第21話 空に煌めく万華鏡


 海岸沿いの道に出ると、たくさんの露店が横並びに軒を連ねていた。


 どこからか太鼓や笛の音が聞こえてくる。都会のお祭りと違って人でごった返していることもなく、日本のお祭りらしい涼しげな風情を感じる。


 花火の打ち上げは二十時からなので、それまで露店を見て回ることになった。



「琴音、りんご飴食べよう」



 美輝の誘いに「うんっ」と軽快な返事をして、りんご飴の屋台を探す。


 見渡すと、焼きそばやたこ焼きに冷やしキュウリなど、様々な屋台がずらっと道沿いに並んでいて、そこかしこから漂ってくる油の匂いが鼻腔をくすぐってくる。


 金魚すくいやヨーヨー釣りといったいわゆるテキヤも、子どもから大人までこぞって列を成していた。



「お、あれじゃねえか? りんご飴って書いてあるぞ」



 怜が指差すほうを見ても、人垣に視界が覆われてしまってよくわからない。けれど美輝は屋台の場所を確認できたらしい。



「ほんとだ! ふたりも食べる?」


「いや、俺はりんご飴はちょっとな。ひと口だけ味見させてくれよ」


「俺もりんご飴は子どもの頃に食べきれなくて、ちょっとトラウマなんだ。遠慮しとくよ」


「そっか。じゃあ琴音、一緒に買いに行こ」



 手を繋いだわたしと美輝は、りんご飴の屋台へ向かって駆け出した。その後ろを男子ふたりが追いかける。


 屋台の前に来るとわたし達以外にお客さんはいなくて、そのまま美輝がお店のおじさんに声をかけた。



「おじさん、りんご飴ふたつください」


「あいよ、うちのはふじだからおいしいよ。はい、ふたつで六百円ね」



 わたしが巾着から財布を出していると、横から結弦が千円札をおじさんに差し出していた。



「おぉ、ふたりともお兄ちゃんの彼女かい? やるねえ」



 突拍子もないことを言うおじさんが、お釣りの四百円を結弦に手渡して千円札を受け取る。



「そうだと嬉しいけど、こっちが俺の彼女で、こっちは後ろの奴の彼女だよ」


「そうかい、いやあかわいい彼女でよかったねえ」


「うん、俺の自慢なんだ」



 差し出されたりんご飴を受け取ったわたしの顔は、受け取ったそれのようだったに違いない。


 昨日から、結弦はさりげなくわたしが喜ぶことを言ってくれる。その度に頬が赤くなっている気がして、顔を隠すのが大変だ。



「ありがと、結弦。でもいいの? わたしらちゃんとお金持ってきてるよ?」



 美輝の言葉にわたしもうんうんと頷く。



「いいんだよ、旅館の手伝いもしてもらったし、これは俺からのお礼だよ」


「そう? じゃあ、甘えとくね。ありがと」



 美輝はそう言うと手に持ったりんご飴をひと舐めして、怜にほらっと手渡していた。



「結弦、ありがとう。いつも甘えちゃってごめんね」


「ごめんねは余計だよ。さあ、次行こう」



 結弦はいつでも安心する言葉をくれる。

 りんご飴を両手で持ったまま、わたしはしばらく結弦の後ろ姿を眺めていた。



 結弦を見つめながらひと舐めしたりんご飴は、とても甘い。

 その優しい甘さに、そのまま心までとろけてしまいそうだった。



「琴音ー、はぐれちゃうよー」



 美輝の声ではっとしたわたしは、慣れない下駄を夕空へ鳴らして、みんなのもとへと駆け出した。



 次は怜の案で、ヨーヨー釣りをして遊ぶことになった。



 小さな桶でくらげみたいにゆらゆらと水に漂っているヨーヨー。ところどころに浮かんでいるアヒルのおもちゃが、いいアクセントになっている。


 ヨーヨー釣りなんて小学生以来で、今やると結構難しい。


 うまく針が掛からなかったり、アヒルに邪魔をされたりで、結局わたしはひとつも吊り上げられないまま針が切れてしまった。



「よし、交代だ。俺がみんなに似合う色を選んであげるよ」



 結弦は桶の向かいに座るおじさんにお金を払うと、釣り針をもらい、品定めするかのようにヨーヨーを見つめていた。



 わたしに似合う色って、どんな色なんだろう?


 自分に似合う色なんて考えたことのないわたしは、結弦が選んでくれる色を密かに楽しみにしていた。


 結弦が釣り針をそっと桶の中へ落としていく。そのままゆっくり引き上げると、オレンジと赤のヨーヨーが桶から吊り上げられた。



「はい、これは美輝だよ。美輝は太陽みたいに明るいけれど、心は夕焼けのように繊細だからね」



 美輝が少し照れたように、「ありがと」と言って差し出されたヨーヨーを受け取る。



「これ、まだ取っちゃっていいですか?」



 結弦が訊ねると、テキヤのおじさんは優しい口調で許可してくれた。



「あぁ、切れるまで取ってくれてかまわないよ。お兄ちゃん上手だねえ」



 結弦は慣れた手つきで、いとも簡単に次のヨーヨーを取ってしまう。



「これは怜」



 怜に手渡したのは、赤と紫のヨーヨーだった。



「怜は一見クールに見えるけど、心の中はいつも真っ赤に燃えあがってるもんな」



 小さい声で「サンキュ」と返した怜も、ヨーヨーを受け取った。


 結弦は次のヨーヨー目がけてじりじりと針を落としていく。

 小声で「よしっ」と呟くと、そのままゆっくりと針を持つ手を宙に上げた。



「お待たせ、琴音はこれだ」



 ――え? ……これって。



 結弦が取ってくれたのは、色のない透明なヨーヨー。あるのはほんの少しの模様だけ。



「琴音の人生はまだまだずっと長いからね。これから好きな色で飾りつけていくんだ」



 わたしだけじゃなく、みんなの人生もまだまだ長いのに、これは進路がきちんと定まっていないわたしへの、結弦なりの応援だろうか。


 まったく予想していなかった透明に戸惑いながら、「ありがとう」と言ってヨーヨーを受け取る。


 次に結弦が針を垂らした瞬間、三つのヨーヨーの重みに耐えてきた針が、ぷつんと切れた。



「おっと、しまった。三つでも厳しいかなと思ったけど、やっぱり四つは無理だったか」



 頭を掻きながら舌を出して笑う結弦。そこに怜が「じゃ、交代な」と言ってお金を払い、釣り針を手にして桶の前にしゃがみ込んだ。



「怜、頼むよ。結弦の分、頑張って取ってね」



 美輝は怜の肩に手を置いて、その危うい手つきを見守っている。



 怜がいつになく真剣な目つきでヨーヨーを追う。それを桶の中からアヒルのおもちゃが睨み返しているように見えるのは、きっと怜だからだ。



「よっしゃあ、かかった!」


「まだだよ! 乱暴にしないで!」



 美輝の一喝で慎重さを取り戻した怜が、ゆっくりと釣り針を上げると、黄色と淡い緑のヨーヨーがその姿を浮き上がらせた。



「ほら、結弦。これがお前のだ。お前は常にみんなに気を配ってて、なんつーか癒し系だからな。だからなんとなく新緑っぽいその色だ」



 差し出されたヨーヨーを「ありがとう」と言って受け取る結弦の横顔は、嬉しそうに微笑んでいた。



「コツも掴んだし、もういっこ取るかあ」



 怜は再び桶の中に針を入れると、本当にコツを掴んだのか、いとも簡単に次のヨーヨーを釣り上げてしまった。


 それは紺色と水色が混ざった青いヨーヨーだった。



「これは誰のなの?」



 首を傾げて訊ねる美輝に、怜は即答する。



「これは葵のだ。あいつ急に怖い話したりするから、涼しそうな色にしてみた。ま、今はとりあえず琴音が持っとけよ」



 そう言うと怜は、葵ちゃんのヨーヨーをわたしに差し出した。


 結弦も一度しか会っていない葵ちゃんを怜が気にかけてくれたことが嬉しいのか、その表情は優しい。


 怜が次だと言って釣り針を桶に垂らしていくと、掛けてもいないのに途中で針が切れてしまい、ヨーヨー釣りはそこで終了となった。






 ヨーヨーを弾ませながら移動して、歩道の端で見せあう。


 夜の闇に浮かぶそれは、色を揃えて空へ掲げてみると、まるで夜空に架かった虹みたいだ。この場に葵ちゃんがいないのが残念だけれど……。



 光を灯した提灯が揺れる道を、お喋りをしながらゆっくりと歩く。からんころんと下駄の音が耳に心地いい。


 それからも、わたし達はたくさん遊んだ。


 怜が射的の腕前を披露して、結弦が輪投げでよくわからない置物をゲットした。

 わたしは金魚すくいで出目金に振られて、美輝はスーパーボールをお椀いっぱいにすくい上げた。



 ――笑い声は絶えない。



 りんご飴も食べ終えて、気づくと花火の打ち上げ時刻まであと三十分を切った頃、結弦が夜ごはんについて提案した。



「そろそろ花火が打ち上がる時間だから、みんな屋台で食べたい物を買って近くの神社へ移動して食べないか?」



 神社でゆっくりつまみながら見る花火なんて、想像するだけでわくわくする。



「じゃあ、あんまり時間もないし、買う物決めてふた手にわかれようよ」



 美輝がさらに提案を重ねると、結弦はスマホを取り出してメモアプリを開いた。


 二、三分の話し合いの末、わたしと結弦は焼きそばとからあげと焼きとうもろこしを、美輝と怜は串焼きとたこ焼きと飲み物を買いに行くことに決めて、ふた手にわかれた。



  結弦は歩き始めると、はぐれないようにと手をつないでくれた。


 笑い声や呼び込みで賑わう夜道に、風情ある下駄の音が響く。


 田舎のお祭りの喧噪は、都会のそれと違ってどこか静けさを感じさせる。


 初めての浴衣デートだと思うと急に恥ずかしくなって、照れ隠しのように透明なヨーヨーを手の平でばんばん弾ませると、結弦がそれを見てくすりと微笑んだ。



「琴音はこれを色づけていくんだろうな」



 そんなこと言われても正直わからない。みんなにはそれぞれ色があって、合わさると虹色になるのなら、わたしにはどんな色が残されているんだろう? でも……、



「みんなの色が混ざり合うような、そんな色がいいな」



 さっきヨーヨーで作った、夜空に架かる虹のような、そんな色がいい。



「そうだな、琴音はみんなの想いを繋いでくれた。そんな琴音には虹色が似合うのかもしれないな」



 想いを繋いだとか言われて嬉しいけれど、当人にはまったくそんな自覚はない。みんなには助けてもらってばかりだし、これからも迷惑かけちゃうかも。

 変わりたいとはずっと思っているけれど、なかなかうまくいかない。



「琴音は自分で思ってるよりずっとたくましくなったよ。だから、もう悩まなくても大丈夫さ」



 結弦はつなぎ直したわたしの手に、優しく力を込めて言ってくれた。


 なんだかスッキリした笑顔だ。


 結弦も旅行中、どこか物思いにふける様子を見せていた。受験を控えて色々思うところがあったのかもしれない。


 それを晴らすのを、少しでも手伝えていたのなら嬉しい。



 集合場所に戻ると、ふたりは暇を持て余した子どもの様にヨーヨーを弾ませながら待っていた。


「お待たせ。じゃあ神社に行こうか。あの上だよ」



 結弦がそう言って指差した先は、小高い丘のような場所で、大きな木々が生い茂っている。小路を抜けて長い石段を上り抜けると、こじんまりとした境内に辿り着いた。



 住宅街の間を縫うように建てられた小さな神社。



 境内から海へと抜ける景色は、花火もよく見えそうだ。昼間に来ても彼方まで続く水平線がきれいに見渡せるだろう。


 神社には、もしかして葵ちゃんもいるんじゃないかと微かな期待を秘めていたけれど、そんな都合のいい展開は訪れなかった。



 巫女だからって、四六時中神社にいるわけじゃない。



 そう思いながら、ふとお社に視線を移すと、軒下に丸まっている猫の目が光った。



「ナーオ」



 この鳴き声ってもしかして、昨日お昼ご飯を食べたお店の前にいた猫と同じ? でもあそこから随分離れているのに、どうしてこんなところにいるんだろう。違う猫かな。



「この子、昨日オムライス食べたお店の前にもいたよねえ」



 美輝もそう思っているみたいだけれど、怜はどことなく疑いの視線を猫に向けている。



「まじかよ、あんなとこからここまで来たのか? この変な鳴きかたはそっくりだけどよ」



 結弦はなにも言わずに猫の様子を見つめている。


 昨日と同じように美輝がしゃがんで「おいで」と手を出すが、警戒しているのか、猫は軒下からこちらの様子をじっと伺ったまま動かない。


 わたしも昨日と同じ猫なのか確認しようと、近くに寄ってしゃがみ込む。


 そっと手を伸ばすと腕から葵ちゃんのヨーヨーがするりと抜けて、ころんと地面に転がってしまった。


 猫の耳がぴくりとその音に反応して、隠していた前足を伸ばすと大きく目を見開いた。


 慌てて葵ちゃんのヨーヨーを拾い、こびりついた土を払う。


 すると、一部始終をじっと観察していた猫が、縁の下からのそのそとその姿を現した。その目はじっとわたしだけを捉えて、しなり、しなりと一歩ずつゆっくり近づいて来る。



 やっぱりわたしは猫に好かれるタチなのかな。それともしゃがんでいるから、ごはんを貰えるとでも思ったのだろうか。



 猫は目の前まで寄ってくると、わたしの膝に前足をかけた。

 そのまま首にかけていたトンボ玉をひと舐めすると、わたしの鼻に自分の鼻を押しつけてきた。



「ちょ、くすぐったい」



 美輝がそれを見てあははと笑っている。



「それって猫の挨拶だよ。仲のいい相手にしかしないから、琴音は相当懐かれてるんだね」



 動物に好かれて悪い気はしないけれど、挨拶とはいえ、いきなり鼻に鼻を押しつけてくるのは勘弁してもらいたい。



「もう、突然びっくりするじゃない」



 猫の湿った鼻で濡れてしまったわたしの鼻を手で拭っていると、その姿を見た男子ふたりも声を上げて笑っている。


 猫はわたしの膝に前足を乗せたまま、葵ちゃんのヨーヨーに鼻を近づけてすんすんとにおいを嗅ぎ、ごろごろと喉を鳴らしてヨーヨーに頭を擦りつけた。



「だめ。これ葵ちゃんのだから、あなたのじゃないよ」



 もちろん伝わるはずはなくて、猫は一心不乱にヨーヨーに甘えている。もし爪でも立てられたら割れてしまうかもしれないので、わたしはヨーヨーを持って立ち上がった。



「ナーオ! ナーオ!」



 猫は怒ったように鳴き、わたしを見つめたまま後ろ足で立ち上がった。

 わたしの裾に前足を立て、必死でヨーヨーを奪い返そうとしているが、爪を立てられて浴衣がほつれてしまわないかこっちは気が気でない。


 焦っていると、結弦がひょいっと猫の背後から手を回して、そのまま猫を抱き上げた。



「こいつは俺が捕まえとくから、みんなごはん食べようか。冷めちゃったら勿体ないだろ」



 猫は結弦の腕の中だと急におとなしくなり、気持ちよさそうに目を細めてくつろいでいた。



「なんだこいつ、ゲンキンな奴だな」



 怜が結弦の腕の中で丸まっている猫にちょっかいをかける。猫はそれを鬱陶しそうに前足で払っていた。



「じゃあなにから食べる? 結弦は両手塞がってるし、琴音に食べさせてもらいなよ」



 な、なにを言ってるんだろう美輝は。みんなの前でわたしが食べさせるなんて、そんな恥ずかしいこと、できるわけがない。



「結弦、ちゃんと猫降ろして自分で食べなよ。ウェットティッシュ持ってきてるから」



 猫に向かって、「はいはい、怖いお姉ちゃんですねー」と笑いながら返事をする結弦に軽い咳払いで諭してみたが、本当にわかっているのだろうか?



「じゃあ、まずは串焼きな。これなら結弦も食べやすいだろ」



 怜が牛串焼きを二本取り出して、わたしに差し出す。



 なんで二本ともわたしなんだと思うけれど、元はと言えばわたしに懐いてしまった猫を引き離してくれたんだから、これくらいしてあげなくちゃという気持ちもある。



 ひとつため息を落としてから、「はいっ」と牛串焼きを結弦の口元に差し出す。結弦は照れもせずに、「ありがとう」と言って牛肉めがけてがぶりと食らいついた。



「うん、うまい。お祭りの串焼きってほんとうまいよな」



 少年のように口をもしゃもしゃと動かしながら食べる結弦がかわいくて、食べさせてあげてよかったと思うのだから、ちょろいやつだ、わたしは。



 わたしも違う手に持っていた牛串焼きのお肉めがけてかぶりついたが、思わず顎が外れてしまうんじゃないかと思うほどの肉厚に、口いっぱいにお肉を頬張ってしまった。



「おぉ、琴音にしては見事な食いっぷりだな」



 もごもごと顎を動かしているわたしを見ながら、怜が感心したような声をあげる。



「琴音って意外と豪快だね。わたしそこまで入んないかも」



 いつも豪快でフランクな美輝さえも驚くなんて、どれほどなんだろう? でも、口いっぱいに広がるおいしさを噛み締めて、わたしは不思議と恥ずかしいとは思わず、むしろこの状況を楽しんでいた。


 口の中の牛肉をやっつけて、なんとか喉の奥へと押しやると、すかさず美輝がわたしにオレンジジュースを手渡してくれた。

 それをぷはっと飲むと、一斉に笑い声が飛び出した。



「あははははっ! 琴音、なんか変わったねえ」



 美輝はお腹に手を当てて笑っている。



 そんなにおかしいことしたかな? そう思うとなんだかわたしも笑いが込み上げてきて、堪え切れずにふはっと吹き出した。


 なんだかわからないけれど、とても楽しい。


 この四人でいると、なんでもないようなことでも笑顔になれる魔法にかかるのかもしれない。



 神社の境内に、笑い声がこだまする。



 屋台で買ってきたごはんを食べながら、時間が経つのも忘れて笑い合っていると、突然大きな音が響き渡り、色とりどりの大輪の花が夜空を鮮やかに色づけた。



「花火だー!」



 美輝が空を指差して声を上げると、四人で並んで夜空を見上げた。



 目の前で打ち上がる大きな花火。いくつも輝いて散っていくその姿は、まるで夜空自体が大きな万華鏡みたいだ。



 花火の光と音が、わたしの胸に切なく響いている。この想いを忘れたくなくて、夜空へ密かに願いをかけた。



 これからもずっとみんな一緒に、思い出を積み重ねていけますように。



 恥ずかしくて言葉には出せないけれど、この気持ちを素直に伝えられたとしたら、明日のわたしはもっと変わることができるのだろうか。



 さっきまで、気持ちよさそうに眠っていた猫も、結弦の腕の中から、花火を見上げている。

 次々と打ち上がる花火を眺めていると、ふいに結弦がわたしに囁いた。



「琴音、今日ここで見た花火を、忘れないでいてね」



 昨日、星空を見上げていた結弦の横顔と、今、夜空に打ち上がる花火を見上げている結弦の横顔は、同じように彼方へと向けられていた。



 その表情が気にかかったが、わたしも切なさを胸に抱いたまま、小さく頷いて返した。




 ――空に光が溶けていく。


 世界が輝きに包まれて、まるで未来を照らしているみたい。


 突然降り出した雨に打たれて、もしもそこで立ち止まってしまったとしても、みんなで過ごしたこの瞬間を思い出すだけで、わたしはきっと、また歩き出すことができるだろう。


 みんなと出会って、共に過ごしてきた歳月に、心から感謝を伝えたい。

 この旅で成長できたであろう自分自身にも、頑張ったねと言ってあげたい。

 そして、いつの日か生まれ変わったそのときも、またみんなと出会いたい。

 そうしたら永遠に、わたしは笑って強く生きていられるから……。




 後半のスターマインが終わり、最後に一番大きな花火が夜空を覆いつくして、夏祭りは幕を閉じた。



 わたし達も、拍手で空に溶けていく輝きに別れを告げる。



「すごかったね、わたし感動しちゃったよ。みんなで観れてよかったよね」



 美輝の興奮冷めやらぬ声。怜も満足といった表情をしていた。わたしはもう来年の夏祭りが楽しみになっていた。



「来年もみんなで来ようよ! 今度は葵ちゃんも誘って」



 気の早い話だ。すると、結弦が口を開いた。



「きっと次の花火が上がる頃には、琴音は葵ともっと仲良くなっているんだろうね」


「もちろん! そうしたら来年は五人だね」



 嬉しい気持ちが今にも爆発しそうなわたしに、美輝が微笑みかけて言った。



「いつかまたこうして、みんなで集まって花火とか観れたら、ほんとに嬉しいね」



 怜も「そうだな」と相槌を打つ。



 結弦は完全に目を覚ました猫を、まるで自分の子どものように、腕の中であやしていた。



「花火も終わったしお腹も膨れたし、そろそろ旅館に戻ろうか」



 結弦がそう言うのと同時に、腕の中にいた猫が結弦の胸を蹴って飛び降りた。


 そのままわたしのほうへ走ってきたかと思うと、勢いよくジャンプして、わたしの腕から葵ちゃんのヨーヨーを華麗に奪い地面に着地した。



 慌てて手を伸ばして追いかけてみるが、走り出した猫のスピードに敵うはずもなく、ヨーヨーを咥えた猫は、あっという間に見えなくなった。



「ごめんみんな、葵ちゃんのヨーヨー、取られちゃった」


「気にしなくていいよ。俺もちゃんと猫を捕まえられてなかったし、それに明日も葵に会えるかどうかはわからなかったんだから」



 美輝も怜も、落ち込むわたしに、気にしないでと笑って励ましてくれた。


 悩んでもヨーヨーが返ってくるわけでもない。


 自責する心にそう言い聞かせて、旅館への道を引き返した。





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