第15話どうしましょう(sideフィーネ)

 

 夏休みが始まって、2週間がたった。

 リーフェンシュタールのお城はすごく居心地がいい。ただし、そう、お城、なのだ。

 お友だちのおうちにお泊まりという感じは、まったくしていない。

 学園ではそれなりに親しくなったつもりでいたが、当たり前のようにたくさんの使用人にかしずかれて過ごすリーゼロッテ様を見ると、まさにお姫様という感じがして、身構えてしまう。


「フィーネさんも、まあまあみられるふるまいになってきましたわね」

 そう言ってリーゼロッテ様は、優雅に微笑んだ。

 いいや。この本職のお嬢様には、まったくもって追い付ける気がしない。自分の仕草のひとつひとつが粗雑で恥ずかしくなる。

 数日前から「わが家の客人であれば、お茶会くらいは参加できるようになっていただきませんと困りますから」と、厳しくしようとして空回っているあたたかいご指導をしてもらっている。

 将来の王妃であるリーゼロッテ様はこの上なく理想的な手本ではあるのだが、正直自分のアラが目立って悲しい。


「……まだまだ、ですよ」

 ふう、と、ため息といっしょにそう言ったら、背筋が少し、曲がってしまった。

 リーゼロッテ様の視線がぴくりと反応したことでそれを自覚し、あわてて、けれどあわてていることなど感じさせないように神経を張り巡らせながら、背筋をのばした。


「はい、よろしい。

 けれど本当に、フィーネさんは飲み込みがはやい方かと思いますわよ?」

 リーゼロッテ様はそうフォローしてくれたが、私は飲み込みがはやい、というわけでは、ない。

「小さいときに、母に【親子でお姫様ごっこの日】っていうのを週1でやらされていたんです。

 リーゼロッテ様の振る舞いって、お姫様ごっこの日の母のそれに近いと気がついたので、昔仕込まれたあれこれを思い出して……」

 ちなみにお姫様らしくない振る舞いをするとポイントを減らされ、お姫様らしく振る舞うとポイントが加算され、結果のいかんによって夕飯のグレードがかわる遊びだった。あまりに母の判定が厳しく、特に楽しくもなかった私が泣いて訴えて廃止された遊びだが。


「そう、下地がありましたの。いいお母様なのね。

 それでも、うちの妹たちに比べれば、だいぶ、とても、かなり、優秀な生徒だわ。特に、素直なところがステキ」

 リーゼロッテ様は真顔でそうおっしゃった。

 リーゼロッテ様の妹様たちは、3人いる。

 双子のアデリナ様とカトリナ様が12歳で、その更に下のツェツィーリエ様が9歳。

 今日は馬で遠乗りに行っておられる3人は、リーゼロッテ様とはまた別種類に素直ではない。

 まだ幼いからある程度仕方のないことではあるが、リーゼロッテ様がしっかりし過ぎているせいか、割とわがままでおてんばだ。

 このリーゼロッテ様のご指導のお茶会も、3人とも誘われていたのに3人とも逃亡した。


 そういえば、今日のお茶会は珍しくリーゼロッテ様と2人きりだ。いつもは誰か1人は捕獲されている。

「そういえば、なんですが……」

 私は、学園でもどうしたものかと悩んでいた、このお城に住まわせてもらうようになって、妹様たちと実際に知り合ってから更に悩みはじめたことを、彼女に相談してみることにした。



 ――――



 先日私がぶん殴りたくなった原因のバル先輩の言葉、私は自分の立場をわきまえてはいるがさすがにあそこまで言われてしまうと困ること、それから仮にも婚約者がいるというのにどうかと思っているということ、すべて。

 洗いざらいぶちまけたら、リーゼロッテ様は額を抑え、けわしい顔立ちのまま固まってしまった。


 深く、重く、長いため息を吐いたあと、苦々しげに、彼女は口を開いた。

「ごめんなさい……。

 バルは剣の腕はいいんだけれど、ものすごく頭が悪いの。

 たぶん、自分がフィーネさんに恋をしていることも、熱烈に口説いてることも、自覚してないわ……」


「ですよねー……」

 口説くにしてはあまりにも淡々としていたし、たぶん本人は客観的事実を言っているだけのつもりなんだろうなぁ、とは、思っていた。

 けれど、私ほど愛らしい存在はこの世に存在し得ないなどというのは、主観オブ主観だ。まさに恋は盲目。わかってていっているならば不誠実だし、わかってなくていっているならばたちが悪い。

 残念ながら、後者だったようだけど。


「昔からそうなのよバルは。自分まで含めた人間の感情の機微に疎いというか、本能で生きているというか……」

 腹立たしげに吐き捨てられた言葉に、私は思わず失礼なことを考えてしまった。

「え、それ危なくないですか?それで大丈夫なんですか侯爵家の跡取りって」

 私の焦りをよそに、リーゼロッテ様はいたって落ち着いた表情のまま軽くうなずいた。


「うちは昔からみーんな脳みそまで筋肉な家系だから、優秀な補佐の人間が代々面倒をみてくれているの。それにバルも含めてみーんな人の悪意には敏感だから、なんとかなっちゃうのよね。

 ただ人の悪意を感じとる能力も剣士の勘というか野生の勘というか要するに頭で考えているわけではないといった感じで、まあ、つまり、……本当にごめんなさい。ご迷惑をおかけしてるわ」

 いくら身内とはいえリーゼロッテ様に頭まで下げてそう謝罪されてしまった。


「いや、大丈夫です!私、自分の身分はわきまえているので!

 ただ、その、リーゼロッテ様の方から婚約者がいるのによその女を口説くような真似はするなと、釘をさしていただけませんか、という……」

  あわてた私が弱々しくそう言うと、リーゼロッテ様は頭をあげて、力強い眼差しで私をいぬいた。


「ボコボコにするわ」


「……あ、ありがとうございます」

 ボコボコとは、精神面の話、だよ、ね?

 そう軽く怯えながら感謝を伝えたが、リーゼロッテ様は軽くため息をつき、物憂げな表情で口を開いた。

「ただ、あいつ、ちょっとフィーネさんとのこと、自覚しはじめているのかも、しれないわ」

 なんだ、それ。

 聞き捨てならないことを言われた私は、リーゼロッテ様がゆっくりと語る言葉に耳を傾けた。


「バル、夏休みに入ってすぐに、王宮でいっしょになったうちの父に剣を返そうとしたらしいの。

 本家の当主となることが確定しているわけでもないのに、やっぱりこれは受け取れないって。

 バルのことを溺愛している父が泣いて止めて無理矢理持って帰らせたそうなのだけれど、あいつ、平民にでもくだるつもりなのかしらね?」

 アンニュイな表情でかたられた言葉は、とんでもなかった。

 反射的に声をだそうとして、はりついて、口がからからに乾いていることに気がついた私は、ゆっくりと目の前の紅茶を飲む。


「それ、は、ダメ、でしょう」

 私はのどをうるおしてからなんとかそう絞り出したけれど、リーゼロッテ様はそれほどショックは受けていないご様子だ。


「どうかしら……?

 バルは長男だけど、弟が2人と妹が1人いるし、なんらかのスキャンダル、たとえば平民の女の子に入れ込んでしまった、とかの醜聞があれば、リーフェンシュタールから勘当されて追い出されても仕方ないわ。

 うちの妹たちとの婚約だって、まあ将来的には、くらいのほんの口約束の段階だし」


「ま、待ってください!私は嫌です、そんなの!

 爵位……は、まあいいにしても、実家のご家族とか全部捨ててこっちに来られても、重すぎるし、悲しいです!!」


「そう、よねぇ……」


 リーゼロッテ様はそれだけ言うと沈黙し、ゆっくりと紅茶を味わっている。

 私ももうなんといったらいいのかわからなくて、紅茶を口に含んだが、味はわからなかった。

 この場を奇妙な沈黙が支配した。


「まあ、わかりました。バルには私から言っておきます」

 私は感謝の言葉を口にしようと思ったが、リーゼロッテ様は、気まずげな表情で上目遣いに私を見た。


「ただ、……可能性のはなし、なんだけれども」


 ?


「その、私がそう言った結果、バルがやはり自分はあなたに恋をしているのかと自覚して、迷いなくリーフェンシュタールからの勘当を選ぶ可能性も、高い、と、思うわ」

 リーゼロッテ様はいいづらそうに、けれどたしかに、そう断言した。


「……私と、実際付き合ってるわけでもなんでもないのに?」

 恋人同士ならまだしも、私と彼はただの先輩後輩でしかない。勘当される必要なんて、ない。

 私が震える声で尋ねると、リーゼロッテ様はゆるゆると首を振った。


「本格的に口説く前に身辺整理くらいのことは、やってしまう男よ。

 その結果、爵位も、家族も、うちの妹の誰かも、剣も、騎士の職位も、フィーネさんですらも、なにひとつとして手にできなくても後悔はしないと、本気で考えるようなやつなのよ」


「そんな、そんなの、ダメ、じゃ、ないですか」

 リーゼロッテ様の言葉に、涙がじわりと浮かんで来てしまった私は、そう訴えた。

「駄目なのよ。だから妹たちは、“バルにいに政略結婚なんかできるわけないじゃん!そんな器用じゃないってあいつ!婚約破棄とかまっぴらだし私はぜっっっっったいバル兄と婚約とか嫌だから!”と2人そろって泣いて訴えているの。

 アレが駄目なのは、元々なのよ……」

 とうとうアレになった。

 段々とリーゼロッテ様の中でバル先輩の株が下がっているらしい。


「じゃあ、じゃあ、私は、どうしたら、いいんですか……」

 私がそう尋ねると、リーゼロッテ様は笑顔でこたえた。


「2人で平民としてしあわせに結婚してしあわせに暮らしてくれないかしら」


「無理です。

 私は一生バル先輩にすてさせたもののことを、思います。心からしあわせになんて、なれる気がしません」

 私が即座にそう断言すると、リーゼロッテ様は再びアンニュイな表情に戻って、ため息を吐いた。


「それはそう、よねぇ……。

 本当に、どうしましょうかしら?」

 その問いは、むしろ私がききたい。

 それともリーゼロッテ様は、彼女に祝福をお与えになったという神に尋ねているのだろうか。


 私も、もう、神頼みとかしたい。助けて神様。

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