第2話どこまで赤い

 うろたえた様子のリーゼロッテを無視する形で、口づけた。

 吸い寄せられるように。


 その、頬に。


「……これで、よろしい、でしょうか。

 コバヤシ様」


 さすがに、衝動のままに唇を奪うというのは、自重した。

 具体的にどこに接吻しろとは、よく考えれば言われていない、というのは、いいわけだろうか。


『きっ……!』


 リーゼロッテの頬のやわらかさとなめらかさにどきまぎする私の耳に、コバヤシ様の漏らしたそんな音がきこえた後、しばしの沈黙が場を支配する。

 手のひらに触れているリーゼロッテの頬が、熱い。見れば真っ赤だ。ちょっと涙目で口をわなわなさせている。そしてぷるぷるしている。

 なんだこれかわいいなおい。


『きたきたきたきたきたぁああああああああああ!!』


 キン、と、衝撃を受けるほどの大音量で、コバヤシ様が叫んだ。


『お、おちつけ小林さん!』


『無理!無理!無理!!

 だって!ジークとリゼたんが!!

 キスぅ!ほっぺだけど!キス!キスだよ!!

 そんでリゼたんくっそかわぇえ!!

 いやもうこれ見れただけで細かいことはどうでもいい……!』


『よくないだろ!?

 っつうか理屈はわかんねーけどマジでこっちの声聞こえてるっぽいじゃん。

 それならジークにがんばってもらってそれこそラスボスとか魔女とか回避させられるんじゃねーの?

 その方向でがんばろうや、な!?

 とりあえず俺の背中叩くのやめてっ!?』


『……それだ!』


 コバヤシ様がそう叫ぶと、2柱は声をひそめ、ごにょごにょとなにやら話し合いを始めた。

 2柱の邪魔をするわけにはいかないので静かに待機するしかないが、本当は先ほどのリゼたんすなわちリーゼロッテがかわいいというお言葉に全面同意したい。

 普段のリーゼロッテはとても気が強いし、マナーにもうるさい。その美貌に惹かれた数多の男にどれほど言い寄られようと表情ひとつ変えずに「私はジークヴァルト殿下の婚約者ですから」と冷たくはねのけるような彼女が、頬に口づけられただけで言葉を失い真っ赤な顔でふるふると震えることしかできなくなるとは思わなかった。

 即座に無作法を咎められるか、なんなら絶対零度の視線で睨み付けられるくらいのことは覚悟していたのだが。


 ……顔、というか、耳も、首も赤いな。どこまで赤いんだろう。


 こほん


 そんな風にリーゼロッテに見とれていたら、ふいに女神の咳払いがきこえた。

 話がまとまったのだろうか。

 私はなんとなくリーゼロッテから手を離して佇まいを直す。


『えーと、とりあえず、私らが神とか言われてもそれっぽくとかよくわからないので、このままいきます』

 コバヤシ様が、そう宣言なさった。

 私は天を見上げうなずく。

 神の御心のままに。


『私は、シナリオ……、ええと、この先この学園を中心に、そちらの国にどんな事件が起こるのか、知っています』

 さすがは、神。

『ええと、でもここでネタバレというのもなんだかなぁと思うし、まだ、今の段階で色々きかされてもなんもできんと思うし私もどこからどう説明したものかわからないし、部活の練習もしたいし、ということで、このまま、実況と解説を、続けます!!』


 コバヤシ様の宣言の意味が把握しきれなかった私は首をひねる。


 実況と、解説……?


『えーと、俺、いや私は実況の遠藤』


『私は解説の小林です』


 男神が、【実況のエンドー】様、女神が、【解説のコバヤシ】様。

 その宣言を、私はしっかりと脳裏に刻み込む。ああ、メモをとりたい。

 紙とペン……、どこか、誰か……、あ、フィーネがいた。いたんだった。あとで借りよう。いつの間に彼女はベンチに戻ったのだろう。


『私たちはこの先の展開と、なによりリゼたん、いやリーゼロッテさんの心情を知った上で、実況と解説をつけます。

 もう、こっちは勝手にしゃべるので、ジークは、よく聴いて、よく考えて、動いてくれれば。

 こちらと異世界そちらで会話するのはなんか変な感じだし、さっきからジーク完全にイタい人になってるし、私たちには話しかけてくれなくていいんで。

 聴くだけ聴いてね、ってことでどうでしょう』


 イタい人……。

 女神の言葉にあらためてリーゼロッテとフィーネを見ると、2人とも、非常に困惑した表情を浮かべていた。

 ああ、うん、神と対話をしているのはわかっていても、2人には私の声しか聞こえないのだものな。行動も意味不明だ。私は完全に不審者と化していた。

 2人だけでなく、王族以外の者には【神の声】は聞こえない。人前で神々と会話をするのはハードルが高い。

 『聴くだけ聴いて』というのは、神々に対して失礼な態度ではあろうが、非常にありがたい提案だ。


「……ありがとうございます」


 天に向かってそれだけを言い、頭を下げ、リーゼロッテたちに向き直る。

 そうだ、そもそもこの2人と会話の途中だったんだ。


『がんばれジーク!負けるなジーク!

 果たしてジークは先ほどまでの緊迫した空気に戻して無事このイベントを完遂することができるのか……!?』


『既にリーゼロッテがゆでだこのぐでぐでだから無理ではないでしょうか。

 もう3人で仲良く勉強会したらいいと思います』


 ですよね。


 コバヤシ様の言葉に、声には出さずに心のなかで同意する。

 先ほどの【ほっぺにちゅー】のせいでまだ顔を赤くしたまま、そわそわとせわしなく自身の縦ロールを弄るリーゼロッテには、この中庭にやって来たときの剣呑な雰囲気は一切なくなっている。

 エンドー様のおっしゃる【イベント】がなにかはわからないが、神の干渉がなかった場合とは、もはやまったく状況が異なってしまっているだろう。


「神々との対話は終わった。

 さ、このまま3人で勉強会といこうか。

 リーゼロッテ、こちらに」


 戸惑った2人に無理矢理にそう告げて、先ほどフィーネと並んで座っていたベンチに、リーゼロッテの手を引き導く。

 左からフィーネ、リーゼロッテ、私の順に並んで座った。

 今のリーゼロッテにフィーネにつっかかるほどの元気はなさそうだし、普段はいつでもどこでもどこまでも美しく優雅な所作のリーゼロッテがぎくしゃくとベンチに座った様子を、フィーネがどこかほほえましげに見ている。並べて座らせても大丈夫だろう。

 この並び以外では、誰かの名誉が傷つく可能性がある。これなら悪意のある誰かに変な噂にされることもない。


「で、フィーネ、なにがわからないのだったかな?」


 神の話はおしまいとばかりに笑顔で圧をかけながら発した私の言葉を受けたフィーネが、戸惑いながらもおずおずとノートを開く。

 彼女が躓いているのは前提部分、基礎の基礎だ。

 私たちはこの学園に入る前に当たり前に知っていたようなこと。

 けれど、これまで家名もない庶民として生きてきた彼女は、知らないこと。


「あ、あら、こんなことも知りませんの?」

 リーゼロッテは馬鹿にしたようにそう言いながら、フィーネの方を向いた。なんだかんだ教えるつもりはあるらしい。

「これまで学習の機会がなかったんだから仕方ないだろう」

 そういいながら、私がリーゼロッテの向こうにいるフィーネに教えるにはこうするしかないと、自分で自分にいいわけをする。

「これは……」

 リーゼロッテを抱え込むように、その背中に触れるか触れないかのぎりぎりまで密着しながらフィーネの方を向き、口を開いた。


 びくり


 とたんにわかりすく硬直して、耳も、首も、おそらく顔も真っ赤にするリーゼロッテは、やっぱり、かわいい。

 今なら、偶然を装って色々できそうだ。


 その赤い耳に吐息でもかけてみようか?


 それとも肩や背中に手で触れてみようか?


 いっそ、このまま背後から抱き締めても、いい、かな……?


 先ほど神によって知らされた、“リーゼロッテはツンデレで、ジークヴァルトのことが好き”という情報は、どうやら真実であるらしいという事実はたまらなく愉快で、どうにも嬉しい。

 そのまま私は上機嫌に話し、リーゼロッテは私の急な態度の変化に戸惑いを見せ、フィーネはそんなリーゼロッテをにやにやと眺め、コバヤシ様は時折解説を忘れきゃあきゃあと騒ぎ、エンドー様は時折『痛い痛い、ちょ、やめて小林さん……!』と叫んだ。


 ……あちらの世界で、いったいなにが起きているのだろうか。

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