第20話 切り取られた時間


 駄菓子屋からの帰り道。


 葵ちゃんから受け取ったトンボ玉を首から下げられるようにと、美輝が紐の長さを調節してくれた。


 結び目がふたつあって、それをつまんで紐を引くと長さが調整できる。さすが、お洒落な美輝はこういうときも頼もしい。



「よく似合ってるよ、琴音」



 そう言われて鏡で確認すると、首元に映ったトンボ玉は蝶の細工がきらきらと七色に輝いていて、思わず笑顔がこぼれた。


 

 空は果てしなく澄みきって、遠くに入道雲が立ち昇っている。


 しゅわっと弾けながら喉を通過する甘いラムネのおかげで、この暑ささえもなんだか爽快だ。



 美輝がラムネのビー玉を覗きながら言った。



「ねえ、お祭りの前に温泉入っていかない? また汗かいちゃって気持ち悪い」



 夏の日差しで汗だくになったわたし達は、美輝の意見に賛同した。


 旅館に戻ると、フロントに座っていた千佳さんに声をかけられた。



「おかえりなさい、お祭りはこれから?」



 結弦が浴場のほうを指差して答える。



「うん、先にお風呂入っとこうと思って戻ってきたんだ。もう使えるよね?」


「ええ、もうお湯も張ってあるわよ。戻ってきてくれてよかったわ。琴音ちゃん、美輝ちゃん、こっちへいらっしゃい」



 男の子はいいから、と付け加えた千佳さんはわたし達にだけおいでおいでと手招きをしている。

 準備ができたら部屋に来てと言う結弦の言葉に返事をすると、千佳さんのあとを追いかけた。



 なんだろう? 朝の仕事でなにか失敗した……とかじゃないよね。



 おそるおそる千佳さんのあとに続いて、一階の奥の部屋へと入る。



「これ、着れるかしら?」



 そう言って見せてくれたのは、二着の浴衣だった。


 一着は濃紺がベースで、蝶をあしらった大人っぽい雰囲気の柄。もう一着は白地がベースで、アサガオをあしらった爽やかなイメージだ。



「もしかして、着させてもらえるんですか?」



 目の前に広げられた立派な浴衣に、尻込みしながら訊ねる。



「ええ、数だけはあるんだけど、なかなか着てあげる機会がなくてね。よければあなた達が着てくれると、この浴衣も喜ぶと思うんだけど」



 思いがけない展開にわたしが目を瞬かせていると、美輝が声を上げた。



「嬉しい! ありがとうございます!」



 続いてわたしも、「ありがとうございます」と頭を下げる。



「よかったわ。じゃあ、蝶の柄が琴音ちゃんでアサガオ柄が美輝ちゃんね。わたしとお母さんで選んでみたのよ。これでよかったかしら?」


「はい、とっても気にいりました! 琴音のほうも落ち着いた雰囲気で琴音っぽいよ」


「そ、そうかな。わたしこんなにお上品だったらいいんだけど」



 用意された浴衣はわたしの好みにぴったりだけれど、これを着こなせるかどうかはまた別問題だ。



「琴音ちゃんには、日本人らしい奥ゆかしさがあるのよ」



 千佳さんに言われ、一目見て気にいった浴衣を前に、わたしは照れながら頭を下げた。



 子どもの頃、家族でお祭りに行ったとき、大人の人が来ている色とりどりの煌びやかな浴衣に目を奪われていたわたしに、「浴衣の柄には意味を持つものもあるのよ」と、お母さんが教えてくれた。


 幼いながらも興味を持ったわたしは、自分なりに調べて、自由研究の題材にまでしたので、今でもちゃんと覚えている。


 蝶の柄は、さなぎから蝶に羽化する様子から、復活や変化という意味がある。

 それに長寿や不老不死という意味もあったはずだ。恋愛面では、ずっと続くという願いがこめられているらしい。


 長寿なんて、まだ意識するような年齢じゃないけれど、恋愛面での意味は大切にしたい。


 そしてアサガオ柄には、固い絆という意味がある。

 友達や後輩を大切にする美輝にぴったりの言葉だ。



「私はフロントにいるから、お風呂あがったら声をかけてもらえるかしら?」


「わかりました。じゃあ、先にお風呂いただいてきます」



 美輝がそう挨拶を残すと、わたし達は部屋へ戻った。



「浴衣まで用意してもらえるなんて、びっくりだね」


「うん、あの浴衣かわいいね、絶対美輝に似合うよ」


「琴音こそ、浴衣の蝶とトンボ玉の蝶が揃ってて、きっときれいだよ」



 やはり女の子としては、お祭りで浴衣を着るのはとても楽しみだ。早く袖をとおしたい気持ちを堪えながら、わたし達はいそいそと温泉へ向かった。



 服を脱いで浴場へ入ると、親子連れが一組と女子大生くらいの三人グループがいた。


 隅の洗い場で髪と体を洗い、露天風呂へと移動する。

 幸い空きスペースがあったので、わたし達は肩を並べてお湯に浸かった。



 女子大生らしきグループの話し声が聞こえてくる。



「今日花火も上がるんでしょ? 田舎なのにすごいよね」


「ごはんの時間早めてもらってよかったね。丁度花火の時間くらいにお祭りに行けるよ」


「わたしこの旅館気にいっちゃった! 昨日のごはんもおいしかったし、毎年来ようよ」



 結弦の生まれ育った場所や、お祖父さんの旅館を褒めてくれていて、わたしまで嬉しい。

 美輝も、「琴音、よかったね」と言ってくれた。声は出さずに笑顔で頷くと、美輝はそのまま話し続けた。



「わたしだったら、ここで働くのもいいかなとか思っちゃうなあ。海も山も近いし」



 美輝がここで働くの? そりゃ美輝は美人だから、旅館の女将なんてとても似合うと思うけれど。



「でも田舎だよ? 美輝は都会が好きなんじゃないの?」


「わたしどっちかっていうと田舎派だよ。走ってても気持ちいいじゃん」



 意外だった。美輝が田舎好きだったなんて。

 わたしはどうだろう? 田舎は好きだけれど、田舎か都会かなんて考えたこともない。

 けれどこの旅館で結弦とふたり、社長と女将なんていいかもしれない。



「あ、でもわたしも住めるかも、田舎」


「琴音、今結弦と一緒にって思ったでしょ?」



 見透かされていた。



「顔に出てるよ。結弦と旅館切り盛りできたらとか考えてたんでしょ。丸わかりだって」



 えへへと頭を掻いて美輝を見る。



「でも、似合ってると思うよ、琴音は。この辺でピアノ教えながら旅館の仲居さんするのとか、結構ありかもね」



 確かにありかもしれない。そう考えながら、「そうかな?」と呟くと、美輝がふっと笑って立ち上がった。



「着付け待たせちゃったら悪いし、そろそろあがろっか」



 美輝の言葉に「うん」と返して、わたし達は露天風呂からあがり、髪を乾かしてフロントへ向かった。






 フロントでは眼鏡をかけた千佳さんが、書類とにらめっこしている最中だった。



「すみません、先にお風呂いただきました」



 声をかけると、千佳さんは眼鏡を外してこちらに目をくべた。



「あら、早いわね」


「はい、また夜に入らせてもらいます」



 浴衣が楽しみで緩んだ顔が、言葉に笑みを含ませた。



「そうするといいわ。それじゃ、行きましょうか」



 そう言ってから千佳さんが事務所に声をかけると、中から結弦のお祖母さんと長谷川さんが出てきた。



「長谷川さん、しばらくここお願いね。お母さんはちょっと手伝って」



 どうやら長谷川さんにフロントを替わってもらい、結弦のお祖母さんと着付けを手伝ってくれるらしい。


 フロントから「浴衣楽しみにしてるね」と声をかけてくれる長谷川さんに会釈をして、千佳さんのあとに続いた。



 部屋に入るとわたしの着付けを千佳さんが、美輝の着付けを結弦のお祖母さんが手伝ってくれた。

 手伝ってくれたと言うより、わたし達は人形のように腕を上げて突っ立っていただけで、ほとんどやってもらったのだけれど。



 仕上りはもちろん完璧だった。自分達で着付けるのとは比べ物にならない。



「わたしも娘がいたら、こうして着付けてあげたかったのよ。あなたで夢を叶えちゃったわね」



 千佳さんが、着付け終わったあとのわたしを見て言った。



「わたしも千佳さんみたいな、きれいで優しいお母さんがいたら嬉しいです」



 いつもなら戸惑うところだと思うけれど、また素直な気持ちを口に出すことができた。



「そう言ってもらえて嬉しいわ。甥っ子の彼女だし、ほとんど娘と変わらないものね。でも、あなたのお母様なら、きっとすてきな人でしょう」



 千佳さんにそう言われて、わたしはお母さんのことを思い出した。

 


 優しくて甘いお父さんに比べると、口うるさくて厳しいお母さん。


 元々自分がピアニストだったこともあり、ピアノの練習は一日も休ませてもらえなかったけれど、お母さんは欠かさず練習に付き合ってくれた。


 大きなホールで開催されたコンクールでは、お母さんが作ってくれた衣装を着てピアノを弾き、わたしは見事入賞した。


 お弁当も毎日必ず持たせてくれる。


 デザートも欠かさず入っていて。たまに「みんなで食べなさい」と、いちごを多く入れてくれることもある。


 お母さんが熱を出したとき、お父さんがとめるのも聞かずに、わたしのお弁当を作ってくれた日もあった。


 放課後部活を頑張っているのだから、ちゃんと栄養のあるものを食べさせてあげたいと頑張ってくれていたが、正直そのときは、それさえも鬱陶しく感じていた。


 たまには購買のパンも食べてみたいのになと、心の中で不満だった。


 洗濯も掃除も全部お母さんがしてくれて、部屋はいつもきれいだった。


 家に帰ると畳んだ服がベッドの上に置かれている。わたしはそれをタンスにしまうだけでよかった。


 けれど、わたしは一度でもありがとうを言ったことがあったかな? お母さんから厳しく指導される代わりに、なんでもしてもらうことが当たり前になってしまっているわたしは、もうほとんどピアノのこと以外でお母さんに話しかけていない。



 家に帰ったら、お母さんともっと話をしよう。ありがとうを伝えよう。


 お弁当だっていつもおいしいよって言ってみよう。


 千佳さんの言うとおり、わたしのお母さんはわたしが思っていた以上に、すてきなお母さんなのかもしれない。


 きっかけがなにかはわからないけれど、昨日から、大切な友達や結弦のすてきな家族と過ごしているうちに、わたしの中で徐々になにかが変わりつつあるようだ。


 勘違いかもしれないけれど、そうであるなら嬉しい。



 わたしの中で欠けたなにかが、またひとつ見つかったような、そんな気がした。






「琴音、すっごい美人だよ! 浴衣とっても似合ってる」



 美輝の声で現実に引き戻された。いつのまにか美輝の着付けも終わっていたらしい。



「美輝こそすごくかわいいよ。モデルさんみたい」



 そう美輝に返すと、千佳さんが「ふたりともきれいよ」と言ってくれた。



「本当によく似合ってるわねぇ。そうだわ、写真を撮ってあげましょうか」



 結弦のお祖母さんはそう言って部屋を出ると、すぐに古いポラロイドカメラを持って戻って来た。それを見た千佳さんが慌てたように声をあげる。



「お母さん、それちゃんと使えるの? デジカメで撮ってあげたらいいのに」


「いいのよ、こっちのほうがぬくもりがあるじゃない。それに、すぐに渡してあげられるでしょう。さあ、二人ともそこに並んで」



 床の間の前に立ち、着慣れない浴衣に緊張しながら、美輝と顔を見合わせて笑い、カメラに向かってピースする。



「じゃあ、撮るわね」



 シャッターを切る音が部屋に響くと、カメラから一枚の写真が印刷されて出てきた。



「しばらくするとちゃんと写るから、あとで見てみてね」



 差し出された写真を、お礼を言って受け取る。まだはっきりと現像はされておらず、印刷面は真っ白だった。


 浴衣姿のわたし達はどんなふうに写っているんだろう。仕上りが楽しみだ。



「これ下駄と巾着ね。お祭り楽しんできてね」



 下駄のみならず巾着まで用意してくれるなんて、言葉にならない。美輝も「すてき……」とひとりごとのように呟いていた。



「本当になにからなにまでありがとうございます。下駄も巾着もとてもかわいいです」


「そんなに気を遣わなくていいのよ、琴音ちゃん」



 千佳さんはなんだかほんとにお母さんみたいだ。

 もう一度お礼と行ってきますを告げて、わたし達は部屋をあとにした。



 フロントの前で長谷川さんに声をかけると、長谷川さんもわたし達の浴衣姿を大袈裟に褒めてくれた。



 部屋に戻って写真をテーブルに置くと、財布とスマホを巾着に入れ換えた。


 さっき貸してもらった下駄もぴったりで、履き心地も申し分ない。


 準備を終えると、わたしは結弦へメールを送った。



【準備できたよ】


【了解。じゃあ出かけようか】



 障子を開けて廊下に出ると、ほぼ同じタイミングで男子ふたりが部屋から出てきた。と、同時にその動きが止まる。



「ふたりとも、どうしたの?」



 首を傾げて訊ねると、結弦は少し頬を紅らめて答えた。



「琴音、その……浴衣、すごく似合ってるよ。蝶の柄がトンボ玉とお揃いだね」



 思いもよらない結弦の反応に、胸がとくんと甘い音を立てる。



「ありがと。結弦も、あの……かっこいいよ」



 結弦もお祖父さんに用意してもらったのか、紺色の浴衣に着替えていた。

 怜もグレーの浴衣に着替えている。ふたりとも背が高いし、水泳で鍛えた体には浴衣もよく似合う。



「へえ、怜も似合ってんじゃん。意外ね」



 美輝も怜を褒めると、「わたしは?」と浴衣をひらひらさせる。



「ふーん、まあ、馬子にも衣裳じゃねえの」


「ちょっとどういう意味よ。似合うなら似合うってハッキリ言いなさいよ」



 美輝が怜のほっぺをぎゅうぎゅう引っ張って、その頬が少し紅くなっている。それでも怜はそっぽを向いて、知らん顔を演じ続けていた。



 冗談を交わしながら階段を下りると、わたし達は夏祭りが開かれている海岸へ向かって歩き始めた。






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