第28話師匠と(sideレオン先生)
彼女が王都に帰って来たという噂は、シャッヘ伯爵家から廃嫡されてただの一教師として生きている僕のもとにまで、届いていた。
だから、近いうちになにかのかたちで再会できれば、とは、思っていた。
伝えたい感謝も、見せたい成長も、たくさんあった。会えなかった期間の分だけ、話したいことがたくさんあった。
けれどただあなたが生きて戻ってきてくれたことがうれしいと、せめてそれだけでも伝えられたと、思っていた。それなのに。
「あーもう、なにやってんですか!動こうとしないでください首しまりますよ!?」
なんで僕は、宙吊りにされた師匠を、どうにか傷つけずにおろそうと四苦八苦しながらなんていう、しまらない再会を果たしているのだろうか。
「うー。近くまで来たからちょっと弟子の顔を見に来ただけなのにー。なにこれ力がどんどん抜けていくー」
僕の言葉に従ってか、縄の効果か、彼女はぐにゃりと全身の力を抜いてそういった。
「そりゃ、この縄には色々仕込んでありますからね。意識を保ってるだけでもたいしたものです」
弱体化、昏睡、麻痺……、もはや自分でも何を組み込んだか覚えていないくらいにあれこれと練りこんで編んだ力作を、丁寧に解いていく。
しかし、これにかかった人間、というかこんなにぎりぎりまで侵入を許した人間は師匠がはじめてだったのだが、同じ系統の使い手の人間にはいまいち効きが悪いのか。改良が必要だな……。
「かわいい弟子が16年会わないうちに私よりもはるか高みに至ってる……。なにそれモノに禁呪仕込むとかそんなのできるんだ……」
考え込む僕の耳に、そんな師匠の声が聞こえてきた。
ほめられて嬉しいけれど、1人密かに続けてきた努力を他ならぬこの人に認めてもらえることはとんでもなくうれしいけど、それを素直に喜ぶことができない程度には屈折して育った僕は、かわいげのない言葉を口にする。
「まあ、僕もそれなりに敵が多いですし、なにより、この部屋には、見られたらまずいものがたくさんありますからね。ここまでしても、足りないくらいですよ」
師匠から受け継いだ、
その中の、彼女から受け継いだままにしてあるコレクションの数々を指し示すと、ようやく縄の呪縛から逃れた彼女は、実に懐かしそうに、感慨深げに、目を細めた。
――――
「で、本当はなんでこんな時間にこんなところに来たんですか?ちょっと近くまで来たって嘘ですよね?」
今の時刻は深夜といって差し支えない時間帯。僕も彼女、というか何者かがこの部屋に侵入したことを察知さえしなければ、既に就寝していたはずの時間だ。
部屋に誰かが入ればわかる術式は元々彼女が仕込んでいたものなので、彼女はきっと僕が駆けつけると踏んでここに入ったのだろうが、僕が侵入者のことはトラップに任せて就寝してしまっていたらと思うとぞっとする。普通に昼間訪ねてくれたらよかったのに。
恨みがましく問い詰めた僕に対し、彼女はふるふると首を振った。
「いや、それが本当なんだよね。これ見てこれ」
そういって彼女が取り出したのは、猫を思わせるデザインの、精緻な刺繍の施された、顔の上半分を覆いつくすような、仮面だった。
仮面。深夜。今日この近くでなにかの集まりがあるという情報はない。……そういうことか。
「ああ、
仮面舞踏会。ただの仮装を楽しむ会であることもあるが、今王都で秘密裏に流行しているそれは、仮面をして身分や立場を隠すことで、
その狂乱の宴への嫌悪感を隠しもせずにそういうと、彼女も嫌そうにため息を吐き、口を開いた。
「そ。私ってば、未亡人じゃん?正確には籍ははいってなかったんだけどまあそういうことになったじゃん?
うわぁ……。本当に、相変わらずだな……。引きつった笑いしか出てこない僕に対し、彼女は嫌そうに言葉を続ける。
「マルシュナーとすりゃあ今からでもどっかのじいさんでもひっかけて後添えに入れってことなんだろうね。
で、いやだなぁ、体調不良とかいって直前で引き返すかなぁと思っていたら、思いがけず学園の近くだったからさ。眠らせて、抜け出して、こうして懐かしい顔を見に来てみたってわけ」
誰を?とは、きかないほうがいいんだろうな。
彼女の語った経緯に若干胸糞悪くなって仮面をにらみつけた僕に、彼女はその仮面を投げてよこした。
「それ、あげる。参加証にもなってるからさ、それつけてれば、誰でも会場に入れるよ。
火遊びのひとつも楽しむか、あるいは情報収集には、使えたよ」
「や、これ、女性用ですよね?」
情報収集をするチャンスなんて、貴族社会からつまはじきにされた自分としてはたしかに貴重なものだが、いくら仮面をつけていてもこれでは入れない。だいたい、火遊びなんかに興味があると思われても困る。
僕がその事実を指摘すると、彼女はぽんと両手を合わせた。
「そっか。じゃあ、いらない?」
「いや、もらっておきます。こんなもの、貴女に持たせておきたくはないので」
「……お?」
僕の言葉にひっかかりを覚えたらしい彼女は、盛大に首をひねっている。
「あなたは僕の、大事な師匠で憧れの人ですから。
こんな狂った遊びには、関わらないでほしいんですよ」
僕の言葉を聞いた彼女は、くすくすと愉快げに笑い出した。
「レオンくん、ほんと、おっきくなったねぇ」
自分を口説くような言葉を投げかけた弟子を、彼女は余裕たっぷりにそう評した。
「ええ、もう、あなたの旦那様と、同じ年になりました」
更に、一歩。踏み込んだ言葉を口にした僕を、彼女は冷静な瞳で見つめてる。
「ああ、そっか……。でも、私は、アウグスト以外に、恋はしないなー……」
ただの事実を、口にした。揺らぎのひとつもないそんな彼女の言葉は、これ以上ないくらい明確な拒絶だった。
「知ってますよ。
僕はあなたに救われて、あなたに憧れて、あなたを尊敬していて、そして恩返しのひとつもできればな、と、思っているだけです」
今のところは、まだ。とは、口にしなかった。
僕の言葉をきいた彼女は、わざとらしいくらいににっこりと微笑んで、口を開く。
「そっか。じゃあ、うちのフィーネちゃん、座学絶望的なんだけど、レオン先生、補習とかしてやってくれる?」
いわれた言葉は、そんなものだった。空気を軽くしようとする彼女の意図をくんで、僕も笑顔を返して、口を開く。
「それは面倒なんで、嫌です。というか、僕がなんとかしなくても、義姉のリーゼロッテ・リーフェンシュタールさんが、なんとかしてくれますよ」
「なんて薄情な弟子だ!ししょーは君をそんな子に育てた覚えはありませんよ!」
「育てられた覚えがそもそもないです」
おどけたようなやりとりを交わして、顔を見合わせて、くすくすと笑いあって。
この距離感も、悪くない。
「……ねぇ、なんで師匠は、あの日僕を、弟子にしてくれたんですか?」
笑いのあとのやわらかな空気に、彼女と再会できたら訊きたいと思っていた疑問を、そっと滑り込ませた。
「んー……、私はわりと直感で生きていて、あの日ネズミのカールヒェンをなんとなく連れて行ったのと同じで、なんとなくその方が面白そうって思ったのがだいたいのところ、なんだけど……」
考えながら、言葉を選びながら、そんな様子で、彼女はゆっくりと言葉をつむぐ。
「まあ強いていうなら、あの日の君の、“もうなにもかも諦めました”みたいな顔を、笑顔にしてみたかった、から、かなぁ?」
彼女の言葉を聞いた僕が、とびきりの作り笑顔を返したら、ふわりと優雅に上品に、妖精姫は、微笑んで返した。
魔法については追い抜けたかもしれないが、猫かぶりに関しては、まだまだこの師匠には、勝てそうにない。僕は、そのことが、すこし嬉しかった。
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