけど、それがまあ、きっついんだよね。私も3日くらい昏倒したりもしたし。

 でもそのおかげで私に病弱イメージついて、それも結果オーライなんだけどさー」

 最後は笑いながら語られたことは、たしかにしんどそうだった。


「それでも、覚えたい、です。僕も、あなたみたいに、強くなりたい」

 僕が彼女をまっすぐ見上げてそういうと、彼女はへらりとわらって口を開く。

「ふへ、照れるー。

 んじゃあ、レオンくんは、今日から私の弟子だね。といっても、私も独学だし、私はいつまでも王都にいるつもりはないし、教えられるのは学園の隠し扉くらいなんだけど」


「学園?」


「うん、私も今通ってて、でも卒業したらどこかのだれかと無理矢理結婚させられそうだからその前に駆け落ちでもしちゃいたいんだけど、アウグストの体力がなぁ……、いやまあそれはいいや。

 とにかく、たぶんレオンくんも15歳になったら通うことになると思う、王立魔導学園……、ってのは、まあ歴史がありすぎて、建物もつぎはぎで、誰もその全容は把握できてなかったりするところなんだよ。

 で、しかもうちの家どころか国もそうは立ち入ることができない一種の聖域だから、ヤバイ本を隠すには、最適だったりする。ので、私のコレクションは学園においてある、ので、その場所とあけ方だけは教えてあげるから、レオンくんも独学でがんばれ!ってことで、いい?」


「十分です」


 こうして僕の師匠となった彼女は、愛する人のためにマルシュナー公爵家と戦い、勝った。

 彼女は鮮やかに貴族社会から抜け出し、15年、自分とその子どもを、守りきってみせた。愛する人の形見を、守りきった。


 実際に交流した期間は、1年に満たなかったけれど。

 それでも僕を助けて、僕に処世術も魔法も与えて、そして勝ち方までも実際にやってみせて示してくれた、偉大なる師匠。

 僕が世界で一番、尊敬している人。



 ――――



 そんな師匠が、15、6年ぶりだというのにちっとも変わっているようには見えないその人が、


「やっほーレオンくーん、おっきくなったねー」


「なに、やってんですか……」


 僕の仕掛けた罠にかかって、宙吊りになっていた。

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