第26話強い人(sideフィーネ)

「本当に、すばらしかった。

 閣下への蹴りのすばやさに一瞬目を奪われたと思ったら、ぐらりと視界がかしいで、そして次に来たのが、痛み。あれほど鮮やかな連撃は、リーゼにだってできないだろう。

 すばらしく美しかった……」


 気のせいでは、なかったらしい。

 将軍の前を辞し、やたらと広くて迷子になりそうな王宮を抜け、転んだりなにかやらかしたりせずに(その前にちょっと将軍と騎士見習いは蹴って殴ったが、それは身内だし誰にも見られなかったからセーフってことで)馬車に乗り込み、私がほっと一息をついた、その瞬間。

 バル先輩は先ほどの私の拳を褒め称え始めた。


「そりゃ、どうも」

 憧れのリーゼロッテお姉様よりもすごいといわれても、ただし格闘でというのでは、ただ悲しいだけだ。

 やる気なく返した私を、バル先輩は火傷しそうなくらいに熱い視線で見つめたまま、饒舌に私の強さをたたえ続ける。


 あれかなぁ、やっぱりリーフェンシュタールは腕っぷしこそが判断基準、強い=偉いなのかなぁ。

 そういえば、お姉様が以前にうちの一族はみんな脳みそまで筋肉みたいなことを言っていたな……。

 あと神様たち、さっきから『マゾ?』『マゾかな?』ってぼそぼそうるさい。ちがう。きっと強さにあこがれるとか戦士として尊敬するとかそういうあれであってそんな倒錯したあれではない。たぶん。いやどっちにしろうれしくないし確認する勇気もないけれど。


「いやもう、本当にフィーネはすごい。まずかわいい。そしてこんなにかわいいのに、あんなに強い。心底惚れ直した。

 愛してる、フィーネ」


 聞き流しているうちにへんなところに着地したらしいバル先輩は、先ほど彼をぶん殴った私の右手をとると、その甲に、そっと触れるだけのキスをした。

 こんなにも嬉しくない“愛してる”が、この世にあるんだな……。

 恋人に手の甲にキスをされるとか、本当はときめくべき場面だろうに、私はげっそりと関心することしかできなかった。

 とはいえ、そこまで言われてしまうと、立場を曖昧なままにしている私としては、非常に気まずい。


「まだ、“私も愛している”とまではいえなくて、ごめんなさい……」

 私がしょんぼりと頭をさげると、バル先輩はゆるゆると首を振った。

「嫌われていなければ、それでいい。

 それより、まずはとりあえず、敬語をやめるところからはじめないか……?」


「いや、バル先輩は先輩ですし……。ほら、お姉様と殿下だって婚約者だけど敬語じゃないですか」

 せめて学園に通っている間くらいは、このままの距離感でいたい。というのは、わがままが過ぎるだろうか。

 距離を詰めたいバル先輩と、逃げ腰の私。このやり取りをするのは、交際を開始してからもう幾度目になるだろうか。


「あそこは身分と立場からいっても仕方ない部分があるが、俺たちは身分で言えば本家の娘であるフィーネの方が上だし、なにより先ほど、俺も閣下も無様に負けたのだから……」

 やっぱり、強い=偉いなのか、リーフェンシュタール。野生動物か。

 でも、強い、といわれても……。


「実は、正直、私、自分が強いの、あんまり嬉しくないんです」


 私が率直にそういうと、バル先輩は不思議そうに首をかしげた。


「だって、勝てなければ私は死んでいた。だから、強くなった。それだけなんです。

 高みを目指してとか、そういうかっこいい理由も、コレといった目標も、私にはありません。

 目障りだと思われて、排除されそうになって、文字通り必死に、無様に、血反吐を吐きながらもがいて、気がついたら手にしていた強さなんて、誇れたものじゃありませんよ」

 そういって私が自嘲すると、バル先輩は難しい顔をした。なにか考え込んでいるようだ。

 だいたい、私のたたかい方は、正直、美しくない。

 不意打ちが基本。体を魔法で強化までして、急所を狙って。刃物を使わないのだって、使い方がわからないだけ。

 街のごろつきが使うような、あるいは野生動物のような、粗雑な喧嘩殺法。それが私の戦い方。

 戦っている間は頭が真っ白になるくらい気持ちいいけれど、だからこそ、貴族令嬢としては間違っているのだろうと、私は、お姉様のような【本物】には、絶対になれないのだろうと、悲しくもなる。


「……わかった。

 フィーネがその拳をふるわなくていいくらい、俺が強くなろう」

 沈み込んだ私の耳に聞こえてきたのは、そんな、力強い彼の言葉だった。


「俺が、フィーネよりも強くなる。貴女なんかそうたいしたものではないといえるくらいに、強くなる」

 私よりも、圧倒的に、強い人。絶対に死なない人。負けない人。

 、強い人。それならば。

 自分が何を求めていたのかが、バル先輩の言葉によって具体化していくのが、わかった。


 ああ、そうだ。

 私は、愛するなら、強い人がいい。


 だから、自分が強いことが、悲しいんだ。自分よりも圧倒的に絶対的に強いと思える人がいないことが、悲しいんだ。


「俺が貴女よりもずっと強くなれたら、そしたら、そのときは……、俺と、結婚してほしい」


 自分でも自覚していなかった部分にこたえをもらって呆然とする私をまっすぐ見つめて、バル先輩はそう言った。

「リーフェンシュタールとしてでなくとも、かまわない。家を捨てて冒険者になるのだって、それはそれでしあわせだろう。

 ただ、どんなかたちになったとしても、俺を、貴女の隣に立つ唯一の存在として、認めてほしい」


 そういってバル先輩は、今度は、私の手のひらに、キスをした。

 私の手を握る彼の手は、剣ダコだろうか、ごつごつざらざらとしていて、大きな手だ。あたたかい手だ。強い手だ。

 その手を信じたくなった私は、ただ、一度、ゆっくりとうなずいた。



 ――――



「フィーネちゃん、ブルーノのこと、お父様って呼んであげたんだってー?」


 王宮とバル先輩とにすっかり疲れ果てた私が、ひとり自室のソファーに寝ころがってぼーっとしていたら、ママがノックもせずに私の部屋へと乱入し、にやにやしながらそういった。

 この家に来てから綺麗なドレスを与えられているママは、猫をかぶってさえいれば立派な貴婦人なのに、こういう表情をしていると実に残念だなと思う。


「あー……、ごめん。ママにも、言っとくべきだった。

 その、私の父親はパパなんだけど、でも、その……」

 慌てて身を起こして言い訳をしようとした私の唇を、ちょんと人差し指でつついたママは、やわらかく微笑んだ。

「大丈夫。わかってるよ。

 フィーネちゃんがブルーノのことも父と慕っても、パパもママもそんなことでは怒らないし、それにパパはパパ、なんでしょ?」

 そう、侯爵ブルーノ様のことは養父として尊敬しているし、いつかはお父様呼びたいと、思ってはいた。結果として神様にのせられてうっかり言ってしまったが、いつか、それこそこの家を継ぐ覚悟ができれば、とは、思っていた。

 でも、それは、ママとパパを裏切る行為のような気もして、後ろめたくて、だれにも相談せずにいたのに、神様の介入によりうっかりこんなことになってしまった。


「……うん。ママが毎日のろけまじりに聞かせてくれていたパパの存在も、私にとっては、大切な家族だよ。

 でも、その弟だっていう侯爵様も、優しくて、お父さんってこんな感じなのかなって思ってて……、その、2人のことは、2人とも、それぞれに大事な存在、だと、思ってる」


 私が考えながら言葉にした気持ちを、ママはうんうんとうなずきながら笑顔できいてくれた。


「それでいいんだよ。これからも、侯爵様なんて他人行儀な呼び方じゃなくて、お父様って呼んであげな」

 ママが笑顔のまま言ってくれた言葉に私がほっと息を吐くと、ママは再びにやりと下品な笑みを浮かべて口を開いた。

「ブルーノがめっちゃくちゃはしゃいでたらしいし、かわいい娘のおねだりでやる気に満ち溢れた将軍閣下が、早速自分と部下を苛烈に鍛えなおしているって被害報告まできてるよー」

 付け足された言葉に、いったいどこの誰からの報告なのかと疑問に思う。

 わが母はかつての妖精姫の仮面をフル活用して王宮を中心にあちこちとの交流を復活させつつあるようなのだが、騎士にもお友達がいるのだろうか。それともこの人文字通り妖精姫で、妖精のお友達でもいるのだろうか。


「……鍛えなおしているのは、別の理由かも。いやどっちにしろ私のせいなんだけど」

 騎士の皆様、私がお父様に一撃いれたせいだったらごめんなさい。そう思いながら私がぼそぼそとそういったら、ママはこてんと小首をかしげた。


「?……まあ、なんにせよ、それでリーゼロッテちゃんが守れるなら、いいんじゃない?」

 そりゃそうだ。がんばれ騎士の皆様。

「準備は万端に。対策は、やりすぎくらいでちょうどいい!

 使えるものは全部使えばいいのよ、非常事態なんだから」

 ママの言葉に深い同意を覚えてうなずいた私は、いや、そういえばまだ完璧ではなかったことを、ふと思い出した。


「んー、神様がいうには、本当はレオン先生も使えれば使いたいのに、レオン先生はんだってさー……」

 それほど強いという印象はない、ただのいち教師のレオン先生。

 授業は丁寧でわかりやすいけど、放課後に質問をしようとしてもすっと逃げられてしまう、レオン先生。

 いつでも微笑んでいるけれどそのせいか糸目で、感情が読み取りにくい、レオン先生。

 なにが難しいのかまでは神様たちは教えてくれなかったその人の名前を出したら、ママは再び首をかしげた。


「レオンって……、レオン・シャッヘ?」

 ああ、そうそう。そんなフルネームだった。ただし、シャッヘ先生って呼んでも無視されるけど。

 私がうんうんとうなずくと、ママは首をまっすぐに戻して口を開いた。


「へー、あの子、今、先生やってるんだー」

 感心したようなママの言葉に、私は疑問をぶつける。

「しりあい?」

 そういえば、レオン先生は24歳。ママが王都から失踪した16年前でも8歳。知り合いでも不思議は……、いや当時のママは17歳のはず。どういう知り合いだ?


「うん、ほら、ママはこれでも、妖精姫だったから!」

 けれど、ママは堂々と、ない胸をはってそう答えた。

 妖精姫、ということは、社交界関係か。彼の母親かなにかとお友だちだったのだろうか。


「……見た目だけだなら、まだ妖精姫だよ」

 わが母ながら年齢不詳系のその人にそういうと、ママは一瞬だけ驚いたような表情をしたあと、ふわりと少女のように微笑んだ。

 その姿は、本当に、妖精姫と呼ぶことに違和感はない。


 いやー、ドレスと化粧とママの猫かぶりって、すごいな……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る